Re:青春
Trick.1


 木枯らしが濡れた指先を更に冷やし、不意に出た鼻唄と一緒に思い出した。
 黒子繋がりで好きなのかとよく尋ねられる事が多いが、歌詞で言えばこちらの方が好きだ。彼の名前から盛り上げ役にカラオケで真似する事はあったが、それは特徴のある歌い方と自分の声質にあって真似し易いと言う理由だったから。
 木枯らしに誘われて出た鼻唄の様に、別れ際に名残惜しむ口付けしたいのが男心だろう。
(あー…、新曲まだ聞いとらんかったのう…、)
 店内で掛かる有線で最新曲が分からなくなったら年取った証拠だと遠回しに後輩に笑われた。何時から分からなくなったのか、いや音楽に興味を無くしたのは何時頃なのだろうか?
 それよりも売れる物を良い物だと信じている相手に何を言っても負け惜しみにしか聞こえないだろう。
「つめたっ、」
 冷たいより風が痛い。指先を見ると見事にあかぎれになっていた。
 無意識についた溜め息が見ない振りをしている悩みを引き出す様に白く長い。
「一年、か…、」
 途切れる事なく続く溜め息が面白くて、出来るだけ長く息を吐き出した。

── 一年前ならこんな詰まらない事に夢中にならなかった

 人と言うのは何時でも変わる切っ掛けがあるらしい。
「さぶっ?!」
 一層冷たい風に髪を乱され、耳が千切れそうに痛む。干し終わったタオルが寒空に晒されるの見ているとあの頃を思い出す。小さく黄色いボールを追い掛ける為に左腕を壊した、あの頃を。
 自然と上がった口の端は嘲笑ではなく、懐かしさと愛しさからだ。
「まっさはるクーン!一番テーブルご指名でーす!!」
「…チッ、」
 懐かしい声だがあからさまに不機嫌な顔で舌打ちしたのは、感情に浸っていた処を邪魔された事よりも女性チーフが嫌味を言う時と同じ呼ばれ方をされたからだ。
「ニシシシ〜、イケメン台無しだぜぃ?」
 これまた懐かしいが今は癪に障る語尾に振り返れば、すかさずウィンクで応え、指で撃ち抜いてくれる。
「…何やっとんじゃ、アイドル。」
 そうぼやくと洗濯カゴを抱えてアイドルと渾名した相手の脇を通り過ぎた。その時に横目で見えた頭の上に腕を組んで口尖らせる姿も様になるのがアイドルなのかと心の中で溜め息を逃がす。
「えー?だから言ったじゃん?仁王指名って?」
 指をハサミの形にする小技まで使うサービス精神旺盛な処はアイドルよりホストが向いているのではないかと、彼─仁王は思った。
「アイドル直々に指名とはの、」
 アイドルの部分に少々嫌味を込めてもドア前まで来れば律儀に開けてくれる。
「菊丸?」
 名前を呼ばれればニカッと笑う無邪気な面を殴りたいと心底思う。
「ニシシシ〜?」
それはプライベートでもアイドルを貫く菊丸に対しての八つ当たりと嫉妬だと分からない仁王ではない。

 屋上から会議室へ場所を移し、ドアを開けると既に暖房が入れられていた。普段は会議室の名の通りテーブルとパイプ椅子、ホワイトボードもある。そのホワイトボードは来客に気を使ってか今は後ろを向けられている。
 ここへ入室する度にパイプ椅子の数に口の端が歪む、スタッフの人数より少ない椅子の数が意味する事に。
「ん〜、良い匂い〜?」
 後ろから聞こえる鼻から息を吸う音はアイドルらしからぬ所業だと、菊丸に聞こえる様に溜め息をついてからミーティングでは入る事はない会議室へ歩みを進めた。
「やっぱ美容室ってどこも良い匂いがするね!」
「…四六時中いる方は分からないがの…。」
 四六時中、文字通り四十六時間勤務の時もあった。
 会議室ながら下の店舗に似せて、お母さんの美容室の様にテーブルと椅子を整えてくれた新人は大丈夫だろうか?甘い物が苦手な客の為に自腹で煎餅を置いてくれた気遣いをする彼女は自分の二の舞になって欲しくない。たださえ仁王限定に女性問題を興味本位に目を光らせているのだ。下らない噂で才能ある新人を潰させる真似はさせない。同じ道を志す者として救われた仁王が出来る事で還そうと誓っている。
「あ、電源切っとこ。」
 菊丸がデニムの後ろから取り出した最新のスマートフォンにも、やはり世界が違う人間なのかとやるせなさが込み上げた。
「あ、そうそう!柳の新作読んだよ!あ、柳っちか〜?」
 快活に笑いながら座り心地の悪いだろうパイプ椅子に嬉々として腰掛け、アイドル自らケープに腕を通した。
「…あんなん、…ただの恥さらしじゃろ…。」
 菊丸がケープを肩に掛ける前に彼の首にタオルを巻く。
「え〜?俺的には、うん、立海のみんなの話が知れてよかったけど?」
 タオルの襟回りを調節する菊丸をなるべく視界に入れない様に仁王はカットに必要なハサミの調子見た。
「…舞台裏は見せたくないのはおまんと一緒じゃと思うがの。」
 やや語気が荒くなってしまった仁王はとうに捨てた筈の自尊心を気取られたのではと内心ヒヤリとした。
「でもさ?王者の本音と建前は、さすがにこの歳になんなきゃ理解できないっしょ?」
 不意に鏡に映った菊丸と目が合い、迂闊に商売道具を落としてしまいそうになった。
「ん〜?理解ってか、知りたくないよね。俺達が出来なかった事をやってのけた悩みなんてさ?」
 獲物に狙いを定めた猫の如く目尻に力を込めた嘗てのライバルに意識はあの夏まで戻る。
「…あぁ、」
かちんとハサミの止め玉を鳴らす。
 知らないでいい、一度頂点を取っただけで満足している相手をライバルと呼ばなければならい屈辱など。

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