短編


Gentry, Gently


昼休みの廊下を宛がある訳でもなく歩くと、長い途中に見慣れた立ち姿がありました。

名は体を表すをこれほどまでに完璧に体現した方に今までお会いした事がありません。

「柳君」

私の声に右手のハードカバーから顔を上げ、預けていた柱から上体を起こしました。

「校舎で会うのは久方ぶりだな」

苗字にもなっているしなだれた枝が風に吹かれるかのごとく軽やかな足取りでこちらに近づいてきます。

「文理で校舎が別れますからね」

句読点のように眼鏡を押し上げてしまいそうになる手を止めて彼に近寄ります。

「そっちの調子はどうだ?」

疲れたような笑みに見えたのは運動部ながら外部進学を志望する宿命なのでしょうか。

「今年は医学部志望者は数える程なので、塾は辞められそうにないですね」

また週末に模試がある事を思い出して、無意識に眼鏡に触れていました。

ずれているはずのない自身の一部を直してしまう癖はなんとかならないのか。

思わずついてしまったため息に柳君も苦笑していました。

そして改めて姿勢を正して私に向き直るので、釣られて背筋を伸ばしました。

「誕生日おめでとう、柳生。昨年と代わり映えもなくシリーズ物の文庫版で申し訳ない」

今まで見せなかった左手から紫苑色の布の包みがを差し出されます。

「もしまだ両方とも集めているのならいいのだが…」

「いえ、そんな…、嬉しいです」

こちらの返却の手間への気遣いを忘れないながらも、歯切れの悪い柳君はこんな時にしかお目にかかれませんね。

ばつが悪そうに視線を反らす様子に、彼もまた年相応なんだと感慨深くなりました。

「素敵な色ですね、夏を惜しむ華やかさと実りの秋の中に混じる哀愁を感じます」

受け取った包みを撫でると、安心したように息を吐いて笑みを作る柳君は言いました。

「実は夏前に一目惚れして衝動買いしたんだ、柳生に似合いそうだと。渡す機会をうかがっている内に今日を口実にできた」

「…ありがとうございます、大切に使わせてもらいますね」

他人の本心はたやすく探り当てても自分の本音は中々見せない彼は、思わぬ場面でこうやって素直になるので、こちらも眼鏡を押し上げる振りで顔を隠すしかないのです。

下ろせない指の隙間から柳君を盗み見ると、いつもと変わらない様子で私の反応を観察しているのだから、誰が名付けたのか参謀の二つ名の通りですよ。

気づかれないように手のひらに吐息を逃がして、腕を下ろし、もう一度柳君と向き合うとなぜか不自然に目を反らされました。

私の誕生日、これに浮かれる歳でもないので照れているのだろうと優越感がわく事もなく、私以外の何が彼をそうさせるのか気になります。

「すまない」

たった四文字の言葉が廊下の空気に重さを与えました。

柳君が発したというよりは、柳君が言おうとしている事に気づいたからでしょう。

私はもう一人の私である眼鏡に指を添えて、彼から体を少しだけずらしました。

「分かっています、柳君の方が辛かったでしょう。私の分まで妹が祝っていましたから。…喜んでいたと聞けた私は抜け駆けしてしまったようなものですし」

今年は切原君の誕生日を祝わないと決めたのは幸村君でした。

部長として切原君にしてあげられる最後の事、先輩離れを完成させる為にと療養で立海を離れる前にそう頭を下げられました。

幸村君にそこまでされてしまったら、私達は拒否できません。

特に弟のように接していた柳君と真田君は断腸の思いだったでしょう。

私は妹が切原君と仲が良いので、妹を通してそれとなく切原君の近況を知る事ができます。

なので誕生日に私達からのお祝いのメールがなかった件に、まだ先輩離れしてた事に気づいた事と、背中を追われる立場なんだと実感したと仮引退近くなって知ったと聞いていました。

一から十まで切原君の面倒をみていた柳君は高校入学してからしばらくは、左右の少し目線の低い位置で噛み砕いて説明する癖が抜けなくて、何度か仁王君にからかわれていました。

自分の影のように側にいた後輩を今も心配していた彼に教えるべきだと思っても、意外と二人きりになれる機会がなかったのと、ほんの少しだけ弟という存在を独占してみたかったのもありました。

やはり年子の妹とは違う可愛さがありますから。

ここは誕生日の特権で過去の我が儘を許してもらってもいいでしょうか?心を新たに息を吸い込んだ時に先手を打たれした。

「もし今日、都合がつかなければ近い内に赤也に会ってくれないか」

そんな思い詰めた表情で言われたら断れないじゃないですか。

コートの外でも柳君には敵いそうにもないですね。

('15柳生誕・20151020)
[←戻る]

- ナノ -