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■ 05.今は我慢を強いられる

 ぷしゅーと空気の抜けるような音がしてドアが閉まると、ミセルのかき入れどきは終わりだ。
 日に一本出ている山景巡りの定期バス――号泣観光バスに乗り込んだ乗客達は、伝説の暗殺一家の正門前で記念撮影を済ますと、そのまま次の観光スポットへと向かってしまう。
  
「今日は普通の観光客ばっかりで、残念だったねぇ」
  
 ミセルがどんどん小さくなっていくバスを見送っていると、門の守衛であるゼブロがのんびりとした口調で話しかけてきた。以前は彼が片付けていた落とし物・・・・をミセルが回収するようになったので、こうして毎日のように世間話をする仲になっている。
  
「まぁ、こっちとしては残念なんだけど、ゼブロさん的には来ないほうがいいよね」
「いやいや、お嬢ちゃんが片付けてくれるようになったから、どっちだっていいんだよ。もともと通行自体は自由な門だからね」
  
 一見したところ守衛のように見えるが、ゼブロの真の仕事は掃除夫だという。彼は、昼間は守衛室で過ごし、夜は敷地内の使用人の家で寝泊まりしている。暗殺一家の面々に特に用がないので、門の内側に入れてもらったことはないが、ゼブロに関しては会うたびお茶やお菓子をごちそうしてくれる優しいおじさんであるだけで十分だ。今日も今日とてクッキーを振舞ってくれるというので、ミセルはすっかり懐いてトコトコと後ろについて行く。
  
「実はね、一応観光客相手にもちょっとしたビジネスを考えてるんだ」
「そうなのかい?」
「うん。やっぱり一番多く来るのは普通の観光客だし、ここをみすみす逃すのはもったいないと思って。定番の記念メダルとか、ゾルディック家の噂話が書かれたカードがランダムに入ったお菓子とか、番犬ミケのふわふわキーホルダーとか……本音を言えば住人のブロマイド写真やポスターが欲しいとこだけど、そこはやっぱり怒られちゃうだろうし」
「確かにそれはやめておいたほうがいいだろうねぇ」
「だよね、キルアに頼むにも流石にそこはちょっと気を遣うというか、わたしが目をつけられたくないというか……」
  
 ミセルがクッキーを頬張りながら頭を悩ませていると、不意にゼブロがぴたりと固まる。「キルア坊ちゃんと会ったことがあるのかい?」あまりにも驚いた顔をされるものだから、ミセルは慌てて口の中の物を飲み込んで頷いた。
  
「うん、あるけど……大丈夫だよ! キルアを客寄せに使おうとはしてないよ! 仕事帰りで門を通るキルアと顔を会わせることがあるってだけで!」
「間違っても、あの方たちを商売にしようなんて思わないほうがいい……まぁでも、キルア坊ちゃんとはその、仲良くしているのかい?」
「うーん? そこそこ?」
  
 良好なお付き合いができているかと聞かれても、実際にはキルアとは取引をしたことがない。彼もゾルディック家の一員であるという意味では大事な供給元サプライヤーではあるが、ミセルにとっての“仲良く”というのはお金を落としてくれるお得意様のことなのだ。
  
「キルアはねぇ、なんというか、金持ちのヨユーっていうのかな。わたしの物をとったりしない安心感はすごくあるよね。むしろ、『オレ要らないから』ってくれる感じ。そこはかなり好き」
「そりゃあその心配は絶対ないと思うけど、そうじゃなくてだね……ううん……」
  
 とられる心配がないだけで、十分素晴らしいことではないか。流星街にいた頃は、稼ぐことも難しかったが、どちらかといえば稼ぎを奪われないようにするほうが難しかった。余所者に対してはあれほど奪うなと過剰に反応するくせに、内輪になると途端に“分け合う”なんて聞こえのいい言葉に様変わりするのだからたまったものではない。百歩譲って食料や生活必需品を分け合うのはいいとしても、頑張って働いても子供は一律で分け前が同じだなんてやっていられるか。
 ミセルとしてはとても当たり前のことを言ったつもりだったが、ゼブロは小さくため息をついた。
  
「まぁ、キルア坊ちゃんのことを怖がっていないようなら安心したよ。なかなか因果な商売だからね……」
「だってわたしを殺すのに、大金払って暗殺者を雇う人なんて絶対いないからね。そこは安心安心」
「ただ、執事には気をつけたほうがいい。彼らの仕事はお屋敷とご家族をお守りすることだから」
「そうだね。今のところキルア以外には会ったことないけど、気をつけるよ」
  
 門は一か所しかないので、他の家族も出入りしている可能性はあるが、なにぶんただの一般人であるミセルにプロの暗殺者や訓練された執事の気配などわかるはずもない。深夜はレジ締め作業や新製品開発に集中しているし、明け方は明日に備えて寝ているし、キルアのように向こうから声をかけてくれるぐらいでないと会いようがないのだ。ゾルディック家からしても、深夜にうろつく子供を不審に思ったところで、敷地外のことに進んで干渉はしないだろう。なんてったって自宅を勝手に観光名所にされても、出た利益の取り分を請求しないくらいには果てしなく心が広いのだ。金持ちのヨユー、恐るべし!

 そういうわけなので、ミセルは口では“気をつける”と言ったものの、実際にはこれっぽっちも心配などしていなかった。
 プロは仕事をきっちりやる。裏を返せば、報酬外の仕事はしない。能力に自信と誇りを持っているから、自分を安売りするようなことはしない。
 実際、ミセルの読みは、ゾルディック家の方針からそう大きく外れてはいなかったのだが……。
  
  


  
「や。ほんとにキルと同い年くらいなんだね」
「ビャッ! お、お化けぇッ……!」
  
 普段のミセルなら、お化けと警察なら絶対に警察のほうが怖いと答えているだろう。だが、時刻は草木も眠る丑三つ時。ちょっと夜なべして、ミケの食後の人骨を片付けて――正確には骨粉の利用法を考えて――いるときに、突然髪の長い人物が暗闇からぬっと出てくれば肝も冷えるだろう。

 その場でほぼ垂直に飛び上がったミセルは、無意識のうちに首から下げている、キルアから貰ったボタンを握りしめた。ご利益りやくがあるのかどうかは定かではないが、お化け相手に武器をとれるほどミセルは戦闘に慣れていない。
 一方のお化けはミセルが弱いことなんて見透かしていたかのように、何のためらいもなくこちらに近づいてきた。見たところ足はあるようだが、不気味なくらいに足音が一切しない。
  
「お化けなんているわけないだろ。だいたい、死体を漁ってるくせして、そんなものが怖いわけ?」
「し、死体は何もしてきませんが、あなたは近づいてくるじゃないですか」
「ふーん、近づくだけだと思う?」
「ま、まさかお金目当て……」
「違うけど」
  
 すぐ目の前で立ち止まったお化けは、腰をかがめてミセルの顔を覗き込んだ。深い闇色の長い髪に、白さを超えた青白い肌。何より大きな瞳に生気が感じられず、ミセルは思わずごくりと唾を呑む。さすがにこれだけ会話をしたうえで本当に“お化け”であるとは思っていないが、死人より生きている人間のほうが恐ろしいというのは常識みたいなものだ。向こうがお金目当てではないことだけが、唯一の救いだった。
  
「じゃあ、何が目的なんです」
「お前にここを立ち退いてほしくってさ」
「マフィア? ショバ代払えってことでしょうか?」
「違う」
「じゃあいったいなんの権限があって」
「正確には権限はないね。一応ここは敷地外だから」
「あぁ……なるほど」
  
 そこまで言われて、ミセルはゼブロの忠告を思い出した。
 自然と背筋が伸びる。機嫌を損ねてはいけない相手だ。命という意味でも、ビジネスという意味でも。

「ゾルディック家の方でしたか」

 しかし、なぜ今更? という疑問は消えなかった。確かに彼らの家の前で商売はしているものの、そこまで迷惑をかけるようなことはしていないはずだ。ミセルがどれだけ武器を提供しようと、こんなところで武器を買うような雑魚がプロに敵うわけもないのだから。そのことは目の前の男の異様な圧力が、嫌というほど物語っている。
  
「その……大変申し訳ございません。わたくしがここでお店をすることでご不快にさせてしまったのでしょうか。仰っていただければ営業時間や取り扱い品等、早急に改善いたしますので、できれば今後も営業のご許可をいただきたく……」
「悪いけど、店自体はどうでもいいんだよ。キルアに関わってることが問題」
「キルアに……?」
  
 ここで思いがけない名前が飛び出してきて、ミセルは一旦フリーズする。店が問題じゃないのはいいことだが、そうなると本当に何が問題視されているのかわからない。
「そう。キルアに友達は要らない」男は表情一つ変えることなく、静かに頷いた。
  
「……はぁ、そうなんですか。で?」
「だからお前にいられると迷惑なんだよね」
「ん? えっと? あの、わたくしキルアと友達になった覚えはないんですけれど……?」
  
 ミセルが頭に疑問符を浮かべながら言葉を返すと、今度は男のほうが首を傾げて固まった。なんだかよくわからないが、彼の反応を見るに誤解されていたのだろう。それなら誤解さえ解けば、ここで営業するのを目こぼししてもらえるかもしれない。
 そう考えると、希望の光が見えた気がした。
  
「キルアとよく話してるって報告は上がってるけど」
「話しただけで友達と数えるのは少々むつかしいかと……」
「そのボタンだって、キルアから貰ったんでしょ」

 とっさのこととはいえ、握りしめていたというのに随分と目ざとい。どうやら、相手はかなりキルアとミセルのことを調べ尽くしているらしい。

「えっと、パドキアには友情の証にボタンを贈るというような風習があるのでしょうか? わたくしこの国の文化には明るくなくて……誤解をさせてしまっていたら大変申し訳ないのですが……」
「無いよそんなの」
「では、やっぱり大丈夫かと思います。キルアさんとは友達ではないので営業を続けさせていただいてもよろしいでしょうか」
  
 なにがどうなったら友達になるのか、正直なところミセルもよくわかっていない。もちろん、営業許可の為に認めるわけにいかない、という気持ちもあったけれど、素直にミセルの基準で――故郷での暮らしや付き合いの程度で――考えたときに、キルアとはさほど仲良くなっている自信がなかった。わかりやすく表現するなら、キルアとは苦楽を共にしていない。貰うことはあっても、分け合ったことがない。一方的に与えられるだけの、対等でない関係は、少なくともミセルの故郷では“友達”と呼ばないのだ。
  
「リスクという意味では、お前がどう思っているかより、キルがどう思っているかのほうが重要なんだけど……まぁ、いいか。ひとまず、お前は友達じゃないって言うんだね?」
「はい」
「じゃあ、キルを裏切ることができるかい?」
  
 途端にきな臭くなってきた話。ミセルは改めて笑顔を張り付けなおした。
 おそらくキルアを呼び捨てにする時点で、この人は執事などではなく、れっきとした家族なのだろう。
「……裏切る、というのは具体的にどうすることを指すのでしょうか?」似ていないんだな、と思った。容姿もそうだが、キルアはこんな回りくどいやり方はしなさそうだ。家族である彼が何のためにキルアを傷つけようとするのかはわからなかったが、家族だから無条件で仲がいいというのは幻想でしかない。そのことはミセルもよく知っている。
  
「簡単だよ。さっき言ったみたいにお前からキルアに『友達じゃない』って言えばいいんだ。『暗殺者とは友達になれない』これでいい。別にそれくらいは問題ないでしょ?」
「そう言って欲しいんですね? 言えば、このまま営業を続けてもいいと?」
「うん」
  
 その瞬間、すうっと気持ちが冷えていくのを感じた。駆け引きや取引をするときはいつだって楽しいものだったのに、こんな最悪な気分は初めてだ。

「……そちらのご希望に沿うためには、ひとつ融通していただきたいことがございます」

 だが、そっちがその気なら最大限利用してやる。最初に感じた恐ろしさよりも、今はただきらいだな、という感情のほうが勝っていた。とにかく目の前のこの男がいけ好かない。
  ミセルは気持ちを落ち着けるように、小さく深呼吸をした。

「わたくしに就労ビザをください。仮にわたくしがキルアを裏切って営業の権利を得たとしても、観光ビザしか持たないわたくしは残り僅かな期間しかこの国にいられません。それでは、暗殺者である・・・・・・キルアの機嫌を損ねるリスクのほうが、あまりにも大きいです」
  
 もちろん、多少酷いことを言ったところで、キルアがミセルに危害を加えるような人間ではないことくらいわかっている。が、そこは方便だ。精神的にキルアを裏切ることはたやすいが、物理的には恐ろしいのだと、非力であることをアピールする。
  
「へぇ、お前がもともとそんなにこの国にいられないのなら、こちらも話が変わってくるよ。オレはただ時間切れを待てばいいわけでしょ」
「ええ、そうですね」わかっている。そう言われることくらい。ミセルはにこにこと笑顔を浮かべたまま言葉を続けた。
  
「この国を出た場合、わたくしは次の出店場所を天空闘技場に予定しております」
「……」
「多くの人が見物に訪れ、ビジネスチャンスがごろごろしていると小耳にはさんだものですので」
  
  本当に、生きているのかと疑いたくなるくらい表情に出ない人だ。ただ、彼が黙っているということは、ミセルの提案を聞く気があるということ。天空闘技場というワードはそれなりに効果があったらしい。
  
「ですが、就労ビザさえあれば、わたくしはここで営業を続けます。たとえ、誰になんと誘われようとも」
「ふぅん、なるほどね……でも、3つ目の選択肢をあげてもいいんだよ。ここで死ぬっていうのはどう?」
無料タダでお仕事なさるおつもりですか?  随分と気前がいいんですね」
「残念だけど、オレが殺るまでもないかな」
「あぁ、執事さんがおられるんでしたね。本日はおひとりのようですけれど……」

  もしも最初から執事で片付けるつもりなら、立ち退かせるところからそうすればいい。しかし彼本人がわざわざ出張ってきたのは執事を信用していないか、この件が臨機応変に判断・・する必要のある、重要な内容かのどちらかだ。
  彼の目的は単に、キルアを傷つけることでは無いのかもしれない。「誤解のなきよう申し上げさせていただきますが、わたくしにゾルディック家に敵対する意思はございません」取引というものはあくまでお互いのためにあるべきだ。ミセルは真っ直ぐに相手の瞳を見つめた。

「キルアがパドキアに戻るまでの間の、就業ビザ。それでいかがでしょうか。わたくしは彼に友達ではない、と伝えます。友達にはなれないとも。キルアが天空闘技場にいる間はあなたの目の届く範囲にいて、キルアが戻ってきた際には去ります。それではご納得頂けないでしょうか」

 実際、これで駄目だと言われれば、もちろんミセルは大人しく去るつもりだ。いくらここが奇跡のような稼ぎ場所であったとしても、命あっての物種。単にこの男がいけ好かない奴だったうえに、黙って言いなりになるのはミセルの性にあわなかったので、せめてもの抵抗をしてみたにすぎない。

「わかった」

  しかし、彼は手を顎にやって少し考える素振りを見せると、あっさりとそう言った。渋々という様子もなく、拍子抜けするくらいにさくっと呑んでみせた。

「いいよ、ビザくらいなら」
「そうですか、それなら私も命が惜しいので致し方ありま……え?」
「子供にしては思ったよりやるね」

  褒められているのか、けなされているのか。男の口調が平坦なせいで、どうも後者の気がしてならない。ミセルはほっとしたのもつかの間、ほとんど反射的に言い返す。

「っ、子供扱いはしていただきたくないのですが」
「膝が震えてなきゃ完璧だったと思うよ」
「……それはご愛嬌ということで」
「まあ、勝ち目のない相手に歯向かうところは賢くないけどさ、提案を聞く限り、救えないほどバカってわけでもなさそうだ」

  あぁ、やっぱりきらいだな、とミセルは笑顔を浮かべたまま思った。子供扱いで優しくしてくれるならともかくも、どこまでも馬鹿にして。まるで大人の自分は全部正しい答えを知っていると言わんばかりの、偉ぶった口ぶりが気に入らない。

「今後、執事以外に使える子供がいるのも悪くないかもね」
「はは……」

  ミセルは取引を持ちかけることで、自分の権利を守った。初めはただ追い出されるしかなかったことを思えば、就労ビザを手に入れられることになったのは大金星だ。
  だが、この敗北感はなんなのだろうか。力で勝ち目がないのはわかっているが、いつか絶対に一泡吹かせてやりたい。ただ、この男が気に入らないという理由しかないけれど。

「……どうぞ、ご贔屓に」

  今は、我慢だ。

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