■ 7.世界の綻び
「いいな?絶対だぞ?」
「…うん、わかってるって」
出かける前に、クロロはしつこいくらいに念を押した。
─アジトから出るな、桜の木を超えるな…
初めてここに来た時は、淡い桃色に色づいていた桜も、今はもう緑をすっかり通り越し、冬支度を始めている。
それなのに依然として治ることのない私の足は、骨折なんかじゃなくてとうの昔に死んでしまっているのだろうか。
ララはゆっくりと本から顔をあげて、クロロを見る。
暇を持て余した結果、小難しいクロロの本にまで娯楽を求めるようになっていたのだ。
それこそ、中にはハンター文字ですら書かれていない物もある。
だけど、少なくとも歴史書なんかは、物語を読んでいるみたいで面白かった。
「そうか……なるべく早く帰る」
「ここにも待機して残る人いるんでしょう?」
「あぁ、いるにはいるが…一応だ」
まるで、私を見張るかのようにアジトに残されたのはあのフェイタン。
普段なら、絶対に積極的に仕事に出かける彼が、団長命令とはいえ大人しく待機してるなんてやっぱりおかしい。
そりゃ、もしものことがあった時には、非常に心強くあるわけだが……
「大人しくしているんだぞ」
「うん、それより仕事にもその本持ってくの?」
もうクロロが持っている本が、ただの本ではないことくらいわかっていた。
きっと、あれは彼の念に関係するもの。
蜘蛛の皆に出会って、それとなく念のことは聞いていたが、記憶を読めるパク以外に、それぞれ色んな念の形があるようだ。
ララの質問にクロロは少し眉をひそめると、それから苦笑した。
「本のない人生なんて、つまらないだろう?
きっとこれがなければ死んでしまうだろうな…」
彼は自分の念を教えてくれない。
にしても、常に本を持ってなければならないなんてとても不便だと思った。
「行ってらっしゃい」
「あぁ、絶対にアジトから出るなよ」
ララは再び本に視線を落とすと、ふぅ、と深いため息をついた。
「……ご飯、食べないの?」
「飯か。食べたかたら、好きに食べるといいね」
「どうせ作るのなら、同じことだから」
フェイタンはあまり喋らない。
それこそ、ララから何か用事があって話しかけなければ、会話も起こらない。
だけど不思議と嫌われているようには思えなかったし、ララも嫌いではなかった。
別に、黙っていても当たり前。
気まずくもないし、他人行儀でもない。
現に、ララが用意した簡単な料理を、フェイタンは黙って食べていた。
「ねぇ、クロロは何を考えてるの?」
食事の時は、口元の覆いをずらしていたフェイタンと、正面から目が合う。
その鋭い瞳は、一瞬だけ驚いたように見開かれた。
「ハ、そんなのワタシにわかるわけないね」
「じゃあ、フェイタンは不満じゃないの?」
「何が?」
質問に質問で返され、ララも食事の手を止める。
決して険悪な雰囲気ではない。
ただ、二人の間の空気には張り詰めたものがあった。
「だって、いくら慈善活動でもおかしい。噂に聞く蜘蛛らしくもない」
今までの経験上、団員の中で最も蜘蛛の在り方に厳しいのはフェイタンだ。
その彼が今の、何の役にも立たないよそ者の少女を抱え込んでいる現状に、不満を抱かないはずがなかった。
「…団長が決めたことね。
ワタシ、それ従う。それだけよ」
「……そう」
答えてくれる気は、やっぱりないか。
ララだって馬鹿じゃない。
彼らはひた隠しに何かを隠していて、そしてきっとその答えはあの桜の木の向こうにあるのだろう。
しばらくして食べ終えた二人分の食器を片付けるため、ララは黙って席を立った。
**
食事の後はこれまでのように各々好きに過ごしていた。
ララは部屋に戻り、読書。
フェイタンは何かよくわからない武器の手入れに勤しんでいるらしかった。
今日の仕事はわりと大きな仕事らしく、ほとんどの団員が出はからっている。
とはいえ、最近はいわゆる蜘蛛結成当時からのメンバーがホームに留まっていることが多く、それ以外の団員はわりと自由に過ごしているらしかった。
「なんか……眠い」
お腹がいっぱいになったからか、文字の羅列が頭に入ってこない。
どうせ、ここにいる限りは何をしていたって咎められることはないのだ。
一眠りしようか、と本を閉じ、私のために用意された簡易のベッドへと潜り込む。
目を閉じて、さあ眠ろう。
そう思った矢先、地面を揺るがすような爆音が響いて、ララは飛び起きた。
─侵入者?
いくら蜘蛛の居心地がよくても、平和ボケなんかはしていない。
先程までの眠気も何処へやら、ろくに使えもしない小さなナイフを手に取る。
そもそもフェイタンがいるから心配はしてなかった。
それよりも、もしも本当に侵入者だったなら、チャンスは今しかないのではないか。
アジトを抜け出して、桜の木の向こう側を見るチャンスは─
ナイフは念のため護身用。
他の侵入者に出会った時に何もないよりかは心強いし、もしも逃げ出すところをフェイタンに見つかっても助太刀しようとした、と言い訳にはなる。
我ながら、悪知恵がよく働くものだ。
最後にララはそのナイフで、部屋に備え付けられた木の机にメッセージを彫った。
もしかしたら、もうここには戻ってこられないかもしれない。
下手に動けば、今の騒ぎに巻き込まれて命を落とすかもしれないし、あれほどクロロが念を押していた場所だ。
行けば二度と戻って来られない可能性も高い。
それでも私は『私を知る』ために部屋を出た。
狭い世界はもうたくさんだった。
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