短編
 赤 く 染 め る 月
まだコートに転がる赤也を呼びに行くと、とても満足そうな笑みで寝息を立てていた。

こちらまで微笑ましくなる顔に起こすのが少々忍びない。

だが、最終下校時刻が近付いている事もあり、部室の鍵を預かる部長副部長は気が気ではないだろう。

また不用意に小言を聞かさられるのも可哀想なので、静かに膝を付き肩に左手を伸ばした。

刹那、力強く掴まれた指先に心臓が掴まれたかと錯覚する程驚いた。

「、柳せんぱい?」

目を閉じたままの赤也が問い掛ける。

起きていたのか。

「…そうだ。もう大丈夫か?」

精市との試合後、ゲームセットのコールが響いた途端にコートに倒れ込んだ。

「はは、」

似合わない乾いた笑いを漏らされて、自然と眉が寄る。

「起こしに来てくれるのは柳せんぱいだって信じてた」

「…赤也…」

そう嬉しそうに俺の手を掴んで起き上がられては、何やらこちらが照れ臭くて次の言葉が掛けられない。

気付かれない様に息を吐き出して唇を動かす前に赤也の表情が消えた。

いつの間に、いつの間にこんな顔をする様になったのだろうか?

感情に任せて表情を変える赤也が好きだ。

それなのに、こんなにも思い詰めた横顔をするとは…。

何かあったかは聞かない、いや聞けない。

直感の赴くままの無鉄砲さが何処か憎めなくて、弟の様に目を掛けていた赤也も精神的に成熟する時期に入ってしまった様だ。

その成長が喜ばしいと感じると同時に一抹の寂しさが過る。

「…来年は、」

少々物思いに耽ってしまったせいで反応が遅れた。

「側にいないンスよね…」

そう告げて見上げてきた瞳は赤也には似合わない色に染まっていた。

この問いに俺は正しい応えを与えてやれない。
今ここで何を言っても詭弁になる。

一年の差がこんな形で襲ってくるとは…。

何も今日でなくても良いのに。

「あーあ、今日こそ勝てると思ったんだけどな」

急に手を離され思わず声を上げそうになるが、言葉が形にならず喉から空気が抜けただけだった。

俺の手を離した赤也は再びコートに沈むと頭の後ろで腕を組んだ。

「ったく、俺の誕生日なんだから、ちょっとは接待してくれてもいいのに…」

口を尖らせた赤也は普段通りで、こちらもいつもの苦笑が浮かんだ。

「赤也の誕生日だからこそ、精市も弦一郎も全力でお前を接待したのだろう」

今日9月25日は赤也の誕生日、プレゼントは何がいいかと尋ねたら俺達三人との試合を挑まれた。

結果は赤也の成長ぶりを体感出来る良い機会に恵まれた。

「だからって、真田副部長、二本ともガット破らなくてもいいじゃないッスか?…その後の幸村部長の試合は真田副部長の借りるハメになったし…」

やっぱもう一本持ってくりゃよかったなと呟いて足をばたつかせた。

「それはそれで不測の事態に対処する練習になっただろう」
万全の体勢で試合に臨むつもりでも、必ず綻びがある。

それに惑わされずに回避し立て直す心構えをそろそろ赤也にも学んで欲しい。

ポジティブ思考だけで乗り切れない事態はこれからも幾多に訪れるだろう。

「そりゃ柳せんぱいの出番じゃないスか?」

と屈託なく歯を見せて笑う。

「だが俺は来年いないぞ」

瞬間。

言い終えた瞬間冷える空気に俺自身を呪った。

赤也が前に発した単語を拾う流れはいつも通りだ。

だが、今日に限って、今に限っては言うべきではない言葉だった。

秋の気配を見せる潮風が殊更に俺達を冷やす。

また、赤也の瞳に似合わない色が滲む。

逸そ幼児の様に駄々をこねてくれたら俺が楽になれた。

赤也は、諦めを浮かべて、ただ静かに笑みを刻んだ。

その赤也に見つめられて、俺は近い内に赤也に越される事を悟った。

追い越される事は怖くはない。

自分の事の様に嬉しい話だ。

怖い事は唯一つ。

今も、昔も変わらない。

「ナニ言ってンスか」

瞬きする赤也の瞼の動きがスローモーションで見える程時間が引き延ばされる。

「高校でもテニス続けるんだから、俺は試合しに行くッスよ!」

と上半身だけ起こした赤也が太陽の様な笑顔を見せた。

この柳蓮二が予測できない台詞をぶつけてくるのが、一つ下の切原赤也だ。

「…ちょ、え?ナニ笑ってンスか!柳せんぱい!」

「…いや、すまない。そんなつもりじゃないんだ」

すぐに膨れる処はまだまだ年相応と言う事にしておこう。

「じゃなんで…、つかまたガキくさいとか思ってるンスか?」

胡座をかき頬杖を付いて横を向いてしまった。

こうなったら長丁場になってしまうな。

「そうではない。そうではないんだ、赤也…」

どうして言葉が続かずに、代わりに癖の強い髪に手を置いた。

そう、来年、いや半年後にはこうも容易くこの髪に触れる事も出来なくなる。

「柳せんぱい?」

区切られた時間が生んだ絆の深さと刻み付けられた存在に未来を向くよう背中を押された。

「赤也は俺の太陽だと思ったんだ」

飽くなき向上心と勝利を求める無垢な瞳に何度救われただろう。

手を焼かせる後輩がいたから、俺自身も更なる高みを目指し続ける事が出来た。

「だったら柳せんぱいは月ですね!」

そう言って立ち上がった赤也が俺に手を差し伸べた。

「俺にとっていなくちゃならない人ッスから!」

背は一回りも小さいのに取った右手は俺と大差はない。

いや、赤也の方が肉厚だ。

今は眼前を阻む物を凪ぎ払うだけだが、いつかこの手が守る相手も現れるだろう。

良い手をしていると思う。

「でも、卒業までにはアンタもあの二人を赤く染めてやるッスよ」

好戦的に笑んで俺を引き上げた赤也に我が立海はとうに染められていると言うのに。

あぁ、それよりもお前に伝えなくてはならない言葉がある。

「誕生日おめでとう、赤也。部室でみんなが待っているぞ」

「マジッスか?!超嬉しいッス!早く行きましょうよ!!」

俺の腕が抜けそうになるくらい引いた赤也はまるで背中に翼が生えた様な足取りだ。

その後ろ姿を追いながら漸く俺も決心がついた。

お前だからこそ、王者の未来を託せるのだ。

(20140925・'14赤誕)

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