■ ▼ルシルフル氏の災難
約束の時間ぴったりに、インターフォンの音。
来たか、と思い、クロロは一階エントランスの自動ドアを開けるため、スイッチを押す。
モニターに映っている奴の様子から察するに、もう既にかなり機嫌が悪そうだ。
それでもクロロはどうしても手に入れたい本のために、我慢するしかなかった。
ピンポーン
今度は部屋のチャイムがなる。
マンションの最上階だが、エレベーターを使えばそう時間はかからない。
来たのわかってるんだから開けときなよ、とかなんだかんだ文句を言われそうだったので、あらかじめ鍵は開けておいた。
「開いてるぞ」
出来れば穏便に済ませたいものだ。
だがそんな思いも虚しく、玄関の方で何かがドン、と壊れるような大きな音がし、続いて床に落ちる音。
驚いて玄関先まで出ていけば、壊された玄関扉が無残にも打ち捨てられていた。
「や」
「お前…いきなり何をやってくれてるんだ」
「何って、開いてるって言ったのに開いてなかったからさ」
「いや、開いてただろう!」
「あー、開いてたって鍵のこと?
オレてっきり扉のことかと思ってさ、ごめんごめん。
でもこれで風通しはよくなったね」
わざとらしくポンと手を打って納得した風なのが、さらに腹立たしい。
じろり、と後ろに隠れているユナを睨めば、彼女は苦笑して肩を竦めてみせた。
「イルミ今日すごく機嫌悪いみたいで」
リビングに入った途端、弁解するようにユナはそう言った。
「機嫌が悪かったら、人の家の扉を壊していいのか?」
が、そんな理由ではいそうですかと納得できる訳が無い。
1フロアまるごとクロロの部屋であるため、とりあえず扉は立てかけておいても問題ないが、本当に酷いことをする。
一応曲がりなりにも客ではあるし、コーヒーでも出そうかと思っていた自分が馬鹿みたいだった。
「まったく…クロロは扉くらいで細かいな。そんなんだからアレなんだよ」
「アレってなんだ、アレって。
微妙に気になるだろやめろ」
「あー、話はいいから。早く本出してくれる?」
くっそ、なんだこいつ腹が立つな。
人が勧める前から勝手にソファーに腰掛けたイルミは、その長い脚を嫌味ったらしく組んで見せる。
俺が貸すのはこの間手に入れた中巻と元々持っていた下巻。
わざとイルミを無視してユナに手渡せば、鋭い殺気が遠慮もなしに飛んできた。
「ありがとう!じゃあこれ、約束の上巻」
「あぁ、確かに」
これだこれ。
いくらなんでも上巻からではないと読めないから、これがなくては始まらない。
イルミのせいで最悪だった気分も、この本を見ればいくらか和らぐ。
やっぱり礼儀として、コーヒーくらいは出すか。
クロロはまぁ、座れとユナに促して、自身はキッチンへと向かった。
※
「はぁ…帰るよ、ユナ」
クロロが姿を消すなり、イルミはわざとらしくため息をついた。
今日は朝からホントに機嫌が悪い。
まぁ、彼が私の付き添いのために仕事を詰めて休みを作り出したのを知っているから文句は言いにくいが、それにしても酷かった。
「今来たばっかりじゃない」
「用事は済んだだろ」
イルミはユナが抱える本を、くだらないとでも言うように一瞥すると、立ち上がろうとする。
確かに用事は済んだけれど、ユナ的には蜘蛛の団長と関わりを持つことにも意味があるのだ。
だからイルミの腕を引き、ソファーへと押しとどめた。
「せっかくなんだからいいじゃん。
滅多にない経験だよ?
蜘蛛の団長の隠れ家なんてワクワクするよね、探検したいな」
「別にワクワクなんてしないよ。
ウチの家の方がよっぽど広くて探検に適してる」
「悪かったな、狭い部屋で」
戻ってきたクロロは口元を引きつらせながら、乱暴にコーヒーカップを置いた。
イルミはふん、とそっぽを向く。
結局、流石に気を遣ったユナだけがコーヒーに口をつけた。
「美味しいね。クロロはコーヒー党?」
「あぁ、どちらかといえばそうだ」
「オレは紅茶がいい」
「別にお前の好みに合わせるつもりはないな」
たかたがコーヒーか紅茶かくらいで。
あまりに険悪な雰囲気に、ユナはやっぱりイルミと来ない方がよかったな、と後悔する。
それにしても相性が悪い。
まぁ、もっぱらイルミの方が喧嘩を売っているのだから、喧嘩両成敗とは言いづらいが。
ユナは肘でちょっとイルミをつつくと、出されたんだから飲みなよと囁いた。
「オレ今、喉乾いてないし」
「イルミ…いい加減にしないと私も怒るよ?」
「は?なんで?なんでユナが怒るの?」
「イルミがワガママばっか言うからでしょ」
良く言えばポーカフェイス、悪く言えば能面のイルミの顔を両手で挟んで押しつぶす。
彼はまだ何か言いかえそうとしたようだったが、圧迫しているせいでうまく喋れないようだった。
「おいおい、痴話喧嘩はよそでやってくれよ」
「そうだ、ねぇクロロ。探検していい?」
「は?探検?」
イルミの顔を引っ張って伸ばしてみるとなかなか面白い。
それでも、やめへよ、と表情一つ変えずに言うのがなんだか可愛かった。
「こうして人の家に遊びに行くとか滅多にないじゃん。
それに男の人の部屋って初めてで面白そう」
「お前は子供か。
常に住んでるわけじゃないから、特に何も面白いものはないぞ」
「いいのいいの。
じゃあまずは定番だけどベッドの下ですねー」
ぱっ、とイルミから手を離して立ち上がると、ユナは苦い顔をするクロロを無視して寝室へと向かう。
そのすぐ後をクロロと頬を抑えながらついてくるイルミ。
こうも見張られていては怪しいマネなどできないが、何か興味を惹かれるような情報があったらいいのにな、と思った。
まぁ、実際そこまで期待はしていない。
半分仕事、半分好奇心。
残念ながら、ベッドの下にはそういった類の本は隠されていなかった。
「なーんだ、つまんない」
「ないって、そんなもの」
「ねぇ、ユナ。話戻すけどさ、男の部屋が初めてってどういうこと?オレの部屋に来たよね、ってゆーか住んでるよね?」
あーもう、いちいちイルミはうるさいな。
とにかく初めてって言っとけば男は喜ぶのよ。
ユナはぐるりと部屋を見回して他に何か面白そうなものがないか探した。
「ねぇユナってば」
「イルミの部屋は男の部屋ってより、ただの部屋だから。ホントに何もない」
「容易に想像がつくな」
クロロが呆れたようにちょっと笑う。
それすらもお気に召さなかったようで、イルミは腕を組んだ。
「わかった。そこまでいうなら男の部屋がどんなものか、オレにも教えてよ」
「は?」
言うなりイルミは、突然の話の流れに固まるクロロを尻目に、いきなり軽々とベッドを持ち上げる。
そして下に何もないことを確認すると、ひょい、と手を離した
「うわ、危ない!」
「おい!」
ズシン、と大きな音を立てて倒れるベッド。
その振動で、部屋に積まれていた本や飾ってある絵が崩れて落ちる。
「おい、イルミ!」
「寝室には何もなさそうだね」
止めようとするクロロを無視してリビングに戻ったイルミは、ローテブルに足を引っ掛け倒しながらキッチンへと向かう。
テーブルの上のコーヒーがこぼれて、高級そうな絨毯に茶色いシミを作った。
「ちょっとイルミ……流石にそれは」
「これはうっかりだよ。う、っ、か、り」
しれっと涼しい顔でそんなことを言うイルミにいくらなんでも、とユナは青ざめる。
それでもイルミはお構いなしに、ソファーに穴を開け、棚を壊し、部屋を無茶苦茶にしていく。
いくら我慢強い、というか多少のことでは動じないクロロでも、怒れば怖いに違いなかった。
「イルミもうやめてよ」
「冷蔵庫ってこんな小さいのあるんだ?
ね、ユナも中身気になるだろ」
「イルミ、ごめんってば」
ユナの制止も聞かずに冷蔵庫を開けたイルミは、中に入っていた大量のプリンを一個一個取り出し、へぇ、と呟く。
プリンに触れた辺りから、クロロを取り巻くオーラが不穏なものに変わり始めた。
「……イルミ、いい加減にしろよ?」
「……なに、オレとやるっての?」
どう考えてもイルミが悪いが、とことん引く気はないらしい。
振り返ったイルミとクロロは向き合う形で、互いに睨み合った。
一触即発の雰囲気だ。
このまま二人が戦闘、なんてことになったら、この部屋はおろかマンションまるごと無くなってしまうだろう。
ユナは仲裁するため、怖いながらも二人の間に割って入った。
「そ、そこまでそこまでー!
はいはい、喧嘩しないで。イルミやりすぎだよ」
「ユナはどっちの味方なのさ?」
どっちの味方もなにも、悪いのは完全にイルミ。
だけどここでクロロばかりを庇えば、イルミの機嫌はますます悪くなるだろう。
ユナは質問には答えずに、イルミの腕を取った。
「ね、もう帰ろう?
用事も済んだし、ね?」
「…」
「せっかくのイルミの休みだもん。
帰って二人で過ごす時間くらい、まだあるでしょ」
再度帰ろう?と腕を引くと、敵意に満ちたイルミのオーラが次第に弱まっていく。
極めつけとばかりにユナは彼を少し屈ませ、頬に触れるだけのキスをした。
「……人の家でノロケるなよ」
「…わかった。ユナがそこまで言うなら帰ろうか」
「うん」
「お前ら夫婦は自由すぎるぞ!」
顔だけ振り返ってみてみれば、クロロが頭を抱えていた。
だから声には出さず、口だけでごめんね、と謝る。
結局、私達は半ば逃げるようにしてクロロのマンションを後にした。
「それにしても、本貸し合うだけですごく苦労したなぁ」
「ユナ、言っとくけどオレまだ機嫌直ったわけじゃないからね」
「え?」
いつもなら機嫌悪くても認めないイルミが自分からそんなことを言うなんてなんか変だ。
帰りの飛行船の中、ユナは手に入れた本を読みかけていたのだが、思わず後ろを振り向く。
ソファーに座っていた私をのぞき込むように、後ろで屈んでいたイルミとばっちり目が合った。
「じゃあ…どうしろと?」
こんな言い方をするってことは、何か交換条件があるはず。
指を一本ぴんと立てると、そのままイルミは黙って自分の唇を指さした。
「……やだ」
「なんで?」
「…まったく…すぐ余計なことを覚えるんだから」
ユナは付き合ってられないとばかりに再び本へと視線を落とした。
「………一回だけよ」
いつまでも後ろから退かないイルミに呆れて、ユナは振り向きざまに自分からちゅ、と唇を重ねる。
軽く触れて離そうとしたら、そのまま後頭部をがしりと押さえられた。
「っ!イル…んっ!」
「だめ。二人で過ごす時間はまだあるだろ」
たかだか本の貸し借りくらいで。
こんなに大きな代償を払わされるとは思わなかった。
この時以来、ユナはもう二度と、イルミと人の家には遊びに行かないでおこう決めたのだった。
End
++++++
みゆさん、リクエストありがとうございました!
本編で書かなかった部分を見てみたいということで、本を借りに行った時の話です。
なんだかイルミさんがだいぶ横暴で、クロロが可哀想なくらいになってしまいました(;^ω^)
また連載の方も更新頑張りますのでよろしくお願いしますね!
読んでくださってありがとうございました!
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