短編


三倍返しだ!ホワイトデー!!


先月の礼を女子達に返すべく朝から調理室に隠っているのだが、そろそろ甘い匂いが耐えられなくなってきた。

「だーかーら、悩んでるヒマあったら手ェ動かせよ、幸村くん!」

休む間もなく生地を捏ねては伸ばす丸井はこんな処でリーダーシップを発揮する様だ。

出来る事ならば後輩の指導の際にも奮って欲しい物だが、何分人には向き不向きがあるので仕方あるまい。

俺も広げられた生地から型を抜くだけでも精一杯だ。

「…まさかこんなに面倒なことになるなんて…」

ぼやきながら椅子に座ったままで作業するとは立海の部長たるもの情けない姿だ。

この姿を次期立海を牽引する赤也に見せたくはないのだが、心配に及ばず材料の分量を量る作業を継続している。

飽きやすく、細かい作業が苦手な赤也にしては良い成長の証だ。

「面倒くさい…、帰って花壇の土の入れ換えしたい…Thank youの文字が憎い…」

やる気と一緒に生地に刻印する為の判子を投げ出し爪を立てるとは、食べ物を粗末に扱っていかんぞ!

「じゃ、お礼にライブやればいいじゃないですか?!幸村部長持ち歌たくさんあるし!中学生活ファイナルとか言って?!」

何やら突拍子でもない事を言い出した赤也に虚ろな目の幸村は、

「…み、みらくるぷろろーぐつあー…」

「俺日替わりゲストに出ねぇから」

こちらもけったいな断りをした丸井は伸ばした生地を俺の前に置き、型を抜かれて余った端を集めて捏ね出した。

まだ暫くこの甘い地獄から逃れられそうにもないと悟ったタイミングでオーブンが焼き上がりを知らせた。

「そうだ!」

と如何にも名案を思いついた顔をした時の赤也程碌な話をした事はない。

「美術選択のヤツらから聞いたンスけど、おゆまるいっぱい余ってるらしいんで、幸村部長の型を取って、それでクッキー作りましょうよ!!」

「あー、それいいかもな?お湯ならいくらでも沸かせるし。幸村くん美術室から取ってくるついでに洗ってきて」

「いやだよ!!そんな体売るみたいな事!!」

本気で怯えた表情で叫ぶ幸村は尤もだ。

頼むからこれ以上話を発展させないでくれ。

「バレンタインで調子こいて回収しまくったのは誰だよぃ?」

生地を伸ばしていた麺棒で調理台を叩く丸井にしては珍しく幸村を横睨みしていた。

「ぐっ…」

嫌なものは嫌だし…と呟いた幸村は椅子の上で足を抱えてしまった。

こうなってしまうと梃でも動かないので時が過ぎるのを待つしかない。

しかし最少の戦力で対応しているだけに幸村が抜けてしまっては辛いな。

何より本人手作りと銘打っているだけに幸村が返す分に不在とは…。

今は返礼に出払っている部員達は自分の分は何らかの形でしっかり携わった事を思うと、幸村を想って贈り物をしてくれ、尚且つ本人の返しを告知しているだけにそれを楽しみにしている女子を心苦しく思う。

「ねぇ、ゲンイチローまぁだぁ?」

「む、左助君…」

台の上に頬杖をついた甥が不貞腐れた顔で睨み上げている。

「もうゲンイチローの分は返し終わっちゃったからね。こんなときファンが少なくてよかったね、ゲンイチロー」

何やら刺を含んだ物言いする甥は菓子を詰め込まれた袋を調理台の上に置いた。

「お返しのお返しだって、意外とモテるんだね」

兄を思い起こさせる人の悪い笑顔を浮かべた左助君は俺に背を向けて何か口にしようとしている。

「昼食前だ、菓子は控えぬか」

麩菓子の様な物の袋を取り上げる前に手をすり抜けて、近くの椅子に腰を掛ける。

そこは可愛げがあるのだが、誰に似たのか口ばかり達者になってきた。

「恥ずかしいがり屋のゲンイチローのために配ったんだから、ちゃんとボクの分も作ってよね!5つ!」

「む?四つではなかったか?」

食べ掛けの麩菓子で俺を指した左助君は思い違いしていないだろうか?

「バレンタインにもらったのは4つだけど、1コは好きな子にあげてコクハクするの!」

得意気に内訳を話した後、義姉の持たせられたエプロンを首にかけた。

「今の六歳児すげぇ…」

「六歳でもモテてるというのに神の子の俺と来たら…」

赤也と幸村は目を見開いて左助君を見ているが、

「今のガキはすげぇマセてるぜぃ?ウチのチビなんか毎日誰と帰るかとか、お昼寝は誰の隣になるとか言ってるからな。俺らよりもマジでモテてるわ?」

半ば自棄になりながら卵をボウルに割り入れる丸井から兄としての苦労が窺える。

「あとねー、チョコもらった子たちとプリクラとりにいかなきゃなんないから、デートの日もきめなきゃなんないから大変なんだよ」

幸村の手から判を奪った左助君は中々の手付きで刻印をしていく。

日頃のお手伝いの成果を披露できている様で嬉しいぞ。

「…デート…」

「…プリクラ…ツーショット…?」

目から生気を失った二人は完全に戦力外だ。

この程度の戯れ言で打ちひしがれてどうする?

赤也、お前はそれでも常勝を継ぐ者か!

寧ろ左助君の言葉から貰っていなくても返すと言う手法を学ぶと思わないのか?!

「いや、真田口に出してる、声に出してる」

「…すまん」

貰ってもいないのに朝五時から返礼を取りに来たのが幸村の妹とかと思うと何やら不安が拭えない、なまじ姿形や中身まで似ているだけに非常に生きた心地がしなかった。

急な話だったとは言え、やはり牡丹餅は年頃の女子に気に召さなかっただろうな。

「だから声に、つかボタ餅って?!幸村くんの妹強ぇっ?!」

「あー…、あいつが食ってたぼた餅って真田のか…、苦労をかける」

虚ろな目のままの幸村は鈍い動きで椅子から降りると、

「俺も貰ってもないのに三倍返しを要求されてたな…」

制服を捲り上げて、左助君に取り上げられた仕事の続きの工程に取り掛かった。

「マジッすか?!俺も貰ってないのに0時キッカリにホワイトデーくれってメール来たンスけど?!」

「は?赤也お前幸村くんの妹と知り合いなの?!つか貰ってないのに要求とかどんなに魔性の女なワケ?!そんな美少女にまじ会いたいんだけど?!」

と興奮気味に食いつく丸井に幸村と赤也は顔を見合わせて曖昧に笑った。

「やっべぇー、まじ会いたいわ〜?」

願わくば丸井はこのまま何も知らないでいて欲しいものだ。

「ブンちゃーん、ただいまぁ?」

「にいちゃん!腹へったよぃ!!」

開け放れていた戸から丸井の弟達が戻ってきた。

「チビちゃん達、はよ中に入りんしゃい」

その後ろから段ボールを抱えた仁王がやって来た。

「ごはん!オムライス!」

「おてつだいするぅ?」

「肉だけ大盛りで」

「お前のノルマまだあるだろうが!!」

早々と椅子に座った仁王へ包装を終えたクッキーの山を押し付ける丸井だが、

「ブンちゃんのノルマはまだナリよ〜?三時に海林館に来てくださいだって」

と人の悪い笑顔で挑発するものだから丸井は頬を引きつらせて、

「うっせぇな!幸村君の分も回らせるぞ」

「あ、仁王シクヨロ」

これ幸いと乗った幸村がよく見かける丸井のポーズを送れば、

「ピヨッ」

また訳の分からない鳴き声を発して冷蔵庫を開けに向かっていた。

「おまえ、チョコ何個もらったんだよぃ?」

丸井の上の弟が左助君に質問していた。

初対面とは言え、話題を提供して会話の機会を編み出すとは流石丸井の弟だな。

「4つだけど、5つあげるよ?」

「だっせ!おれなんか11個でクラスの半分以上の女子からもらったんだぜぃ?」

不思議なものだ、こんな幼くても数を競ったりするのか。

「すくないけど、ボクのはぜんぶホンメイだから」

恐らい、末恐ろしいぞ、左助君?!その歳で既に数ではない事を理解しているのか?しかもその余裕の笑みはなんだ?王者そのものではないか?

「は…、意味わかんねぇし…」

「やぁだぁ、負けちゃったね」

丸井の弟は左助君より年下の下の弟に慰められている。

「さて、そろそろ追加の分は出来上がったと思うのだが、どうかな?」

ノートを広げたままの蓮二が開眼しながら調理室に戻ってきて我に返った。

「文句なら幸村くんに言えよぃ」

完全にこの状況に匙を投げたらしい丸井は昼食の準備に取り掛かっていた。

開眼したままの蓮二の視線が幸村の頭上に降ると、幸村は妙に固い笑みを浮かべた。

「…えへ?」

「ライブでもやるか、精市?」

石にでも変えそうな睨みを送った蓮二の視線が俺に移る前に慌てて顔を手元に固定した。

バレンタイン同様にこの厄介な習慣も早く廃れて欲しいものだ。

(20150314)
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