Re:青春
traP.4


 女はいくつでも女なのだろうか?デートをしたいから公休を変えてくれと上目遣いで頼んできた年下の先輩の後ろ姿を見送った。意識した甘い声と媚びた仕草は慣れたものだったが、それが他の男の為と言うのは中々に屈辱的だった。
 仁王も学生時代は花形部活のレギュラーと生まれつきの髪色で補正はついていたから引く手数多だった。今の店に移動する前も美容師という多かれ少なかれ客のプライベートに踏み込んでしまいがちな職業のせいか、帰り際に差し出された連絡先のメモの意味を自覚していた。
 一年前、女性客との浮き名を作られて降格他店移動に追い込まれた。左遷で済んだのは店長としての実績があったから。
 全く根も葉もない話だ、火のない所に煙を立てたがるのが女か。元より客との交際トラブルは一発退職、第三者立ち会いの下の話し合いを持たれなかっただけましなのか。名前を出されただけの客本人の預かり知らぬ所で大袈裟に動いてひっそりと終息した。全ては休憩室で起こって休憩室で終わった話、女性が多い職場ではよくある事だ。
 今回左遷と言ってしまっては移動先の店舗には失礼だが系列内離職率ナンバーワンの今の店で済んだのはそれなりの実績があったから。次はないと釘を刺しながら、降格では自主退職勧告に等しい。
 あの頃の仁王なら即制裁をしただろう。三強の力を借りなくても詐欺師の呼び名のままに、口先三寸と得意のイリュージョンで掌中で転がすなんて朝飯前だ。犯人は分かっていた。嘗ての戦友に知られる程に。
 何せご丁寧に掲示板にて報告してくれたのだから。復讐の武勇伝として。復讐?武勇伝?
 その程度の被害妄想を振りかざして、偶々上手くいった話を調子に乗って自分の犯行を匿名だが全世界に発信するから所詮女だと画面の向こうで嘲笑われるのだ。
 巻き込んでしまった客には悪いが久し振りのスリルに唆されて、さて昔取った杵柄でも押し入れから出すかと重い腰を上げる仁王よりも、あの頃の好奇心と現在の能力を試したくて探偵ごっこをしたくて堪らなかったのは友人達の方だった。
 発覚から一週間、社会人になりそれなりの地位や守るべき家庭を持つ仲間を宥め説得する間に現在の処分が下された。
 この一件で人生にまで疲れ果てた仁王は美容師を止めようかと思ったが、それだけは止めろと当時と変わらず厳しい口調で副部長に叱咤された。高三の秋、引退しても副部長面して進路に投げ遣りなった自分に喝を入れたから今の仁王がある事を知らないだろう。あれが最後の鉄拳だと思うと、もうあの痛みを味わえないのが寂しい。
 あの頃は目の上に容赦無く殴られる事が普通で、今そんな事をしようものなら指先一つで後世にまで残せる時代になってしまった。
 仁王が起こした事になっている休憩室の架空の色恋話も広大そうで口伝で隅々までに浸透しやすい業界に、フェイクを入れた武勇伝でも即座に旧友達に勘付かれた。何分趣味と実益を兼ねて張り付いているプロもいる事で、掲示板に削除依頼しようがアフィリエイトブログに転載された後では現文明が一瞬に滅びない限りは永久にネットの海で漂い続ける事態にまでしてくれた。 その記事を自分だと思うには些か自意識過剰かと笑われるが、容姿を含め悪目立ちする特徴の多いのが仁王だ。
 あの頃は負の部分を背負うのが誇りだった。
 今は未来ある他のスタッフの為に公休の交換を持ち掛けられたら承諾する事に決めていた。今回も相手の希望通りシフトを動かしたら十七勤になっていた。
 つまらない見栄を張った結果が、通しが九回と早番四回の実質十三回を考えただけで目眩を覚え、体力の限界値が下がりつつある事を自覚する。
 その十七勤中の六勤目、指名ナシの金曜日大安、予約が詰まっているのでシャンプーは五十人行くかと考えていた。
「仁王さん、今空いてますか?」
栄養補助ゼリーを飲みながら予約表を眺めている背中に声が掛かった。
「スイマセン、今行きます。」
後少し吸い切れなかったが、次何時に休憩入れるか読めなかったので未練ごとパックをゴミ箱に投げ入れた。
「…あの、」
 少し怯えたように仁王を探る新人スタッフが可哀想になる、こんな癖をつけた古参の性格の歪み具合は女性が多数を占める職場の宿命なのか。
「大丈夫じゃき、チーフのヘルプに付けばいいんかの?」
 今の時間帯はチーフの予約が集中している。新人達が近寄りたがらない空気は言うまでもなく、再研修の仁王を顎で使いたくて仕方ないお局様のご機嫌取りでもしておくかと手を洗った。
「そうじゃなくて…、その、」
「ん?」
 何か言い出し難い新人スタッフの視線を辿ればスクリーン越しに商談をしてる店長、これは飛び込みの指名か新規客かと当たりを付けて、
「今出るき、先行ってんしゃい。」
「…ハイ、…スミマセン。」
 心底ほっとした顔でフロアに向かう新人スタッフに、明らかに自分がこの店の癌になっているなと溜め息を残して休憩室を後にした。
 客に見えない位置で首を軽く鳴らして店舗に出ると、大安のせいか髪を盛って貰う女性が多い中、窓際の席に同世代の男性が一人。彼へ視線と潜めた声がスタッフと客の間に飛ぶ。
 男性客ならチーフが真っ先に飛び付きそうだと向こうを横目に盗み見れば、瞬時に気配を仁王を睨み付けてくる。その探査能力で別な職種を目指せばさぞかし天職だったものを、チーフの視線に冷やされた胃を軽く押さえながら件の新人スタッフを探す前にやれた。
「仁王クン、お久しぶり。」
 軽く立ち上がって振ってきた左手にはもう包帯はないが、妙に艶がある声と無駄に爽やかな笑顔は健在だ。
 回れ右して事務所に隠りたいが、頭に突き刺さるベテラン女性スタッフ達の視線が怖くて後ろにも退けない。例え同僚の嫉妬を反らす為に無難にチーフに譲った処で、仁王自身が逃げ出すのは許さない相手だ。
 今の職場を辞めたくても辞められないのも、こうやって過去の栄光達がやって来る。口上の前に嫌味の一つでぶつけてやろうかと、後ろに立つ一動作前にエースを決められる。
「ほんま突然で堪忍な〜。」
 鏡越しで構わないのに態々振り返って両手を合わせて謝る。謝罪慣れと言うのもおかしいが、相手の不快を取り除くように素直に頭を下げる姿は問題児だらけで部長を務めて上げた処か。
「おまんが指名してくれたお陰で住民税一括で払えそうぜよ、白石?」
 軽いカウンターで様子見すれば、あの頃より増した爽やかな笑顔で、
「ウチは天引きやで?仁王クンも交渉したらええやん。」
とさらりと一ゲームを取る所も変わっていなかった。
 立海に及ばなかったと言え、流石四天宝寺中出身、公立の進学高ながら単身で全国大会のコートに乗り込み、皇帝に肉迫した事もある聖書だ。詐欺師ごときの小手先に巻かれる事はない。ラケットが武器だった当時は神の子も騙せるとタカを括っていたが、今では悪魔に現実を見せられる始末だ。
「大阪からご苦労なこって、大学以来か?」
半ば自棄になってシャンプー済みの白石の髪をすいた。濡れても跳ねる長い毛先が彼らしく、譲れない秘めた想いを主張していたあの頃を思い出す。
「そうやね、あの頃はよく遊んだっけ。」
 懐かしそうに目を細める横顔に隣の席の女性客が食い入る様に見詰め、スタッフが顔の向きを正面に戻していた。
「…相変わらずやの。」
「ん?そういう仁王クンはすっかり丸くなってしまったな…。」
「……」
客として来た手前、人が罪作りな男だと言わなかったのに、憐れむ様な目は止めてくれ。
「せやけど会社勤めにはそれなりの苦労があるし、そこは自営の俺には分からんとこやね。」
さりげなくフォローと近況を報告した白石は本当に変わっていない。
「社長サマとはそりゃ大出世じゃの。今どこにいるんじゃ?」
薬科大に進んだ白石は放浪癖のある千歳や遠山の立寄所になった神奈川在住の財前を労いと慰めによく訪ねていた。その延長で県内に残って、遊ぶ金はあった仁王や丸井、切原辺りをまとめて飲みに誘ってくれたのだ。
 まだモラトリアムに浸りたい自分達のガス抜きの仕方を心得ていた白石、あの中で最も過酷な受験戦争を勝ち抜いてきた彼こそ安息の地を求めていたのだろうか。この歳だから当時の自分達の立場を俯瞰できるから思い付く話だ。
「そんなんやあらへん。なぁに前の社長が歳で事業畳むっていうから、俺が引き継いだようなもんやし。社長言うてもナタボタの雇われや。」
 謙遜しても卑屈さは感じさせない爽やかな笑顔で、昔も同じ様な事を言っていた。
 乗り越える事も破壊不可能の障壁に当たっても、誰よりも積み重ねてきた努力も見せず弱音の欠片も吐かない。淡々と正攻法で僅かながらでも攻略しつつ、部長としてではなく友して仲間の世話と心配をしていた。
 うちにもよく似た部員がいる。違いは白石はオカンと呼ばれる程の生来の世話焼きなだけで、データ収集の一環で手を掛ける誰かとは違う。と、コートの裏でサボッていた頃の自分は言うだろう。今は、分かる。白石は仲間の独り立ちを手放しで喜び、彼奴は独りになる事を極度に恐れていただけなのだ。
 それが自分の道を進む仲間を訪ね回る白石と、友を自分の元に呼び寄せる術に長ける悪友の決定的に違う部分だと思う。
 現状が恥ずかしくて飲み会の誘いをのらりくらりと断っている癖に、新刊を買ってしまう仁王も術中に嵌まってやった一人だと一般的には奇妙だが何だが誇らしい気持ちになれた。

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