小説 | ナノ

大空少年史6

皆さんはナメクジなる生き物に塩をかけたことはあるでしょうか。ナトリウムがナメクジの水分を奪い、体がみるみる縮まってゆく現象を見ることができます。梅雨時期には高層マンションの中層階に位置する僕の部屋にあり得ないはずの大量発生を起こし、奴らはぬめぬめ、ぬめぬめと侵略をしてきたものです。幼き僕が面白がって部屋中に食塩を撒き散らし、母の雷様をくらったのも今では良き思い出でございます。


「悪霊退散!」

宇崎悠介氏に降り注ごうとする食塩の粒子はまるで雪の結晶の如く。ユウヤさんの結った髪の毛はその一本一本の輝きを見せつけながら流れていきます。
誰かの危険を察知した僕の頭が、研ぎ澄まされた僕の思考が、この一瞬のうちに超人域に到達するのを感じました。どうやら僕は幼い頃からヒーローアニメをたくさん見て、アクションゲームたくさんをプレイことで、ピンチの際に一瞬をスローモーションする力を会得していたようです!
果たしてそんなことがあり得るのか、という質問にはどうか今は黙秘権を!そんな力が存在しないことくらい僕だってわかっています!僕は少し緩んだユウヤさんの手の拘束から抜け出し、全力で宇崎悠介氏に突進しました。

「ぅおっ!!」
ずざぁぁっ、と音を立てて僕らは床に転がり込みました。
「なっ!?ヒロ君!?今、何を!?」
ユウヤさんにとっては009の加速装置を目撃したも同然。僕は今、まさにヒーローのように宇崎悠介氏のピンチを救ったのです!僕は立ち上がると慌てふためく彼に向かってファイティングポーズを決めてみせました。
「ユウヤさん!強制成仏なんて悪の大魔王のようなことはさせませんよ!アナタはそんな野蛮なことをするような人じゃない!」
「僕はそんなつもりじゃない!君のためを思って…!、ていうか、君、今……!!」
みなぎる正義のパワーはユウヤさんを断罪するために!僕は「うおおぉぉぉぉ」と叫んで、ユウヤさんの腕に掴みかかりました。
「あ、何をする!やめろ、やめるんだヒロ君!」
「こんなもの!こうしてくれる!」
僕はユウヤさんの手から小瓶をひったくると中身を彼の頭へしこたま振り掛けました。
勿論、ユウヤさんに塩を掛けたところでそれにはなんの効果もありません。
「わ、ばか、目に入ったじゃないか!」
ゴーグルなしで海を泳いだことがある方はわかると思いますが、塩はなかなか目にしみます。目を押さえて痛がるユウヤさんをよそに、僕と宇崎悠介氏は食堂を飛び出しました。
「すまない、助かったヒロくん。」
「あなたやっぱり世界の危機とか関係ないただの幽霊なんじゃないですか!?塩をかけると成仏なんてベタすぎます!ちくしょう!僕は後でユウヤさんになんて謝ればいい!」
ユウヤさんの非道な行いに思わず持ち前の正義感でしっちゃかめっちゃかしてしまいましたが、先行きの見えない展開に僕は不安を感じます。現実問題、ダックシャトルは飛行中であり、ユウヤさんから逃げきる術などありやしないのです。
しかし、しかしなんだ、僕は何一つ事情を知りません。なのにユウヤさんは宇崎悠介氏の存在について、明らかに僕より知っている。僕は、正直今すぐ食堂に戻ってユウヤさんと和解すべきなのでは、と考えます。
「ああ!これもそれも全てアナタのせいではありませんか!」
沸き起こる苛々を意味もなく声に出して、僕は直追ってくるであろうユウヤさんから逃げました。

「ヒロくん、あそこだ。あの裏に隠れよう!」
宇崎悠介氏が指差した先には積み上げられたダンボールがありました。後ろを振り向けばユウヤさんの姿はまだ見えませんが、待つんだヒロくん!と叫ぶ声が聞こえます。迷っている暇はなさそうです。
僕は昔観た洋画のヒーローのように「とうっ!」と勢いをつけてダンボールの裏側に飛び込みました。

「!!…うわっ!?」
「わあっ!?」

どしゃあ、という音と共に外れた戦友が床を滑りました。衝撃に備えていた体は何か柔らかいものが僕の下敷きになったおかげで怪我はないようです。しかし僕はとんでもないことを仕出かした気がします。自分の頭から血が引いていくのがわかりました。それはまるで、猫の尻尾を踏んづけたときの感覚に似ています。現に僕の下にある柔らかいものはふーかふーかと上下していて、…
…生きている…。これは生きた何かだ!
どうやら段ボールの裏側では誰かが作業をしていて、僕はその上に着地してしまったようです!
「うわあああすみま…」
慌てて起き上がろうとする下から二本の腕が伸びてきて僕の頭をおさえました。
「!?」
「しっ。静かに。」
腕は僕の頭を自分の体の、より柔らかい部分に押し付けました。

「ヒロ君!いい加減にするんだ!…全く、僕は君の為を思って…」
ユウヤさんの足音がコントロールポッドルームへ消えていったのを確認すると、腕はゆっくりと僕の頭を離しました。

「…もう、大丈夫だね。」

この柔らかい声。
この僕が聞き間違えることがありましょうか。

「ユウヤを怒らせるなんて、何をしたんだよ」

恐る恐る顔をあげると、僕の下にいたのは、僕が彼に出会ったあの日から恋焦がれている、バンさんだったのでした!

─年齢14歳、身長は推定150cm前後。その容姿の素晴らしさは老若男女問わず惹き付け、その心の美しさは、ああ、僕は語るに値しない!─山野バンさんの上に飛び込んでしまうなんて、なんという奇跡…!なんという偶然…!なんという幸運………!僕の下に組み敷かれたバンさん!白い首筋!ちらりと覗く鎖骨!細い腰!その扇情的な光景に思わずごくりと喉をならすと、バンさんが「退いてくれる?」困ったように笑ったので僕ははっとして飛び退きました。
「すすすすみません!お怪我はありませんか!?」
「俺は平気。ヒロは?なんかユウヤに追いかけられてたけど…。これで良かったの?」
バンさんはゆっくり起き上がると床に落ちていた戦友を拾いあげてくださいました。
「はい!お陰様で助かりました!ありがとうございます!」
そう、程々にしなよ、と彼は微笑んで戦友を僕に渡すと、段ボールと向き合って何か作業を始めます。どうやら物資の確認を行っていたようなのです。床に置いてあったリストを手繰り寄せると、彼は用紙と段ボールを見比べて黙々と印を書き込んでいきました。まるで何もなかったかのように。

バンさんはいつもこうです。僕の全てに対して興味というものが存在しません。LBXのお話ならよろこんでしてくれますが、それ以外で僕の話に反応してくれたことがないのです。普通ならもっと詳しく言及して、そこから会話が広がってもよいと思います。いつも僕はこの壁にぶち当たって、彼との距離を上手く縮められずにいるのです。
ああ、片思いとはこんなに辛いものなのですね。一体ジンさんはどのようにしてバンさんと関係を築いたのでしょう…。

僕が必死でバンさんが興味を持てる話題を探していると、さっきまでジンさんやユウヤさんの話が思い出されました。
それを口にだそうとして、バンさんを見つめます。けれど改めてバンさんを見て、やはりどうしようか迷いました。
だって、バンさん、それは…

「どうかしたの?」
視線に気がついたバンさんがこちらを向きます。正面からバンさんを見ても、やはり…。
僕は大変困りました。ここで「なんでもない」と言ってしまうと、バンさんに不快感を与えてしまうような気がしたからです。
僕はしばらくだまっていましたが、バンさんに嫌われたくないので仕方なく答えました。

「あのう、バンさん……前髪、切りました……?」

prev|next

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -