■ 1.世界の境界線
─あそこに一本だけ、綺麗な桜の木が見えるだろう?
クロロはそう言って、真剣な顔で話始めた。
─桜って?
あれ?と指を指したのは、年の頃なら10歳くらいの少女。
体のあちこちに包帯が巻かれていたし、片足を骨折してしまっていて、松葉杖をついていた。
「ああ、そうだ。あれはジャポンの木なんだが、一本だけ植えてあるから目立つだろう?」
「うん、綺麗だね」
少女の名前はララと言った。
クロロ達と同じ、流星街出身だ。
ララはこの間までそこで一人で暮らしていたのだが、たまたま戻ってきていた旅団に拾われた
…らしい。
なぜ伝聞系かというと、本人にその記憶がないからだ。
後で皆から聞いた話によると、ララは悪い奴らに絡まれて、殺されかけていたそうで。
怪我の状態を見るに、相当酷かったのだろう。
だから物理的なショックか精神的なショックかは知らないが、記憶が曖昧。
ただ流星街で暮らしていたのだ、ということと、彼らの慈善活動によって救われたということぐらいしか、自分についてわかることはなかった。
「あの花、私好きだな」
「あぁ…花が咲くのは春だけだが、俺も好きだよ。
とても儚い花だ……」
口調はとても優しいのに、クロロはあまり幸せそうではなかった。
それは桜が儚いから?
こうして話している最中にも、風が花びらを散らしていく。
二人はしばらく、黙って桜の木を見つめていた。
「ララ、これは命令だと思ってくれて構わない。
……あの桜の木を越えて、遠くに行くな」
「そんなの、言われなくたってこんな体じゃ無理だよ」
「違う。治ってからもだ」
「……え?」
突然、そんなことを言われてララは面食らう。
旅団が慈善活動をする、とは聞いたことがあったが、てっきり怪我さえ治ればもうここを出なきゃならないのかと思っていたからだ。
もちろん蜘蛛の皆は優しいし、ここはとても居心地がいい。
だが、彼らがララをここに置いておくメリットは何もないはずだった。
「桜の木を目印にしたが、だからって反対側も駄目だぞ。
アジトから離れるな」
「……どうして?」
私をそうして閉じ込めることに、一体なんの意味があるのか。
クロロは少しの沈黙の後、お前を守るためだ、と答えた。
「私を?
どうして私を守るの?」
自分の身は自分で守るものだ。
そりゃ、ここにいれば旅団狙いの賞金首ハンターとか、ララの手に追えないような強い奴らも来るが、今まではずっとそうして生きてきた。
そして、それが当たり前だと思ってた。
だからこそクロロが何を考えているのか、何がしたいのか、よくわからなかった。
「言っただろう?慈善活動だと」
「私を拾ってくれるっていうの?
そんなことしてたら、旅団は孤児院になっちゃうよ」
「はは…それも悪くないかもな。
まず、お前はその第一号だ」
クロロはくしゃくしゃっとララの頭を撫でた。
何かを隠してるのは確か。
だけど、彼の横顔はそれを聞くなと言っていた。
「どうせ行くとこなんてないんだろう?
ここなら流星街よりかはいい暮らしをさせてやる。
……だから、ここから出るな。ずっとここにいろ」
「でも…ここにいて私は何をすればいいの?」
もちろん、彼の提案はララにとって願ったり叶ったりだ。
皆と一緒に居させてもらえるなら、なんだってするつもり。
今さら、盗みや殺しが何だと言うのだ。
あの街ではそんなことくらいありふれていただろうし、蜘蛛と過ごすからにはただのお荷物になりたくない。
今はまだ何の力もないけれど、どんな厳しい修行にも耐えて見せるから……
だが、ララの想いもむなしく、クロロはそうだな……と呟いてこう言った。
「アジトの中で出来ることならなんだっていい…なんなら、俺の本も貸してやる。
好きなことをしてればいい…」
「好きなことって、そんなわけにはいかないよ。
第一、クロロの本が私にわかるわけない」
クロロは読書家だ。
それもわけのわからない小難しそうな本ばっかり読んでいる。
今だってこうして人と喋っていたってお構いなしに本を広げているんだから……
「じゃあ何でもいい。好きな暇潰しがあれば、俺達が盗ってきてやる」
「え!ほんと?」
私に好きなことなんて……あるのかな
好きなことは生きること
今まではただ、ひたすら生きていくためだけに必死だったから……
うーん、と考え込みはじめたララにクロロは苦笑する。
それから、彼はもう一度同じことを繰り返した。
「とにかく、あの桜を越えて遠くには行くなよ」
「……わかったよ」
命令だ、と言ったくせに、彼の声には懇願の色が滲んでいたような気がした。
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