待ってたぜ
悲しいほど青い空ってどこで聞いたっけ?
それってどんな青だろうって考えたら、今日みたいに手を伸ばしたら掴めそうな近い空のことじゃねぇのかな?
あの日もそんな青色だった。
幸村くんの具合がよくなくて、面会謝絶になった。
ずっと会えなかった。
誕生日に何がほしいかって聞かれて、思わず幸村くんとふたりで会いたいって言ってしまった。
でも、会えなかった。
幸村くんの家族も会えない日があったくらい危険な状態が続いていた。
そんな中柳がギリギリまで交渉してくれて、朝イチにやっぱり容態が思わしくないって言われたその日の昼休み。
なんとなく屋上に上った。
美化委員が世話している庭園がある1号館の屋上。
去年美化委員だった幸村くんが育ててた花はどれだろ?
なんか、いつか、花の話をしたけども、花の名前も場所も忘れてた。
それに。
少し、ゾッとした。
こうやって、…忘れていくのかな?
辛いから、いないのが、辛いから。
辛いことから目を反らしたくて忘れるのかな?
だけど。
簡単に忘れさせてくれないのが幸村くんだ。
半年くらい学校に来られなくても、いつ退院するかって話が出なくなっても、幸村くんはテニス部の部長のままで。
選択科目通りにクラス分けもされて。
そのクラスでもちゃんと美化委員になって。
幸村くんがいる。
幸村くんが存在してる。
テニス部以外は半年も幸村くんを見てないのに、幸村くんがいるのが当たり前な毎日を送っている。
そんなテニス部の俺たちも幸村くんがいる部活のまま。
練習のちょっとした時に、無意識にある場所を見てしまう。
いつも決まった場所じゃないのが自分でもすげぇ不思議で。
たまにジャッカルとおんなじ場所を見て、あいつは苦笑い、俺はガムをふくらませてごまかす。
ふたりで一緒に見た場所になんなにもないのに。
なんにもないから。
集合の時だって、みんなも真田と柳の間に視線が集まってるのが分かる。
副部長と参謀役が並んで立ってるのに。
真田は右側を、柳は左側を開けてるから。
こいつらも無意識だ。
俺らよりずっと固い絆で結ばれた三強なら、余計に空いた間を意識してしまうんだろうな…。
……なんか、悔しいぜぃ…。
まだ近づけないのか?
レギュラーくらいじゃまだダメなのかよ?
幸村くんの面会の交渉も柳だしな…。
こっそり会いに行ったのがバレた時なんか、真田にブン殴られたしな。
ま、自習サボッてっていうのがデカいだろうけど。
やっぱ、なんか、な…?
「あー…」
色んな種類のモヤモヤを胸の奥から溜め息と一緒に吐き出した。
それと一緒に本音がこぼれた。
「幸村くんに会いたいなぁ…」
今日はこの春で一番きれいな青だなぁ?
幸村くんはまだICUだかの誰も入れない部屋なんだろうな…。
窓あるのかな?
あー、でも窓あっても、病室の窓からだと隣の病棟か屋根しか見えないから、ないのとおんなじか…。
「…なんか、」
さっきから赤也がコロッケパンに口につけてままかわいそうな目を向けてくる。
「なんだよ」
赤也のクセに俺をそんな目で見るってムカつくな。
「いや、なんつーか、」
赤也はコロッケパンを口につけたり離したりしながら、生意気にもデッカイ溜め息と一緒に肩を落とした。
「丸井先輩、恋してるみたいッスね」
それからなんか知った風な顔で空見上げるからよぃ?
あんなヤンチャだけのガキも一年経ったら、こんなに大人ぶった表情もするようになるのかって思うとうかうかしてられねぇよな?
赤也の隣に落ちてたチョココロネを奪って、
「恋だったらこんなマジになんねぇだろぃ」
恋愛なんて、ゴールは失恋だ。
ホモだろうが恋愛の方がどんなに楽だったか。
幸村くんのことは、仁王に「尊敬通り越して信仰じゃな」って笑われたぜぃ。
そう言ってくる仁王だって、幸村くんの神の子って二つ名にこだわってるクセに…。
仁王だけじゃない。
一番近いハズの真田も柳も、まだ幸村くんに会ったことがない新入部員たちだって、幸村くんの事を……。
その先を思い出した時、急に視界が真っ白に消えた。
左手をまぶたにかざして辺りを見回すと、今までコートの上にあった雲が移動して、太陽が顔を出していた。
突然の強烈な光に目の奥まで焼かれたみたいに痛んで、このままラリーをするのが辛くて、審判席にいた二年に適当なことを言ってコートを抜けた。
眉の真ん中くらいから来る目の痛み、覚えてる。
初めて幸村くんと打ち合った日。
イップスなんかじゃなくて、鮮烈に焼き付けられる存在感。
勝つとか負けるとか、そういうレベルを軽く越えて最初っから幸村くんに持った感情は尊敬だった。
ライバル認定とか目標とかの尊敬じゃないから、幸村教みたいだって一年の時に柳に笑われたな?
そんな柳の方が後から深みにハマッてやんの。
何回自慢のデータノート地面に叩きつけてんだよ?
まだ誰にも見られてないって思って冷静装ってるとこが、柳らしくていいよな。
赤也も見ちゃってすんげぇ慌てて、なだめた俺らの方が大変だったっつーの。
でも、さ?
幸村くんって、そういう存在だよな。
もう一度左手をまぶたの上にかさじて、静かに空を見上げた。
指の間から溢れる夏の白い日差しが、コートにいる時の幸村くんの背中の端に見える物みたいだ。
翼まで生えちゃったらマジで神の子だなって思ったら、ホント、俺でも笑っちゃうくらいに幸村教なのはマジかもしんねぇ。
ま、みんなそうだろぃ?って思いながら部室のドアを開けたまんま時間が止る。
「あげないよ」
ちょうど思い描いていた幸村くんがそこにいて、見た目のイメージを裏切るみたいに大きな口を開けて何か食おうとしていた。
「やっと好きな物を好きなだけ食べられるようになったんだ、いくら丸井のお願いでもこれはあげない」
どっかいじわるっ子みたいな、でも単純にすごく嬉しそうな顔でチョココロネにかぶり付くから、嫌でも俺の誕生日の赤也のとやりとりをまた思い出してしまう。
「…いや、いいし…」
そんなに食い意地張ってるって思われてたのがショックな俺はうまそうにチョココロネを頬張る幸村くんをぼんやり見てた。
そして気づいてしまった。
いや、前から知ってた。
でもできるだけ見ないようにしてた。
コロネをつかんでる右手の甲が黒くなってる。
ちがう、黒いのが残ってた。
点滴の跡。
暗い部室に目が慣れた肘の内側にもある、しかも両方。
病気じゃなくてたくさんの管に繋がれて動けないって笑う幸村くんを思い出した。
幸村くんなりの精一杯のギャグだったみたいだけど、そんなの全然笑えなくて。
俺たちの話を楽しそうに聞く幸村くんがいつフッと消えてしまわないかすごいヒヤヒヤしていた。
そのヒヤヒヤに急に襲われて、パイプ椅子に座る幸村くんの後ろから抱きついた。
「…必要ならなんでも言えよぃ、目も耳もなんでもあげるから」
内臓でもなんでも二つあるのもはあげるから。
「俺はそういう病気じゃないんだ」
呑気にコロネを食べながら幸村くんは俺が後ろにいるのにパイプ椅子の前を浮かせてくる。
それがなんか、背中を俺を預けてくれてるみてぇで、すっげぇ嬉しい…。
「心臓だってくれてやる」
とっくに心臓の中身にある大事なものを幸村くんにあげてるけど、幸村くんが必要なら器の方もあげる。
「心臓って、丸井、」
ガタンと俺に預けていた椅子を元の位置に戻すと、
「それじゃまるで俺に恋してるみたいだね」
からかうように俺を見上げてくる幸村くんにはなんでもお見通しってことか?
「それ、赤也にも言われたぜぃ…」
本人に言われると恥ずかしさがハンパない。
しかもその辺の女子よりキレイな幸村くんだから余計にタチが悪いぜぃ…。
つか、この体勢なんだよ?
後ろから抱きつくとかどこのバカップルだよ、ソッコー離れたいけどここは余裕を持ってゆっくり腕をほどいてから、背中をロッカーに押し付けた。
やっべーな…、幸村くん今のどう思ってんだろ?って別な意味のヒヤヒヤに胃を掴まれながらさっきまで抱きついて背中を見た。
意外と肩幅あってがっちりしてるよな。
いっつも真田が隣にいるから細身に思うけどンなことない、真田がゴリゴリにマッチョなだけだ。
あと、いつこんなに身長差がついたんだ?
入学した頃おんなじくらいだったのに、今じゃ10センチ以上差が出たし…。
「恋だったらはっきり断れるのに、」
身長以外にも差がついてるのが悔しくて情けなくて、ジト目で幸村くんの背中を見てたら幸村くんの答えを聞かされてハッとした。
「ホント、お前はずるいよ」
少しうつ向いた時に見えた横顔が切なそうで、そんな風に弱さを簡単に見せる幸村くんの方がずるい。
俺が幸村くんを神様より尊敬してるの知ってるだろぃ?
そんなされたら、俺だって本気出すしかないぜぃ。
「だから俺は」
幸村くんは指に付いたコロネの粉を両手で払いながら立ち上がり、
「神の子でいられるんだ」
ジャージを翻しながら俺を振り返った。
自信に溢れた微笑みと強い視線が俺の前にある。
過去の不安がぶっ飛んで、王者のプライドと常勝の光が俺の心を満たしてくれた。
「待ってたぜぃ」
突き出した拳に応えるように白くても力強い拳がぶつかってきた。
いつだって、俺が欲しいものを欲しいときに欲しいだけくれるのが幸村くんだ。
この存在を待っていたんだ。
誕生日プレゼントがないって駄々をこねていたあの日を俺はもういない。
(20140501)
[←戻る]