- ナノ -

■ ▼捨てた手紙

ほとんど真っ白な紙を目の前に、イルミはうーんと頭を悩ませる。

書き出しも終わりも何もかもうまくまとまらない。
わざわざ早起きして気づかれないようにベッドを抜け出し、万年筆を片手にもうかれこれ2時間ほど経つが肝心の中身は少しも進んでいなかった。

ユナへ
愛してる。結婚してよかった。ありがとう。   イルミ


「……やっぱり違う」

伝えたいことを書いたら、後はほとんど余白ばかりの手紙。これじゃあ手紙で伝えるまでのことでもない。言った方が絶対早い。
イルミは小さく溜息をつくと、せっかく書いた手紙をぐしゃぐしゃに丸めてごみ箱に捨てた。
もうすぐユナも起きてしまう。それまでにベッドに戻って何食わぬ顔で眠っていたふりをしないといけなかった。

消すことが癖になっている足音はいいとして、さらに気配を殺してそうっと彼女の隣にもぐりこむ。昨日帰るのが遅かったからか、待っていてくれたユナはとっくに日が昇ってるのに、ぐっすりと眠っていた。

「可愛い……」

無意識のうちにそう口にしていたイルミは、どう考えても自分には手紙なんてまどろっこしいやり方は向いていないと思いなおす。
そのままユナの額に唇を落とすと、彼女を抱き枕にしてゆっくりと目を瞑った。





「えー、じゃあ結局渡さずに捨てちゃったのかい󾬛?」

「…うるさいな、そもそもユナだって手紙なんかで喜ばないよ」

勿体ない、と呟いたヒソカを横目で睨み、イルミは呆れたように溜息をつく。
そもそもの始まりは例によって例のごとくこの奇術師の提案のせいであって、真面目にそのアドバイスに従った自分が今となっては馬鹿みたいだ。
それに、自分でも言うのはなんだがこれでも頻繁にユナには愛情表現をしているつもりである。
今更改めて手紙で伝えたほうが違和感があるに違いなかった。

「わかってないなぁ、キミが手紙を書くっていう意外性がいいんだろ󾬚
口で言った言葉は消えてしまうけれど、手紙にすれば形に残るじゃないか󾬝」

「なんなの…今日のヒソカきもい」

「まったく、キミがユナからも気持ちを言って欲しいなんて言うから、こうしてボクがアドバイスしてるのに󾬜」

「……」

そこは否定できないので、イルミは反論せずに黙る。確かにそんなことは言った。だがそれも酒の席での単なるぼやきみたいなものだ。
第一、ユナがあまり好きだと言ってくれないのは今に始まったことではないし…。

「手紙ならユナだって返事をくれるかもね󾬛ほら、面と向かって言えないことでも文字なら伝えやすいし󾬚」

「…メールでよくない?」

「だから、キミが手紙を書くという意外性が」「わかったもういいよ、仕事に集中」

しつこいヒソカを遮ってイルミは今日のターゲットのことを考える。この面倒くささが無ければ、ヒソカは腕もたつし融通も効くしそれなりにいいビジネスパートナーなのだ。

「ユナから反応あったら教えてね󾬝」

「だからもうやらないってば」

ほら、もう行くよ。

そろそろターゲットが屋敷に帰ってくる時間帯。黒塗りの車が門の方へ近づいてくるのを視界にとらえたイルミは、心を空っぽにして目の前の仕事にだけ集中した。




「おかえり」

「…うん、ただいま」

彼女は変なところで律儀だから、妻として仕事をしてる夫の帰りは待つべきだと言う。
睡魔に負けて机で突っ伏したまま寝てしまっている時も何度かあったが、今日は比較的早い帰りだったから、ユナもまだ起きているだろうなぁとは思っていた……のだが。

「どうしたの?」

まさか試しの門を開けた途端に彼女が待ち構えているとは思わなくて、流石のイルミも面食らう。結婚してからそれなりに経つがここまで出迎えられたのは初めてのことで、何もやましいことなんてないのに少しドキリとした。

「ううん、何でもないけど…ちょっと早く顔見たくなって」

「……そう」

質問して回答が得られたのに、これほどまで腑に落ちないことがあるだろうか。
元から読めない彼女だったが、今度は何を考えているんだろう。
何か頼みがあるとか?いや、でもユナがここまでするぐらいの頼みなんて恐ろしくて聞きたくない。

どう追求したらよいものかとこの時ばかりは普段ストレートなイルミも考えあぐねて、とにかく本邸への道をゆっくりと歩くことしかできなかった。

「…ねぇイルミ、突然だけど何か食べたいものある?」

「……え、なに、作ってくれるの?」

俯きがちに少し後ろを歩いているユナの声は、いつもと同じようでいてどこか覇気がない。
振り返って彼女の顔をまじまじと見つめると、ユナはバツが悪そうに目を逸らす。なんだこれ。

さては何か怒られるようなことをした自覚があるのだろうかと、それはそれでまたイルミは心配になった。

「いや、まぁ……気まぐれで」

「言いたいことがあるなら言っていいよ」

「えっ、ないよそんなの。なんの話?」

「……ふぅん」

無いわけないだろ、と言う言葉を呑み込んで、イルミはまた前を向いて歩き始める。何かは知らないが、謝ることがあるのなら自分から。こちらが水を向けてやる義理はない。

しかし、部屋についてからも依然としてユナの態度はおかしく、イルミは帰ってきたのに全く落ち着けなかった。


「……イルミ、もう寝るの?」

シャワーを浴びて特にすることもなく、ベッドに腰掛けるとユナが隣に座る。妙に改まった雰囲気を醸し出すからとうとう何か打ち明けるのかと思っていたら、急に彼女は額を肩口に押し当ててきた。
そしてそのまま腕を回され、抱きつかれる格好になる。

「……ほんとになんなの?ユナ今日おかしいよ」

嬉しさ半分怖さ半分、結局イルミは自分から尋ねずにはいられなかった。

「怒らないから、言ってごらんよ」

「……イルミこそ。なんで言ってくれないの」

「え?何が?」

「もう帰ってこないかと思った……明日なの?大きい仕事」

「待って、なんの話?」

ちょっと強引にユナを引きはがしてその顔を覗きこめば、なんと彼女は目の縁を赤く染めて泣いている。
ますます訳がわからなくなって、イルミはひたすらに混乱した。

「なんで泣いてるの?ねぇ」

「だって……イルミあんな…」

「なに?」

「何か、大きな仕事でもあるの?イルミ、死んじゃうの?」

「…………は?」

ぽろぽろと涙が頬を伝い、いよいよユナは本格的に泣き出す。
彼女はぐしゃぐしゃになった一枚の紙を取り出すと、ぎゅっとしがみついてきた。その見覚えのある紙を見たイルミはようやく合点がいき「あ」と声をあげた。

「ユナ、もしかして何か勘違いしてない?」

「勘違……い?」

「それ、別に遺書とかそういうのじゃないよ」

彼女の泣いてる理由がわかればわかるほど、その涙が愛おしい。確かに改めて自分で文面を読み返せば意味深な気もする。「じゃあ……これは……」ユナはぱちぱちと瞬きをすると、もう一度今日イルミが捨てた手紙に視線を落とした。

「結婚してよかったって……ありがとう、って……」

「ははは、いつも思ってることだけど。手紙もいいかなって」

「……死なないの、イルミ?」

「今のところはそんな予定ないね」

「…っ!バカ!イルミのバカ!!」「ちょっ、ユナ」

いきなりどん、と突き飛ばされたかと思うと、ユナは部屋を飛び出していってしまう。
てっきり何か裏があるのかとばかり疑っていたが、まさかあんな理由で泣き出すとは。
自然と口元が緩んでしまう。

イルミは出ていったユナを追いかけるために、ゆっくりと立ち上がった。





結局見つけたユナはゲストルームのベッドの中で丸くなっていた。
別に隠しもしなかったからイルミが近づいているのはわかったはずだが、それでも勘違いがよほど恥ずかしかったのか出てこない。
後ろからそっと包み込むように抱きしめると、びくり、と細い肩が跳ねた。

「……イルミのバカ」

「馬鹿はユナの方だよ、勝手に勘違いして」

「紛らわしいのよ」

そう言ってくるり、と寝返りを打ったユナはまた思い出したかのように泣き出した。慰めなければ、と思うのにやっぱり表情が緩んでしまう。手紙の返事は貰えなかったけれど、直接表現してもらうほうが嬉しいに決まっていた。

「ユナがさ、あんまりそういうこと言ってくれないから、返事が欲しくて手紙書いてみたんだ。
だけど、もっといいものが見れたね」

「……」

「いつもあれくらい優しくしてくれていいんだよ?」

「イルミなんて嫌い」

「嘘ばっかり」

くす、と微笑めば彼女も泣き疲れたのか、ようやくそこでちょっと笑う。「でも、安心した……」愛してる、の言葉よりも、彼女のホッとした表情が何よりも彼女の想いを表していた。

「仕事が仕事だけどさ、ユナを一人にしたりしないから」

「……うん」

「そうだ、料理作ってくれるんだよね?オレ、ユナのご飯食べたい」

イルミがそう言うとユナはしばし逡巡した後、こくんと頷いた。いつもは苦手だからとなかなか作ってくれないのに、今日は手紙が効いたのかやけに素直だ。

「じゃあ早く帰ってきてね」

「わかった」

手紙もなかなか役に立ったけれど、それでもやっぱり直接言いたい。


「結婚してよかったよ、愛してる」


絶対に後で怒るから、ユナのこの反応はヒソカに内緒にしておいてあげようと思った。

End

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