- ナノ -

■ 04.裏目裏目に出てしまう

――これやるよ
――いいえ。お気持ちだけで十分です、キルア様

――様とかつけんなよ、キルアでいいよ
――そうはいきません

――なんだよーいいからさー。オレと友達になってよ
――申し訳ございません、キルア様

 交わした言葉のひとつひとつを簡単に思い出すことができるのは、それがほんの数か月前の出来事だからか、それとも心の深いところに見えない傷をつけたからか。

 キルアは明かりのない夜の道を歩きながら、ぼんやりと新しく来た執事見習いの顔を思い浮かべていた。
 彼女の名前はカナリア。他の多くの執事と同じように、姓は捨てたか、初めから持たないか。キルアより少し年上の、ドレッドヘアが特徴的な少女だ。見習いとはいえ、彼女のような子供に仕えられるのは、キルアにとって初めてのことだった。祖母も執事であるアマネのように、生まれた時から執事として教育を受けていたならともかくも、普通はそう安々と養成所の教育課程カリキュラムを修了することはできない。カナリアはとても優秀なのだろう。

 キルアは初めて挨拶された時から、この執事見習いの少女に親近感を持った。贅沢を言えば、少女よりは同じ年頃の少年が良かったが、カナリアならば少しは自分の気持ちをわかってくれるのではないか。修行ばかりの息の詰まりそうな生活を忘れさせてくれるような、友達になってくれるのではないか。キルアはそう期待し、実際に彼女に願った。けれども彼女はあくまで優秀な執事・・だった。

――私は使用人。キルア様は雇い主ですから

 頑なに繰り返される拒否の言葉に、キルアは最初、苛立ちを覚えた。
 別に謝ってほしいわけじゃない。なんだよ、つまんないやつ。
 どんな言葉を投げかけてみても、カナリアは目を伏せるだけだ。しかし、本当はキルア自身も、無理を言っているのは薄々理解していた。その証拠に他の家族のいないところでしか「友達になって」と彼女にせがんだことはなかった。

――あーあ、もういいよ。カナリアなんて
――……申し訳ございません

 謝る彼女も、彼女に謝らせている自分も嫌で、結局それきりキルアはカナリアに構わなくなった。キルアが話しかけなければ、見習いという立場の彼女はほとんど口を開くことがない。
 
(今だって、ただ黙ってオレのことを監視してるだけだ)

 キルアがミセルという部外者に接触していることは当然知られているだろう。だが、カナリアは相変わらず何も言ってこない。ミセルと顔を会わせるのは試しの門のすぐ近くで、ごく短い時間だから大きな問題ではないと判断されているのだろうか。それとも、近々天空闘技場へ向かうことになっているキルアが、外の世界でどう行動するのか試されているのだろうか。

 しかし、いずれにせよ、ミセルとの時間に余計な邪魔が入らないのはキルアにとって嬉しいことだった。
 彼には行動でも発言でも驚かされてばかりだが、対等に口をきいてくれる同年代の少年というだけでキルアは心が軽くなる。様づけで呼んで、一線を引かれるのはうんざりだった。それに彼は――

「よ。今日もあくどい商売で稼いだのか?」
「な、なにさ、人聞きの悪い」

 今日も今日とてこそこそと紙幣を数える後ろ姿に声をかければ、ミセルはびくりと肩をはねさせて振り返る。「実際に殺してるのはキルアんちの番犬なんだからね」そう言って心外そうに口を尖らせた彼の胸元には、凝った装飾のボタンがぴかぴかと輝いていた。キルアが先日渡したそれをミセルは気に入ったらしく、皮ひもを通して首飾りにしているのだ。他人に物を贈って――それも価値からしてただのゴミなのに――こんなに喜ばれたのはキルアにとって初めての経験だった。ミセルがそうやってお守りのように首から下げているのを目の当たりにすると、なんだかむずかゆい気持ちがこみあげてくる。もう少しマシなものをあげればよかったと、今更思ってしまうくらいだ。

「ミケは番犬だからな。ひとんちに武器持って侵入してくるほうが悪いだろ」
「じゃあしょうがないね。商売人の前に金目の物を落とすほうが悪いよ」
「泥棒の間違いだろ」
「いいからいいから、キルアも仕分け手伝ってよ。ほら、このナイフとか個人的にピピンとくるんだけど、どう思う?」
 
 どれ……と手渡されたナイフを見れば、刃の部分にいくつもの”返し”がついた、なんとも前衛的なデザインの代物だ。ミセルはゾルディック家の前で賞金首狩りたちに落ちていた武器を販売するだけでなく、高そうな武器に関しては別ルートでも売りさばいているらしい。まぁ、そうでもしないと彼の場合、売った武器がそのまま返ってくるのだから、無限に在庫が増えてしまうというわけだ。

「……確かに、親父がコレクションしてるやつと似てる」
「じゃあそのナイフはこっちに分けて……と。他にもよさそうなのがあったら教えて」
「いいけど……初めから全部別ルートで売ればいいんじゃねーの? 門の前で売っても売らなくても、最終的に客の財布ごとミセルのものになんじゃん」

 ミセルが客に武器を売る。客からお金を手に入れる。客が死ぬ。武器が返ってくる。
 そういう一連の流れだが、死んだ客は武器だけでなく、同時に財布も落としているはずだ。それならミセルは面倒な商売などせず、ただただ客が武器と金を落とすのを待てばいい。
 キルアがもっともな指摘をすると、彼はわかってないなぁ、と首を振った。

「確かに、手っ取り早く稼ぐならそうだよ。だけど、それじゃあ全然面白くない」
「面白い?」
「お客さんとの生のやりとりがなきゃ。目の前で客を見て、この人はどんなものなら興味を示すだろうか、何を欲しているだろうか。そういうのを観察してぴったりハマったときの快感とか、値切ろうとする客と、抱き合わせで結局多く買わせようとする売り手われわれの、手に汗握る攻防とか……。理想はやっぱ、お互いが最後に”いい買い物だった”と思える展開だよ」
「なんだ、理想は寝ててもお金が入ってくる、みたいなことじゃねーんだ」

 がめついのか、がめつくないのか、よくわからない。少なくとも彼は、楽して儲けたいとはあまり思っていないようである。

「最初から”最強の剣”と”最強の鎧”を持った魔王討伐とかクソつまんねー……そう言えば男子には通じる?」
「な、なるほど……!」
「些細なすれ違いから魔王軍に寝返ってしまった親友を秒殺するよりも、ギリギリで打ち倒して『昔からお前は”いい好敵手ライバルだった”』と認め合う展開のほうがよくない?」
「……すげーいい」
「そういうことなんだよ!」

 そういうことなのか! とキルアはひどく腑に落ちた。いや、ほとんどミセルの力説に呑まれたといっても過言ではなかったが、ゲームに例えてもらったおかげでわかりやすかった。

「つーか、お前ゲームとかするんだ?」
「あぁ、自分でってのはそんなにしなかったけどヒメロは――えと、ヘタレの幼馴染なんだけど、結構ハマってたな。ゲームなんてそうそう落ちてるもんじゃないから、ずーっとおんなじソフトで遊んでたけど」
「ゲームも拾い物なのかよ」
「ゴミ捨て場に住んでたようなもんだからね」
「……お前ってほんと、変なやつ」

 ゴミ捨て場、というのが少しも比喩ではないことを、この時のキルアは知らなかった。ただ、ミセルが暗殺者であるキルアのことを怖がらずに接してくれるのは、そういう特殊な育ちが関係しているのだろうと思った。

(ミセルなら……友達になってくれるかもしれない)

 言ってみようか。友達になって、と。
 考えただけで心臓がばくばくとうるさく、キルアはひそかに拳をぎゅっと握る。カナリアは使用人だから、キルアとは友達になれないと言った。だが、ミセルならその心配はない。「……なぁ、ミセル、」こちらを向いたミセルと目が合って、口の中がからからに乾くのを感じた。

「オレと、その……と、」
「と?」
「と……と、突然だけど、天空闘技場に行かねー?」

 ぽかん、とした表情になったミセルを見て、自分は何を言ってるのだろう、とキルアは激しく後悔した。だが、あとちょっとのところで勇気が出なかったのだ。
 使用人ではないミセルにもしも断られたらと思うと……。カナリアとの一件を引きずっているキルアは、想像だけでものすごく落ち込んでしまい、咄嗟に違うことを言ってしまった。

「天空闘技場? なにそれ?」
「オ、オレ、近々修行で行くことになってるんだ。家を出て、一人で。それで、ついでにミセルも一緒にどうかなって……」

 キルアはなんとか説明を続けるが、話しているうちに案外これでもいいかもしれない、と思い始めた。このままキルアが修行に出れば、どのみちミセルとは会えなくなる。ミセルが一緒に来てくれるなら、こうして仕事帰り以外にも会える時間が増えるし、そうやって仲良くなれば友達になってくれるかもしれない。

「天空闘技場って、戦えばファイトマネーがもらえるんだぜ。最初のほうは額も低いけど、階を登ればすっげー稼げるって聞くし」
「うーん、でも暴力には自信ないしなぁ……」
「ミセルが直接出場しなくても、戦いを見に多くの人が集まるんだ。何か商売のチャンスはあるんじゃねーの?」

 何か、と言ってもキルアには具体的な案があるわけではない。とにかく何とかしてミセルの気を引こうと必死なだけだ。
 しかしそんな雑なキルアのプレゼンでも、ミセルは少し迷う素振りを見せた。

「そうだねぇ……ちなみに天空闘技場ってパドキアじゃないところにあるの?」
「え? そうだけど」
「そっか。うーん、ビザの都合もあるし、どのみち一回パドキアから出なきゃなんないんだよね」
「じゃ、じゃあ……」

 期待に胸を高鳴らせながらミセルも来るか? と問えば、彼はちょっと苦笑した。

「ここを離れるのは惜しいけど、ビザの問題が解決しなきゃしょうがないね」
「だよな、しょうがねーよな!」

 素直にやった! と言えないのは、キルアの性格だろう。「国境を超えるとなると色々まためんどくさいから、行くとしてもすぐには行けないよ」キルアと対照的にミセルは冷静なままだったが、それでもキルアは嬉しかった。外出の目的がつらい修行だとしても、ミセルがいるのといないのとでは大違いだ。

「うん、わかってるって。先に行って待っててやるから」
「いや、まだ完全に行くって決めたわけじゃないけど……」

 そんなミセルの呟きは、すっかり舞い上がってしまっているキルアの耳には届かない。浮かれている自分が気恥ずかしかったのと、いい加減家に帰らなくては、という気持ちも相まって「それじゃあな!」と慌ただしくその場を後にした。
 実際に、今日のキルアはいつもより、長居しすぎていたのだが……。


▲▽


 ゾルディック家の執事養成所を出て、数か月。
 普通の執事でさえなかなか呼ばれることのない部屋に、まだ見習いの身であるカナリアがはせ参じるのは初めてのことだった。
 雇用主であるゾルディック家のご長男――イルミ様。彼は、カナリアが仕えるキルア様と一回りも年が離れており、既におひとりで仕事をされている。特にこれといった接点もなく、多忙を極めるはずのイルミ様に呼び出されるなど、普通で言えばありえないことだった。

「イルミ様、カナリアが参りました」
「そう。入れて」
「……失礼いたします」

 まだ見習いで粗相があってはいけないと、取次役を買って出てくれた先輩に促され、カナリアはイルミ様の部屋へ足を踏み入れる。キルア様と違い、随分と殺風景な室内に内心驚きつつも、カナリアは努めて表情を消した。何かおっしゃられるまでは、呼び出された理由をこちらから尋ねるべきではない。
 もっとも、カナリアには心当たりが既にあったのだが。

「お前がカナリアか。ほんとに、キルとそう歳も変わらないんだね」
「はい」

 そう言ったイルミ様はソファーに腰を下ろしていたが、まだ仕事着のままだった。帰宅後に誰かから報告を受けて、すぐにカナリアを呼んだということだろう。

「お前がキルア付き――いや、まだ見習いだから専属というほどでもないのか、とにかく、キルアの面倒をみることになったのは聞いてる。友達になってくれと乞われて、ちゃんと断ったということもね」
「はい……」

 カナリアの心臓はぎゅっと縮み上がった。キルア様との一件は二人きりのときに起こったもの。カナリアは誰にも報告などしていないのに、どうして知られているのだろうか。
 しかし、今回のことも露見しているのなら、特別疑問に思う必要はないのかもしれない。見習いのカナリアには、さらに監視がついていても不思議ではないということだ。

「それを聞いてね、なかなか優秀な見習いだって思ってたんだよ? 使用人として身の程を弁えているのは賢いことだ。なにより、キルアには友達なんていらない。そうだろ?」
「……はい」

 そういう教育方針なのだとは、養成所にいた頃に習った。執事見習いが最高の執事になるための教育を受けるように、彼らも暗殺一家の子供として最高の暗殺者になるための教育を受ける。
 それはキルア様だけでなく、イルミ様も、他のご兄弟もそうなのだと。特別可哀想なことではなく当たり前のことで、むしろ彼ら自身を守る教育であると。
 カナリアが小さく頷いたのを確認し、イルミ様はゆっくりと首を傾げた。

「でもそれなら、どうしてお前から報告がないのかな? ここ最近のキルアの行動について、まさか知らないわけじゃないだろ?」
「……申し訳ございません。については……特に脅威ではないと判断したため、監視のみにとどめておりました」
「判断するのはお前の仕事じゃない」

 冷たい、それでいて威圧するような言葉が返ってきて、カナリアは身を強張らせた。わかっている。イルミ様の仰ることは正しい。それでもカナリアはわざと報告しなかったのだ。楽しそうに同じ年ごろの少年と語るキルア様を見て、少しくらいは邪魔をしないであげたい、と思ってしまったのだ。そこには自分が彼の願いに応えられなかったという、罪悪感も確かにあった。

「申し訳ございません……わたくしからキルア様に関わるのをおやめになるよう申し上げます」
「もしもキルが嫌だと言ったら、お前はどうするの? 勘違いするな、執事がオレたちに何かを強制することはできない」
「で、では、相手の少年に二度と関わることのないよう警告いたします」

 底のない暗い瞳で、イルミ様がこちらを推し量るようにじっと見つめてくる。「き、聞いていただけないのなら、力ずくでも……!」カナリアがそう付け加えても、イルミ様の表情は変わらなかった。が、しばらくして彼は、不意にいいよ、と言った。

「それでいい。だけど、お前に任せていたらまた勝手な判断をしかねない」
「……」
「面倒だけど、そいつのことはオレが片付けるよ。どうやら、わかったほうがいいのはキルだけじゃなく、お前もみたいだしね」

 下がっていい、と言われ、カナリアは寛大な処置に感謝と、イルミ様の手を煩わせることに対し謝罪を述べた。その声は自分でもわかるほど、固く強張っていた。

「冷や冷やした……よかったわね」

 部屋を辞すなり、安堵した様子の先輩に肩を叩かれるが、カナリアは立ち尽くすだけで精いっぱいだった。
 
(自分がもっと早く行動していたら……。キルア様も、あの少年も……)

 考えただけで、カナリアは吐きそうになってしまった。取り返しのつかないことをしてしまったと、抱えきれない後悔が重くのしかかる。

「それにしても大きなお咎めなしとは意外だったわ。あなたがまだ見習いだから、イルミ様もチャンスをくださったのかもね。これからはご期待を裏切ることのないよう、頑張るのよ」
「はい……」

 先輩の励ましに弱々しく頷いたが、カナリアだけは知っていた。
 イルミ様は自分を許したのではない。こうすることが一番カナリアへの罰になると、ご判断されただけなのだ。


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