- ナノ -

■ 01.世間知らずは夢を見る


 少女は悟った。
――暴力は手っ取り早い解決手段だが、それをできるのは力のある者だけであると。
 少女は思った。
――恵みを頂くのはありがたいが、施しのみでは生きている実感が得られないと。
 また、少女は知っていた。
――どれだけ強固な仲間意識を持とうと、この街の人間は血の繋がらない赤の他人なのだと。

「ミセル! 聞いたぞ、本当に行く気なのか?」

 荷造りも終え、いよいよ旅立ち。
 そう思った矢先、彼女のねぐらにノックも無しに飛び込んできたのは――実際、廃材を寄せ集めたあばら屋では、ノックも不要なほどこちらに向かってくる足音が筒抜けだったのだが――この辺りの浮浪児達のリーダー格である少年だった。
 彼はよほど急いでやってきたらしく、息があがっており、額にはうっすらと汗をかいている。そしてミセルが背中に大きな荷物を背負っているのを見るや否や、ぎっと目を吊り上げた。

「どうしてだよ、一緒に盗賊団になろうって言ったじゃないか! オレたちの先輩みたいな――幻影旅団みたいな盗賊になるって!」
 
 少年――ヒメロの訴えは実に情に訴えかけるものであったが、かえってそれは現実主義のミセルを興ざめさせる。ミセルは思った。こいつ、わたしよりも5つも年上の癖して、まだこんな夢見がちなことを言っているのか。ドン引きだ。
 彼の目指す幻影旅団の団長は、彼と同じ13歳で組織を結成し、この街を去ったと聞いている。自分と比べればその差も歴然だろうに、いい加減目を覚ませと張り倒してやりたい気持ちになった。

「勝手に盛り上がってたのはそっち。わたしはならないって何回も言ったでしょ! だいたい、盗賊になりたきゃ今すぐにでもなればいいじゃん」
「そ、それはお前が、”旅団”っていうのは普通、1500人から6000人くらいで構成されるもんだって言うから、オレは頑張って仲間を集めてるところで……」
「あんたが唐突に”旅団”ってどういう意味だって聞いてきたから教えてあげただけで、集めろなんて言ってないし! 盗賊にも旅団員にもならないわたしには関係ないし!」

 これまでにも何十回、何百回と断ってきたはずなのに、ヒメロはそれを聞いていっぺんに真っ青になった。「だって……お前の才能がなきゃあ、どうやってやって行けっていうんだ?」知らんがな。青ざめるヒメロに対し、ミセルは今や青筋を浮かべている。彼の言う、”ミセルの才能”とはいわゆる金儲けの才能で、この幼馴染はリーダー格になれる程度に人望や腕っぷしはあっても、金に関する甲斐性はとにかくからっきしなのであった。

「どうするもなにも、盗賊になるってんなら、盗んで売って生計立てたらいいじゃん」
「ほら、お宝を手に入れたら、金が儲かるじゃないか。お前の好きな金儲けだろ、いったい何が不満なんだ?」
「だから、そのやり方だと金儲けの楽しみが――自分でビジネスモデルを構築するわくわくや、血沸くコストパフォーマンスの追求、どきどきするような駆け引きやネゴシエーションが、無いって言ってんの! わたしが好きなのは(ジェニー)じゃなくて、金儲け(ジェニタイズ)! しょうもない転売屋なんかで、一生を終えるつもりはないんだから!」

 ここで邪魔されてなるものか。
 ミセルは宣言した勢いのまま、戸口を塞ぐようにして立つヒメロに向かって突進する。暴力は手っ取り早い解決手段だ。まともにやりあえば異性で年上のヒメロに勝てるはずもなかったが、ビジネス本――もちろん流星街に捨てられていたものだ。ミセルのバイブルである――の単語を捲し立てられて、向こうが困惑している今ならいける。実際、荷物の重さの分だけ強化された体当たりは、ヒメロを突き飛ばして尻もちをつかせるには十分であった。

「お、おいっ、ミセル!」
「……食い扶持の稼ぎ方は小さい子たちに教えた。やるかどうかは皆次第だけどね」

 最後にそれだけ言うと、じゃあ、とミセルは甲斐性なしの幼馴染に背を向けた。確かに彼らとは幼い頃から身を寄せ合って暮らしてきたが、だからと言って一生面倒を見る義理はない。孤児であるミセルには血の繋がった家族はいなかったが、たとえ本物の家族だってそこまで責任は持たないだろう。そんな話がまかり通るなら、そもそも孤児など存在するわけもないのだから。
 
 かくして少女は、この世の何を捨てても許される場所――流星街を旅立った。
 捨てる側というのも、別段楽しい気持ちになるわけではないのだな、と思いながら。



▲▽


「あ、あのっ、」

 ちらり、と向けられた視線は、こちらの姿を確認するなりさっと逸らされる。その際、不快げに眉を顰められるならまだマシなほうだ。大抵の人々はミセルの姿を見るなり、まるでそこに何も存在しない(・・・・・)かのように、足早に通り過ぎていく。
 高層ビルの立ち並ぶ、大都会ヨークシンにおいて、ぼろをまとった子供は明らかに浮いていた。年に一度のオークションの時期ならばもう少し雑多な人間が集まるが、生憎今は9月ではなく、ミセルが得意とするような交渉事ができる下見市や業者市が立ち並ぶのも、都心からは離れた郊外ばかりだ。

 いくら金儲けにちょっとばかし自信があったって、ミセルはやはり8歳の世間知らず。流星街の――生活水準は街のどこでも変わらないような――暮らし以外をほとんど知らない彼女は、都会というところがどんな場所かわかっていなかった。ただ、発展している。ただ経済が回っている。そうとしか考えていなかったミセルは、働き口くらいすぐに見つかるだろうと高をくくっていたが、なんと都会では人を雇うのに、履歴書だの面接だの色々手続きが必要らしい。おまけに子供に仕事をさせるのはコンプライアンス違反だとして、まともな企業なら受け入れないだろうとまで言われた。『立ってる者は幼児でも使え』、『あんよは上手、世渡り上手』が普通の世界からやってきたミセルにしてみれば、初耳もいいところである。

 しかも、働くのを断られるだけならばまだしも、ミセルに親も住む家もないと知るや、児童養護施設を紹介したり、お節介にも警察を呼ぶ大人までいたりして、ミセルはとんでもない! と死に物狂いで逃げ出すしかなかった。せっかく都会までやってきたのに、子供で集められて子供ができることしかやらせてもらえないのなら意味がない。むしろお綺麗なことしかできない分、流星街にいた頃より稼げないだろう。だいたい、親がいないだけで警察まで呼ぶとは何事か。親がいないだけで、犯罪者扱いか。もちろん、こうした大人たちはミセルに善意の手を差し伸べたつもりだったのだが、出稼ぎと称して流星街近隣の田舎に繰り出した際、悪い意味で警察を呼ばれたことしかないミセルには伝わるはずもなかった。


「はぁ……ダメか……」

 
 徒歩での移動には慣れている。が、どこまで歩いても歩いても、ヨークシンにはミセルの求める働き口はない。もちろん、彼女の目指すところは最終的には”起業”であり、これまでの生活でせっせと貯めた金は幾ばくかあったが、いくらなんでも一から事を起こすには資本もノウハウも足りない。おまけに考え方も文化も何もかも流星街とは違いすぎて、何かを仕掛けるにも顧客のニーズがさっぱりわからなかった。つまりミセルは、出立一日目にして、早くも大きな壁にぶち当たったのである。

「あーせめて雇ってくれたらなぁ。そりゃあ、経験もないのにいきなり社員にしてってのは無理だろうけど、掃除だってビラ配りだってなんだってやるのに、まさか子供が働いちゃいけないなんて……」

 そんなことはミセルのビジネス本(バイブル)には書いていなかった。ひとまず、人目を避けて路地に引っ込み、荷物の中から取り出した本を改めるが、”起業”に関することは説いてあっても、就職に何が必要かの記載はない。そもそも、その”起業”の話だって、具体的なものではなく心構えばかりだ。
 ミセルはページをめくる手が震えるの感じた。もしかすると真に夢見がちだったのは、盗賊団の結成を目指すヒメロではなく、自分のほうだったのではないか。少なくとも、盗賊団に年齢の縛りはないだろう。面接くらいはあるかもしれないが、経歴・学歴・戸籍も不問なんて、今考えてみると素晴らしい職場だ。

 一度、戻って作戦を練り直そうか。弱りかけた心が楽なほうへ手を伸ばしかけるが、いや待てと首をふる。家出少女ではないのだから、一日で帰るなんて恰好がつかない。赤っ恥もいいとこだし、ヒメロにからかわれて、この先一生頭が上がらないなんてのもごめんだ。
 ぐぬぬ……とミセルが一人で唇を噛みしめていると、不意に人の話し声が耳に飛び込んできた。通りのほうではなく、ミセルのいる路地裏の更に奥のほうだ。体格のいい若い男が二人。ちょうど、室外機やらなにやらが影になってこちらには気づいていないらしい。

「は、話が違うじゃねぇか、都会ならなんでも揃うって言ってただろ!」
「そうさ、それ自体は間違ってねぇ。だけど、オレたちみたいな田舎モンは門前払いだった、それだけのことだ」

 どうやら二人は揉めているらしい。しかも聞いた限りでは、まさにミセルと同じような問題にぶつかっているようだった。争い事は避けるに限ると思っているミセルでも、流石に他人事とは思えずそっと聞き耳を立てる。

「まさか、マフィアに雇ってもらうのにもこんな苦労するなんて……やっとの思いで斡旋所までたどり着いたのに、”視える”かどうかなんてわけわからない質問されて門前払いなんて納得できるかよ」

 がん、と苛立たし気に男が壁を殴る。
 やはり、就職はどこも厳しいらしい。ミセルは真っ当な仕事に拘るつもりはなかったが、ひとまず脳内でマフィアの下働き、という項目を消した。

「おまけに、雇うどころか取引も無理だって!? 武器も満足に用意できなきゃ、賞金首狩りで稼ぐってのも夢のまた夢だ!」

 どうやら男たちは、とことん裏稼業にしか興味がないらしい。確かに、暴力は手っ取り早い解決手段だ。自分にも力があればそういう道もあったかもしれないな、とミセルは頷き、同時に非力な我が身を嘆く。やはり自分は盗賊団の参謀――いや、財務部に収まっているほうが合っていたのかもしれない。決裁の必要な上司がいるというのは少々面倒だが、ヒメロ相手ならうまく丸め込める自信もある。

 帰るか。いざとなれば、5つも年下ということを持ち出して、泣き落としにかかればよい。生い立ちのせいか、生来の性質か、ちっとも子供らしい可愛げのないミセルだったが、子供という武器の使い方くらいは知っている。しかし、立ち上がろうとしたミセルの動きを止めたのは、これまで責められっぱなしだった男の言葉だった。

「安心しろ、武器を手に入れる伝手ならある。それも無料(タダ)でだ」
無料(タダ)で!?」

 思わず声を出してしまい、はっと口を押えるが、幸いにも叫んだのはミセルだけではなかった。文句をたれていた男のほうが、にわかに活気づく。

無料(タダ)って、マジかよ!? また騙されてんじゃあないだろうな!?」
「今度はマジだ。いいか、ここから距離はあるがパドキアのデントラ地区に――」

 ミセルは大急ぎで脳内のメモ帳に儲け話を記した。武器、大量、ほぼ無限。それが本当ならば、ひとまず”起業”に必要な資本の問題は解決する。パドキアまでの交通費は痛いが、初期投資分が浮くことを考えれば出費のうちにも入らないだろう。あとはスピード勝負。男たちには悪いが、こんなところで儲け話をしているほうにも問題がある。

(いざ、パドキア!)

 かくして少女は、夢みたいな実話がごろごろ転がっている街――ヨークシンを去った。
 ここで聞いた儲け話なら、どんなに夢みたいでも賭けてみる価値はあるだろうと信じて。
 
 

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