小説 | ナノ

大空少年史

眼鏡とは、人の視力を補うものである。眼鏡をかけることで視界は変わっても世界は変わりません。どんなに違って見えても同じ世界を見てることには変わりはないからです。しかし、本当に眼鏡は肉眼で見える世界しか映し出さないのか。

さて、ここに眼鏡があります。タネも仕掛けもなければ度すらはいっていないあくまでお洒落のためメガネでございます。人はそれを伊達眼鏡と呼ぶ。
この眼鏡はつい数日前まで僕と行動を共にし、画面の向こうの敵と幾戦も戦い抜いてきた、いわば戦友であります。彼をかけることで戦いに勝利できたかといえばそんなことはありません。寧ろ耳と鼻にかかる負担を考えたら外すべきだったでしょう。しかしそれでも僕は決して彼を外さなかった。大事な一戦のときに何を思ったかいきなり白く曇ることもありました。それでも僕は外さなかった。何故なら彼は僕の一部のようなものだからです!彼がいなければ僕ではなく、僕がいなければ彼ではなかったのです!僕は彼で彼は僕!それが当たり前だったのです!

さて、お気づきだろうか。ここまで僕が「過去形」で語ってきたことに。
皆様の御察しの通りであります。
ある日を境に僕は彼に別れを告げました。
否、僕は彼を捨てたといっても良い。なんとでもいうがいいのです。僕は裏切りものだ。
しかしこれには深い訳があるのです。信じてもらわなくて結構。信じてもらうつもりは更々ない。あの日、僕が彼を裏切ったあの日、僕は天使に会ったのです!

細かい説明は不要、天使に会う前の僕の生活など語るに値しないので省かせていただきましょう。僕と戦友は水の中でもがいていました。光の射し込む美しい水面を美しいと思う余裕もなく、ただ両の手で目の前の水を掻き分けていました。しかし溺れる手が藁をも掴むより早く、背中が水の底につきました。思ったよりも浅かったのです。僕は落ち着いて底に足をつき、立ち上がりました。するとこちらに駆けてくる人がいます。バンさんです。バンさんはつい数時間前に出逢った方で、思わず見とれてしまうほど整った顔立ちをしている少年です、が、まさか、この僕が、同性であるバンさんに心奪われることになろうとは。
まさか、そんな馬鹿なことがあるものか。
…皆様は何も知らないからそんなことを言えるのです。いや、知らなくて良い。僕だけが知っていれば良いのです!
何故ならこちらに駆けてくるバンさんの心配そうな顔といったら………!
…とても言葉にできたものじゃあない!残念なことに僕の知る言葉ではバンさんのあの美しさを語ることはできません!
僕は理解しました。あのとき輝きを放っていた水面は、バンさんの光を受けていたためだということを!そう、バンさんは天使だったのです!バンさんの翔る軌跡がまるで神の楽園から降りてくるようで、それは真っ直ぐ僕のもとへ続いている!天使は僕の前に立つとその大きな瞳で僕を捉えました。天使が三つ瞬くと僕は一つも瞬くことが出来なくなりました。どうも僕は魔法にかけられたらしいのです。茶色の丸い瞳から目をそらせない。これでは目が乾燥してしまうではありませんか!
ここで僕は、今日まで僕の目を守っていた戦友を思い出しました。どうも彼はまだ水の中にいるらしいのです。きっと、今手を伸ばせば、僕は戦友を助けることができるでしょう。しかしどうしたものか。僕は天使の魔法にかかったため動くことすら出来ないのです。それどころか呼吸も上手く出来ず、心の臓すら支配されおかしな鼓動を叩いている。これぞ生命の危機!
不意に天使の唇が言葉を発しようと動きました。ああ、その鈴のような美しい声で一体何を言うのでしょうか。そうだ。僕の名前しかあり得ない。この状況で僕の名を呼ばないことがありましょうか、いやあるはずな…

「メガネは?」

…あろうことか、天使は僕の名ではなく僕の戦友の心配をしたのです。その戦友はというと今もまだ水の底に沈んでいて、天使の声をきくことは出来なかっただろう。なんと勿体ない。いや、これで良かったのか。しかし問題はバンさんが僕の名を呼ばなかったことである。一体何故。天使は僕なんかより僕の戦友のほうが心配だというのか。しかし戦友に比べて僕は劣っているだろうか。お洒落には興味が無いから今まで自分の顔を分析したことはありませんが、少なくとも僕は人間だ。ていうか戦友ってなんだ!あんなのただのメガネではないか!
気づけば僕はただの眼鏡にメラメラと嫉妬の炎を燃やしていました。そして僕は言いました。
「ああ、あれは伊達眼鏡です。雰囲気でつけていました。」
そうして僕は天使と共にその場を去りました。さらば、戦友。僕は君に勝った。まさか最後に今まで共に戦ってきた君と戦うことになるとは。僕は君を忘れ、恋に生きるよ。君はその水の中で清掃員のおじさんにでも拾われたまえ。君も僕のことを忘れるがよい。
僕は心の中で戦友に手を振り、彼の冥福を祈りました。

そうして冒頭に至ります。裏切ったハズの眼鏡が何故ここにあるのか。もう二度と会うことのないはずだった戦友は、今日、僕が目を覚ました朝には僕の枕元にいたのです。…こんな不思議なことがあるものか。しかし、そんなことはどうだって良いのです。
本題はここからでございます。
時に眼鏡は肉眼では見えぬものを見せます。肉眼で見えないから眼鏡をかけるのだ、という意見はもっともでございます。しかし皆さんはご存知ないので、それがどれだけ異質なものか理解することは出来ないのでしょう。それでも僕は認めざるを得ないのです。何故か。…「見」てしまったからでございます。百聞は一見にしかず。結局のところ、この言葉に勝るものはないのです。少なくとも僕はこの他の言葉を知りません。

「君は、大空ヒロ君…だね?」

正義のヒーローは天才博士か異世界からやって来た美少女にスカウトされる。

「すまないが、私に力を貸してくれないだろうか。」

バンさんのような美しい天使が来てくれたら、僕は二つ返事で了解したでしょう。

「私と共に世界を救ってくれないか。」

眼鏡をかけたとたん、僕の前に現れたのは、天才博士でも異世界から来た美少女でも天使のバンさんでもなく、オッサンだったのです。

―推定20代後半から30代前半。身長おおよそ170cm。きっちりとスーツを着こなし、髪型はドレッドを一つに縛って、目には四角いフレームの眼鏡がきらりと光る―彼は、僕が眼鏡をかけた瞬間、明らかに不自然な登場をしました。誰もいなかった場所にいきなり現れたのです。僕だって阿呆かもしれませんが馬鹿じゃありません。幼い頃から培ってきたアニメの知識を駆使すれば、僕はどうやら「選ばれた」らしいのです。僕は今まで、いつヒーローになってもいいように心の準備をしてきました。しかしこれは一体どういう訳です。テレビで知るヒーローたちは皆、天才博士や異世界から来た美少女にかくかくしかじか、何故僕が、この僕だけがオッサンに選ばれなくてはいけないのですか!
「アナタ一体誰ですか!僕ぁ正義のヒーローは間に合っています!アナタに言われずとも僕はバンさんと世界を救います!『眼鏡をかけると見える』なんて設定はありありありふれて退屈です!小学生にも流行りませんよ!どうか貴方は光の国なりあっちの世界なりもう一つの世界なりもと来た場所に帰ってください!」
僕が一息に言うと彼はぎょっとして「…す、すまない!」と謝った。
「たしかに、『世界』というのはいささか大袈裟だったかもしれない。しかし、その山野バン君も関わる問題なのだ。」
―山野バン―
彼が関わる問題。
…なるほどそれは大事件でございます。
「…詳しく聞かせていただけますか?おじさん。」
彼は不敵な笑みを浮かべると「おじさんではない。」と言いました。

「タイニーオービット社前社長、宇崎悠介だ。」


prev|next

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -