- ナノ -
離れないでとか、一人にしないでとか、昔からナマエは同じことばっかりだ。
イルミはまた性懲りもなく涙をこぼし始めた彼女を眺めて、一体どう落ちつかせたものだろうかと考えていた。一度眠ったことでこちらの体調はだいぶ回復したが、ナマエはそれでもまだ泣くのをやめない。安堵の涙にしてはしつこすぎるし、後悔の涙なら不安定になること自体が逆効果だし、本当にイルミから見たナマエはわからないことだらけだ。
――オレが死んだら生きていけない、って言ったくせに。
――好きな人に愛されたい、って言ったくせに。
そこまで言うだけ言っておいて、決してイルミに愛されたいのだとは言わないから、ナマエは狡いと思う。イルミはこれでも一度もナマエのことを嫌いだとは言っていない。寂しさを埋めるのが誰でもいいと、ナマエがそう思っているのなら嫌だと言っただけだ。
「……ナマエ、」
しばらくして、彼女の涙が底をついた頃。
イルミはできるだけ優しく彼女の名を呼んだ。とはいえ切り出した内容は、口調ほど優しいものではなかった。
「結局オレが勝ったのに、わかんないばっかでナマエのことなにも教えてもらってないよね。これからオレがする質問に、『はい』か『いいえ』で答えるってのはどう?」
「……どうって、どうせ拒否権なんてないんでしょう?」
「負けたのはナマエだからね。でも、代案を出すことまでは禁止していない。気に入らないなら、ナマエが代わりの条件を出して交渉すればいい」
「……いいわよ、イルミの案で。イルミを納得させる代案なんて思いつかないもの」
ナマエは不貞腐れた様子で鼻をすすったが、毒の件の罪悪感もあるのかいつもよりずっとしおらしい。イルミは頷いて、それじゃあ一つ目、と始めようとした。
「一つ目!? 待って、一体いくつ尋ねるつもりなの?」
「最初から誰も一つとは言ってないよね。答えやすいように二択にしてあげたんだから文句言わないでよ」
「でも、」
「じゃあ、質問の数だけテディをあげる。本来、負けたナマエには何も手に入らないはずだったんだから破格の条件だろ」
「テディなんてもう要らない」
やっぱりそう言うのか。ナマエの心境の変化が読めない。今まであれだけ執着していたものをあっさり手放すのだから、ナマエの『イルミが死んだら生きていけない』も真に受けたら馬鹿を見るかもしれない。
「そう? まぁそれはナマエの勝手だけど、さっきも言った通りオレは最初から質問が一つだとは言ってないからね。構わず続けるよ。一つ目、『ナマエはオレを利用する気でいる』」
「……」
イルミの強気な態度にやや鼻白んだ様子のナマエだったが、それでもこちらに引く気がないことは十分伝わったらしい。考えるために少しの間沈黙して、またそれから途方に暮れたような表情になった。
「……無理。やっぱりわからないわ。そもそもなんなの、その質問」
「『はい』か『いいえ』って言ったでしょ。ナマエの解釈でより近いほうを答えればいいよ」
「……『いいえ』」
「じゃあ二つ目、『ナマエは物語みたいな恋愛がしたい』」
今度のナマエはぎょっとした顔をした。どうやらイルミの口から『恋愛』なんて単語が出てくるとは思っていなかったらしい。けれども虚勢を張るように、彼女は少し早口になって答えた。
「『はい』。だけど、そんなの今更イルミに期待してないわ」
「ちなみに今のはしたいかどうかだけで、オレとの話だなんて言ってないよ」
「……」
「続けるよ、三つ目。『ナマエはオレに嫌われてると思ってる』」
「……っ!」
本当に毎回毎回、ナマエはすんなり答えてくれる気はないらしい。すっかり枯渇したはずの涙がみるみるうちに瞳に膜を張るのがわかる。彼女は声の震えを誤魔化すように、わざとらしく語気を強めた。
「そんなの、わざわざ私に聞かなくたって、イルミ自身が思ってることじゃない……!」
「つまり、答えは『はい』なの?」
「……そうよ」
「なんでそーなるの?」
それは予想していた答えだったがどうしても納得がいかず、イルミのほうが二択で答えられない質問をしてしまっていた。が、ナマエはあふれそうになる感情を抑えるのに精いっぱいで、こちらのミスには気が付かなかったらしい。
「なんでって、だって、イルミは私と結婚したくないって! 寂しさを埋めるつもりはないって!」
「ナマエが父さんへの恩を返す都合や、一人が怖いってだけの理由で、相手が誰でもいいと思っているならね。人の話はちゃんと聞きなよ」
「でも……じゃあそれで仮に私がイルミを好きだって言っても、イルミは私を好きで結婚してくれるわけではないでしょう? それじゃ嫌なの……嫌なのよ」
「我儘だなぁ」
イルミはどうしようもなく、素直にそう思ったので言った。ほとんど感心とか感嘆に近い感情だった。
「まあそんなの昔から知ってたし、ある意味ナマエのいいところだとも思うけどね」
「ば、馬鹿にして……」
「してないよ。ナマエは我儘だけど、別に何に対してでも言うわけじゃないだろ。オレには理解できないけど、ナマエにとっては我儘を言うくらい、オレに好かれることは大事だってことだ」
ほんのつい最近まで、兄妹だと思っていたのだ。妹ではないと頭を切り替えることはできても、ナマエの望むような感情をすぐに抱けるかと言われればやはりそれは難しい。そもそもイルミは今まで誰に対しても、そんな強い感情を抱いたことが無かった。いい意味でも、悪い意味でも。いや、悪い意味ならば、つい最近ナマエに抱いただろうか。彼女が父さんへの感情をこじらせたまま、自分を利用しようとしているのだと思ったときは腹が立った。そうやってイルミの感情を揺らがせるだけでも、ナマエは十分特別なのではないかと思い始めていた。
「それにね、ナマエは父さんには絶対我儘を言わない。なのにオレには甘ったれてしつこく食い下がるのも、本気でオレのことが好きだからって考えれば可愛いと思うよ。嬉しいか、嬉しくないかで言えば嬉しい。オレが今言えるのはここまでだ」
「……」
「まぁ、ナマエがオレを好きだというのは、あくまで仮の話だったけどね」
実際、とってつけたように好きという言葉を吐くのは簡単だったろう。けれども、どうせそれではナマエは納得しない。イルミにしたってそんな上っ面の解決は納得がいかない。普段は事をうまく進めるために嘘をつくこともあるけれど、ナマエに対してはどうしてか嘘をつきたくないと思ったのだ。
「……仮なんかじゃ、ない」
やがて、しばらく黙りこんでいたナマエは、まだ涙の気配の残る声でぽつりと呟いた。素直になれないとこぼしていただけあって、やはり直接的な言葉は聞けなかった。「そう……」イルミはそれでも十分だと思って、向かい合ったままの彼女の瞳を見つめた。
「あのね、ナマエ。ナマエの好きな物語の中でも、普通それなりに時間がかかるものじゃない? ナマエだって、今すぐ素直になれって言われたら困るでしょ」
「うん……」
「父さんも互いを理解しろって言っただけだ。まだ正直わからないことだらけだけど、それでもオレは今回ナマエについて少し知ることができたと思っているし、知りたいとも思った」
「……うん、私も」
ナマエが頷いたのを確認して、イルミはちょっと言葉を切る。いつも交渉事は得意なほうだ。だから何かを提案するだけで勇気が要るのも、もしかすると初めてのことかもしれなかった。
「それならいきなり結婚じゃなくてさ……せめて婚約からにしない?」
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