- ナノ -

■ 8.世界の果て



実は、かなり前から逃げ道は見つけていたのだ。

そもそもここは廃墟。
いたるところに入口とも出口ともつかない穴が空いているし、監視の目さえなければ逃げ出すのはそう難しくない。

ララはちょうど子供一人がやっと通れるだけの穴から、はい出るようにしてアジトを抜け出した。
幸い、侵入者の姿はない。
もしも賞金首ハンターならそれも当然だろう。

再び大きな音が響いて、フェイタンがまだ戦っているのだとわかった。
そして、蜘蛛の首を狙う彼らなら間違いなく音のする方に向かうはずだった。

ララは足を引きずりながら、桜の木へと向かう。
痛まないせいで気にしていなかったこの足も、急いでいる今はとてももどかしい。

早く、フェイタンが私がいないことに気づかないうちに─
そして、クロロたちがここへ帰ってこないうちに─

自分から安全な場所を離れるなんて、馬鹿げていると思った。
だけど、答えがそこにあるかもしれないのに、何も知らないままで生きていくのは辛かった。

私は誰?
なぜ、蜘蛛は私を引き止めるの?

自分の事すらもわからないで、ただ眠り、食べているだけじゃ、それは『生きている』なんて言わない。

流星街にいた頃を思い出せ。
欲しいものがある時はどうするの?
そんなの、自分で手に入れるに決まってる。

ララは近づいてきた桜の木に、ふっ、と笑みをもらした。
その木のすぐ傍らに、こちらを向いて立つ人影を認めたからだ。

「…止めるの?」

世界の果てはもうすぐそこ。
ララはひどく無感動に、その人物に問いかけた。


「止めて欲しいかい☆?」

ヒソカはララとは対照的に、ニッコリと笑って見せた。
桜の木にもたれかかり、試すようにこちらを見下ろす。
ララはゆっくりと、首を横に振った。

「団長に出るなって言われてたんだろう💓?」

「私は団員じゃないもの」

「じゃあ、クロロと約束したんじゃなかったのかい☆?」

ヒソカは相変わらず食えない笑みを浮かべると、とても楽しそうにアジトを眺めた。
もしかしたら、侵入者をけしかけたのは彼なのかもしれない。
根拠はないし、そんなことをしてヒソカになんのメリットもないが、直感的にそう思った。

「約束は破ることにしたの」

「ククク……そうかい★」

「だから、ヒソカも早くどこかに行ったほうがいいよ。
このままここにいたら、私が居なくなった責任を取らされるかも」

「うーん、それはフェイタンだけに任せるとしよう💛」

そう言うとヒソカは、おどけた仕草でこちらに向かって礼をした。

「では、お嬢さん。よい世界を☆」

彼は止めない、ということらしい。
誘導するように伸ばされた腕の先には、私の知りたかった答えがあるのだろうか。

「さよなら…止めないでくれてありがとう」

ヒソカは私の知らない答えを確実に知っている。
だけど、彼から聞いて納得するような性格ではないことくらい自分で一番良くわかっていた。
とうとう彼は最後の最後まで、かわらぬ笑顔で見送ってくれた。

桜の木を超えた瞬間、ララは走った。
明確な理由はない。
一線を超えたという開放感と、それから約束を破ったという罪悪感から懸命に走る。
そうでもしないと今にも後ろから手が伸びてきて、元いた場所に引きずり戻されるような気がした。

─クロロ、ごめんね

そう呟いたはずなのに、自分の声は聞こえなかった。
体が軽い。
骨折していた足も嘘みたいだ。

こんなに走ったのに、息一つあがってもいない。
おかしい、と思って、ララは走るのをやめた。
いや、そもそも私は走っていたのだろうか。

振り返ると、そう遠くない位置に桜の木。
そのすぐ傍らに、ピエロの姿はなく、代わりに地面にうつぶせに倒れる影。

ララは、すぐにそれが誰なのかわかった。

見間違えるわけない。
だってそれは『私』だったからだ。
『私の体』がうつぶせになって倒れていた。

そして、ララが自分の姿を確認した瞬間、膨大な量の記憶がとめどなく脳裏に浮かび上がった。


蜘蛛のメンバーと過ごした日々。
それも、ついさっきまでのものではなく、もっと幼い、彼らが子供だった時のもの。

─ララはここに来る前、何人かの子供達とグループを作って生活していたみたいよ

─そうか……思い出せないか

全てを思い出したとき、ララの頬を温かいものが伝った。
いや、それすらも記憶の中にある、涙の感触をなぞったにすぎないのかもしれない。

ごめんね、クロロ。
クロロがどんな思いで約束したか、今になってわかったよ。
魂だけのララの声は、もう誰にも届かない。

だけどたとえ消えてしまっても、彼らは私のことを忘れないだろうと思った。


桜の木の下には、物言わぬ少女の死体が一つ。
幸せそうに微笑んでいた。

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