短編


黒い白馬にまたがって前へ前へとバックした


この世に絶対に有り得ない事はあるか。

白いカラスがいるように。

黒い白鳥もいる。

沈まない太陽もあれば。

明けない夜もある。

この世にはただの言葉遊びと馬鹿にできない現象が地球の裏側では当たり前として存在する。

ただ、俺達は何も知らないだけ。

「でも明けない夜っていうのはやだな」

俺がやった明けない夜、極夜に浮かぶ北欧の街並みの絵はがきを見て幸村が苦笑いした。

「幻想的で素敵だけどね」

少し目線より上に翳して細めた目に映っているのは入院中の夜かもしれんの。

姉貴が友達からもらったという土産だった。

興味ないから好きなの持ってけと広げた中から、なんとなく幸村に似合いそうだと手にした一枚。

朝から止みそうにないみぞれと寒波に飽き飽きして、清掃時間にもヒーターに張り付いている幸村を探し出してくれてやった。

そこから、矛盾した形容詞をくっつけた言葉遊びの話になった。

そこから有り得ない事がある事例を挙げた。

まぁ、ほとんど参謀から聞いたネタじゃがの。

だから有り得ないと思い込んでるのは、知らないだけだ。

有り得ない事はない。

有り得ない事は存在しない。

二重否定は強力な肯定になる。

俺自身を否定して誰かに完璧にイリュージョンすればする程、俺と相手の相違点が目に付く。

俺が俺のままで誰かになろうと足掻く程、お世辞でも本物を越えたと言われるまでに完璧に近付く。

「…悪かったの」

少しばかり、気付くのが遅かった。

「それは俺の台詞だろ」

まだ異国の風景を眺める幸村の心は最後の夏にいるようじゃ。

あの場で言い訳も謝罪もさせなかったのを、俺は、後悔している。

だから幸村がどうという訳じゃないが、ただ吐き出させてやりたかったっつー俺のエゴかもしれん。

「関東で敗けたじゃん?」

不意に幸村の方から謝罪どころかテニス自体を拒んだ話を振られた。

「…なぜか安心したよ」

はがきを持つ腕をだらりと下ろして、窓の向こうの白い粒を見ている横顔にゾッとした。

「俺が還る場所と理由があるってね」

あの時拒絶したのは敗北じゃなくて、幸村自身だったのか。

「…ダメな部長だろ…」

首を戻して、目線は少し右下。両肘を抱くように組んだ腕とまだ慣れない自嘲。

そんな顔せんで、いつも通りに不敵に笑っとれ。

意識の中では声に出して、右手は頭に置いていた。

だが、言葉にする為の息は喉に詰まったままで、指先から力が抜けた。

有り得ない事はある。

有り得ない事は存在する。

それを知った時、諦めを学ぶのか。

有り得ない事はあるを否定する為に、タネ探しに走り回るのか。

「……のぅ、」

少し震えた声は寒さのせいじゃ。

「それ、副部長に言った方がいいんじゃなか?」

生まれてこの方、長がつく仕事に無縁の俺より、部長不在の時に部を引っ張った真田の肩を下ろしてやれるセリフじゃろうが…。

一瞬、幸村が左の爪先を見た。

「…真田じゃダメなんだよ。あいつは聞く耳を持たない」

そう言った後、空気が和らいだ。

幼なじみってヤツか。

相変わらず白い雨は降っとる。

窓の向こうが見えない。

「お前は俺になりたいんだろう?」

俺を真っ正面から捕らえれた目の色から心を探るように例える言葉を当てはめる。

藍色、青藍、濃藍、紺色、紺瑠璃。花なら教えてもらった桔梗しか知らん。オリエンタルブルーにウルトラマリン、深海、夜の海、夜空、夜明け前の…。

「だから誰にも言えない本音をお前にだけ教えてやるよ」

腕を解きながら踵を返した幸村は俺の脇を通り過ぎ様に軽く肩を叩いた。

目の色と同じ柔らかい髪が視界の端から消えるまで動けなかった。

「悪用するなよ!」

「…さぁのう?」

辛うじてそう返せて振り返ると、もう戸口に立っている幸村はイタズラを思い付いた時みたいな顔を浮かべて、

「誕生日おめでとう、仁王!これのお礼にコロッケくらいは奢ってやってもいいよ」

とよっぽど気に入ったらしい絵はがきを持つ手を振った。

ほんに神の子とはよく言ったぜよ。

肩と一緒に喉の詰まりが下りて、やっと出来た余裕に両手をポケットに突っ込んだ。

「期待してるぜよ」

「俺もだよ」

…かと思えばこれじゃ。

是が非でもなってみせんといかんぜよ。

常勝と俺の名に懸けて。

(20141205・'14仁誕)
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