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▼フェスタ・デル・ラヴォーロ/リゾット



 5月。
 暦の上ではまだ最近春を迎えたばかりのように思うが、ネアポリスの街は既に初夏と言ってもいい気候だった。今回の現場が遠方だったため、アジトへ戻る頃には太陽がほぼ真上にまで昇っており、歩いているだけでじんわりと汗ばんでしまうほどの暑さだ。シチリア出身のリゾットは暑さには耐性があるほうだが、ここ最近は無茶な依頼続きでろくに眠れていない。疲労で限界の身体に久々の日光は刺激が強く、眩しさから逃れるようにアジトのドアを開いた。とたん、勢いよく名前を呼ばれる。

「りぞっと!」

 人殺したちの住処には、ちっとも似合わない子供の姿。しかしながら、こうして玄関先で仁王立ちしている年端も行かない幼児は、紛れもなく生まれつきのスタンド使いなのだ。以前、仕事先でその能力を目の当たりにし、リゾット自身がアジトに拾って帰ってきたのだから間違いない。

「……あぁ、お前か。どうしたんだ?」

 一瞬、自分が仕事終わりなのを思い出して躊躇ったが、リゾットは目の前の子供を抱き上げた。軽くて、温かくて、柔らかい。なんの抵抗もなく無防備に身を委ねられたのを感じて、どこかくすぐったいような気持ちになる。

「よぉ、リゾット、帰ったのか。ちびがお待ちかねだったんだぜ」

 声を聞きつけて、廊下に顔を出したのはホルマジオだった。その後ろにはメローネもいる。
 本人に聞いても名前がわからず、何かつけるかと考えているうちに、すっかり”ちび”という呼び名で定着してしまっていた。

「いつからこうしてるんだ? こいつは」
「先週くらいからかな。寝るときと飯の時以外、ずっと玄関から動かない。あ、一応風呂もプロシュートが無理やり行かせてた」
「そういや一回ここで寝て、躓いたギアッチョにブチ切れられてたなァ〜〜」

 どちらが、というわけではないが、それは災難だったなとリゾットは相槌を打つ。しかしながら、そうまでして自分が待たれていた理由がわからない。

「遊んでほしかったのか?」

 聞けば、強く首を横に振られた。確かにここなら遊び相手には事欠かないだろう。嬉々として面倒を見ているのはメローネとペッシだが、なんだかんだホルマジオもプロシュートも世話焼きだ。ガキは嫌いだ! と公言しているイルーゾォが、実はこっそりお菓子をやっているのも知っているし、ちびに背中に引っ付かれたまま、リビングをうろうろしているギアッチョもよく見かける。

「ったく、しょうがねぇなぁ〜〜、リゾットよォ、今日は何の日か言ってみな」
「今日……? 今日は5月1日だが……」

 はて、なんだったか。ちびの誕生日というにも、そもそも本名すらわかっていない。リゾットが答えられないでいると、メローネまでもが呆れたようにため息をついた。
「今日はフェスタ・デル・ラヴォーロ。労働者の祭日じゃあないか。帰ってくるときに気がつかなかったのか?」
「あぁ……なるほど」

 公共交通機関を利用していれば、ショーペロに巻き込まれて余計に帰宅が遅くなっていたかもしれない。今日はイタリア国民のほとんどが”仕事を休む”祝日――いわゆる勤労感謝の日なのだ。

「おやすみ!」
「メローネが祝日の存在を教えたらそればっかりだ。ちびはおめーが働きすぎなことにご立腹なんだと」
「オレたちだって働いてるのに、リゾットの心配だけなんだもんな」
「メローネはPCで遊んでると思われてるからなァ。ま、そういうわけだから、今日は大人しくこいつの言うことを聞くんだな」

 そう言われても……と思わずちびの顔を覗き込めば、おふろ! と急かされる。

「お前も一緒に入るか?」

 残念、振られた。腕の中でじたばたと暴れだされたので、とりあえずメローネにパスをする。

「ごはん! ようい!」
「……ちびが作るのか?」
「そう言って、聞かない。まぁ大丈夫だ。イルーゾォで試したが、普通に食ってたからな」
「味の心配じゃあない」
「包丁を使うのはオレ。あとは火傷に備えて既にギアッチョがキッチン入りしてる」
「そうか」

 何を作ってくれるつもりなのかは知らないが、それだけサポートがいるならなんとかなるだろう。祝日なのは他の皆もなのではないか、と思いつつ、リゾットはお言葉に甘えてバスルームへと向かう。水音の合間に、ときどき「うわっ!」だの「おいおい!」だの悲鳴や怒号が聞こえてきていたが、着替えてリビングに戻る頃には、どうやらひと段落ついたらしかった。



「この中でお前が作ったのは、ゼッポリーニか」

 テーブルの上にはサラダやパスタ、デザートも並んでいるが、リゾットがそう言うとちびはニカッと嬉しそうに笑った。海藻入りの、塩気が効いた一口サイズの揚げピザだ。なぜわかったかというと、ちびの後ろで彼のスタンドがふよふよと浮遊しているからだ。
 ちびのスタンドは巨大なアメーバ状の物体だった。本人がまだ子供なので能力は未知数だが、今のところ分かっているのはこのアメーバが自由自在に大きさを変えられ、内部が非常に高温になること。揚げ物は食材表面の水分を蒸発させることなので、原理的にはちびのスタンドでも同じことができるというわけだ。

「おいしい?」
「ああ、美味い。油を使っていない分、胃もたれしなくていいな」
「ジジイかよ……」
「ギアッチョの作ったパスタも美味いぞ」
「ん……ま、当たり前だわなァ」
「オレはトマトを切ったぜ、リゾット」
「あぁ、メローネのサラダも美味い」

 何かを食べるたびに期待の眼差しを向けられるので忙しいが、どれもこれも本心だ。
 鏡から出てきたイルーゾォまでもがワインを注いでくれ、リゾットは笑い出しそうになるのをこらえた。

「ちなみにワインはオレとホルマジオから。あとプロシュートからの伝言でペッシの作ったカンノーロも褒めろだと」
「カンノーロも美味かった。で、あいつらはどこだ?」
「その中身がはみ出てるのがプロシュートの作ったやつ。別に買ってくるからオレのは出すなって言われたけど、リゾットは気にしねーだろ?」
「あぁ、しないな」

 おそらくプロシュートは怒るだろうが、リゾットは皆の気持ちが嬉しかった。量は多かったが全部きれいに平らげて、もう一度礼を言う。

「ちびも、皆もありがとう。美味かった」
「じゃあ、寝るの!」

 移動を催促しながらも、ちびはそう言って膝上に登ってくる。どうしたものかとついホルマジオの顔を見れば、彼は頭をぼりぼりとかいた。

「は〜片付けはやっとくから、その煩いガキを寝かしつけるの頼んだぜ」
「あ、あぁ」

 本当に何から何までいたせり尽くせりだ。抱き上げたちびは相変わらずふにゃふにゃと柔らかく、それもそのはず先に睡魔に負けそうなのは彼自身らしい。リゾットは少し迷って、結局ちびの部屋ではなく自室へと運んだ。

「ちび、ありがとうな」

 そう言うと、まぶたがほとんど閉じそうになりつつも、ちびは満足そうに口角をあげた。服を掴んだまま放してくれないので、リゾットもそのまま一緒に横になる。

「……この仕事についてから、感謝してくれたのはお前が初めてだ」

 自分の選んだ道に後悔はない。ただ、『もしも』を考えることはある。
 5月は、くっついて眠るにはもう暑い時期だった。そうでなくても子供の体温は高いが、リゾットはちびとぴったりくっついたまま、ゆっくりと目を閉じる。

「おやすみ」

 こんなに穏やかな気持ちで眠りにつくのは、随分と久しぶりのことかもしれなかった。