■ ▼素直じゃない
「おっ、やってるやってる。
流石のユナ姉でもバレンタインはやるんだな」
いつもは絶対に来ないくせに、キッチンの扉からひょっこり顔を覗かせた義弟が生意気にもそんなことを言う。
流石には余計よ、と半ば条件反射のように返事をしたが、確かに自分でもこんな浮ついたイベントに参加するなんて珍しいと思った。
「期待してるぜ」
「溶かして固めるだけだけどね」
「でも、毒入りじゃないんだろ」
甘党なキルアは、チョコを湯煎する香りだけでも幸せそうだ。
確かに、キキョウさんがくれるであろうチョコレートには絶対毒が入ってるに違いなかった。
「まぁね。いくら耐性あるって言われても、プレゼントにまで入れるのは気が引けるし」
「心配はいらねーけどな。
そういや当然、イル兄にもあげるんだろ」
「え……まぁ、一応」
どうみたってあの人はチョコレートなんて食べなさそうだ。
しかも手作りなんか渡した日には『なにこれ、既製品って言葉知ってる?なんで素人がプロと張り合おうとおもったワケ?バカなの?』などと辛辣なコメントを頂戴するかもしれない。
もちろん、あくまでこれはユナの勝手な想像でしか無かったが、ユナ自身が手作りチョコにそんな意見を持っているのだから仕方が無い。
イルミと自分はとてもよく似ていると思っていた。
「一応ってなんだよ、むしろ本命だろ」
「手作りはやめておくわ。イルミ、味にうるさそうだし」
「はぁ!?意味ないってそれ!ちゃんと作ったやつ渡せよ!」
キルアが目を丸くして、焦ったようにそう言うから、大袈裟だなぁと呆れるしかない。
もともと意味なんてないのに。
ただせっかくだし気まぐれにやってみようかな。
そう思っただけだった。
「でももう買っちゃったよ」
「いやいや、ぜってー兄貴には手作り渡せよ!?
兄弟で差をつけるのよくないと思うぜ」
「はいはい、わかったわよ」
やっぱり、キルアも手作りよりは既製品のほうがいいよね。
そりゃ、チョコレート会社が社運を賭けて作った商品と素人が道楽でつくるものとではどうしても差が出る。
たかが溶かして固めるだけとはいえ温度やタイミングなどで味も風味も変わってしまうのだから。
ユナはシリコン製の型にチョコを流し入れ、これでよし、と呟く。
後は冷蔵庫が仕事をしてくれるだろう。
「んじゃ、これからオレ訓練だから」
「行ってらっしゃーい」
訓練、と言う言葉に現実を思い出す。
やっぱりバレンタインなんてこの家には似合わなかったな、と思い直した。
**
「キル、どうしたの?
今日はやけに集中できてないね」
「んなことっ…!ねーって!」
「そう?だといいけど。
さっきから時計ばかり気にしてるようだからね」
「……」
イルミはちっとも弟の言葉を信じていない様子で、電圧をさらに強くした。
一瞬、そのことに顔をしかめたキルアだったが、だがそれでもやはりいつもと何かが違う。
この後特別なことでもあるのか?
ちょっと考えてみたけれど、イルミにはこれといって何も思い浮かばなかった。
「イル兄、もういいだろ……」
数時間後、少し疲れた様子でキルアは自分で装置を外す。
今日のメニューはここまでだ。
いつもなら訓練が終わるなりキルアはさっさと部屋を出ていってしまうのに、今日は何故かなかなか出ていかない。
流石にイルミも気になって、こてんと首を傾げた。
「なに?何か話でもあるわけ?」
「……イル兄はやっぱ全然楽しみじゃねーの?」
「何が?」
「何がって……バレンタインに決まってるだろ」
バレンタイン…?
そういや、確かに世間じゃそういうイベントだ。
暗殺家業にとってイベント事はターゲットの気も緩むため、かきいれ時でもあるのだが、いかんせんバレンタインというイベントは小規模でパーティなどが開かれるほどでもない。
そうなると、特別気にしていなければならないイベントというわけでもなく、イルミは毎年のことながらすっかり失念していた。
「あぁ、そういえば去年なんかはよく婚約者候補から送られてきたね。
だけど、流石にオレ結婚したし今年はもう来ないでしょ」
「そうじゃねーだろ!
ユナ姉だよ、ユナ姉!」
「ユナ?」
確かに、言われてみれば立場的にくれる可能性があるのは彼女だろう。
だが、彼女の性格から考えて期待するだけ馬鹿らしい。
彼女と自分はよく似ているから、きっと自分が忘れていたように彼女もバレンタインなどやらないだろうと思った。
「別に、バレンタインなんてどうだっていいよ。
チョコなんて食べたければいつだって食べれるだろ?」
「イル兄…マジでわかってねー」
「何が?」
「なんつーか、俺はてっきりユナ姉の方がちょっとアレなのかなって思ってたけど、やっぱどっちもどっちなんだな」
「だから何が?」
キルアの言っていることが少しもわからない。
だが、イルミが問い詰めるよりも早く、部屋の扉が開いた。
「あっ……ユナ姉………」
「キルア遅いから、どうしたのかなって思って見に来たんだけど、もしかして邪魔した?」
「いや、別に……そういうわけじゃ…」
彼女の気配が近づいて来ていることは気づいていた。
だけど彼女は今まで訓練中に─まぁ厳密には終了しているのだが─部屋に入ってきたことがなかったし、別に聞かれてまずいような話をしてたつもりもない。
だがユナが部屋に入ってくるなりふわりと甘い匂いがして、イルミはとても驚いた。
香水なんかじゃない、これは紛れもなくチョコレートの香りだ。
驚いているイルミをよそに、ユナはこちらには目もくれず、キルアだけに向かってこう言った。
「じゃあ、行こ」
「お、おう!」
ちらり、と何か言いたげにこちらを見るキルア。
その視線はまさに呆れた、と言わんばかりで。
部屋を出ていこうとする彼女の背中に、イルミは思わず手を伸ばそうとした。
「ユナ」
「なに?」
「いや…なんでもない」
こんな時何と言って良いか、咄嗟に言葉が浮かんでこなかった。
**
まぁ薄々こうなるとは思っていたけど……
ユナは内心ため息をつくと、気まずそうにしているキルアに向かってニッコリと笑ってみせた。
「返品はナシね。
ホワイトデー期待してるから」
「あー、そっか。そこまで考えてなかったぜ」
「ふふふ、甘いねーキルアは」
もちろんそれはほんの冗談。
あくまでおすそ分けみたいなものだし、流石にこんな子供から見返りを要求するほど鬼でもない。
ホワイトデーを貰うならもっとしっかりふんだくれるところから。
例えばヒソカになんかあげてみるのも面白いかもしれない。
ユナは余分に作っちゃったし後で電話でもかけてみるか、なんてことを考えていた。
「あのさ、ユナ姉……あんま気にすんなよ?」
「何を?」
「何をって、その反応ほんとイル兄みてーだな……。
さっきのバレンタインの話だよ。
イル兄はあんなこと言ってたけど、やっぱ貰って悪い気はしねーと思うぜ」
「あぁ…」
私にはキルアが一番気にしてるように思えるんだけど……
まぁでも、気にしない方が結構無理な話なのよね。
キルアに言われたというのもあって、あの後ユナはイルミにも手作りチョコを作った。
だけど、やっぱりあれを聞いてしまった後では手作りどころか既製品すら渡しにくい。
喜んでくれるキルアや、ミルキ、それからカルトにあげればもうそれでいいだろうと思っていた。
「ん、まぁ、イルミの言ってることは正しいと思うしね。
気にする、気にしないじゃなくてさ」
「いやいや、正しくねーだろ。
ユナ姉ってどんな育ち方してんだよ」
「どんなって、さっきまで電気浴びてた子に言われるのは心外なんだけど」
もういいじゃない、その話は。
ユナは自分でもよくわからない感情を持て余して、急かすようにキルアの手を引く。
イルミに貰って欲しかったわけじゃない。
だって私は、ただ気まぐれで作っただけなんだもの。
バレンタインのチョコレートに、特別な意味なんかない。
***
「まっ、一応もらっといてやるよ」
「まったく皆生意気。
もう既にそんなにおやつ食べてるんなら、あげなきゃよかったわ」
「これはいつものことだって」
「あ、それもそうか」
珍しくユナから訪ねた次男の部屋での、とりとめのない会話。
ここの兄弟は皆素直じゃないな、とは思いつつ、ちゃんと渡せたことに満足してミルキのところを後にする。
残るはカルトだけ。
彼はきっとキキョウさんと一緒にいるだろうから、騒がしい方に行けばすぐに会えるだろう。
だが、そんな失礼なことを考えていたら、意外にも廊下でばったりと出くわすこととなった。
「あっ、ユナ姉様」
「ナイスタイミングだね」
「……?何かご用でしたか?」
きょとん、とする彼に綺麗にラッピングされたチョコレートを渡すと、驚いたように目が見開かれる。
それから少し照れたように「ありがとうございます」と小声で言って彼は嬉しそうに微笑んだ。
「ごめん、皆が皆素直じゃないこと無かった」
「え?」
「ううん、こっちの話」
やっぱりせっかく作ったからには、喜んでもらえるとこっちも嬉しい。
可愛い可愛い、と頭を撫でてやればカルトは困惑したような表情になった。
「ユナ、こんなとこにいた」
「あぁ、イルミ……」
目の前のカルトに気を取られていれば、廊下の先にイルミが立っていた。
なんとなく気まずい。
だけど、そんなことはおくびにも出さず、ユナはどうしたの?と返事をした。
*
「あのさ、オレには…ないの?」
あれから、キルアと行ってしまった彼女を探していたら、ちょうどカルトに渡している所を目撃してしまった。
このまま、声をかけずに引き返そうかと思ったが、それなら一体どうして自分は彼女を探していたのか。
ずっとわからないと思っていたけれど、こうして彼女を目の前にすると、当たり前みたいに質問が口からこぼれた。
「えっ………?」
「ふーん、他の兄弟にはあげるけど、オレにはくれないんだ?」
不穏な空気を感じ取ってか、カルトはそろりそろりと後ずさる。
別に、オレは怒ってるわけじゃないんだけど。
だけどカルトがこの場からいなくなってくれて、特に困ることもない。
ユナは珍しく驚いたのか、少しぼんやりとしていた。
「イルミ……チョコいるの?」
「要るか要らないかじゃなくてさ、どうしてオレにはないのって聞いてるの」
「…バレンタインなんてどうだっていいんでしょ?」
あぁ、やっぱり聞いてたんだ。
いつもみたく、はっきりと言えばいいのに、『欲しい』のその一言が言えない。
ユナは戸惑ったような表情で、ようやく袋からチョコレートを取り出した。
「興味はないよ。
だけど、オレにだけないっておかしいだろ。
………夫なんだし」
「そう。じゃあ、はいこれ」
手渡された物を見れば、それはどこからどう見ても既製品。
甘い匂いがしたんだから、絶対作ってるはずなのに。
だいたい、さっき見たカルトのものとは明らかに違っていた。
「これ?」
「ごめん、嫌なら他の物買ってくるけど」
「そうじゃなくてさ」
あぁ、もう…なんでわかってくれないんだろう。
いや、自分ですらよくわからないこの気持ちを、彼女にわかれという方が無理があるのか。
イルミはちょっと困って、彼女をじっと見つめた。
**
なにこの状況………ガン見されてる………
急にオレにはないの?とか言い出したかと思えば、今度はチョコを受け取っても無反応。
まったく、イルミの考えることはホントによくわからない。
彼はしばらくの沈黙の後、すっ、と私の持っていた袋を指さした。
「…既製品だったら、食べ飽きてる」
「う、うん……?」
「……だから、ちょうだい」
「へ?」
「それとも、まさかもう無いの?」
つられるようにして、袋の中へ視線を落とす。
そこには勿論、まだイルミにあげる予定だった手作りチョコも残っていて。
そこで初めてユナは、彼が何を言おうとしているのかわかった。
「…溶かして固めただけだけど」
「うん」
「たぶん、そっちの方が美味しいと思うよ」
「うん」
そこは頷くなよ、とツッコミかけたが、イルミがあんまりにも真剣な雰囲気だから、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
だけど、『ちょうだい』って言われた以上はあげない理由はないし、ユナは今度は作った方のチョコを手渡した。
「食べていい?」
「ここで?
まあ、いいけど……」
包みをべりっと破いたイルミは、中のチョコを一つ摘んでパクリと食べる。
なんだが、審査されてるみたいで少し居心地が悪かった。
「うん……たまにはこういうのもいいね」
味わうようにたっぷりと時間をおいたあと、ぽつりと呟く様に彼が言う。
「えっ!?まずいの?」
今の発言は、とても褒めているようには思えなくて、ユナは思わず声が裏返った。
「そうでもないけど………いつも食べてるのと比べると……」
「いや、そうでしょうけど!」
「美味しいよ?」
「いいよもう!たぶん間違ってないし」
ホントに可愛くない。
いや、別に予想の範疇だけどさ……
ちょっと脱力。
だけどイルミは慌てるわけでもなく、ゆっくりとした動作で顎に手をやった。
「うん、一番美味しいってわけじゃないけど、一番嬉しいと思ったよ」
なっ……………
「……イルミのバカ」
「えっ、なんで?」
やっぱり素直じゃないイルミの方がいい。
天然って厄介だな、と思いつつ、ユナは自分でも知らない内に微笑んでいた。
「イルミのお返し楽しみだなー」
「あぁ、なんなら今からでもオ」
「物でお願いします」
「何が欲しいのさ?」
ごめん、素直じゃないのは私のほうかもしれない。
でもやっぱり私達は、似た者夫婦なんだろうなと思った。
バレンタインのチョコレートに、意味を見つけたかもしれない。
End
+おまけ+
「やぁ★キミからバレンタインデートのお誘いだなんてボク」「はいヒソカ、義理。ホワイトデー楽しみにしてるね、じゃ!」
「えっ………💓?メリル?」
日付が変わるギリギリに、なんとかヒソカにもチョコを渡せたし、これで今回のバレンタインも無事終了。
あとは3月14日を楽しみしているだけでいい。
やけにめかしこんで来たヒソカがその後どうしたのか、ユナは知らなかったし特に知りたいとも思わなかった。
「ん…でもこれ、手作りじゃないか★
メリルったら素直じゃないなァ💛」
End
++++++++++++++
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