母は偉大だ!〜オカン聖書〜
新しい薬の副作用で胸焼けが収まらなくて、コートから離れたトイレの壁に寄り掛かっていた。
個室で座り込む程でもなくて、少し休んでいれば収まる。
この事は既にコーチ陣から了承済みなので、外野の音は聞く必要はない。
その前にコートで黙らせてやる。
でも、タイミングってあるよね?
今日はたまたま他のコートの休憩が重なったようで、普段は誰も来ないここのトイレにも駆け込んでくる足音がした。
「あれ?幸村クン、具合悪いんか?胃の辺り押さえて?」
「…あぁ、大丈夫だよ」
心配そうな声にいつの間にか下がっていた顔を上げると白石が入ってきたところだった。
「せやけど、コーチに言う?」
「もう言ってあるよ」
踵を返そうと上体が出口を向く前に首を振っておいた。
それでも何か言いたげな顔をしていたが、
「しーらーいーしー?!便所おわったら、ワイと試合してーな!!」
と遠山がトイレに入るなりハーパン下げながら白石に近付いて行く。
…なんか、試合の意味を勘違いしそうなんだけど、染まってきた?
「金ちゃーん?そのクセ止めぇや?」
「おう!そうやったな!白石!」
白石が左手を上げる素振りみせた途端にハーパンを上げた遠山は、
「アカン?!漏っちゃう漏っちゃう?!」
慌ててアサガオの前に立って再びハーパンを下げようとする。
「金ちゃん、気を付け!!」
なぜか白石が号令をかけた。
その号令に従って律儀に気を付けをする遠山の素直さ、うちの部員達に分けてほしいよ。
遠山の隣のアサガオに並んだ白石は、
「ハイ、一歩前へ」
と言いながら遠山を見ながら左足を踏み出す。
その通りに従う遠山を確認して、
「膝まで下げる」
と言ったら本当に勢いよくハーパン膝まで下げた。
まだ一年だし素直に言う事を聞く遠山は微笑ましいけど、白石のケツは見たくなかった。
「そして持つ」
いや、それは聞きたくない。
何このトイレトレーニング?
でも真面目な顔で白石の号令に従う遠山は純粋なんだろうな?
「うわぁ、部長の生ケツとか勘弁っすわ」
と言う割りには画面にかぶり付きの財前が耳をいじりながら個室に入った。
「ひーかーるー?携帯持ち込むな言うとるやろ?」
なんか呼び方が母親っぽいな?
「携帯じゃないっす」
そこはオカンっすか?とくるかと思ったよ。
「スマホでもタブレットでもええねん、個室に隠るな言うとんのや」
その前にコートに携帯とかの貴重品の持ち込み禁止だった気がするんだけど、やっぱり白石の言い方が母親っぽいな。
「光?!光いんの?!あんな、」
「ハイハイ、金ちゃん、前向いとこうな」
左右に動く顔に合わせて体も動きそうな遠山の頭をがっちり掴んで正面を向かせた。
「なんや自分らまだいたんか」
全力で走ってきてスピードを落とさないままアサガオの前に立ったのは忍足謙也。
立海では氷帝の忍足は伊達眼鏡、四天宝寺はフルネーム呼びが定着している。
「おお、謙也やんかー?コシマエ知らん?」
「知るか、先行くで」
ちょっと目を反らした隙に忍足謙也は手を洗って、濡れた手で髪いじってた。
さすがスピードスター早いな。
「あ、ワイも!!」
「金ちゃん、ちゃんと振らなアカンよ」
既に背中が見えない忍足謙也を追おうとした遠山の襟を掴んで戻した白石は、
「振るって、そんなブンブン振り回したら飛び散るやろ?」
「すまんすまん。ワイの大車輪どや?」
「つまんない事言わんとき」
「アタッ」
無邪気に聞いてきた遠山にデコピンをした白石は、
「終わった後はちゃんと流さな」
ハーパンをずり上げながら出口に走りかけたゴンタクレの襟を掴んでボタンを押させた。
「あー、ワイいっつも忘れんねん。学校のも自動に流れるようにしてほしいわー」
「節水節電、何事も手動が一番や」
白石の言う通りだね、まだ座ってるのに水が流れてくる時に飛沫がケツに跳ねる冷たさと切なさ。
「あ!コシマエ!!コシマエや!!やっと会えた〜、嬉しいわ〜」
…会いたくなかったな、弱ってところなんか見せたくない相手。
「金ちゃん、先に手を洗ってからやで」
黒ジャージから微妙に目線を下に持っていってるのになかなか視界から消えない。
「チーッス。大丈夫ッスか?」
わざわざ覗き込んでくれてありがとう。
お陰で別な意味でムカつきが収まらないよ。
「よかったらどうぞ」
差し出されたオレンジの絵がついたのど飴。
あれ?意外と可愛いところあったりする?
「柳サンから聞いてるッス」
…あのおしゃべり。
自分達に心配されるのを俺が嫌がるからって他校の、しかも越前なんか偵察に寄越すなよ。
「コシマエー、ワイと勝負してーな!!なぁ、ええやろ?!」
「やだ」
「金ちゃん、手!!」
泡だらけの手でジャージ掴まれる前に越前は軽く避けて、遠山はまた襟を捕まれて手洗い場に戻される。
「あぁ。あと、真田サンが探してましたよ、鬼みたいな顔で」
ぶっころ。
まじぶっころ。
帽子の鍔下げながら不敵に笑う越前もだけど、うちの副部長もな。
ヘアバン切られた恨みは忘れない、妹から貰った物だったし。
「ちょいちょい?!越前クン達何アヤシイ取引しとんの?!」
急に焦った声を出した白石に何事かと組んでいた腕をほどいて壁から体を起こすと、越前と越前によく似た、越前の五年後みたいな高校生が入り口の前にいた。
「カッカッカッ、なんか誤解させちまって悪かったな」
「…アンタのせいだし」
豪快に笑う越前(大)はガムの束をヒラヒラさせながら、
「なんつーか、昔のクセっつーのか?」
「だから誤解されるんだってば」
越前(小)がラケットで越前(大)の膝カックンをかましていた。
「なんや、ガムかいな?そないコソコソせんと…というか便所でやり取りするようなモンやないやろ?」
「コシマエー!コシマエー!」
待ちきれなくてばたばたと体を動かす遠山の両手をしっかり拭く白石とうちの柳、どっちが母親度が高いのかな?
「いや、ふいんきあるかと思って。な、チビ助?」
「…雰囲気ね」
面倒くさそうに溜め息をつく越前(小)はやたら越前(大)の腰の辺りをラケットで小突いてる。
遠山に捕まりたくなくてさっさと越前(大)とここを離れたいのかな?
「コシマエー?ガムなんでそっちの兄ちゃんにやるんや?」
手も拭き終わって白石にGOサインに背中を押されたら遠山が越前に駆け寄る。
「丸井サンが間違って買ったからってくれた」
「のを俺がいただいたのさ。向こうのは大味すぎるしな」
越前(小)が背を向けるのに対して、越前(大)が遠山の頭を揉みくちゃにしている。
というか、なんでグリーンアップル味とピーチ味を間違うだよ、丸井。
「なぁなぁ?兄ちゃんは強いんか?」
越前(大)に興味を持ったらしい遠山が目を輝かせて聞いていた。
「チビ助よりはな?」
「…何言ってんの?」
意味ありげに視線を送る越前(大)に面白くない越前(小)はラケットを越前(大)の脇腹にめり込ませた。
「んじゃ、ワイと勝負してーな!!」
「金ちゃん!!」
遠山の向上心旺盛な癖が出るとすかさず左手を掲げて包帯を外した。
「毒手はいやや!!」
「…遠山っ、」
まさか俺に助けを求めるとは思ってもいなかったよ、遠山に猛突進されて俺は背中を壁に強打した。
咳き込みたいけどあまりの痛さに息をままならない、その隙に遠ざかる足音が聞こえたから越前達は逃げ出したのだろう。
「あー、ほんまうるさいっすわー」
わざとらしい財前の声がする。
「うるさすぎてゆっくり便所もできへん」
いや、ネットの間違いじゃなくて?
「光ー、便秘なん?」
俺にしがみつく遠山…、怪力すぎるのが真田の比じゃなくて若干ビビッてるよ。
「なんなら乾クンに頼んでみたらどうや?」
爽やかに笑いながら包帯を巻き直す白石はまだ飲んだ事ないからそんな事言えるんだろうな。
柳に唆されて興味本意で一口飲んだら、一日味覚が死ぬってどんなだ?
「つか、フツウに昨日のカキフライやばくなかったっすか?」
顎にスマホ挟んで手を洗うとか、チャレンジャーだな財前?というか中毒?
「カキフライ…?」
「…そろそろ離そうか」
他の事に気を取られて力が緩んだ遠山の指を一本一本剥がす。
「カキフライなんかあったかな?」
俺と同じ事を思っている白石が見てきた。
「はあ?何言ってんすか?あったやないすか、昨日の晩飯ミックスフライやったのもう忘れたんすか?」
後輩から小馬鹿にしたような視線ね、いやぁ立海じゃ味わえないからある意味新鮮だよ。
「あぁ!!アレな!!」
何か思い出した白石は手を打って、
「アレ、きのこやで」
すごいドヤ顔だけど、それ…、
「この山でしか採れない貴重なきのこやって、毒きのこ図鑑に載ってたわー」
…いやもうどっかつっこめばいいのか、とりあえず眩しい笑顔がムカつく。
俺の胸の下で「カキフライ?ちゃうなー?カキフライとちゃう気がするなー?」とぶつぶつ言ってる遠山に、何か言いたそうに部長を眺めていた財前だったが、短く息を吐いて一言。
「なんかその笑顔がきもいっすわー」
と顎からスマホを外しつつ、ユニフォームの裾で手を拭きながら出て行った。
しばらく財前の背中を見守っていた白石が俺に聞いてきた。
「え?そんなキモイんかなぁ?」
君がキモイかどうか俺は分からないが、昨日食べたのはカキフライでもなくきのこでもなくかまぼこだった気がすると今更言えないこの気持ちと、まだ離れてくれない遠山を持て余すだけだった。
(20140410)
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