九日目は来なかった
- ナノ -


02.五〜八日目(2/3)

 五日目は朝、ナマエに会うなり殺した。
 その試行でただ一日を繰り返しているのではなく、彼女が死ぬまでの時間を繰り返しているのだと確信した。つまりどういうことかというと、朝出会ってすぐ彼女を殺した途端、シンクはそこで意識が途切れてベッドに逆戻りしたのだ。これでいつでも好きな時に、初期地点に戻ってやり直すことができる。おかげで何回も同じ書類を確認しなくてよくなった。

(いや、一日を早く終わらせられたからってなんだって言うんだよ。状況は何一つ変わってないじゃないか……)

 図書館の本も片っ端から漁ったが、何一つ今のシンクの役に立ちそうなものは見つからなかった。理由は依然として不明なまま、わかったのはとにかく彼女がトリガーになっているということだけ。ここまで来るともう、ナマエを死なせないことが、この繰り返しの日々から抜けだす方法としか思えない。

(ここでも定められた運命……預言スコアに抗えってことなのか……)

 シンクが関与しないときでも、馬鹿みたいにナマエは死ぬのだ。きっと伏せられていただけで、ナマエには九の日に死ぬ預言スコアが読まれていたのだろう。預言スコアを滅ぼすこと自体は、元々シンクの目的と一致している。方向性に異論はない。だが問題はたった一日、ナマエが死ぬまでの僅かな時間で、到底やり遂げれらるような話ではないということだ。

(たとえ大きく結果を変えることはできなくても……たった一日でもナマエを延命できれば何か変わらないだろうか)

 預言スコアというものは恐ろしいまでに正確だ。だが、初めからこのオールドラントに存在するはずのないこの身ならば、ほんの少しの小さな歪みを作ることはできるかもしれない。実際には預言スコアはレプリカ程度の歪みなんてものともせず、近い将来同じ結果に収束してしまうかもしれないけれど、それでもほんの少しでいい。とにかくこの状況を打開したい。

 六日目のシンクはナマエを殺さなかったし、表立って彼女に干渉もしなかった。ずっと一日中彼女を監視して、行動パターンや起こりうるリスクを洗い出すことに専念した。七日目は六日目の情報をもとに、積極的に彼女を助けてみた。だが、シンクがどんなに予測して、身を挺して庇ってみても、ローレライはあざ笑うかのようにナマエの命を容易く奪っていく。

「あのさ、ナマエ。よく聞いて。アンタ今日、死ぬんだよ」

 八日目は再び、ナマエ本人に死の運命を告げてみた。彼女の馬鹿みたいな死の繰り返しに、シンク一人が気を付けていても限界があると思ったからだ。

「えっ、なんですか藪から棒に」
「そうだね、急に言われて驚くのはわかるけどさ、アンタは今日死ぬんだ。後生だから信じてよ」
「は……?」

 シンクがひどく殊勝な態度で告げたからか、今回のナマエの笑顔は最初から完全に引きつっていた。

「な、何を言い出すんですか……」
秘預言クローズドスコア。アンタだって、この単語くらいは耳にしたことがあるはずだ」
「……」

 預言スコアをちらつかせてやれば、流石につまらない冗談を言う余裕もないらしい。ごくり、と唾をのんだナマエは、もう一度なんで、と呟く。

「なんで、師団長が」
「もちろん、基本は詠師職以上しか閲覧できないけどね。ボクは参謀総長のほうの仕事で、ヴァンと顔を合わせることも多い」
「そうじゃなくて、なんで師団長がわざわざそれを私に伝えるんです」
「……」

 すらすらと吐いた嘘に、もう一枚くらい嘘を塗り重ねるのはさほど難しいことではない。

――アンタの死を知って、居てもたってもいられなくなった。なんとかして助けたいと思った

 そんな人間的な愚かさを演じて見せるのも、相手によっては効果があるかもしれない。だが、普段のナマエとの関係性や、自分の性格が知られていることも考慮して、シンクは白々しい嘘をつくのはやめにした。面倒事を起こす部下に手を焼かせられているいつもの調子で、吐き出したかった本音を言い放つ。いい加減一人でこの訳の分からない問題を抱えることに、限界を感じていたというのもあった。

「なんでって……アンタに死なれると迷惑なんだよ」
「え?」
「アンタが死ぬのは何も今回が初めてってわけじゃない。アンタが死ぬ度、こっちは何度も何度も同じ日を繰り返させられるんだ。ほんともう……ウンザリなんだよ」
「……え?」

 秘預言クローズドスコアを信じたナマエでも、さすがに同じ日を繰り返す、という話は突拍子もないと感じたようだった。緊張に固まっていた表情が、じわじわと緩くほどけていく。無理もないと頭ではわかっていても、それでもやっぱりどうしても腹が立った。残念ながら大声を出して怒るほど、シンクの気力は残っていなかったけれど。

「……信じてないって顔だね。あぁ、そう。それなら別にいいよ。アンタなんか勝手に死ねば」

 同じ日を何度も繰り返す弊害なのか、シンクの疲労は次第に蓄積されていっていた。彼女が死ぬと強制的に新たな九の日が始まるため、感覚的にはもう長らく眠っていないようなものだ。執務机の椅子に深く腰を掛けて、シンクは深く深く息を吐く。どうやってナマエに信じさせるか考えなければならないのに、上手く頭も働かない。

「師団長……あの、」
「もういい。疲れた。次回のアンタに期待する。早く死になよ」
「む、無茶言わないでくださいよ。それに私が死んだら、師団長はまた同じ日を繰り返すってさっき……」
「フン、誰が信じるんだよそんな話、馬鹿じゃないの」

 冷たく鼻で笑い飛ばしたが、シンクはほとんど自分自身に言っていた。だが、そんな態度をとってもナマエは怒りだすわけでもなく、ただじっと困惑したようにこちらを見つめていた。しばしの沈黙。シンクはもう今回の試行を諦めていたけれど、不意に彼女は口を開いた。

「あの……信じます。とりあえず」
「……はぁ?」
「師団長は性格悪いですけど、こんな大芝居打ってまでつまらない冗談を言う人じゃないですし。私が死んだ日を繰り返してるなんて正直意味がわかりませんが……でもそこから抜け出したいって理由なら、師団長が私に秘預言クローズドスコアを漏らしたのも納得できます」
「……」

 シンクは仮面の下で目を瞑った。今度は深く息を吸い込んで。それから目を開いたけれど、彼女はまだ死んでいないからベッドに戻されるようなことはなかった。

「……ボクがもし、アンタを純粋に助けたいからだって言ったら信じた?」
「すみません、絶対信じないですね」
「そう。ボクもアンタが悪口抜きでボクを信じるって言ってたら、今すぐ殺してやり直そうかと思った」
「じゃあお互い、命拾いしましたね」
「死ぬのはアンタだけだよ」
「でも、今は師団長のほうが死にそうな雰囲気です。どっちかがくたばる前に、早く作戦を教えてください」
「疲れてる人間をまだ働かせようってワケ」
「参謀総長は考えるのが仕事でしょう」

 これは結局、ナマエの協力を取り付けたことになるのだろうか。あまり役に立ちそうにない彼女に辟易としながらも、シンクはゆっくり椅子に腰かけ直す。

「……正直、ろくなプランはないよ。無事に明日を迎えるまで、アンタを完全に見張らせてもらう。この部屋から一歩も出さない」
「ええ……食事はどうするんですか」
「一日では餓死しないからね。それより変なものを口にして、うっかり死なれると困る」
「人のことを散歩中の犬みたいに……」
「そう変わらないでしょ。アンタそれより間抜けな死に方するときもあるんだよ」

 そう言うとナマエは複雑そうな表情になったので、信じるという発言はどうやら嘘ではなかったらしい。ただ、軟禁されることについてはまだまだ懸念があるらしく、不服そうに唇を尖らせる。

「トイレはどうするんです、それもまさかここでしろっていうんですか」
「一応、隣に仮眠室代わりの物置がある、バケツでも置いて――」
「ま、待ってください! 私いつも何時ごろに死ぬんですか?」
「……何もしなければ、二十一時頃だね」

 初日と二日目がそうだったのと、監視していた六日目もだいたい同じ時間帯だった。助けようとした七日目は二十二時半までしのいだけれど、基本的には大きく変わらないだろう。

「じゃ、じゃあ二十時まではトイレ行かせてください。その後はもう我慢して何があってもこの部屋にいますから」
「そうやって油断して、トイレで死んだらどうするのさ」
「ここでしたら尊厳が死ぬんですよ!」
「……」

 この件に関しては、最終的にシンクが折れた。ナマエは絶対に譲りそうにもなかったし、シンクも駄目だったらまたやり直せばいいか、という感覚になってきていた。こうしたくだらないやりとりをあと何度か経て、だんだんとナマエを死なせないための方針が決まっていく。

「今日はここに誰も立ち入らせないし、部屋の中で危険そうなものは全部仮眠室のほうに突っ込む。書棚とか机とか、大きめの家具からも離れて。イメージとしては、空っぽの部屋の中央にアンタが突っ立ってるだけの状態にしたい」
「師団長、やっぱ疲れで知能が低下してませんか? 何の儀式を始めるつもりなんですか」
「うるさいな、アンタを死なせないためでもあるんだから黙って突っ立ってなよ」

 ペンひとつ持たせるつもりはないから、もちろん仕事もさせない。部屋を整えていくシンクをナマエはひたすら棒立ちで見守るだけだ。

「はぁ、私、何やらされてんだろう……」
「それはこっちの台詞なんだよ」
「でも仕方ないですね。一日くらい、師団長に付き合いますよ」
「こっちはもう八日目なんだよ殺されたいの?」
「そうなると九日目が来ますねー」
「……」

 殴りたい。とても殴りたいが、それで死なれたらこのやりとりの苦労も水の泡だ。シンクは奥歯を噛みしめながら、もくもくと作業を進めていく。一通り部屋を片付け終わると、ナマエがじっとこちらを見ていた。おそらく暇なのだろう。シンクは彼女の視線を華麗にシカトすると、広々とした床にそのまま座り込んだ。

「このまま待機」

 ナマエが報告書を持ってきたのは午前中のことだったけれど、いつの間にか時刻は十四時を過ぎていた。経験則的に――初めてこれが嫌な言葉だと感じたが――シンクが殺さなければナマエは既定の時間まで死ぬことはないはずだ。夜にもし何かがナマエの命を脅かすのなら、それに対処できるよう少しでも体力を回復しておく必要がある。

「う、うそ。死ぬかもしれない私を置いて、寝るんですか!?」
「……」

 返事をするのも億劫で、シンクは答えなかった。三角座りになって膝の上に肘をつき、仮面が外れてしまわないように手で押さえる。ナマエはまだ何か文句を言っていたが、シンクの耳はそれを拾わなかった。すうっと意識が遠のいていく感覚。強制的に繰り返す時とは違ってゆるやかに襲い来るそれは、睡魔と呼ばれるものだった。


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