- ナノ -

■ あなたが息をしている間、ずっと変わらないことがある

 人生は長いようで短い。自分で始めた命でないことを思えば、八十というのは無責任に長い年月だが、このうちどれだけ自由でいられるかということを考えれば、いっそ不条理なほどに短いものだろう。子供の時は親の言いつけに従い、大人になれば家族を優先する。やっと子供が巣立ってさぁこれから自分の時間だという頃合いには、好きなことをやれるだけの体力も元気も残っていないかもしれない。

 とはいえ、これは普通の人生の話。しがらみを嫌って自由を求めた分、ギャングの人生はもっともっと短い。肥え太った老人になって、若手に傅かれて、大往生の果てに盛大な葬式をあげられるのはほんの一握りだけだ。大半はまだ若いうちに、呆気なくその命を散らす。花火のように、一瞬でも煌めけばまだいいほうだろう。ギャングの、しかも暗殺チームなんて日陰者たちは、路地裏で誰にも知られないまま死んでいく未来のほうがよほど現実的だ。

 だから、メローネは思う。限りある人生は楽しまなくては。やり残したことはなるべくないほうがいい。明日が来ないかもしれないのなら、嫌なことを後回しにして楽しいことを先取りすべきだ。

 人はそれを放蕩と呼ぶ。教会は堕落とさえ呼ぶだろう。

 それでは、彼らはなんと呼ぶのだろうか。メローネの視線の先にはチームの紅一点であるナマエと、リーダーであるリゾットが、膝を突き合わせて次の任務の話をしていた。

「向こうで、イルーゾォと合流すればいいのね」
「ああ。念のためだ。敵の出方には用心しろ」

 リゾットの声は低いけれど聞き取りやすかった。淡々とした口ぶりは親しい仲には不思議な落ち着きを与えるが、敵には冷酷な印象を与えるだろう。特別な感情が込められているようには聞こえなかったし、ナマエにかけられた言葉もリーダーとしてなんらおかしくない範囲のものだった。ただ、その瞳に宿る熱を見ると、メローネは少しだけ物足りなく思う。

「ええ、気をつける」

 対してナマエも、ごくあっさりと任務を呑んだ。上司と部下だから当然だ。けれども彼らがただ仕事上だけのよそよそしい関係でないことは、続くやり取りを聞けば明白だった。

「それじゃあ私がいない間、向日葵のことよろしくね」
「あぁ」
「水やりをかかさないでね。でも、昼間はだめよ、茹ってしまうから」
「わかっている」

 リゾットが頷くと、ナマエは安心したようににっこり微笑んだ。彼女はメローネがチームに配属される以前から、向日葵の花を育てている。毎年、種を取って、アジトのあまり日当たりの良いとは言えない庭に鉢植えで一本だけ。そしてナマエの向日葵がどんな劣悪な環境でも太陽の方向へ向き続けるように、彼女もまたずっとリゾットだけを見ていた。リゾットだって、もちろんナマエの気持ちを知らないわけではない。だって、彼女の代わりに向日葵の世話をするリゾットは、いつもとても幸せそうだったから。

「ほんと、まどろっこしいことをしてる。オレにはちっとも理解できないな」

 ナマエがアジトを出た後、メローネは言った。「ひょっとして、オレたちに気を使ってるんじゃあないだろうな」確かに、職場恋愛というのは上手くいっていても上手くいかなくても周りはある程度迷惑させられるものだ。しかしながら、こうもあからさまに想いあっているだろう二人が、くっつかないというのもじれったい。前に他のメンバーとも話題になったことがあるが、みな口を揃えてお似合いだ、と認めていた。なのに、当の本人たちが一向に動かない。

「別に気を使ってなどいない」

 リゾットはちらりと視線だけでこちらを見た。特徴的な黒目がちの瞳は、何を考えているかよくわからない。

「じゃあ実は、とっくにデキてたりするのか?」
「……いいや。オレとナマエは、そういう関係ではないな」
「プラトニックなのも悪くはないが、人生は短いんだぜ、勿体ないじゃあないか。あっさり任務に行かせて、それでナマエが死んだら絶対後悔するだろう?」
「するだろうな」

 小さく息を吐いて、リゾットの目は伏せられた。

「だが、それはお前たちの誰が死んでもそうだ。誰が死んでも、オレは後悔するだろう。任務に関してナマエだけを特別扱いすることはない」
「……」

 メローネは一瞬、虚を突かれて黙り込んだ。ずるい返しだ。しかも本気で言っているようだから尚更タチが悪いと思う。ギャングの儚い生を謳歌するには、もっと享楽的で薄情でなければいけないのに。

 メローネはますますもどかしさが募るのを感じた。ただ、ギャングが幸せだのなんだのを口にするのは憚られて、もう一度同じことを繰り返した。

「人生は短いんだぜ、リゾット」

 彼はメローネの親切な忠告に、少し口元を緩めた。メローネが本当は何を言いたかったのか、すべて見透かしているかのように。

「あぁ、知っている」



 △▼


 ソルベとジェラートが反旗を翻してから、ちょうど三か月。チームに回ってくる仕事はますます過酷なものになっていたが、裏切りに対する制裁が続けられているせいなのか、それとも本格的に暗殺チームは切られようとしているのか、なんとも決めかねるというのが現状だった。

 だが正直なところ、後者だとしてもナマエは問題ないと思っている。ジェラートの死体には“罰”という張り紙がされていたが、それを真摯に受け止め、健気に任務を遂行することで、ボスの赦しを乞うつもりなど毛頭ない。だいたい、どんなに頑張ったって、向こうに赦す気などハナからないだろう。チーム内ではボスの話はすっかりタブーになってしまったけれど、誰もが口に出さないだけで思っている。

 ――いつか必ず復讐する。もはや殺すか、殺されるかの二択しかない。

 ギャングの世界に足を踏み入れた瞬間から、そういう殺伐とした生き方はある種決定事項だったのかもしれない。今更、自分だけは寿命いっぱいまで幸せに、なんて考える方がどうかしている。

 ナマエは横たわるターゲットの額に手をあてて、静かに息を吐いた。

「こいつが本命だわ。仕事はおわり」
「ったく、手間かけさせやがって。何が情報分析チームだよ。ガセネタばっかじゃあねーか」

 ターゲットの顔をもう一度確認し、イルーゾォは悪態をついた。
 この顔を殺すのは三度目らしい。特殊な能力よりもありふれている分、整形手術の進歩のほうが恐ろしいかもしれない。そのため、ターゲットを首尾よく殺せたとしても、本当にそれが本物なのかどうかまでいちいち気を払わなくてはならないのだ。

「まあ、言ってもそれだけ身代わりを用意できるのはごく一部の金持ちだけよ」

 ナマエは今しがた見たばかりの記録を振り払うように、軽く頭を振った。死んだターゲットは書類の上では裏の人間として恥じない悪行を行っていたようだが、もちろん人間には様々な面がある。家族にとっては妻思いで、子煩悩な夫でもあったらしい。

 ナマエのスタンドーーロォーン・ディレクションは物質に残留する記録を読み取ることができるものだった。物質というだけあって、命ある生き物には使うことができないが、皮肉にも死体というのは物として認識される。そして得られるものは記憶ではなくあくまで記録なので、人の思い込みや認識間違いが挟まれない点では情報精度の高い代物だった。

「ちっ、三人殺して、一人分かよ。こんなことなら最初からナマエを呼ぶんだったな」
「それは運が悪かったってことで。私だって、予定にない出張に迷惑してるんだから」

 交通費、なんてみみっちいことは言いたくないが、実際今の暗殺チームに金銭的な余裕はあまりない。仕事の単価は下がるばかりで、いっそ副業でも始めるべきかと思うが――実際、ギャングとして長くなればなるほど不動産や別のビジネスに手を出すのは珍しくない――暗殺チームは同じギャングの中でも一層深い闇の中で生きている。普通の人の仮面を被って生活するのは、そうそう簡単な話でもなかった。

「せっかくアンダルシアまで来たんだ、ついでに観光してもリゾットは怒らねぇだろうよ」

 イルーゾォに許可してもらい、彼の鏡の中の世界に足を踏み入れる。これでもう、追っ手が来たとしても心配しなくていい。人を殺した後とは思えないのどかさで、反転したターゲットの屋敷を二人は歩いた。

「向日葵畑でも眺めてくればいいんじゃねーか? お前、育てるくらい好きなんだろ」
「一人で? それに、イタリアでも見れるもの、わざわざ見る気しないわよ」
「そうかよ、ま、オレは何かうまいもんでも食って帰るかな」

 どうやら、イルーゾォは最初からそのつもりだったらしい。ナマエを適度にひと気のないところまで送り届けると、帰るなら先にリゾットに報告しておいてくれ、と言った。

「ほどほどにね。金欠になって迎えに来てくれとか、ありえないから」
「そうは言うが、あの世に金は持ってけねぇよ。人生は短いんだ、楽しまないとな」

 いかにもギャングらしい言い草だ。

「ついでに、いい加減リゾットともなんとかしろよ」

 ナマエは苦笑して、鏡に向かって手を振った。

 これで仕事はおしまい。ナマエだって観光やちょっとした買い物に興味を引かれないわけではなかったけれど、彼の言う通り人生は短いのだ。それなら一秒でも早く大事な人のところに帰りたい。

 一人で一面の花畑を見るよりも、二人で一輪の花を見る方が幸せだと思うのだ。


 △▼


 ただいま、と彼女が言うのと、リゾットが振り返るのはほぼ同時だった。

「ああ、おかえり」

 わき目も振らずに直帰した場合、今日着く頃合いだろうと思っていたが、どうやらその予想は当たっていたらしい。会いたかったという言葉を呑み込み、ただナマエの瞳をじっと見つめる。彼女はリゾットが律儀に昼間を避けて水やりをしているのを見て、その表情を花のように綻ばせた。

「えらい」
「約束したからな」
「守らない男もたくさんいるわ」

 ナマエはそう言うと少し身をかがめ、花の機嫌を伺うように顔を近づけた。「オレが本当に約束を守ったか、確認しているのか?」わかっているが、あえて軽口を叩く。彼女もまた、わかったうえで返した。

「枯れていたら聞けるけど、その場合聞くまでもないわね」
「もしもオレが枯らしてしまったら、どうする」
「また植えるわ」

 何の迷いもなく即答されたことが、どうしようもなく嬉しくて、切なかった。彼女はリゾットを約束を守る男だと評価してくれるが、それはただ守れる約束しかしていないだけなのだ。花の面倒くらいは見れる。チームの仲間のために命を張ることだってできる。けれども、彼女を幸せにできるかというと、約束できる気がしない。

 ボスを打ち倒そうと決めたとき、そのリスクの大きさについては当然考えた。そして反旗を翻した場合、おそらく彼女の能力は真っ先に目障りなものとして狙われるだろうことも。
 できることなら、本音を言えば、彼女には抜けてほしかった。たとえそれが彼女の誇りを傷つけることであっても、リゾットのエゴでしかなくても、ナマエには幸せになってほしかった。

「もしも――」
「うん?」
「もしも副業を始めるなら、お花屋さんもいいかなって」

 あんまり儲かりそうにないけど、とナマエは笑う。

「殺せば殺すほど、葬式用の花が売れるって仕組み。酷いでしょう?」
「……前者はオレに任せて、お前は本業にすればいい」
「それは絶対にいや」

 こちらを向いたナマエは、言葉の強さとは裏腹に怒った様子ではなかった。むしろ、またそんなことを、と言いたげな呆れた表情をしていた。

「私は今が一番幸せなの。そして、あなたにも幸せになってほしい」
「……」
「幸せは、あなたか私が息をしている間、だけでもいいの」

 俯くナマエの身が、そっと寄せられる。彼女の思いは十分すぎるほど知っていたが、咄嗟のことに柄にもなく動揺してしまった。受け入れたい。でも迷いがある。関係を深めることで、余計に彼女を傷つける結果にはならないかと。余計に惜しくなってしまわないかと。

「お前には今だけじゃなく、一生、幸せでいてほしいんだ」
「イルーゾォが言ってた。人生は短いって」
「……奇遇だな、オレはメローネに言われた」

 思わず顔を見合わせれば、すぐにどちらともなく、小さく噴き出した。笑って、それからリゾットは、壊れ物を扱うようにナマエを抱きしめ返した。腕の中の彼女は温かい。今までも本当はずっとこうしたかった。

「待たせて、すまなかった」
「リゾットが真面目なのは知ってる」
「守れない約束をする勇気がなかったんだ」
「……きっとあなたにも守れるわ、私たちの一生は短いもの」
「酷い話だな」
「私たちに酷くない話なんてある?」

 たっぷりと考えて、それから無いな、とリゾットは言った。あれだけ我慢していたのに、もうすでに離れがたいと思ってしまっていること自体が酷い話に他ならない。

「そうでしょう」

 ナマエは悪戯っぽく笑い、一輪の向日葵はしっかりとそれを記録していた。鉢植えも、庭の隅に転がる石ころも、皆すべてを記録していた。
 二人がこの瞬間、間違いなく幸せだったことを。

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