俺はあいつになれんし、あいつも俺じゃない


俺はあいつになれんし、あいつも俺じゃない


白紙の進路希望調査表を持て余しとったら、眼鏡が目についた。

度は入っとらん、意外なこだわりでどこぞのブランドらしい。

何気なしに眼鏡をかけても、透明なフィルター越しじゃ一分後も見通せん。

この眼鏡の持ち主は、医者になるっつーでかい野望がある。

つか、使命かの?

医者の家系言うとったし、親父さんは勤務医じゃが、じっちゃんや小父さん方は町医者って聞いた。

本人もゆくゆくは一国一城の主になりたい、流れを掴めればの話ですけどね、なんて言うとったが…、なるじゃろ?

先輩よりも三強が居座るからレギュラー入りは無理だって言われてたのに、二年の全国大会には出るくらいに実力つけてやがった。

地道な努力家。

確実に実力に繋がる。

冷静な眼鏡面の下の熱苦しい決意。

マジにあいつは凄い奴じゃ。

三強は桁違いすぎて、あいつらみたいになりたいと思わんが、あいつにはなりたいと思う。

根が真面目じゃ、誠実っつーのか、真田みたいに素直すぎじゃのうて、白も黒も飲み込んで自分の信念の為に手段を選ばんとこがかっこええのぅ。

入り替わりなんて小物の俺があいつのプライド傷付けるネタまで用意した作戦に、それが三連覇と自分自身の勝利の為ならってあっさりOKしおった…。

逆の立場なら即殴ってたかもなぁ。

俺にはそんな強さはない。

あいつは、きっと、立海の為より自分が上に行くことの手段にためらいなんかないタイプじゃ。入れ替わりなんて真田に言ったら鉄拳食らうに決まっとる、試合が終わっても次もあるかもしれんから、副部長の真田にも言うなって言い出したのはあいつの方じゃったし、ま、それを見抜けん真田じゃなか、赤也だって試合中に気付いたくらいだしの?

でも結局はあいつからバラしおった。

別に後悔なんかしとらん。

黄金ペアなんぞ呼ばれていい気になっとったあいつらの絶望に突き落とされた顔はたまらんかったしの。

王者と呼ばれ続けた立海の意地ってもんが俺よりあいつの方が高かっただけじゃ。

「のぅ、柳生。俺、どうしたらいいじゃろ?」

空欄の進路希望調査表を手から離して、机に伏せながら後ろに立っているあいつに言った。

「仁王君の好きにしたらいい。」

いつもより少し低い声が上下する。

紙がたわむ音がした。

「それとも私に何か望みでも?」

逃げたい現実を突き付けるみたいに、あいつは埋められない紙を俺と机の隙間に差し込んだ。

あー…、俺の前では素だよなぁ…。

地声じゃ、人間、他人と関わるときは無意識に自分を作っとるから若干声が変わる。

あいつの場合は高く、柔らかくなる。

今はやや低めで突き放すみたいな声じゃ、初めて聞いたときはそのギャップにマジビビッたし。

でも、あいつは自分をよう分かっとるから、普段と素の使い分けもうまいし。

自分のことがよう分からん俺とは大違いじゃ…。

「俺、柳生になりとうよ…。」

そしたら、もう少し世間をうまく渡って丸く生きられるのにのぅ…。

「冗談でも辞めて下さい、気持ちが悪い。」

「うわぁ…、まーくん傷付けたナリ。」

バッサリ切り捨てたあいつに本気に雅治のウブなハートがブロークンじゃ。

「仁王君は自分と全く同じ人間が目の前にいる事が気持ち悪くないんですか?」

「……、」

そう言われた瞬間、なんつーか、胸に光が差したっつーと乙女な感じだが、雷に打たれたなんて大打撃でものう…、そうじゃな。

今窓から見えてるみたいに、雲の隙間から光の筋が地面に伸びた感じに、何か見えた。

「…実はの、柳生。」

俺はズレた眼鏡を押し上げて、机の上で指を組んだ。

「俺、自分のことが一番嫌いなんじゃ。」

嘘つきで、ビビリで、嫌いなことや面倒なことから逃げ回って。

そのくせおいしいとこ取りしようセコく立ち回ってるとか。

努力もしないで他人を羨むばっかで、でも素直に羨ましいなんて言えん見栄で、斜めに構えて別格装って。

詐欺師とかイリュージョニストとかなんて誉められてもなんも嬉しくなか。

臆病者のレッテルを貼られたみたいで、でもそれも認めたくないから、意味の分からんアダ名にキャラ作っとりだけじゃ。

上げられない顔の上で、ふと、あいつが笑う気配がした。

「奇遇ですね。私も自分自身を最も嫌悪していますよ。」

カチャリと眼鏡を押し上げる音、やっぱ本家は違う、音まで紳士じゃ。

いや。

あいつは紳士と呼ばれることを一番嫌っとるんじゃったな。

紳士の枠からはみ出ることが許されないから、たまに自分のテニスも見失いそうになる。

「結局俺たちってなんなんじゃろうな?」

「良きダブルスパートナーにして、最大のライバル、では何かご不満でも?」

俺の手から白紙を取り上げるとあいつは机に転がっていたシャーペンを持って何か書き込んだ。

「対極にいるからこそお互いがよく見えるんですよ。」

「…じゃな。」

その「よく見える」はどういう意味なんじゃろうな?

「羨ましく見える」のか。

「相手には見えないとこまで見えている」なのか。

どっちの意味に取ろうが、そっからどういう答えにたどり着こうが、全ては仁王雅治次第ってことか。

誰が紳士と呼んだのか。

どこを紳士と呼んだのか。

「そろそろ部活に行きましょうか。」

「…、真田はうるさくて敵わんからのぅ。」

あいつに手渡された進路希望調査表には内部進学に丸がついとった。

詐欺師の俺から見ても、間違いなく柳生比呂士は紳士じゃった。


捺さまリクエスト
resonanceで仁王と柳生

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