Re:青春

 ダブルスを組む時にも同じ台詞で斬り付けられた。何も知らずに無敵だと信じていたあの時の自分は背中を丸めて斜め見上げる癖で大層な口を叩けた筈だ。
 多少なりと世間の仕組みと言う奴が分かった今は曖昧に笑って、最上客をどう整えるかと美容師の顔を作ってその答えから逃げた。
 仕事に集中する振りをした仁王に溜め息を一つ落として目を伏せた。下界の全てから遮断する姿に絶望より安堵を覚える。そんな仁王自身に唇を歪めながらも、手は規則的に美容師の職務をこなす。
 時折上がる笑い声は右に映るカウンターから、次期家元とも囁かれる滝が気難しい女性スタッフ達を上手くあしらっている。その隣で樺地が茶菓子を振る舞っているが、それはこちらのサービスだろう、基本的な接客を忘れる程に滝の話術に嵌まっているのか。
 それとも平穏に過ごす庶民には絶対にお目にかかれない跡部景吾に夢中なのか、是非当店を末永く指名して欲しそうな顔の店長が手を摺りながら近付こうとするが、その度に滝か樺地に話を振られて足止めを食らっている。店長が身を乗り出す毎に黒服が臨戦体勢に入るのを気付かないのか?
「柳は随分おもしれぇ奴だな。」
 大人しくケープを巻かれるままに毛先を切らせるかと思えば、キングまでもが奇異な事を言い出した。嫌な予感しかしない。
「若が世話になったとは聞いてねぇぞ。」
楽しそうに喉奥で笑いながら、肘掛けに寄り掛かった。
「あいつはどこまで俺達氷帝の事を知ってんだ?」
 斜めに見上げた色素の薄い瞳が仁王の予感に応えている。
「真田が泣きながらあの本を持って来なきゃ、俺はあいつらの事を知らないままだったぜ。」
と人差し指でこめかみを叩く姿に、先日の手塚同様に何か思い残しに悩んでいるのかと一瞬焦った。
「その真田が泣き上戸とは、人生どうなるか分かったもんじゃねぇな。」
かと思えば急に仰け反って笑うものだが、単に懐かしさに浸っているだけらしい。
「おうよ、情に脆いところがあるのは知ってたが、副部長っつー顔がなくなったら余計に酷くなったぜよ。」
 毎回些細な事で号泣しては幼馴染みや親友に鬱陶しがられながら諭されている。それもいつしか見慣れた光景に変わる程に馴染んでいた。
「副部長というよりテニスだろうな。」
 やはりキングにはお見通しか、溜め息がてらに呟いた言葉が仁王の胸を刺す。テニスとは言えなかった。言いたくなかった。敢えて副部長と濁したは手塚に会ったせいだ。
「不思議なもんだぜ。テニスがなければ出会えなかった連中とは、テニスを辞めなければ理解できないってのはよ。」
「…俺は今でもおまんを理解できんぜよ。」
 嫌な男だ、本当に嫌な男だ、跡部景吾と言う男は。いつだって自分の思うように生きて、思うように世界を動かし、人の心を動かしている。その為の努力を惜しまないから質が悪い。その努力だけはこの男の本心だから余計に質が悪い。だから分の悪いダブルスに乗ったのだ。
「そういう事にしておいてやるよ。」
と目を伏せて肘を付く後ろ姿が気に入らない。仁王の葛藤は全部見透かして言っているのが全く以て気に入らないのだ。
「昔話にもう一つだ。そん時に泣き上戸の真田とテニスをしたぜ。酔った勢いだがな。」
 羨ましいと素直に思えた。最後のインターハイ以降ラケットを握っていなかった。
「真田もだが、俺様も鈍っちまったもんだぜ、情けねぇな。でも最高だった、テニスも、酒も。」
まるで明日も遊ぶ約束した子供の様に楽しそうな横顔だ。氷帝のキングにも生きている証だったテニスが遊びに変わる日が来ていた。
 恐らく副部長だった真田にも純粋にテニスを楽しめるまで昇華したのだろう。二人ともどちらが手塚に相応しい好敵手か競っておきながら、コートを降りて久しく良い歳した大人がアルコールの危険性を忘れて嘗ての勝敗をつける等どんな笑い話だ。氷帝は個人主義のきらいがあるからキングの奇行に何も言わないと思われるが、半ば父親の如く慕っていた後輩達が聞いたら泣きそうな話だ。
 でも正直な処、真田を常勝の呪縛から解放したのが跡部で良かったと仁王は思う。幼馴染みの幸村はインハイでの三連覇達成した日、これで神の子を辞められると笑顔を見せた。その時真田は黙って帽子の鍔を下げただけだった。目尻に浮かんだ滴は悲願達成の喜びだけではなかったのだと今気付いた。
 本格的に治療を開始する幸村と仁王達は進路を楯にU−17に参加はしなかった。内部進学を理由に学校に請われた真田のみ参加していた。当然手塚はいない、跡部どころか大会で顔馴染みの連中がいない合宿で皇帝は何を得たのか。或いは何を失ったのか。それが大学ではテニスをしないという答えか。
 手塚の言葉を借りるならば、幸村の晴れやかな笑顔に真田は引き際を失ったのだろう。幸村は自分で幕引きを決めていた、真田は幸村に引導を渡してほしかったのかも知れない。普段の二人の性格からすれば逆だと思っていたが、誰よりも神の子を望んでいたのは皇帝だったと仁王達は知っていた。見ない振りをしたのは互いの王者の自尊心を守る為だ。
 その後はテニスを辞めた代わりに幼少よりたしなんでいる剣の道を極めると意気込んでいた。代わりと言うのも失礼か、元々テニスは高校までの約束だったと数年前酒の席で溢した背中はまだ孤独を背負っていた。
 そして、完全なシングルスプレイヤーであり、二百人を越える部員を率いた部長でいながら孤独の影が付きまとう跡部も酒宴の戯れで長年の枷が外せたのだろう。こめこみを叩く指先のリズムは誰との試合を思い出しているのか、表情はとては穏やかだ。
 だから仁王には理解出来ない。いつでも外せる鍵のない枷を錆び付いても纏い続けた理由を理解していると言う方に呆れてしまう。コートの外までイリュージョンする気はないのだ。鏡ならば目の前にあるだろうと叫びたくなったその時だった。
「で、いつまでこの店にいる気だ?」
 不意に声を発した跡部に頭が回らなかった。
「義理立てする理由なんかねぇだろ。」
 跡部の言う通り店に、このグループしがみつく理由はない。コンテストに出場し名を売り、固定客を増やした。
 研修時に天引きで揃えるハサミ一式や練習用ウィッグの借財もない。充分過ぎるくらい尽くした。生活の為と言うには些か理由が薄い気がするかも知れないが、貯金は0に近い方だ。
 跡部ならば来店前に仁王の現状を調査済みだろう、だったら何故キングが再研修と名ばかりの左遷された自分を訪ねて来たのか。わざわざ説教、と言う事もないだろう。いくら我らが神の子でもそこまでの力は残ってないと思いたい。学生時代の二つ名から想像も付かない程凡庸な人生を選んだ我が立海の部長殿も、あの頃と変わらない強引さで閉店間際に飛び込んでカットを要求してくれるだけ有難いではないか。
 低迷を続ける運勢に嘗ての戦友を自分と同じ位置に下げたくなる程に卑しくなっていた自分を嘲笑う事で存在証明している節もある。
 また、キングの溜め息が落ちた。
 無意識に下がっていた首を上げると、鏡越しにインサイトされている。
「ぬるま湯でもねぇ偽物の楽園で満足する男じゃねぇだろう、仁王雅治。」
「っ、」
一気に緑の戦場に戻されたと思わず背を正した。
その瞬間、小さく鳴った金属の擦れ合う音に気付く。増える鍵でまだ自分の居場所がある錯覚している自分はイミテーションの日常にすっかり飼い慣らされていた。

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