■ ◆だがそこがいい
※2020年バレンタインネタ Twitterログ
二月十四日、サン・ヴァレンティーノ。
発祥地のイタリアでは恋人たちの記念日とされ、男性が親密な仲の女性へ、バラの花を贈るのが習わしである。
が、昨今はそのバレンタインのイベントも海外文化を交えて逆輸入され始め、今では花屋以外にも、ショコラティエが幸せそうに賑わう季節となっていた。
「う、受け取ってください!」
「ブチャラティ、私のも!」
「いつもありがとうねぇ、ブチャラティ」
そう、この国で情熱的なのは、なにも男たちだけではないのだ。
その結果が、目の前で両手いっぱいの紙袋にチョコを溢れさせた男であり、彼は道行く人々から声をかけられては、着実にその荷物を増やしている。
ヴェンツィオ通りを向かいから歩いてきた彼を見たときは、一体どこのハリウッドスターが観光に来ているのかと一瞬考えてしまったくらいだ。
「いやー流石だねぇ、ブチャラティ」
「やぁ、君か。流石も何も、これは君の国の文化じゃあないか。ジャポネでは、同性同士でも送りあったりするんだろう?」
声をかけると、間髪入れずにぱっと爽やかな笑みが返ってくる。そういえば、日本人である私がこの異国の地でスリ被害にあって困っていた時も、彼はこうして爽やかに助けてくれたんだっけ。もしもブチャラティがこのネアポリスの治安を守ってくれていなければ、しばらく外国で暮らしてみようなんて気の迷いは起こさなかったに違いない。もちろん、本場のギャングにインタビューしてみたい、いい創作のネタになるかも、という下心も十二分にあったのだが。
「まぁそうなんだけどさ、女子高か漫画でしか見たことないな、そんな貰ってる人」
「リストランテに行けば、もっと見られるさ」
「あー……いや、でもたぶんブチャラティが一番だと思う」
確かにブチャラティチームは全員タイプの違うイケメンぞろいだが、感謝の贈り物も含めると、老若男女問わず人気のブチャラティが一番多く貰っているだろう。私だってブチャラティのことは好きだ。自分が助けてもらった恩義も当然あるが、私情を抜きにしても彼はよく出来た素晴らしい人間だと思う。ギャングなんてやっていながら人気者になれるほど社交的で、分け隔てなく誰に対しても親切で、誠実で責任感が強く、慕いたくなるような芯の強さを持っている。容姿も運動神経も頭脳も、どれをとっても文句のつけどころがない。日本人的な美意識からすると――というと、主語が大きいと叩かれそうだが、個人的には欠点がなさ過ぎて、逆にちょっと苦手意識すら湧くほどだ。
「そうだ、私ほんとにこれからリストランテに行くとこだったからさ、荷物持っていっておこうか? どうせこれからまだまだ増えるでしょ?」
「じゃあ、悪いがその言葉に甘えさせてもらおう。それとだな――」
紙袋をいくつかこちらに手渡した彼は、話しながらどこからともなく、手のひらサイズの白い箱を取り出す。一瞬、それが彼のわき腹あたりからにゅっと取り出されたように見えたのだが、そんなことはあるわけないので私の目の錯覚だろう。
「うっかりしていたな、体温で溶けていないといいんだが」
「え……? 私に?」
「もちろん」
一体どういうことなんだろう。おずおずとそれに手を伸ばしたはいいものの、まだ脳みそは答えを見つけ出せていない。ブチャラティから預かった紙袋と、それから今手渡されたチョコを交互に眺めて、「あ、」と声をあげる。
「なるほど、流石に食べきれないもんね」
ブチャラティのことだから、せっかく貰った気持ちだ、なんて言って一人で頑張って食べるかと思っていたけれど、冷静に考えて無理な量だ。まさか渡した側も、ブチャラティがブクブクに太るのを望んでいるわけではないだろうし、捨ててしまうよりかは誰かが食べたほうがチョコの為にもなる。私にくれたのは、荷物運びの駄賃ということだろうか。うわ、納得。子供扱いされてるのはいただけないけれど。
「でも、これガチ勢からのやつじゃないよね? それはなんかヤバいもんが入ってそうだから遠慮したい」
「ガチ勢……? あぁ、確かにギャングだから恨みを買っていないとは言い切れないが」
そーじゃねーよ。
思わず半眼になってしまうが、ブチャラティは至って真面目な顔つきだ。説明するのも面倒だし、この男に惚れてしまったお嬢様方には哀悼の意を捧げておく。
罪作りな男はこちらの気も知らず、にっこりと綺麗に笑った。
「だが安心しろ、それはオレが買ったやつだ」
「……え?」
「自分で買って渡さなくっちゃあ、意味がないだろう? それが気持ち、ってやつさ」
「え? は? えぇ!?」
ブチャラティが、おかしくなった!
私は何も言葉が出てこずに、情けなく口をぱくぱくさせるだけ。やっとのことで衝撃から復帰して、その次にしたことと言えば周りを見渡すことだ。ドッキリなら、もう出てくるよなぁ。ていうか、四月一日はまだまだ先だ。
「どうしたんだ? 気に入らなかったか?」
「い、いや、そうじゃなくて、これはどういう……」
「いつもチームの奴らと仲良くしてくれているからな。日頃の感謝を込めてあいつらの分も買ったんだが……あいつらの場合、本当に見飽きてるかもしれないな」
「あ、あぁ! そういう!? び、びっくりしたー! 心臓に悪いっつうの!」
はいもう馬鹿だ恥ずかしい死にたい。でも、同時に心底ほっとしている。ドッキリでない場合、私はまた別の意味で周囲を見渡さねばならないからだ。ギャングの密着取材でイタリアに滞在したのに、ギャングでもない一般市民のお嬢様方に命を付け狙われるなんて御免だ。まだそれならアウトローな連中に目を付けられるほうが、命の張り甲斐があるというもの。ほっとしたらしたで、なんだか腹が立ってきて――人はこれを逆切れと呼ぶ――私は腕を組み、うんうんと頷いた。
「はーほんと、そういうとこマジで良くない、良くないよ、ブチャラティ」
「なにがだ?」
きょとん、とした顔で、首をかしげるブチャラティ。
クッ、こいつ……マジにわかってねぇ……嘘はついてねぇって顔だ。
私はやり場のない感情を盛大なため息に変えると、ひとまず礼を言うことにした。
「いやごめん……なんでもない。ありがとう。みんなもブチャラティからのチョコなら喜ぶと思うよ。たぶん一番嬉しいんじゃない? 知らんけど」
「そうか? だったらいいんだがな」
「とりあえず、預かったこれ、リストランテに持っていっておくから」
「あぁ、よろしく頼む。オレも後から向かうよ」
じゃあまた、と手を振られ、私も逃げるようにリストランテへの道を急ぐ。あぁ、もっと素直に喜んでみせればよかった。せっかくくれたのに、我ながらあの反応はないよな。というか、感謝ならこっちのほうがしてるし、今からでも私もブチャラティに買ったほうがいいかもしれない。でも……。
歩くのに邪魔になるくらい大きな紙袋を見下ろして、ため息をつく。
要らないよな、もう。少なくともチョコは要らないに違いない。かといって、こういうイベントにでも乗っからなければ、改めて物を贈るなんてできそうにもなかった。だいたい、形に残るものは余計にセンスを問われるし……。
頭を悩ませながら歩いていると、リストランテにはあっという間に着いた。いらっしゃいませ、の言葉に軽く会釈し、奥のテーブル席へ向かう。一般のお客たちからは少し見えにくいようになっているそこは、ブチャラティチームの指定席だ。まだお昼の時間には少し早かったが、既に席についている後ろ姿が見える。
「あ、ちょうどいいところに」
振り返って、そう言ったのはジョルノだった。半分私と同じ日本人の血が流れているらしいが、まったくもってそれを感じさせない少年。彼は目の前に大量のチョコレートを山積みにして、優雅にカップを傾けている。
「同級生たちに押しつけられたんですが、要らないのでもらってくれませんか?」
どうやら彼も既にいくつかはつまんでみたようだが、早々に消費を諦めたらしい。私はブチャラティのチョコを紙袋ごと別のテーブルに乗せると、ジョルノの正面に腰を下ろした。
「はぁーージョルノ、あんたのそういうとこスゲー好き。ただいま現実!」
「言ってる意味が分からないんですが……好意は間に合ってるので遠慮します」
「うるさいな、好きじゃないよ! とりあえず手作りじゃないやつちょうだい。私もチョコ食べたくなってきた」
これだけ甘いものがあるのなら、苦いエスプレッソでも注文しようか。いや、それより甘さを流し込める液量があるほうがいいのか。
とりあえずジョルノの戦利品を物色しようと右手を伸ばすと、待ってください、と制止がかかった。顔を上げればジョルノの視線が、私の左手に注がれている。そこにはブチャラティから貰ったチョコレートの箱があった。
「紙袋のほうはおおかたブチャラティにでも頼まれたのだろうと突っ込みませんでしたが、そっちのチョコはなんです?」
「え、あげな――」
「要りませんよ」
「……」
冗談くらい、言わせてくれてもいいだろうに。私はジョルノの視線から隠すようにチョコを手元に引き寄せる。
「これは私が貰ったの! で、このチョコはチョコが食べたいときに食べるチョコじゃないの」
「じゃあいつ食べるんです?」
「えっと……それは……」
いつ、と言われると具体的には返せない。賞味期限があるからいつかは絶対に食べなくてはならないだろうが、糖分欲しいな〜で簡単に手を伸ばしていい代物ではないのだ。「もったいないから……しばらくはこのまま。飾る」イタリアで借りているフラットには当然神棚なんてないのだが、なんとなくそんな言葉が口をついて出る。
ジョルノの眉が、ゆるく弧を描いた。
「へぇ、まさかそう来るとは……それは少し、相手が気になりますね」
「そういうんじゃない。ていうか、この山の中のどれが美味しいか教えて。お返し選ぶときに、お店の参考にしたいし」
「イタリアにはホワイトデーはありませんよ」
「無いなら私が文化ごと輸入するからいい。渡すときに説明する」
「……一人でこんなとこに来るだけあって、強引な性格してますね。向こうが大和撫子を期待して渡したのだとしたら、とんだ詐欺だな」
ジョルノは飽きれたように肩を竦めると、いくつかチョコを選んでこちらに寄越した。イタリア定番のジャンドゥーヤや、シチリアレモンを使ったチョコチェッロなど、ここには目移りするほどたくさんの種類がある。
「やりたいと思ったことはやるようにしてるんだよ、私」
「そしてやりたくないと思ったら、意地でもやらないと?」
「その通り。だから相手を聞き出そうとしても無駄」
「なるほど、無駄は僕も嫌いだ」
「でしょ」
ジョルノにチョコを渡した女学生たちよ、恨むならばジョルノに惚れた自分自身を恨むといい。
そんなことを思いながら、甘いチョコレートに舌鼓を打つ。
カラン、と入店を知らせるベルが鳴ったのは、ちょうど私が二箱目に手を伸ばしたときだった。
「やぁ、ジョルノ。もう来てたのか」
「ええ。思った通りすごい量ですね、ブチャラティ」
ぱっと見ただけでも、私が預かった量の軽く二倍はあるだろう。両手が塞がったブチャラティは小さく苦笑すると、荷物を置いてようやく一息つけたらしかった。
「そういうジョルノも、かなり食べきるのが大変そうだが」
「大丈夫です。太るのはこの人ですから」
「逆に考えよう、太っちゃってもいいさ、って」
他の生き物はみんな、生きるためにカロリー摂りたくって必死なんだよ。オフだのゼロだの気にしてるのは人間だけ。まったくもって嘆かわしいね。
「あんた人間でしょう」
ジョルノのもっともな突っ込みは無視して、私はどんどん箱を開ける。日本にいたときは、高いから1日1粒と決めてじっくり大切に味わっていたチョコたちだが、これだけあると流石に気も大きくなるというものだ。人の金で食って美味いのは、何も焼肉だけじゃない。
「まあ、美味しく食べられるならそれに越したことはないな。ここにある分は彼女に任せるとして……ジョルノ、貰ってくれるか?」
「はい?」
そう言ってブチャラティが取り出した、手のひらサイズの白い箱。
不思議そうな顔で受け取ったジョルノはまじまじと箱を眺め、それから「あ!」と声を上げて私のほうを見る。がたん、と椅子がひっくり返ったのは、私が勢いよく立ち上がったからだった。
「ちがっ、それは――」
「あんたも結構、純情なとこあったんですね」
だけど苦労しますよ、とこちらが弁解する間もなく同情されて、私はかぁっと顔に熱が集まるのを感じた。
「やめてやめてやめて誤解だから。十五歳に純情扱いされんのはマジできつい。ほんとに違うから」
「別にいいと思いますよ。報われるかはともかく、チョコを飾るくらいはね。食べる用はここにたくさんありますし」
「初流乃くん! 一旦、日本語でお話ししようか!」
「二人は一体何を騒いでいるんだ?」
こちらを見るジョルノの視線がとても生温かい。やめてくれ。私がブチャラティを好きなのはあくまで人間としてだ。むしろ、こういう太陽みたいな人間といたら焼け焦げて死ぬ。浄化されてしまう。きれいな水には魚は住めないんだよ、わかったかこの漁師の息子!
動揺して、ブチャラティにそんなことを言いかけ、彼の顔を真正面から見つめてしまう。義理チョコの一つや二つ、もらったところで今更……。
「?」
「も〜〜ッ! ブチャラティは知らなくていいッ!」
ばっちりと合った深い青の瞳に押し負けて、結局私はリストランテから逃げるように飛び出す羽目になった。
もちろん、その手には彼からのチョコをしっかりと握りしめて。
おまけの後日談
「ジョルノ、やっぱアレ違ったわ、勘違いだった」
「……聞いてほしいならわかるように話してください」
「私はやっぱり、ブチャラティのこと人間として好きなんだよ。そーだよおかしいもん、私があんな完璧超人の善人に落ちるわけないもんなー」
「あんた男の趣味悪いですもんね」
「失礼な、惚れるぞ? 私が惚れたらとことんトップになるまで担ぎ上げるぞ?」
「ではお願いします。僕はギャングスターにならなくちゃあいけないので」
「え、なにその面白そうな話……とりあえず聞かせて」
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