03.八日目、そして(3/3)
次に目が覚めたとき、一番初めに感じたのは首と腰の痛みだった。仮眠のつもりがかなり長い時間眠っていたらしい。ばき、と嫌な音のする身体を捻って、シンクは首を撫でさする。
「……今、何時?」
太陽はとうに沈んだみたいで、部屋の中はすっかり暗くなっていた。ナマエは律儀に動かずに待っていたみたいで、部屋の灯りもつけずに床に座り込んでいる。
「……あぁ、おはようございます、師団長。えっと……まだ二十時ですね」 「アンタも寝てたの? 死ぬかもしれないってのに神経図太いね」 「こんな何もできない状態で放置されたら、寝るくらいしかすることないんですよ」 「普通自分の死を知れば冷静ではいられなくなるから、秘預言って隠されてるものなのにさ」 「だって、師団長が助けてくれるんですよね」 「……」
信頼されているのか、ただ他力本願なだけなのか。生憎とシンクはもう何度も失敗しているのだが、ナマエはへらりと呑気に笑って見せる。
「お腹すきました」 「我慢しなよ」 「じゃあ気を紛らわすために何か喋ってください」 「……何も話すことなんてない」 「じゃあ私が喋りますね」
面倒だな、と思ったけれど、自分が喋らされるよりは何倍もマシだ。距離こそ開いているものの、二人して床に座り込んだ状態で他にやることもない。ナマエはその場で大きく伸びをして、ふうと息を吐きだした。
「あのですね、師団長が眠ってる間……もし今日死ぬなら、最後に何がしたいだろって考えてたんです」 「……ボクが失敗する前提か。言うことがころころ変わるね、アンタ」 「いや、それはそれとして、ですよ。急に死ぬなんて言われたんですから、いくらなんでも考えるくらいしますよ」 「……それで?」
普通の人間は死を前にして、一体何を思うのだろうか。生を呪うシンクには、そのあたりの心情があまりぴんと来なかった。ナマエが普通かどうかはさておき、真面目に耳を傾けるくらいはしてもいい。続きを促すシンクの声音に興味を感じ取ったのか、彼女は少し気恥ずかしそうに鼻をこすった。
「色々考えたんですけど、やっぱり時間がなさすぎるし……結果、美味しいものをお腹いっぱい食べたいなって」 「はぁ、くだらない。聞いて損した」 「待ってください、旅に出る案も考えたんですよ」 「最後の日に? 移動だけでどこにも行けやしないでしょ」 「まぁそうなんですけど、遠征でもないと、私ダアトからほとんど出たことなかったなって」
そういえば部下とはいえ、ナマエの境遇はほとんど知らなかった。しかし思い返せば彼女が家族の話をしているのを聞いたこともないし、休暇の際にどこか他の地方へ帰っているふうでもなかった。身寄りがないのだろうな、というのは薄々察していたが、騎士団においては特に珍しいことでもない。
「それじゃあ、結局美味しいもの食べるだけで終わりってワケ? 随分と安上がりだね」
皆が皆、ナマエのようなおめでたい人間ばかりなら、秘預言を隠す必要はなくなるだろう。シンクは思いきり馬鹿にしたが、彼女はさらにもっとおめでたいことを口にする。
「いや、ダアトから出られないなら、今までお世話になった人に挨拶して回るのもいいかなって」 「私今日死ぬんですよ、アリガトウゴザイマシタって? はは、笑える」 「笑い事じゃないんですよ」 「十分笑い事だろ、死ぬならどうするかじゃなくて、今日は死なないことを考えてよ。人ばっかアテにしてないでさ」
そうは言ってみたものの、シンク自身、この状況から何が起こるのか予想もつかなかった。この空っぽの部屋でナマエを殺せる可能性があるのはもはやシンクくらいと言っても過言ではないが、流石にもう彼女のことは殺し飽きている。死ぬのを見るのもお腹いっぱいだ。
「それじゃあ……師団長、私って、これまでなにで死んだんですか」
死を回避するのに、死の原因を知ろうとするのは妥当な思考の流れだ。「色々ある」咄嗟にそう濁したけれど、自分が考えろと言った手前、誤魔化すのは苦しいところがある。もう、言ってしまってもいいか。それに少し、彼女がどんな反応をするのか見たいという好奇心もわいた。
「初日はボクが殺した」 「えっ!?」 「あと、四日目と五日目も」 「……今日、八日目だって言ってませんでした? 半分くらい師団長のせいじゃないですか!」
ずり、とナマエは後ずさって、こちらから大きく距離を取った。しかしそれくらいの距離ならば、余裕で譜術の届く範囲だ。相変わらず馬鹿なやつ。
「ボクが殺さなかった日もアンタは死んでる。だから別に同じことでしょ」 「そんな開き直り、初めて見ました……じゃあ、他の日はともかくも、初日に殺した理由はなんだったんです」 「……」
シンクはまた少し躊躇った。そして、とりあえず感情的なところは抜きにして、ただ起こった事実だけを答えることにした。
「顔を見られたんだよ、アンタに」 「はい」 「それで、生かしておけなかった」 「…………え? それだけ?」 「そう」 「それだけで殺したんですか?」 「そうだけど」
何度確認されても、同じ答えを返すほかない。唖然とした表情になったナマエは、シンクの開き直った態度を見て、ぽつりと呟く。
「……ちょっと今、師団長が同じ日を繰り返してるの、ざまあみろって思いました。呪われて当然じゃないですか」 「でもボクが殺さなかった日でも、アンタは死ぬんだってば。それとも、何回も死んでみせることがアンタの復讐ってワケ?」 「さぁ、私は師団長ほど性格悪くないので、復讐とかしないと思いますけど」 「……どうだか」
もしこの繰り返しがナマエの復讐なのだとしたら、シンクは一体どうすればいいのだろう。謝ってどうにかなる問題でもないし、シンクの精神が壊れたときが復讐完了、ということになるのだろうか。 それだったらとんでもない性格してるな、と思って、今度はシンクのほうがナマエから距離をとった。が、彼女はちょうど何かを考えていて、気付かなかったようだった。
「ねぇ師団長、私の死が繰り返しのきっかけなんですよね?」 「そうだよ」 「復讐じゃないのに繰り返すのはなんでだろって考えたときに、思いつくのは心残りかな、って」 「心残り? アンタの?」
そういえば、初日にナマエ殺した時、彼女は最後にまだ何か言いかけていた。だが彼女は死ぬとわかっていても、したいことが美味しいものを食べることと挨拶回りの人間だ。シンクをこんな不毛な時間に閉じ込めるほどの心残りが、ナマエにあるとは思えない。
「何か思い当たることでもあるワケ」
それでも一応聞いてやれば、ナマエはうーん、と唸った。
「別にこれが心残りってわけじゃないですけど……あの、師団長の顔、見せてもらってもいいですか」 「は?」 「見たいんです」 「見たいんですって……聞いてなかったの? アンタそれが原因で初日に殺されてるんだよ?」 「一度見せたんだから、いいじゃないですか」 「見せたんじゃない、見られたんだよ」 「初日以外の日、顔は見られてないんですか?」 「……そうだよ、だからなに?」 「繰り返しからに抜け出すためには、今までとは違うことをする必要があると思いませんか? 初日の再現をするんですよ。そのとき、私にも心残りが生まれたのかも」 「……」
ナマエの提案は、理論上は悪くなかった。だが顔を見せることになるのは、どうしても気が進まない。渋るシンクに、ナマエは少し苛立ったように早口になった。
「もし繰り返しを抜けだせて明日が来て、それでもまだ顔を知られたことが気に入らないなら、そのときはまた私を殺せばいいじゃないですか」 「……それでまた、明日を起点に繰り返しが始まったらどうするのさ?」 「繰り返す日が一日進みましたね、おめでとうございます」 「……チッ、他人事だと思って」 「殺されてるんでがっつり当事者ですけど?」 「……」
それを言われると何も言い返せない。そうこうしているうちにも時間はどんどん迫っているので、シンクは観念して仮面に手をかけた。見られて、たとえ何を言われても殺さない。自分にそう言い聞かせながら、ゆっくりと仮面を外す。
「……どう、これで満足した?」
何も酷い怪我を負っていたり、他人に恐怖を抱かせるほど醜悪なつくりをしているわけではない。ただ、あまりにも同じ顔というだけだ。同じ顔なのに、能力が劣化しているゴミだというだけだ。 シンクの素顔を真正面から見たナマエは大きく目を瞠ったが、今回はあの名前を口にしなかった。
「……そうですね」
まるで返事とともに呼吸の仕方を思いだしたみたいに、小さく喘ぐように息を吐いた。
「なんだよ、見たがったくせに何の感想もないワケ」 「正直……こんなもののために殺されたと思うと癪です」
人の顔をこんなもの呼ばわりか。前回とは違っても、相変わらず人の神経を逆撫でするのが上手い奴だ。シンクが眉間に皺を寄せると、彼女はそれすらも物珍しそうにしげしげと眺める。
「私は初日、どんな反応をしたんですか」 「……なんでそんなことを聞くのさ」 「殺されるってことは、相当煽ったのかなーと思って」 「……」 「でも、なんとなく心残りが何かわかったような気がします」 「……は?」
顔を見ただけで? 一体どういうことなのだろうか。 シンクが困惑していると、ナマエは急に立ち上がってこちらに近づいてきた。
「ちょっ、」
寄るな。危ないから。 別に殺すつもりはないのに、思わずシンクのほうが後ずさりする。それでもナマエはどんどんと近づいてきて、とうとう目の前に立ってこちらを見下ろした。
「な、なんだよ」 「師団長」 「……」 「師団長がどんな顔でも、別にどうでもいいですよ」
それは予想もしなかった言葉で、シンクは顔を上げたまま、石のように固まった。
「部下に優しくないし、口も態度も悪いし、師団長自身が働きづめだからこっちも休み取りにくくて迷惑だなーって思ったことありますけど、私はもともと師団長のこと尊敬してますし好きですよ。仮面を外すと、性格まで変わるとかなら嫌ですけど」
ほとんど捲し立てるように早口でそう言って、彼女はその場に屈みこんだ。余計に距離が近くなって動揺したが、もっと驚いたのはナマエがそこで笑ったからだ。
「って、言いたかったんだと思います。たぶん、初回の私は」 「……なんだよそれ」 「勝手に早合点して、馬鹿ですねって言いたかったんですよ」
ナマエはそう言うと、シンクの顔をもう一度見て、こんな童顔だったんですねとまた煽るようなことを言った。
「師団長ってこんな顔だったんだ。こんな子供の顔であんな罵詈雑言吐いてたのか、面白いな」 「……あぁ、そう」
内容がなんであれ顔の事を言われるのは不快だし、子供扱いされるのも腹が立つ。だが、今回は以前のような強烈な殺意は湧いてこなかった。ナマエの口から出る言葉は全部、導師のレプリカではなく、師団長のシンクに対するものだったからだ。彼女自身がどうでもいいと言ったように、仮面があってもなくても、ナマエの態度はムカつくくらいに変わらなかった。
「殺し損じゃないか……」
上手く言葉にできない感情が胸の内に湧いてきて、シンクはそれから逃れるようにぎゅっと目を瞑る。元々、顔を見られたのなら、誰であっても殺すと決めていた。でも、もしもこのまま首尾よく明日を迎えられたのなら、ナマエを殺すのは少し考え直そう。計画の全部は教えないにしたって、手駒として十分使えるはずだ。第一、下手に殺してまた繰り返しの日々に戻ったりしたら、そっちのほうが最悪である。
「師団長、今までありがとうございました」
不意にそんな言葉が聞こえてきて、シンクは驚いて目を開けた。まだナマエは目の前にしゃがんでいたが、そのとき彼女の身体は既に透けていて、向こう側の壁が見えていた。
「これもたぶん、言えなくて心残りだったことです」 「一体なにがどうなって……」 「ノームリデーカン・ローレライ・九の日。それが私の死ぬ日だった、きっとそれは変えられない。でも、奇跡が起きて、師団長が頑張ってくれたおかげで、言いたかったことを言う機会だけはもらえました」
そういえば、こいつは結構しつこい性格だった。冷たく突き放したり、適当にあしらったりしてもめげずに話しかけてくるし、嫌味を言っても逆にまた言い返してきたりして、それで会話を繋げようとしている節すらあった。
(ナマエの並外れた執着と、レプリカのボクが生み出した歪みだったっていうのか……)
預言は緩やかに収束する。彼女の心残りが解消されたのなら、もう悪夢は終わるのかもしれない。それはずっと願っていたことなのに、シンクは思わずナマエに手を伸ばした。もしまた今、この手で彼女を殺したら――。 もう一度、ノームリデーカン・ローレライ・九の日がやってくるのではないだろうか。
「師団長は十の日に行くんです」 「まって、」
シンクの手は、何もない虚空を掻いただけでナマエに触れることは叶わなかった。すうっと彼女が消えていくのと同時に、シンクの意識もぼやけていく。だめだ。ふざけるな。自分だけ言いたいことを言って、それで終わりだなんて虫がよすぎる。
「ナマエ!」 「うわっ!」
次に気が付いたとき、目の前にいたのは彼女ではなかった。机も椅子もある、いつも通りの執務室。窓からは日の光が差し込んでいて、シンクの前にはサイン待ちの部下がいた。
「だ、大丈夫ですか、師団長……」 「……」
向こうにとってはシンクが突然大声を出したからだろう。びくびくとした様子でこちらを伺う部下を見て、シンクは反射的に自分の顔に手をやった。部屋が普段通りだったように、仮面もしっかり着けている。
「……今日、何日?」
聞くのが怖いような気がしたが、それでも確認は必要だ。シンクが問うと、妙な質問にますます怯えた態度で、彼は今日の日付を答えた。
「ノームリデーカン・ローレライ・十の日です……」
質問だけに答えて、余計な当てこすりや嫌味はない。それもそうだろう。この男はナマエとは違うし、シンクに対してあんな軽口を叩く彼女のほうが異常だったのだ。
「……ナマエは、どうなったの」 「へ?」 「ナマエだよ、早く答えて」
部下は今にも卒倒しそうなほど青ざめて、震える指でシンクの目の前に置かれた書類を指し示す。それは死亡届だった。右半分が死亡診断書になっていて、医師の所見欄には縊死と書かれていた。正しくは絞死だろうが、自殺ということで内々に処理されたのだろう。
「そう……」
その素っ気ない文字の並びを見て、とうとう抜け出せたのか、と今更のように実感がわいた。あれほど待ち望んだ、ノームリデーカン・ローレライ・十の日。シンクにはあって、ナマエには無い十の日。
――私はもともと師団長のこと尊敬してますし好きですよ ――師団長、今までありがとうございました
「はは、ははは」
ふら、と力が抜ける。何が心残りだ。こっちのほうがよっぽど、ひどい復讐じゃないか。
「師団長、あの、ほんとに大丈夫ですか……? 流石に働き過ぎなんじゃ、」 「問題ないよ。だけど、いや……少し仮眠をとることにする」
実際、身体は泥に浸かったように重かった。人より八日多く働いたようなものなのだから当然だ。執務室の脇にある小部屋に閉じこもり、背面が倒しっぱなしになって久しいソファーに転がってぎゅっと目を閉じる。 それから期待するようにゆっくりと目を開いたが、景色は何も変わらなかった。
「なんで、九日目はないんだよ……」
力任せに、拳で座面を強く叩く。今度はシンクが言いたいことを言ってやるつもりだったのに。人の顔を童顔だの、子供だの散々馬鹿にして、言い逃げだなんて卑怯だ。
「勝手に満足して終わらせるなよ……」
怒りを込めて呟いたが、声は震えて掠れていた。他人の死にムカついたのは初めてだ。何かを呪って泣くことは、別に初めての経験ではなかったけれど。
「ノームリデーカン・ローレライ・九の日。それが、アンタの命日になるのか」
あんなに繰り返しを疎んでいたはずなのに、今のシンクはもうあの幻みたいな日々を記憶の中で繰り返すしか、彼女に会う方法を持ち合わせてはいないのだった。
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