祈りを白い鳩に変えて青空へ祈る


祈りを白い鳩に変えて青空へ祈る


毎年、この日、この時間に目をつぶって頭を下げる意味が分からなかった。

じいちゃんもばあちゃんも、黙って目をつぶって両手を合わせて。

テレビの中の高校球児たちと一緒に長く長く頭を下げていた。

まだその意味が分からなかった俺は、家の中だけじゃなく、家の外も静かになるが不思議で、怖くて、母ちゃんの袖をつかんだり、姉ちゃんの服を引っ張ったりした。

だけど、誰も俺を見てくれなくて、おっきいじいちゃんに無言で睨まれて、泣きそうになると、いつもちっちゃいじいちゃんが俺を膝に乗せてくれた。

俺をかわいがってくれた優しいちっちゃいじいちゃん。

その、ちっちゃいじいちゃんが死んだ。

戦争に行っても、何度か大きな災害に遭っても死ななかった不死身のちっちゃいじいちゃんは、この春に木から落ちて死んだ。

木に登って降りられなくなった子猫を助けようとして、足をすべらせたんじゃないかって。

猫のすごい鳴き声にちっちゃいじいちゃんちの庭を見た近所のおばちゃんが見つけて電話してくれたんだって。

とっても幸せそうな顔だったとか。

初めて、じゃないだろうけど、記憶がある中で、死の意味を分かりかけて行った葬式はちっちゃいじいちゃんだったから、出棺のときの最後のお別れで見たちっちゃいじいちゃんは、ホントに眠ってるみたいに幸せそうだった。

半年くらいしかたってないから、正直まだちっちゃいじいちゃんが死んだって実感できない。

それって一緒に住んでないからなのか、まだ俺がガキなだけか、あの大きな柿の木がある家に行けば、人懐っこい笑顔のちっちゃいじいちゃんに会えるんじゃないかと思ってたりする。

でもちっちゃいじいちゃんも柿の木もなくて。

四十九日前に、ちっちゃいじいちゃんの家は他の家族が住んでた。

悲しかったというか、胸にぽっかり穴が空いたみたいで、幸せそうな家族を見ながら、走って帰ったのは覚えてる。

ちっちゃいじいちゃんは一番俺をかわいがってくれた。

この名前を付けるヒントをくれたのがちっちゃいじいちゃんっていうのもある。

結婚してなくて、ずっと一人だったから、親戚の子をみんなかわいがってたけど、俺を一番にかわいがってたのは、俺が一番手がかかるからだと思う。

ガキのころからすぐキレて、相手を叩いて泣かせることはしょっちゅうだ。

やったらやり返す、やられる前にやる。

そんな手をつけられないガキだった。

母ちゃんでさえあきれて何も言わなくなるのに、ちっちゃいじいちゃんだけは俺が落ち着くまで諭してくれた。

今でも覚えてる。

力でねじ伏せるとより大きな力に負ける。

意味は分からなかったけど、ちっちゃいじいちゃんの真剣な、悲しそうな目が忘れられなくて、一度しか言われなかったその言葉が頭の中で何度も繰り返し呟いた。

そのちっちゃいじいちゃんの言葉を理解したのは、立海に入ってからだけど。

テニス部に入ってすぐ、なんかで真田副部長にキレて殴りかかったときに見事に裏拳一発ぶっ飛ばされた。

テニスもケンカも負けたことがなかったのに、あんなにも簡単に負けたのが信じられなかった。

真田副部長に殴られて、痛いとか怖いよりも、ただ驚いた。

俺って、俺が思うよりもちっぽけで、弱いんだって身をもって知った。

そこで、初めてちっちゃいじいちゃんのあの言葉の意味を知った。

十二時ちょうど。

黙祷と追悼のサイレンが鳴る。

真田副部長と柳先輩に挟まれて、俺は目をつぶって手を合わせた。

去年からお盆は全国大会で、前にみたいに親戚の家に行けなくなった。

親戚のじいちゃんたちが集まると、だいたい戦争に行った話になる。

でもちっちゃいじいちゃんだけは、武勇伝のような悲しい、やり場のない気持ちを吐き出し合う話には参加しなかった。

親戚の子供たちに竹トンボを作ってくれたり、セミやカブトムシを取りにつれてってくれたり、たまに花札を教えてくれてうるさいばあちゃんに怒られたり。

でも笑顔が憎めなくて、大人もみんなちっちゃいじいちゃんには敵わない。

そんな人だった。

優しい人だった。

ふと。

熱い潮風に撫でられたほっぺが、ちっちゃいじいちゃんの豆だらけの手みたいだと思った。

きっと。

あの言葉が。

ちっちゃいじいちゃんの戦争の体験談だったんじゃないかと思う。

黙祷終了の合図で目を開けたら、刺すみたい白い光が痛くて、思わず真田副部長のウェアの裾をつかんだ。

それに真田副部長は俺の頭を軽く撫でた。

「大丈夫か、赤也。」

心配症な柳先輩が屈んで聞いてきてくれたのに、俺は首を横に振った。

大会主催のどっかのおっちゃんがスピーチしてる。

戦争とか平和とか、いろいろ言ってるが、あのおっちゃんだって戦争に行ったことがない人だ。

そうじゃなくても、実際に行った人の講話会を聞いても、俺にはピンと来なくて。

ただ、どの話でも共通してるのは、あの日、きれいな青空だったということ。

ちっちゃいじいちゃんも「今年もあの日とか変わらない空だ。」って目を細めて笑うのを毎年見てた。

…でも、今年はちっちゃいじいちゃんはいないんだ。

戦争も平和も、人の死もまだ実感できない俺だけど。

大切な人がいなくなる悲しいさと寂しさをやっと分かった。

目を閉じて手を合わせることにも意味がある。

ちっちゃいじいちゃんがあの世で安心して暮らせるようにって俺は祈った。

もう少し大人になったら、みんなの平和を祈れる人になりたい。

今、太陽を横切った雲のかけらが鳩に似ていた。

今年もちっちゃいじいちゃんと見ていたきれいな青空だった。

(20110815)
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