終わらない夜と終われない夏の間


終わらない夜と終われない夏の間


(寝られん…。)

暑いだけじゃなか。

無意識に掴んだ携帯は二時になったばかりを画面に表示してた。

俺の部屋は屋根裏風で、家ん中で一番暑い上にクーラーがないときた、干物になりそうじゃ。

途切れ途切れになる意識で、多少は睡眠らしきもんを取れてんじゃろうけど、寝たって気にならん。

外は真っ暗で、街灯は真っ白。

月も星も見えん。

(探しに行くか…。)

携帯と財布から小銭だけ抜き取って、ジャージのポケットに突っ込んだ。

ベッドの支柱に引っかけてたゴムで髪をしばりながら、部屋を出た。

階段を降りた時に仕事から帰ってきたおかんに見つかった。

「あら?おはよう?それともおやすみ?」

スナックやっとるおかんは店閉めて、明日の準備してくるから大体のこの時間にじゃ、まだ仕事着の派手な服を着たまんまだった。

「あぁ…。」

おかんの二択の挨拶に俺も迷って適当に返事をして、玄関に降りた。

「お散歩?捕まらないようにね。」

こんな時間にスニーカー履いた息子に笑って軽く見送るおかんは世間一般じゃ母親としてアレだが、俺には最高の母親じゃ。

「そんなヘマせん。」

それにこの頭じゃきと自虐る前に、

「大会近いんだから。」

「……」

「いってらっしゃい、ハル。」

欠伸をしながら俺に背中を向けて廊下を歩くおかんは、やっぱ最高のおかんじゃ。

「…おう、行ってくるナリ。」

誰もいない玄関でそう呟いて俺は家を出た。

ドアを開けた瞬間後悔した。

外も中と変わらん。
風があるかと思ったが、全くの無風状態。

月も星も見えない黒い空。

その下に街灯と通り二本向こうの飲み屋通りのネオンが光ってる。

じゃけ、暗くはない。

暗くはないが、何か納得いかん。

夜は暗い。

夜は暗くて、黒いんじゃなか。

見上げた空は真っ黒で、昔隠れた暗幕の中みたいで、怖かった。

いや…、違うな。

(おまんみたいじゃ。)

幸村。

今夜の空はおまんの瞳と同じぜよ。

息するみたいに開いた携帯を親指でいじり、アドレスから幸村を探す。

(のう、あの八ヶ月はなんじゃったんだ…?)

今電話したら出るんじゃろうか?

もうちょいしたら真田タイムじゃの、今頃弦ちゃんは夢の中か。

じゃが、おまんはどうかの、幸村?

寝とんのか?

寝られとんのか?

寝れないからラケット振んのか。

ラケットを振るために寝る時間も惜しいのか。

ギリギリの精神とようやく戻った体力。

そんな状態で、しかも病み上がりの相手に完敗した俺は一体なんなんじゃ…。

(…勝てると思ったんじゃ…。)

幸村復帰の第一戦、参謀に唆された振りで咬ませ犬になってやった。

八ヶ月も病院暮らし、しかもついこないだは生死を懸けた手術をした相手。

例え神の子と言ってもさすがに無理じゃろ?とタカをくくっていた。

(そんなじゃなか。)

幸村がいなかった八ヶ月、俺は奴に勝てる自信を持つだけの体力も技術も身に付けた、それを証明できる勝ち星も上げてやった。

柳のデータ取りの為に俺のイリュージョンと幸村のイップスを禁じた、単純な体力と技術力の勝負。

負ける気はなかった。

勝つ自信があった。

(『神の子』か…。)

あの雑誌の売り上げ伸ばす為の見え見えのふざけたアダ名はダテじゃなかった…。

(……。)

頭から流れた汗が顎から落ちる。

じっとりと髪の中が蒸れて気持ち悪い。

暑さと湿度に呼吸困難になりかけて、思わず上を向いて、また後悔した。

(どこまで俺の前を邪魔すんじゃ…。)

俺の後に真田と試合をしたが、6−1で勝ちやがった。

真田は手放しで誉めとったが、俺はその真田に妙に腹が立った。

(三連覇の為、のう…?)

そう言われた瞬間、幸村の瞳から光が消えたのを奴は見たのか?

この空の色と同じ真っ黒に。

俺と試合をしている時は壁打ちかってくらいつまらなそうな顔してた幸村が、幼馴染みってのか昔からの仲間の真田と打ち合いを始めたら、二、三日前までの顔色の悪さが別人みたいにイキイキしとった。

それを見た時、あぁ、俺はまだそこへは行けんのじゃなと急にむなしくなった。

まだ、だと言いたいのは、いつか必ず追い付く、追い越せると信じとるから。

(信じとった、のに…。)

八ヶ月。

八ヶ月じゃ。

おまん、中学の八ヶ月っつったら、とてつもない差があるじゃろ?

ぶっちゃけ、幸村なんぞ浦島状態じゃなか?

俺ならそう思うぜよ?

言いたかないが、一年は全国間近で初めて「部長」の幸村を見た。

それまで一年にとっての「部長」は真田じゃった。

それが関東負けて、いきなり部長ですって言われて、誰が言うこと聞ける?

俺が一年なら、は?マジか?ってまず幸村「部長」の話を素直に聞けん。

幸村に憧れて、幸村を倒したくて立海に入った奴もいるじゃろ、一年じゃなくて二年だって、三年にもいる。

小学校ん頃からジュニア大会で名前が売れてた、神奈川だったら立海に行くじゃろうって、参謀はそう読んで自分の力試しにも立海を選んだ。

趣味でテニスクラブに行ってた柳生も幸村の名前を知っとった、同じくクラブに行ってたジャッカルも、一個下の赤也も。

中学から本格的にテニスを始めたのは俺と丸井。

丸井はガキの頃から付き合いのジャッカルと遊びでテニスをしとったとか。

俺は、白髪頭に生っ白い顔、瞳の色も普通と違うこの形じゃけ、ガキん時は喘息やなんやら病弱で、都会の空気は合わんと四国や中国地方中心にテキ屋で回っとるジジィに預けられた。

じゃけ、転校三昧の結果、広島だが土佐みたいな混ざった妙な訛りが身に付いてとれん。

無理に標準語を話してもブーちゃんと赤ちゃんになぜか爆笑されるから地で行く事にしたんじゃ。

そのジジィ、おかんの方のジジィらしいが、まぁ、各地に女房って言うオネエチャンだが元オネエチャンがいる、年甲斐もなくお盛んなジジィなんじゃわ?ホントの年も知らんが。

ジジィに預けられたって言っても、仕事と週単位で移動するから実際は女房さんのとこに居候させてもらうんじゃが、たまたま女房さんの一人がテニス好きじゃったんだ(確かに女房さんたちの中でで一番若い、下手したらおかんよりも若い。ジジィ、マジパねぇ。)

その人んちにラケットがあって、学校行っても転校生のハンデプラス、この形で友達もできん俺に、暇じゃろ?体くらい鍛えんとって遊びの延長でテニスを教えてくれたんじゃ。

(…楽しかったの…。)

一年に二回は寄るあの人んちで、テニスをしてる時が一番楽しかった。

後は壁打ちしたり、衛星で試合見たり、ずっと一人でテニスごっこしとった。

思えば、そこで有名選手の真似しだしたのがイリュージョンの原点かもの。

普通なら歌とか芸人じゃろうけど、生憎と居候にはチャンネル権はないダニ。

あの人んちに寄る度に勝てるようになって、テニスが上手くなる俺を誉めてくれるのが嬉しくて。

体も丈夫になったし、中学は将来とまで行かんが高校やその先も考えて、腰を据えて一ヶ所で卒業できるようにって思ったんじゃ。

立海に入ろうと思ったのは、家から近いから。

まぁ、公立中よりは近い、テニスが強いらしいとは聞いていたが、入部するまで俺にはテニスは楽しい遊びじゃった。

で、立海テニス部入って、カルチャーショックを受けるわけじゃが。

まず、昭和な体育会系なノリもビビッたが、それ以上に一日で部活乗っ取った三強にヤバさを感じた。

しかも三年部長を0ゲームで負かせた後に、「全国制覇する為に弱い奴はいらない。」と言いくさった。

こいつ、なんだ?頭大丈夫か?って思った。

仮に三年、部長じゃ?

日本の伝統の年功序列はどうした?役職主義はどこじゃ?

同じ一年の中でも、女顔した女みたいな声した奴が、自分よりガタイの良い年上を跪かせとる…。

初めて、他人に恐怖を感じた。

同時に、こいつには勝たんといかんという気になった。

こいつに、幸村に勝たんと、俺は幸村の存在に押し潰されてしまう。

入部初日して。

楽しいテニスが勝つためのテニスに変わった。

勝つ事が、俺のアイデンティティー……。

「て、俺だけじゃないがの…。」

声に出てた言葉が喉の奥に絡まる。

勝つ為のテニスってのは案外キツイ、何がって精神的っていうんかの?

俺がレギュラー入りしたんは、二年の新人戦からじゃけど、柳生は二年上がってすぐ、三強は入部初日。

レギュラーを死守する意味。

常勝の掟。

王者の自尊心。

全部俺は関係ない事じゃと思っとった。

テニスができて、試合に出れて、勝てれば満足じゃと思った。

(それだけじゃ、違うんじゃ…。)

勝つだけじゃ、駄目じゃ。

常勝じゃ、物足りん。

三連覇して当然。

掟。

プライド。

誰の為に。

何の為に。

考えれば考えるほど、思い付く物全てに手足を取られて身動きできん。

まるで蜘蛛の巣じゃ…。

また呼吸困難になりかけて、身体中に溜まった熱と一緒に息を吐き出す。

見えない糸にじわじわ首を絞められている気分じゃ。

そう思ったら苦しいはずの喉の奥で笑っとった。

まるで死刑執行待ちじゃ。

全国大会が公開処刑か。

違いない、優勝せんと俺らの存在は許されんからの。

「のう、幸村?」

おまん、コートで死ねたら本望じゃろ。

三連覇に殺されたいくらい思ってるんじゃなか?

命を懸けた大博打をしてまで、人生も選手生命も縮める覚悟で戻って来たんじゃろ。

「おまんにだけは負けんぜよ。」

今日は、ホレ、神の子復活のご祝儀じゃ。

次は勝つぜよ。

切り札はある。

楽しいテニスなんぞ、マスターズであるまいし、まだ先の話じゃ。

勝つ為のテニスは今しかできん。

プロとも違う、単純に自分の意地を通せるテニス。

今しかできんテニスじゃから、命くらい懸けるじゃろ。

俺も誰かさんみたいに腕の一本も懸けとん、おまんに勝ち目はなそうじゃが、片腕だけじゃちぃとばかり自信はないからの?

五体満足、最高のコンディションでおまんと決着をつけちゃる。

なぁに、俺ら立海にとっちゃ、全国なんぞ前哨戦よ。

その後に立海のコートでやる「最後」のレギュラー選考戦で、この三年間の答えが出る。

「それまでのお楽しみじゃ、幸村。」

自分で勝手に吐き出した糸に勝手に絡まっていた俺がアホみたいじゃ。

あの瞳を思い起こさせる真っ黒な夜空にビビっとる俺なんぞカッコ悪い。

じゃけん。

あの瞳に俺を焼き付けやる。

俺を認めさせてやるぜよ。

引き止める糸が解けたように急に軽くなった体と足に、俺は家に戻る道を歩き出す。

まだ夜明けが見えない熱帯夜に、まだ終わる訳に行かない最後の夏を見つけた。



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こっそり企画
栞さまリクエスト
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立海か仁王

(20110810)

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