九日目は来なかった
- ナノ -


01.二〜四日目(1/3)

 まさか、繰り返しているのではないか。
 そんな疑念を抱いたのはいわゆる二日目の朝のことで、始業してから十五分も経てば、それはもうほとんど確信に近い思いだった。既視感なんてどころの騒ぎではない。朝から同じ会話をして、同じ書類にサインをして、混乱のあまり部下に今日が何日かだなんて間抜けな質問さえする羽目になった。

「今日はノームリデーカン・ローレライ・九の日ですよ。あれだけ私に報告書の締め切りは今日までだってうるさく言ってたのに、結局その程度だったんですね」
「……」

 いや、真に間抜けなのは、よりにもよってナマエにこの質問をしてしまったことだろう。いつだって一言多くて、他人を苛つかせる才能のある彼女は、早速あてつけめいた言葉を交えて昨日・・の日付を答えた。だが、その頃のシンクにはもはや腹を立てる余裕などない。自分が一体誰に質問したかをようやく認識して、仮面をつけていてもそうとわかるほど、口をぽかんと開けてしまった。

「師団長、そんな大口開けてどうしたんですか? 残念ながら、今お菓子は持ってなくて」
「いや……」
「?」
「っ、なんでもない。鬱陶しいから早く下がって」

 かろうじて平静を装うことには成功したが、心臓はどくどくと嫌なリズムを刻んでいる。シンクは顔の前でしっしっ、と手を払って、ナマエを執務室から追い出しにかかった。

「はいはい、相変わらずですね」
 
 相変わらずなのは、恐ろしいくらいに彼女のほうだ。
 ちょっぴりむっとした表情になったナマエが部屋を出ていくのを見送って、扉が閉まりきったのを確認すると、シンクはやっとのことで詰めていた息を吐きだした。

「やっぱり、繰り返してる……」

 耳にした日付なんてものよりも、こうしてナマエが目の前にいること自体が何よりの証拠だ。なぜなら彼女は昨日死んだはずだった。それも、シンク自身がこの手にかけた。昨晩、偶然と不幸がものの見事に重なって、シンクは彼女に仮面の下の素顔を見られてしまったのだった。

(あいつはボクの顔を見て、導師様……ってぽろっと溢したんだったな)

 神託の盾オラクル騎士団で、導師イオンの顔を知らぬ者はいない。彼女のそれは極めて当然の反応だったし、その後のシンクの対応だって誰に見られようが初めから決めていたことだった。だが実際のところ、かなり不意を突かれた状況で、すぐさま行動に移せたことには自分でも驚いた。シンクの引き金をひいたのは、やはり彼女の余計な一言だったのかもしれない。人違いをしただけでは飽き足らず、その後も何か言いかけていた彼女を、シンクは早く黙らせたいという気持ちで殺した。殺してしまってから少しその場で放心して、仮面を被り直した後はてきぱきと死体を片付けた。それでもう別に何の問題も無かったし、ベッドの中で眠れない時間を過ごすようなこともなかった。
 が、そうやって次に目覚めたときには、鮮明すぎる悪夢のような昨日・・が始まっていた。

(一体、どうなってるんだよ)

 状況はじわじわと理解してきた。けれども原因のほうはちっともわからない。先ほどの彼女の反応を見るに、記憶があるのは――いや、繰り返しているのはシンクのほうだけなのだろう。いくらナマエの肝が据わっていたとしても、昨晩自分を殺した男と再び顔を合わせて、くだらない当てつけを言う余裕などあるはずもない。

(とにかく……もう、顔を見られるような失態は犯せない……)

 同じ相手に同じミスをするのは馬鹿のやることだ。それに、顔さえ見られなければ、シンクだってナマエを殺す理由がない。腹の立つことはそれなりに多いけれど、だからってこんな事情でもなければわざわざ部下を手にかけたりしなかった。

(あれでいて、ナマエは結構使えるからな……)

 シンクはしばらく腕を組んで考え込んでいたが、やがてペンを手に取ると仕事を再開した。他にできることもやることもない。極力いつも通りに日々を過ごすことで、無意識のうちにこの異常な世界での居場所を見つけようとしていたのかもしれなかった。




「こちらの書類の確認とサインをお願いします」
「あぁ、それ? はい、もう行っていいよ」

 ろくに中身に目も通さず、シンクは分厚い紙束に次々と承認のサインをする。そのあまりに雑な対応を目の当たりにして、流石にナマエも驚きが隠せなかったらしい。少し声を裏返させて、受け取った書類とシンクを交互に見る。

「い、いいんですか? 師団長らしくない……いつもは重箱の隅をつつくように不備を見つけては、やり直しって差し戻すくせに……」
「うるさいな。ちゃんと見たよ」
「いやいや、そんな堂々と嘘つかないでくださいよ」
「嘘じゃない。上から、巡礼路付近の魔物を討伐した報告書に、この前の第一師団との合同訓練の成果報告、それから消耗品の購入申請でしょ。あ、あとアンタの休暇申請も混じってたね。いいよ。来月の十日だっけ」
「う、嘘だ……。あの一瞬で……? しかも休暇もすんなり通った!」

 ナマエは驚きや歓喜やらで表情を目まぐるしく変化させていたが、ネタバラシをすればなんてことはない。シンクはもうこの書類を過去に三度も見ているのだ。四回目まで真面目に目を通すのは馬鹿馬鹿しいし、どうせナマエには来月なんてこないから休暇を与えたところで何の問題もない。喜ぶナマエとは反対に、シンクは酷くイライラしていた。それも同じ日をまた繰り返しているから、という単純な理由だけではない。

(昨日、なんで死んだんだよ……)

 一昨日と昨日――つまり二日目も三日目も、彼女に素顔を見られるというヘマは犯さなかった。会話やこちらからの指示によって多少の変化はあれど、基本的にシンク以外の人間はみな最初の九の日と同じ行動を繰り返している。だから二日目、彼女と偶然・・備品倉庫で出くわしたときには、シンクはしっかりと仮面を被っていた。顔も見られていないので、もちろん殺す必要もない。そこで二言三言ふたことみことごく普通の会話をして、シンクはすっかり安心しきっていた。まさか、急にナマエが眩暈を起こして棚にぶつかって、しかも上から誰が放置したかもわからないトレーニング用の重りが落ちてくるなんて想像もしない。出来の悪い喜劇みたいな死に方をしたナマエに呆然としていると、次の瞬間シンクはまた自分のベッドに戻されていた。ようこそ、ノームリデーカン・ローレライ・九の日。三日目はもちろんナマエに備品倉庫に行くなと厳命して、シンクも彼女に会わないように部屋にこもったが、気が付くとまた四日目を迎えていた。昨日、彼女がどうやって死んだのかもわからない。

(結局、ボクが手を下さなくたってナマエは死ぬんじゃないか……)

 初日に自分で殺しておいて言うのもなんだが、死に方が理不尽すぎるし、勝手に死なれると自分が蔑ろにされたような気分にさえなってくる。ただでさえ意味のない生なのに、同じ日を繰り返すことに一体何の意味があるのか。それも、シンクが関わろうと関わるまいと結果が一緒なら尚更そう思う。結局のところシンクはあの重りと同じ舞台装置だっただけで、この目の前で浮かれている女の人生において替えのきくものでしかなかった。そう考えると、胃の底あたりがむかむかとして、今すぐ書類を全部破り捨ててやりたくなる。
 
「ありがとうございます、師団長! 師団長ってほんとに頭いいんですね、尊敬しました!」
「そりゃ、この書類を見るのも四回目だからね」
「あはは、なに言ってんですか」
「……あのさ、ナマエ。アンタ、今日死ぬよ」

 腹が立っていたからだろう。不意に彼女を傷つけてやりたくなった。どうして自分ばかりが悩まされて、ナマエは何も知らずにへらへらと笑っていられるのか。どうせなら盛大に怯えて死を迎えればいいんだと、意地の悪い気持ちで口にする。

「えっ、なんですか藪から棒に」
「ボクは知ってるんだよ、アンタは今日死ぬ。どうあがいてもね」
「いやいや、何を言って……」

 ナマエは笑ったが、よく見るとその笑顔は少し硬かった。それもそうだろう。ここは預言スコアと呼ばれる星の記憶を管理する教団。未来を決定づけるかのようなことを言われて、そんな馬鹿なと思っても、はいはいと聞き流すのは心理的に難しい。だからなのか、彼女は面白くもない冗談を言った。理不尽で暴力的な運命を吹き飛ばそうとするかように、わざとらしいくらい明るく笑ってみせた。

「やだな〜師団長。いくら師団長と参謀総長の兼任が忙しいからって、そんな子供みたいな……導師様ごっこでも始めたんですか?」
「っ!」

 結局四日目もナマエは死んだ。というか殺した。シンクは執務室の床に横たわる彼女を見下ろして、こんなことなら昨日も殺しておけばよかったな、とぼんやり思った。


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mokuji