弟というものは
「なんか意外ッスね」
右から聞こえた声に我に返ると、着替え途中の赤也が手元を覗き込んでいた。
「真田副部長なら家族でもフルネームで入れてるかと思ったッス」
体を起こしてユニフォームを脱ぎ捨て様に丸めてバッグに投げ入れた。
今日はそれに何も言う気になれなかった。
「やっぱ真田副部長も兄さんに勝てないッスか?」
思わずたわけと漏れそうになる弱気を飲み込んで携帯をしまった。
兄でもお兄さんでもなく、登録名の様に兄さんと言われた事に引っ掛かっただけだ。
尤も赤也に何も意図はなく、見たままを口にしただけだが、一々気に障る自身がどうかしているのだ。
「俺も姉ちゃんには全然敵わなくって、年離れて姉ちゃんが社会人っていうのもあるンスけど。でも頼ってくれると嬉しいンスよね」
ネクタイをしたままワイシャツを首に通す技術と努力を別な方向性へ活かせないかと蓮二が苦笑していたのを思い出す。
「そこは同じ弟でも男と女のちがいってヤツで、男同士とはちがうンスかねぇ」
一丁前に腕を組んで唸って見せるが下着姿は全く様にならない。
「あ、でも真田副部長の場合はそれともちょっとちがうか?」
大きな目を天井に向け、何故か右人差し指を回して、
「さすけ、だっけ?クッソ生意気な甥っ子?」
確認するように腰を捻ってきたので、取り敢えず頷いてやる。
身内を悪く言われた事については、最早否定も出来ぬ程に反抗期とやら迎えて、叔父だろうがその部活仲間だろうがお構いなしに小癪な物言いをするようになった。
「真田副部長のお兄さんって、お兄さんよりもお父さんになっちゃった人だから、…うーん、やっぱちがうくなるよなぁ…」
赤也は考えがまとまらないようだが、言わんとする事は分かる。
兄が父になり、変わってしまった優先順位のまま、変わらない態度で自分に接してくる事に慣れないのだ。
「でもいいお兄さんじゃないッスか?ちゃんと弟の誕生日にメッセージくれたり、誕生パーティーやるから早く帰ってこいなんて言ってくれるの?」
それが要らぬ世話だと言うのだ。
「今日くらい自主練ナシで時間通りあがったらどうッスか?家族みんなも真田副部長の帰りを待ってるじゃないッスか?」
赤也の言う通りであるのも解る故、食いしばる事も拳を作るのも許さずに意味もなく部誌を開く事で苛立ちをやり過ごした。
「あ〜、真田副部長んち今日は肉か〜?ウチきっとまたハーブのチキンとナントカっていう体にいい何かのサラダッスよ、姉ちゃんがハマッて最近そればっかなンスよねぇ」
とようやくスラックスを履き始めた赤也の口から今日程姉の話題が出るのは珍しい。
蓮二や仁王と違って余り口にしないのは歳が離れていたせいか。
それにあの二人と異なり随分と好意的だ。
「…姉とは良いものか」
無意識に出た言葉に己自身が驚き、振り返った赤也は笑顔を見せた。
「ウチの姉ちゃん最高ッスよ?まぁ、ちょっと癖があるっていうか癖が強いってか、」
ロッカーから靴を取り出し、シューズと履き替えながら、
「超いい女なんて言わないッスけど、姉ちゃんが姉ちゃんでよかったと思ってるんで」
回りくどい言い方で親指を立てわざとらしく歯を見せてくる。
「たわけが」
全く似合わない道化を演じるのが上手い奴だと感心し、立ち上がり様に部誌を閉じた。
「真田副部長だってそうッスよね?」
ともすれば油断も隙もならぬ、正面切って見上げてくるこいつは何れ王者の頂点に立つ男になるのだろう。
いつの間にか頼もしい顔をするようになった。
部室の鍵をテーブルに置き、ラケットバッグを背負った。
「後は頼んだぞ」
ここは言ってやらねば分からぬか、しかしそこまで聡いと赤也ではないような気もがするので中々もどかしいものだ。
ドアノブに手を掛けた時、ようやく意味に気付いた気配がした。
「ハッピーバースデー!真田副部長!!」
予想外の祝辞に右手を上げて応えておいた。
(20180521・18真誕)
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