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■ 02.カルチャーショックに殴られる

 パドキア共和国デントラ地区。
 その北部に位置するククルーマウンテンは、標高3722mもある死火山であり、地元では人気の観光スポットである。しかしながら、この山に登山やハイキングを目的として訪れる客は皆無であり、恐ろしく険しい斜面というわけでもないのに、記録として公式な登頂は未だ達成されていない。
 というのも、何を隠そう、この山全体が伝説の暗殺一家の暮らす私有地だからだ。


(さすがにこんな深夜までは、観光バスも出てないみたいだけどな……)

 わざわざ人の家なんか見に来て、何が面白いのやら。
 普通は自宅が観光地扱いされることにまず疑問を抱くべきなのだが、幼い時から有名人扱いが当たり前になってしまっているキルアは、彼主観で特にこれと言った見どころの無い玄関門を見つめた。観光客が来るのはこの試しの門までだ。ちゃんと山に立ち入ることもなければ、屋敷やそこで暮らす住人に出会うようなこともない。そんな何の面白みもないツアーが人気だなんて、キルアにはちっとも理解ができなかった。だいだい有名と言っても、実際にキルアたちが名乗った際に返されるのは恐怖の表情ばかりだ。さすがに6歳ではまだ完全に一人で仕事をするようなことはなかったが、それでもキルアは既に多くの命を奪っている。人に嫌われる仕事をしているという自覚は、十分にあった。

(あーあ、つまんないの。せっかく外に出ても、こんな時間じゃ寄り道するところもないし)

 今日もまた、いつものように兄イルミと一緒に仕事をこなしてきたばかりだった。兄のほうは他にも仕事があるとのことで、キルアだけ先に帰ることになったのだが、どのみちこっそりと執事の監視がついているのはわかっている。自宅まできっちりと送ってくれないのは、キルアがまだ試しの門を1の扉までしか開けることができないからだ。日常生活のすべてが修行であるこの家では、誰もキルアを甘やかしてはくれない。長男を押しのけて後継者として期待されるほど、強くその血を受け継いだ子供なら尚更だ。
 キルアは両手を扉につき、ため息とも深呼吸ともつかないものを吐き出した。

「誰? そこにいるのはわかってるんだけど」

 別に扉を開けるところを見られても、特に困るものではない。鍵などかかっていないこの門は、もともと力さえあれば誰だって通れるように作られているのだ。
 しかし、こんな時間にわざわざ暗殺一家を訪れる輩は、ただの観光客ではないだろう。別に執事たちに任せても良かったが、退屈していたキルアは少し脅しつけてやろうと思って殺気を飛ばした。がさり、と近くの茂みが風もないのに揺れる。

「3数え終わるまでに出てこないと殺す」
「……」
「3……」
「で、出ます!」

 意外なことに、返ってきたのは子供の声だった。そして言葉通りに、声の主は転がり出る様に姿を現す。「おまえ……」やせぎすの、ぼろをまとった少年(・・)。歳は自分と変わらないくらいか。少なくともキルアにはそう見えた。相手が子供だからと言って油断するわけではないが、家族以外の同じ年ごろの子供とまともに向かい合うのは初めてで、少し興味がわいた。

「何してた、こんなとこで?」
「わ、わたくし、怪しいものではございません!」
「怪しいから聞いてるんだよ。子供がうろつく時間じゃないだろ」

 初めに殺気を飛ばしたせいか、少年はびくびくとしていたが、キルアが”子供”といったのが癇に障ったのだろう。「それはお互い様だと思いますけど」少しむっとした口調になったのがとてもわかりやすかった。

「オレは遊んでるんじゃなくて仕事帰りだからいいの」
「仕事……?」
「そ。わかるだろ」

 この時間、この場所。キルアはあえて名言を避けたが、きっとこの少年も他の奴らと同じように恐怖を浮かべるだろうな、と思っていた。最初に声をかけた動機は”脅しつける”ことなので、別に怖がられても問題ない。ただなぜか同時に、ちょっぴり残念だな、という思いが胸によぎった。

「パドキアは児童労働を認めているのですね……! しかも深夜まで! 素晴らしい!」
「は?」
「ありがとうございます、参考になります。ここならわたくし、やっていけそうでございます! 新天地です!」
「ちょ、ちょっと待て、何を、」

 思っていたのとなんだか違う。
 キルアは怖がるどころか満面の笑みで大喜びしだした少年を前に、ただただ呆気にとられるしかなかった。むしろ、得体のしれなさという意味では、キルアのほうが恐怖していたかもしれない。少年は固まるキルアに少しも気づかず、あ、そうだ! と手を打った。

「いつもこんな時間までお仕事されてるんでしたら、護身用の武器などいかがでしょうか? この辺りは少々治安が悪うございますからね。なんでも、そこの大きな門の先には伝説の暗殺一家が住んでいるとかいないとか。賞金首狩りの方も多いそうなので、ナイフの1本や2本持っていても損はないかと思います、はい。それに先ほどちょうどいい品が入荷したばかりでして、お客さん、本当にいいタイミングでしたねぇ」

 少年は、目の前のキルアがその暗殺一家の人間とはつゆほども思っていないようで、嬉々としてぺらぺらと喋りだす。おまけに茂みに戻ってがさごそと何かを物色したかと思うと、本当にナイフを数本、キルアの目の前に差し出した。

「どうです、こちら。携帯性を重視するならフォールディングナイフですが、メンテナンスの簡単さで言えばシースナイフもおすすめです。機能性重視ならツールナイフでしょうか。缶切りやスプーンはもちろんのこと、爪切りや耳かきまで付属しているんですよ。わたくしよく、自宅で耳かきをなくしてしまうんですが、これさえあればもう安心。いつでもどこでもかゆいときにかける! おすすめの一品でございます」
「お、おい……」
「あら、そうでした。護身用でしたね。でしたらこちらのシースナイフとツールナイフをセットでいかがでしょうか。今なら特別にこちらの専用ケースもおつけさせていただきますよ」
「いや、そうじゃなくて、あれ、」

 キルアが目を離せなくなっているのは、様々な種類のナイフではない。それを勧める少年の後ろ。彼が商品を取り出してきた後ろの茂みから、ちらりと覗いている白い物体だった。

「どう見ても……」
「あ、あらいやですねぇ! おほほ!」

 人骨だろ、と言おうとした瞬間、少年は目にもとまらぬ動きではみ出ていたものを蹴り飛ばし、茂みの中に隠した。

「やはりこの辺りは物騒ですねぇ。お客さんも気を付けてくださいよ」
「いや、誤魔化されないって! お前、さては、」
「盗んでなどおりません! わたくしはただ、落ちているものを少しでも皆様のお役に立てようと、善意でお配りしているでだけでございます!」

 死体や武器がそんなにあっさり落ちているものか、と言いたいところだが、この家の住人であるキルアは当然知っていた。自分の家に賞金首目当ての人間が武装して毎日のように押しかけていること。試しの門を開ける以外のルートで侵入すると、番犬であるミケに食い殺されること。そしてゾルディック家の番犬は大変お行儀がよく、きれいに肉だけ頂いた残りの骨や衣服、装飾品の類は外へぽいっと捨ててしまうことを。
 脳内ですべてが繋がったキルアは、今度こそぎょっとして目の前の少年を見つめた。

「お前、人ん家の前でなんてあくどい……」
「人の家? あら、それではここのおうちの方でしたか。これはこれは失礼いたしました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
「よろしくって……」
「あら、わたくしが頂いているのはあくまで家の前の物だけでございます。山一帯は私有地とお聞きしていますが、門の前に落ちているものは遺失物、という扱いになりましょう。真面目に届け出て、3か月間落とし主の方が現れるのを待ってもよいのですが、この分ではそれも期待できないですしねぇ」

 少年は自分の利権が脅かされると思ったのか、まるで牽制するかのようににっこりと笑った。が、キルアがつっこみたいのはそこではない。いや、つっこみたいけれど、少なくとも落ちている武器の権利を争いたいわけではない。
 死体には慣れており、決してまっすぐな倫理観を持ち合わせているとはいえないキルアをドン引きさせたのは、なんというか少年の”生き汚さ”そのものであった。特殊な環境とはいえ裕福な家庭で育ったキルアには、死体から物を剥ぐという発想がなかったのだ。

「別に落ちてるものはウチには関係ねーけど……」
「ご理解いただけて幸いです。御社の益々のご発展をお祈り申し上げます。こちらもその、色々と……ありがたい限りですので! ぐふふ、それではわたくしは失礼させていただきますね!」

 少年はそれだけ言うと、茂みの中から大きな荷物を背負って出てくる。おそらくはあの中に、かっぱらった戦利品の数々が仕舞いこまれているのだろう。彼が満面の笑みで会釈をして去った後も、キルアはしばらく呆然とそこに立ち尽くしていた。

(ほ、ほかの家も結構大変なのかもしれない……)

 常々、自分の家ばかりが特殊で大変なのだと不満に思っていたキルア少年。
 今日は彼が、世の中にはまだまだ自分の知らない世界が広がっていることを知り、心の底から震撼した記念すべき日となった。
 

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