Re:青春

 リズムを取る止め玉の音が会議室に響く。
 菊丸からのリターンを返せないままカラーとライトで痛んだ髪を切って行く。
 聞き覚えのあるメロディーが頭に浮び、この部屋に有線は引いていなかった筈と仁王は訝しんだが直ぐに謎は解ける。発信源は菊丸、昨年に他の二人の元アスリートとユニットを組んでリリースしていた。本人が口ずさんでいるのなら、道理で有線と同じ声が聞こえる訳だ。大晦日に向けて年末月は毎日と言っても過言ではない程に、学生時代から見慣れたアクロバティックなダンスを今口ずさむメロディーに乗せていた。
 対して自分はボーナスとイベントに浮かれる年の瀬と成人式の前撮り駆け込みに、それこそ四十六時間勤務以上の泊まり込み連勤だったと言うのに。
 無意識に出た吐息が白かったのは流石に気のせいだ。
「でもさぁ〜?」
 溜め息と一緒に絞り出した接続詞が何と繋がるのか勘の良い仁王でも察し兼ねたが、無言でいる事で続きを促した。
「俺は嬉しかったよ。」
 右手を木目のテーブルに投げ出して、
「大石とは長いからさ、やっぱいろいろあったよ。…高校ん時は、ガッコちがったからなかなか電話とかできなくってさぁ〜…、あ、今もなんだけどさ?」
 開いた右手で何を掴みたかったのか、菊丸自身でも分からないだろうと仁王は仕事を遂行しながら思う。
「なんかあの話ではさぁ、大石とおんなじクラスになれていっぱい話できたり、ケンカしたり、もちろんダブルス組んだり、」
 かちん、かちんとハサミのリズムに合わせるかの様に菊丸は言葉を繋ぐ。
「あの時のみんなとテニスしたりさ?」
 予期せぬ言葉に手が止まり、主の髪が手の甲に落ちる。
 仁王にはそんな台詞は決して出せない。
 菊丸の髪と言葉を振り払えないままに、仁王は客の後ろに立ち尽くした。
「だからあの話は俺たち青学にとっては理想なんだ。」
 常勝を掲げた仁王の母校である立海から優勝旗を奪った時の青学メンバーは三年後に揃う事はなかった。部長だった手塚と青学を優勝へ牽引した越前はプロのテニスプレイヤーになる為に高校を期にドイツとアメリカに旅立った。他のメンバーも進路の為に他校を受験し、青学に残ったのは今目の前にいる菊丸と天才と言われた男、それに手塚の跡を任された二年のみだった。
「ホンット感謝してるよ、柳っちには。」
 鏡超しにニカッと笑い、劇中での菊丸独特の作者の渾名を使う辺りがサービス精神旺盛でプロテニスプレイヤーに収まらずにアイドルまでこなす由来なのだと仁王は唇を歪めた。
 試合先での顔見知り同士、思い出話は積もらずに毛先のみカットすら間が持たないのは接客スキルがまだ足りないと言う店長の言葉通りだと、仁王はハサミを取り替え様にじりりとした胃を押さえた。
「仁王はどうだった?」
「…動きなさんな。」
 斜め上に見上げた来た菊丸の頭を鏡正面に固定して、仁王自身の過去から反らさせた。
「ホラ?小説読んでて俺たちも気になってたし、映画になったあとも、仁王はどーだっただろうなぁって、結構話題になったじゃん?」
「…なっとらん。」
たかが脇役のネタに誰が興味を示すか。映画は役者が良すぎたのだ、役者本人もインタビューでその後どうなったか気になると回答したせいか、彼のファンの間でも囁かれるらしいと作者から聞かされた。
 正直仁王は旧友が書いた映画の小ネタに使ってくれたあの頃の感情を思い出したくない。しかし相手は現役時代に参謀と称された男、何を言おう仁王自身が名付けた代名詞にこの歳になって、すえた思い出を舐めさせられる羽目になるとは微塵も予測しなかった。
それより何より「俺たち」と意識しなくても出る単語に嫉妬した。
「結局幸村にイリュージョンできたっけ?」
「…さぁのう?」
 単行本でも映画でも、あの頃でも壮大な思わせ振りに掴んだ髪が指から溢れる。画面の中ではおバカアイドルで売ってる菊丸の意外と記憶力はある頭脳に敬意を払い、左斜め下に短い吐息を落として再び赤く染められた髪を掴む。
 それに対して、斜め下から盗み見た背中に掛かる襟足は夜明け前の水平線に似た蒼味を帯びた黒髪だった。
 その時、窓の向こうから電線の唸り声が聞こえて、あの男とまともに言葉を交わしたのも今くらいの時期だった事も思い出された。
 体育の後の体臭とそれを消す為の制汗剤や香水、果ては整髪料が入り交じった独特の臭いが漂うだけでも吐き気を催すのに、暖気を逃がさない為に隙間なく閉ざされた教室にいなくてはならないと考えただけでも鳥肌と震えが止まらなかった。仁王は自分自身を潔癖だと思っていないが、臭い、特に体臭だけは駄目だ。
 その日は体調が優れなかったのもあった、後数分で授業が再開されると分かっていながら教室を抜け出した。空気が良い場所へ、逸そ何処か高い所を求めていた足が向かった先が屋上だった。仁王のサボリ癖と場所を何時の間にか嗅ぎ付け、ご丁寧に作中のスパイス代わりに暴露してくれた参謀は本当に恐ろしい男だと今更ながら嘆息した。

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