短編


17




思ったより遅くなってしまった暗い道を歩く。

何もかも俺が住む街とは違う。

閑静な住宅街というのがぴったり当てはまる。

まるで異物を拒むような静けさじゃ。

見覚えのある家の形に記憶を手繰り寄せて、目的地を見付けた。

隣の家も大概デカイし小洒落てるから違和感がないが、一軒だけ写真に切り取られたらさすがに驚くのう?

こんな時間に俺を呼び出した奴の表札の前まで来たはいいが、起きとんのか?

ポケットから取り出した携帯を開いてみるが、発信ボタンを押せなかった。

地元の友達なら何も言わずにベランダを上がるんじゃが、なんかこいつんちは警備会社と契約してそうじゃしな。

この時期に騒ぎを起こす訳にもいかんし、思いきって発信ボタンの上に乗せた親指に力を込めようとした時だった。

「仁王」

夜に消えそうな儚い声に心臓を抉られた。

とっさに携帯を隠しながら半歩下がったのは自分でも分からん。

「驚きすぎだよ」

と笑うとこも花の散り際のような不安を覚える。

この熱いのにカーディガンを羽織り直しながら、

「こんな時間にごめん。でも仁王なら来てくれると思った」

そう言って門を開けて俺を招き入れようとしたが、どうしても一歩踏み出せなかった。

そんな俺を見て微笑んだ理由はなんじゃ。

その後悲しそうな顔をするなら、最初から無理して笑顔を作るな。

「幸村」

こちら側に引きずり出す為に掴んだ腕は意外にも筋肉質だ。

やっぱり上っ面に騙されてるだけじゃ。

「明日、つーかもう今日か。入院なのにこんな時間まで起きてていいんか」

夜が怖くて眠れないのを知ってて聞いた。

こっちは病人様みたいに朝寝昼寝ができる身分じゃないきの。

「そうだね、でも仁王なら来てくれると思ったんだ」

二回目だ。それにどんな意味があるんじゃ。

幸村の本心を探る為に目を見ようとするが、病気のせいか薬のせいかとろんとした目は闇も映してなかった。

「あ、そう。これを返してもらおうと思ったんだ」

と差し出してきたのは図書館の本だ。タイトルは読めんからフランス語かなんかじゃろ。

「返せるかどうか分からないから、返しておいてほしくて」

また無意味に微笑まれても腹が立つだけだった。

「自分が借りたなら自分で返したらいいじゃろ」

微笑みに隠された不安なんぞ知りたくなかった。

「そうだね。でもこれを借りてきてくれたのは仁王だろう?」

同じ笑顔のまま意味を変えるとこは健在ってか。

その表情に逆らえないのも向こうは知っている。

「…分かったナリ」

わざと乱暴に受け取ってみたが、予想外の重さに一瞬肘が下がった。

「あぁ、画集だからその大きさの割りに重いかもね」

と楽しそうに声を上げていると、一緒にバカをやっていた日を思い出す。

思い出すくらい前の話になってしまった。

空白の長さは同じでも、重さが違う。

それにおまんは耐えているのか。

「ねぇ、仁王」

濁った夜空を見上げていた幸村の声は何故かあの冬の気配を纏っていた。

「俺が死んだら、お前が立海の神の子になってくれないか」

そう言って俺を見た幸村の目には何も映っていなかった。

今幸村の目に映っているのは死だけ。

例え神の子だろうが、死に憧れるなと言う方が無理じゃ。

それくらい手の施しようがない治療に心がやられているのを、みんな気付かない振りをしていた。

気付かない振りの厚かましさで真田は鉄拳をかましたんじゃろうな。

だけど俺は優しい幼なじみとは違う。

「安心しんしゃい。おまんが死んだらすぐに後を追ってやるき」

この世に神がいないなら、存在する理由はないじゃろ?

「あは、…お前は本当に恐ろしい男だね」

何がそんなに面白かったのか不釣り合いな笑い声に冷や汗が出る。

「俺を地獄に落とす気だ」

魔王がいるならこんな微笑みを浮かべそうだが、こいつは神の子だ。

「なんぞおまんが地獄に行くんじゃ。行くなら俺の方じゃろ」

自分で自分の命を捨てる奴が地獄に行かなくてどうする。

神の子は黙って神様のお膝元に呼ばれとけ。

「ううん、俺だよ。仁王は俺に騙された被害者だから天国で、俺は死の誘惑をする加害者だから地獄行き」

そして育てた花が咲いたような満足げな顔をして、俺に手を伸ばした。

こんなに白かったか?点滴の跡が痛々しくて思わず視線を反らした。

「お前に雷は無理だから、俺にしておいてよ」

息が止まったのは頬に触れた指先の冷たさなのか、その言葉か。

「…いつ、きづ・い、て…」

声も掠れて上手く呼吸ができない。

「銀髪の子が来たって受付のお姉さんが言ってたから、カマかけてみた」

おまんとこのテニスクラブで個人情報の扱いはどうなってんじゃと言いたいが、一日体験コースを制服行った俺が甘かったか?

「だから俺がいつ死んでもいいように──」

「俺のイリュージョンを完成させろ、てか?ふざけんじゃなか」

部長命令だろうが、そんなバカな話は聞けん。

「へぇー…、俺ってそんな声なんだね」

見当違いに楽しそうな声を上げる幸村だから真田も殴りたくなったのかもな。

なぜこいつは自分のいない未来しか語らんのか。

「おまんが死んだら俺も死んでやる。じゃけん、安心して入院して来い」

まだ頬に触れていた幸村の右手を掴んで、俺の心臓の上に置いた。

生きられる残り時間を告げているようで心臓の音が嫌いだと言っていたから、わざとそうしてやった。

氷みたいな指じゃ、少しは熱帯夜で頭が痛い俺の熱を吸い取ってくれ。

「そっかぁ…、仁王は一緒に死んでくれるのか…」

と安心したように吐き出した息と一緒に何かが抜けた気がした。気がしただけじゃ。

「それじゃ、俺になれないままだけどいいの?」

この時初めて幸村の目に俺が映った。

迷子のガキみたいな不安な目で俺に縋りつく癖に真実を突いてくるから、わざと掴んでいた手を離した。

「本物がいてこそ偽物が輝くのがイリュージョンの真髄よ、おまんがいなきゃ世界が始まらんぜよ」

あぁ、そうじゃ、強がって見せてもおまんの言う通りだ。

どんなに上手くイリュージョンしようが本物を越えた強さはこの世ない、越えてしまってはイリュージョンじゃない。

本物を越えられない強さしか手に入らないが、それでもレギュラーである為にイリュージョンを極める事を俺は選んだ。

「…そうか、…そうだね」

一文字ごとの声に張りが出てきたの、迷いなんざいつも自分の中にある。

真っ正面から俺を見据えられるとネットを挟んだ時のようじゃ、目にもコートの中にいると同じ力強い輝きが戻っとる。

「俺もお前を殉教者にする気はないよ」

と俺の心臓の真上辺りを掴んできた。

俺が知ってる神の子とは思えない程弱々しいが、きっと手首を切り落とされても俺の心臓を離さない。

「ハッ、殉教者の名誉なんざ副部長殿にくれてやるぜよ」

わざと掴んでいる手を叩き落として、大事な幼なじみを侮辱するような言い方をしてやれば眉を寄せて睨み付けてくる。

そうじゃ、その調子で死ぬのに憧れるのは終わりじゃ。

「知っとるか?コート上の詐欺師とは俺の事じゃき。おまんに最高のイリュージョンを見せるまではそう簡単に死んでもらっちゃ困るナリ」

神の子を完璧にイリュージョンした時に本人がコートにいないでどうするぜよ?

ただのピエロなんぞゴメンじゃ。

おまんの前でおまん以外を騙せて完成するんじゃ。

「次は未完成なんて言わせんぜよ」

どっちが先に神の子としてコートに立つか勝負ぜよ。

ネット越しのように斜め下から見上げてやれば、幸村は腕を組んで俺を見下ろした。

「期待してるよ」

微笑みながら背中を向けた時、靡いたカーディガンが見慣れたジャージに見えた。

それっきり振り向かないで家に入ったの眺めてたら、去年の全国決勝を思い出した。

次も息をするように勝つんじゃなと確認したら、今度は見舞いに行かんで済むと安心できた。

「…あぁ、期待しとれ」

送る相手のいなくなかった決意を夏の夜空に逃がした。

※さがらさんの「仁王雅治神の子未完成論」に捧げる
(20150928)

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