- ナノ -
遡ること数年前から、一緒に育った。
ナマエはナマエ専用の修行を受けていたし、イルミも暗殺業を学び、仕事をこなすようになった。兄妹そろって食事をとることも、山を散策することもあった。独房入りすることもあったし、のちに仕事を一緒にこなすようにもなった。
イルミはナマエを、妹、と認識していた。
ただ、キキョウの面影を強く残すイルミの容姿、引きこもりのミルキや、最年少のカルト、共通しているのはその黒い瞳と髪なのだが、ナマエだけ、ほとんど同じに見えるのに、なにかが違うような気がしていた。シルバの、ゾルディックの血を色濃く継いで生まれたのはその髪色をみてもキルアだけだった。
ナマエは、イルミの妹であり、ミルキの姉であるだけ。性質の違い、と言われればそれだけのこと、とも思えるのだが、毒に強いが、電気に弱い。殺し屋として、素質はあるが、どうもゾルディック特有の能力をもたない。たんに会得できなかったのだろうか。肉体を変形させて、素手で心臓を盗むような、その手の暗殺術をもたない。
ゾルディックなのに。
それはイルミにとって、素朴な疑問になるのだった。
ゾルディックなのに。家族の基本思想は大方似通っているのに、キルアはまた別物で、ナマエはというと、「こいつが一番なにを考えているのかわからない」というのがイルミの本音だった。兄妹なのに。
ゾルディックなのに。
不思議なことは他にもある。
ナマエは、アルカよりも先に軟禁生活を強いられた者であるらしい。家族に対し「脅威ではなくなった」という理由から、イルミは十代半ばにして、ナマエと初めて直に顔を合わせたのだ。ナマエの産まれた時期も、存在も知らされず、父と母に手をとられ、その女は唐突に現れたのだ。
胸の底を漂っていたわだかまりは、思わぬ結末を迎える。
イルミは、この家のことで知らぬことはないと思っていた。成人していたし、父親、祖父とギブアンドテイクに仕事をこなしていたし、ナマエもそつなく仕事をこなしているように見えた。実際そうだった。ミルキとよくゲームをしているし、キルアを気にかけているし、カルトのことも思いやっている。長男であるイルミに対しては、従順に受け答えをする。ナマエの趣味のことまでは口を挟まない。すれ違えば、丁寧にあいさつをしてくる。
特別仲が良いわけではないが、悪いわけでもない。
ナマエのことはそんなふうに記憶している。
ひときわ、覚えているのは、弟のキルアが、天空闘技場に放り込まれていたときだ。イルミがそれとなく様子を見に行こうとして、ナマエが同行しようとしたのだ。ミルキとゲームでもしていると思っていたナマエが、イルミが乗る自家用の飛行船の、シートの裏側に隠れて潜んでいたのを見つけた。
イルミは単刀直入に聞いた。
「何してるの」
「一緒にいく」
「だめだよ」
ナマエの行動に驚いた。イルミが乗ると知っていて忍び込んでいた。きっとミルキに手伝ってもらったのだろうが、気配の絶ち方はなかなかのものだった。
「オレがどこに行くのか知らないだろ。それに、ついてきたら今日中に家に戻ることはできないよ、困るだろナマエ、仕事は?」
「仕事はない、だからいいの」
「なにが」
イルミにはキルアの様子を見るほかに仕事の都合もある。ナマエは放っておいても一人で家に帰れるだろうし、仕事がないなら問題はないのかもしれないが、こちらとしては連れて行く理由がない。イルミは一人で行く方が気が楽だ。
「いいの、イルミ、連れてって」
「だめだって」
「お願い」
「ナマエ」
「うん?」
「帰りたくない理由は何」
ナマエは黙りこんだ。
どんな家にも混沌と闇は潜んでいる。ナマエの存在は、よくわからない。兄妹なのに、行動や心理が、読めない。
「今日は独房、入りたくないから」
ああ、そうか。父親がカルトを連れて出払っていて、キルアもいない、イルミも今から外出する。家に人が減る。そういう状況になるとき、ナマエの顔色はいまいち優れない。寂しいという年齢でもないし、理由はわからない。
「オレに言っても、仕方ないよ」
「そうだけど」
「じゃ、延期するよう、オレから連絡入れるかい? これ取り引きだよ」
イルミとナマエをのせた飛行船は、昇降口を開いたまま数分、地面にとどまっている。木々に囲まれているため屋敷からは見えない位置にいる。口論の声も、届かない。揺れる葉陰の音が辺りを覆うように降りそそぐ。
「イルミと一緒にいたい」
「……は?」
数秒、イルミは何を言われたのか理解するのに苦労した。ナマエは、人に甘えるような性格ではないと、イルミは思っていた。単独行動も多く、闘わずして勝つ、ような利口な立ち回りも得意で、とにかく従順で、わがままなど、聞いたことがない。
「オレ忙しいんだよ、一緒にいる時間とか、ないよ、わかってるだろ。てゆーか、一緒にいるって何なの」
何で一緒にいたいの。急に何だと言うのだ。イルミには、やはりナマエのことがよくわからない。
「私の都合。だから許して」
「だめ。オレ行くから。ナマエはおりて」
「やだ、イルミ」
会話にならない。イルミはイルミの仕事を優先しなければならない。ナマエは急にイルミの手を握った。かなり、たよりない感じで。縋る先を持て余したように。
途方にくれたナマエの顔を、イルミは今でも鮮明に覚えている。
「イルミは私とずっと一緒よ。ずっとずっと遠くに行っても、私から離れないで」
「……何それ、何かの呪文? もういいから、テディ抱いて寝てろよ。独房の件は連絡しとくから」
「離れないで、そばにいて」
「はいはい、わかったよ、離れないよ、どうせすぐ帰ってくるし」
面倒になってそう口走っていた。ナマエは弟ではなく、妹なのだ。その差異は、多少なりともあるのかもしれない。ナマエがイルミに何かを要求し、期待をしている様子をみせたのは、このときが初めてだった。
ナマエが何を考え、その瞬間、無防備に、苦い笑みを浮かべたのか。真剣に探れば、疑問に対する答えに、もうすこし早くたどり着けたのかもしれないが、いずれたどり着く道だった。イルミも、ゾルディック家のレールを走っているだけに過ぎない。簡単なことだった。イルミの感情や、意志とは何ら関係なく、進行していくもの。イルミに用意された人生のレール。
イルミは試しの門をやや乱暴に突破して、自室の先にある、ナマエの部屋へ、長い長い廊下を急ぐ。父親シルバと同行した仕事の後、世間話でもするかのように、軽く聞かされた話にイルミは眩暈を覚えた。わけのわからない感情を携え、帰宅を急ぐ。もしや、知らなかったのは自分だけなのではないか。そんなはずはない。だが、少なくともナマエは、知っていたのではないか。否、知らないわけがない。ナマエの目はやはり、イルミたちとはどこか異なる。ふと見知らぬ他人の気配、と見間違うような独特のオーラ。
イルミはナマエの部屋の扉を開け放った。そこに、いる。ベッドの先に、大きなテディベアを抱いて、うっとり眠りかけていたナマエは、ゆっくり目をあける。イルミの存在を見とめ、口角をあげた。
「ナマエ、オレたち、ホントの家族じゃないって、知ってたの?」
微睡む笑顔が、何を言わずとも肯定していた。
ナマエがゾルディックに属している意味はすべて、ゾルディックに帰結する。ナマエの唇が動いた。声がちいさくて、イルミはささくれ気味の気持ちを抱きながら、ベッドのそばへ近づいた。
「シルバ様の要望だもの。私は喜んで事実を受け入れている。そのためにここにいるの。ねえ、イルミも、ゾルディックでしょう?」
だったら、わかるでしょう? と、問いかけられている気がした。ナマエの瞳孔を見つめ、イルミは懊悩する。これは妹ではなく、イルミに与えられた女だった。思わず出た溜息は深かった。
「何でさっさと言わないの。親父も、おまえも、今更オレに何を期待してるの?」
「他に候補がいない。イルミが適任。仕方のない事実 」
「さすがに驚きだよ、子孫繁栄のため? 冗談だろ? 跡継ぎは」
「わ、私だって、本当は、私、シルバ様と結ばれた…んぐぅっ」
イルミは咄嗟にナマエの口を手で覆った。とんでもないことを、ナマエという女は、時々やらかす。
「その先は口が避けても言うな。 命の保証がない。オレにもフォローできない」
「んん……ん、んっ !」
「もう黙ってろ」
「わかっ……く、るし」
「ナマエは、喋らないほうがいい」
「どういう」
「喋ると残念だから。オレの好みの問題。あと、さすがにオレも怒ってる、を通り越して、よくわからないよ、呆れてる」
ナマエがシルバを見つめるときの、濃すぎる憧憬、恍惚の眼差し。異様な執着に思えたあれは、父親に依存する感情ではなかったのだ。この女はシルバの恩恵を受けて今ここに生きている。シルバを崇拝し、恋慕とともに平伏する。シルバの命ならば、どんなこともできるのだと。
そして、ナマエを如何に扱うか、今、半分はイルミの手にある。なんとなく、イルミは疑問を口にした。それほど疑問にも思わなかったが、念のため。
「ナマエは、オレのために死ねるかい」
「私はすべてをシルバ様に委ねたの。イルミが望むなら、そうする」
「あー、意味わかんない」
殺す、でもなく、教育する、でもない。
執事、でもなく、妹、でもない。
しかし、ナマエはゾルディック。
ではナマエを、どうしろというのか。
額に手をあて、束の間イルミは瞬きを忘れた。見えない空気が波状に広がる。髪が靡くほどオーラを渦巻いた。
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