- ナノ -

■ ▼君からの依頼

トリックオアトリート。

お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、なんてそんな横暴な意味のこの言葉は、どこかの国の祭りで用いられる定番の台詞らしい。
元は収穫祭だったり悪霊を追い払うといった宗教的な意味合いのある行事らしいが、今日では仮装を楽しんだりと世俗的なイベントへと変わっているようである。

けれどももちろん、ゾルディック家にはそんなイベントは関係ない。今後もっとハロウィンが浸透すればハロウィンパーティーでの暗殺依頼が来るかもしれないが、少なくともこのパドキアでは一般市民が楽しむ程度で大規模なパーティーが開かれたりするほどのものではなかった。

それでは何故イルミがこんなことを知っているかというと、全てユナとキルアが見ていたテレビの情報である。
最近、異国の文化を特集する番組が流行っているらしく、本音を言えばキルアには異国なんてものに興味をもって欲しくはなかったが、ユナはこういった番組を見るのが好きなのだ。
情報屋として物を知らないのはまずいとかなんとか理由をつけて、彼女はテレビの時間を楽しみにしている。それだけならまだいいのだけれど、実際に言ってみたいと準備をし始めたのは流石に止めた。

まぁとにかくユナがそんな状態であったから、こういうイベントものはやるんだろうなぁとイルミは勝手に思っていた。
面倒くさがり屋のくせに根っこは気まぐれだから単発行事はなんだかんだでやりたがる。バレンタインのときも意外に手作りチョコを作っていたし、実家から解放されて以来やりたいことはたくさんあるみたいだった。

というわけでイルミもイルミでお菓子を用意しておくように執事に言いつけ、ユナが例の台詞を口にしてもちゃんと対応できるようにしておいた。
イベント事を失念していて『どうせイルミは』なんて言い方をされる時代はもう終わったのである。ヒソカのアドバイスも不要だ。これでもユナのことは一番わかっているつもりだし、積み重ねてきた夫婦生活の中でそれなりに学習した。

むしろ自分が完璧な対応をしてユナを驚かせてやろうと、自分だってやれば出来るのだと言うことを知らしめてやろうと、イルミはほとんど無意識のうちに10月31日を楽しみにしていたのだった。


そして迎えたハロウィン当日。
イルミはいつ例の台詞を言われるかと何気ないフリをしながら待ち構えていた。
彼女の些細な一挙一同にいつもより更に気を配り、ユナが部屋を出て行けばこれから仮装をするのかな、なんていらぬ妄想までした。

しかしイルミがゆっくり次のターゲットの資料を整理していても、暇を持て余して読書をし始めても、ユナは一向に仕掛けてこない。
同じように隣で寛いで本を開き、ハロウィンのハの字も言わないのだ。かといってこちらから『お菓子をやるから台詞を言ってくれ』なんて言えるはずもなく、遠まわしに話題を振ってみることにした。

「そういや、読書もいいけど秋は食欲の秋でもあるよね」

「…え、あ、うん。そうだけど…なに?」

イルミの不意な話題にユナが顔を上げる。その表情は明らかに怪訝そうで、ミルキならともかく確かに自分が言いそうにないことだったなと反省する。
けれどもここまで言ってしまっては後に引けず、イルミはうーんと後に続く言葉を探した。

「ユナも好きなの?えーと、なんだっけ女が好きなやつ。イモとクリと……」

「ナンキン、かぼちゃのことでしょ。よく知ってるね、ジャポンの話なのに」

「そう、かぼちゃだ。じいちゃんから聞いたんだったかな」

ぴんと指を立てて『かぼちゃ』の部分を強調して言う。この前のテレビにもかぼちゃがたくさん映っていたし、これで気が付くだろう。イルミは期待を込めてユナを見つめたが、彼女はふーんと気のない返事をしただけだった。

「……いや、ふーんじゃなくてさ」

「なに?」

「かぼちゃ」「…うん、それがどうしたの?」

「かぼちゃ」「……え、怖いなに」

「かぼちゃ、今日」「……も、もしかしてハロウィン?」

やっと彼女から出た目当ての言葉に、イルミは頷く。あとは例の言葉を言ってもらえれば完璧だ。そしてそのまま無言でユナを見つめ続ければ、彼女はようやく待たれているのだと気が付いたみたいだった。

「あー、はいはい」なるほどそういうこと、とユナは笑う。「まさかイルミが知ってるなんて思わなかった」そういう反応が見たかっただけにイルミは非常に満足して口角をゆっくり上げた……が。

「お金をくれなきゃ嫌がらせするぞ」「えっ」

笑みを浮かべたままのユナに、イルミは固まる。お菓子ならば今すぐにでも用意できた。しかしユナが要求したのはお菓子なんて可愛らしいものではない。お金だってイルミにはすぐに用意できるものではあるが、まさかそんなことを言われるとは思いもよらなくて呆気に取られた。

「お金?お菓子じゃなくて?」

「お菓子って、私いくつだと思ってるのよ」

「……っていうか、悪戯じゃなくて嫌がらせなの?」

「だって悪戯なんてイルミに効果ないでしょ」

しれっとそう言い放った彼女に、一応嫌がらせの内容を聞いてみる。ユナはちょっと首を傾けて考えると「ヒソカを呼ぼっか」なんて、とんでもない嫌がらせを提示してきた。

「それは絶対無理」「じゃあお金ちょうだい」

「……いいけど、何に使うのさ。
買いたいものがあるなら元から好きに買えばいいのに」

「いいから頂戴。あ、小切手でね」

「わかったよ」

元々お菓子の時点で恐喝まがいの台詞だとは思っていたが、そこがお金に変わるとより生々しい。イルミは引き出しから出した小切手を切り取ると、好きに書きなよとユナに手渡した。

「どーも」
「……」

彼女はにっこりと笑って受け取ったが、思い描いていたのと違うためにイルミはなんだか腑に落ちない。まぁ、喜んでくれるなら別にそれでいいんだけどさ……。早速ペンを持ってきて金額等を書き込んだ彼女は、書き終わるとそれをイルミに向かって差し出した。

「はい、これ」

「……なに?」

「依頼。その料金」

小切手にずらりと並ぶ0の桁は、確かに暗殺くらいはできそうな額。しかしユナが殺したそうな相手が思い浮かばず、イルミは首を傾げた。

「相手は?」

「暗殺以外も多少はやってくれるんでしょ」

「まぁね、でもじゃあ何すればいいの?」

暗殺じゃないのに依頼だなんてますます訳が分らない。彼女は一旦開いたままの本に視線を向けると、そのまま持ち上げて顔の半分を覆い隠した。そして顔を隠したまま、「またこうやって一緒にいて」

仕事なら確実に時間が取れるから。イルミを買います、だなんて……。

「ユナ……」

なんだよ、これ。こんなの聞いてないよ。
誤魔化すように咳払いをして本のページを捲ろうとした彼女に、イルミは正面から抱きつく。「今日はエイプリルフールじゃないんだよ?」彼女の言葉を胸のうちで繰り返すと、身体がじんわりと熱くなっていく。ほんと、こんなこと想定してない。ユナは照れたように微笑むとわかってるよ、と言った。

「今日は楽しいハロウィンでしょ」

楽しすぎてむしろ怖いくらいだ。
イルミはまだ何も書き込まれていない小切手の束を、彼女の手にほとんど押し付けるようにして握らせる。

「もっとあげるね、いっぱい使って」

するとユナはにっこりと笑ったまま、それをやんわりと押し戻した。

「ちゃんと仕事してください」

End

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