- ナノ -

■ 05.火曜日は目を覚ましていて@

 暗殺者とは、夜闇やあんのように静黙でなければならない。
 いついかなるときも激することなく、物音一つ立てず、ときにはターゲットがその死を知覚することもないままに命を奪う。
 酷く密やかな仕事なのだ。死神がどたどたと足音を立てて怒鳴り込んでくるようでは、ちっとも格好がつかないだろう。
 しかしながらうちのチームでそれを体現できているのは、実のところ一人しかいなかった。


「殺した、という結果がありゃあ文句ねェだろ」

 報告書の束をばさっととローテーブルの上に置いたプロシュートは、そのままソファに深く背中を預け、彼自身の足をも横柄に乗せた。

「おい――」灰皿ががたん、と跳ねて、細かな灰が舞う。足癖の悪い男だ。

 先にくつろいでいたイルーゾォは反射的に非難の声を上げたが、プロシュートとばっちり目が合ってその先の言葉は飲みこんだ。どうやら相当に機嫌が悪いらしい。そんな相手に、テーブルは足置きじゃありません、なんて常識を説いてやったって馬鹿を見るだけだ。
 イルーゾォはいかにも気分を害した、という風に立ち上がり、リビングにかけられた鏡から自分の世界に戻っていく。ここは静謐だった。表の世界でプロシュートに対面しているリゾットもまた、どこまでも静謐だった。

「もちろん、お前がちゃんと仕事をこなしたことはわかっている。問題は、それが精確ではないことだ」
「ハン、そいつはありがてぇな、リーダー直々にご指導くださるってわけか」

 プロシュートは皮肉っぽく口角をあげたが、その眼はちっとも笑っていなかった。冷たいブルーの瞳の奥に、ちらちらと炎が垣間見える。
 直情的で、好戦的。イルーゾォはプロシュートのそういうところが苦手だった。気に入らないことがあれば声や態度を荒げて、他人を思い通りにしようとする。
 まるで父親だった。自分の平凡さを棚に上げ、息子をただ厳しくしごけば優秀な国家憲兵カラビニエリになるのだと夢見ていた父親みたいだった。だからイルーゾォがこのチームにやってきてからもう三月は経つが、苦手意識はちっとも払しょくされる気配がない。必然、イルーゾォはプロシュートと極力関わらないように避けたが、幸いなことにプロシュートもまたイルーゾォに興味を示すことはなかった。それはそれでほんの少し、腹立たしかった。

「プロシュート、お前は少しばかり殺りすぎる」

 対して、リゾットはどうだ。イルーゾォは彼のことを尊敬に足る男だと認めていた。リゾットは仲間に対してめったに声を荒げないし、仕事の腕もリーダーとして申し分ない。彼の能力は恐ろしく、自分が対象でなくてもぞっとするものだったが、人に恐怖を与えるというよりは不思議な落ち着きを与える男だった。人を苛んで悦ぶ悪魔と違って、ただ死神は淡々としている。イルーゾォのこの能力を、卑怯者の手口だと嘲笑したりはしない。

「そういうことはオレのスタンドに言うか、もしくはアンタがオレに向いてる仕事を割り振るんだな」
「プロシュート、」
「オレはアンタをいいリーダーだとは思うが――」プロシュートはリゾットが何かを言うより先に、足を床へおろして身を乗り出した。
「――仕事のやり方にいちいち指図してくるのを許した覚えはねぇ」

 それから、話は終わりだとばかりに立ち上がって、部屋を出ていく。

「こそこそ隠れるのや、ちまちま殺るのはイルーゾォにでもやらせとけ」
「――ッ!」

 イルーゾォがそうと望まない限り、表の世界から中が見えるはずもない。それなのに鏡の向こうのプロシュートがこっちを見た気がして、イルーゾォは思わず息を呑んだ。それから次の瞬間、下唇をきつく噛んでいた。
 ここは静かだ。暗殺者たるもの、この世界のように冷たく、静かで、心を波立たせてはいけない。
 わかっているのにイルーゾォは、リゾットのようにはなれそうになかった。




「あんたが強いのは認めるわよ、だけど、それとあたしのやり方に口を出すのは別問題でしょ」

 ペコリーノがチームに配属されて二週間とちょっと。
 彼女がやってきて特別何かが変わったということもなく、イルーゾォが見張っている限りでは、彼女自身にもこれと言って不審な動きはなかった。
 彼女の我が強いのはやってきたときからのことで、もっと言うならそれはきっと生まれついてのものだろう。口論のうちにも入らないものを、今日も懲りずにリゾット相手に繰り広げている。全員がものの見事に断ったため、彼女の指導係はリゾットが務めることになったのだ。

「いいから見せてみろ」
「見せるようなことは何も――」
「撃たれただろう。隠しても無駄だ」

 とうとう聞き分けのない猫の子を捕らえるように、逃げようと踵を返したペコリーノの襟首をリゾットが掴む。
「ぐえっ」聞こえてきた声は猫どころか可愛さの欠片もない声だったが、どうやらこれは彼女を大人しくさせるのに存外効果があったらしい。
 右手にペコリーノ、左手に救急箱を引っ掴んだリゾットが奥の部屋に消えていくのを見送ったホルマジオは、にやりと笑ってイルーゾォを見た。

「リゾットのやつ、手を焼いてるみてーだなァ」
「そう思うなら、ホルマジオが面倒見てやれよ。動物の扱いは慣れてんだろ」
「生憎猛獣は専門外でな。オメーこそ、見守るくらいなら手を貸してやりゃあいいじゃねぇか」
「オレは見守ってるんじゃあない、見張ってんだ! 当然だろうッ!」

 ソルベとジェラートの一件以来、以前にも増して仕事はぐんと減っていた。そうなれば必然、縄張りを持たないうちの収入も減る。干されているのだ。じりじりと真綿で首を絞めるように、飼い殺しにされている。
 そしてたまに仕事が来たと思えば、情報が不確定で危険なものばかりだった。ペコリーノが怪我をしたらしいのも、何も彼女の未熟さだけの責任ではない。ボスは暗殺チームを切ろうとしている――今では誰もがそう確信していた。
 
「っつてもよォ、疑いは晴れたんだろ? この前、ペッシとペコリーノが二人で買い出しに行ってんの見たぜ? ありゃプロシュートのお許しが出たっつうこったろ」
「……そもそもあいつはペッシを甘やかしすぎなんだよ」

 初日から乱闘を繰り広げたプロシュートはあの後、実にあっさりとペコリーノの存在を受け入れた。どちらも喧嘩っ早いため、仲良しこよしというわけにはいかなかったが、ひどく犬猿の仲というわけでもない。ペッシを介せば、三人で飯にだって行っていたくらいだ。きっとプロシュートはもう、ペコリーノのことを疑っていないのだろう。イルーゾォだって本音を言えば、彼女がボスから送られてきた刺客だとはもう思っていない。ただ、プロシュートのように直接ぶつかって彼女と向き合ったわけではないから、彼女を受け入れるだけの理由もなかった。

「……お前はどう思うんだよ、ホルマジオ」

 イルーゾォがこのチームにやってきたとき、チームにはリーダーのリゾット、プロシュート、ホルマジオ、それから今は亡きソルベとジェラートがいた。今では皆、癖が強いだけで嫌な奴らではないと知っているが、今も昔もくだらない話ができるのはホルマジオだけだ。リゾットは遠すぎたし、プロシュートは苦手だった。ソルベとジェラートは二人の世界を持っていたし、それより後で入ってきた奴らについては、イルーゾォが話を聞く側だ。
 ホルマジオはイルーゾォの声音に真剣なものを感じ取ったのか、にやにや笑いをすっと引っ込め、まじめな顔つきになった。

「オレがボスならよォ〜〜、送り出してから二週間も経つのに、チームの一人も殺せねぇ部下なんてとっくにお払い箱にしてるぜ」
「……はっ、違いねぇ」

 イルーゾォが馬鹿らしくなって息を吐いたと同時に、奥の部屋から「痛い!」と注射を嫌がる子供みたいな叫び声が聞こえた。それに驚いたのかホルマジオの猫がたたたっ、とリビングに逃げてきて、するりとそのまま飼い主の膝に収まる。
 しかしながら、逃げてきた獣は一匹ではなかったようだ。

「もういい! こんなの放っておけば治るのよ!」
「放っておいても傷口は塞がるが、体内に弾は入ったままだ。少しくらい我慢しろ」
「いやだ」
「メタリカ」

 リゾットの口から出た言葉に、イルーゾォも、ホルマジオでさえもぎょっとした。が、予想と違ってペコリーノが口からカミソリの刃を吐くようなことはなく、代わりに彼女はわき腹を抑えてその場に蹲る。

「このまま無理やり引っこ抜かれるか、あくまで医療的に・・・・摘出するか選べ」
「この卑怯者ォ……修道女ソレッラが人前で肌なんか晒せるか」
「お前は悪い 修道女ソレッラ だから問題ない」

 そいつは随分と背徳的な響きだなァ〜〜、とホルマジオが大あくびを噛み殺しながら茶化すように言った。膝上の猫もつられたのか、にゃーおと大口を開ける。
 するとなんとなくのどかな空気が流れて、イルーゾォはペコリーノを見張っていたこと、それについてホルマジオに意見を求めたことなど、一切が馬鹿馬鹿しくなってしまった。この女も結局のところ、暗殺者には向かないお仲間・・・というわけだ。

「なぁ、帰ってきたら廊下に点々と血が伝ってるんだが、これはオレが自由に使っていいってことかい?」

 そうこうしているうちにメローネが帰ってきたことで、さらにアジトは混迷を極める。彼は言いながらずかずかと室内に入ってきて、蹲っているペコリーノを視界に入れるなり、残念そうに肩を落とした。

「なんだ、生理か」
「……辞めたい、この仕事マジに辞めたい」
「まぁ、なんだ……その、頑張れよ」

 ホルマジオの励ましに、リゾットが嘆息を漏らす。昔は一切の隙が無いように見えたリゾットも――仕事中に関しては今もそうだが――こうやって人並みな反応を見せるのだとイルーゾォは知っている。表の世界は鏡の中より面倒で、混沌としていて、煩いが、ここには確かに血の通った温かさがある。

「おい……さっさとリゾットに弾取ってもらえよ。それで、飯行こうぜ」
「よかったな、ペコリーノ。イルーゾォが奢ってくれるってよ。これは普段行けねーような高い店選ばねぇとな!」
「なッ、調子に乗るのは許可しないィィーッ」
「リゾット、早く取って! 今すぐ!」
「お前な……」
「それはもちろんオレも行っていいんだろう?」

 メローネがいたら、目立ってしまってしょうがない。それでいうとリゾットも大概な恰好なのだが、うちのチームには人目を忍ぶという発想が欠けている。

「いいけど、オレは奢らねーからなッ!」

 イルーゾォが流されてたまるかと声を張り上げると、この日一番のブーイングが起こったのは言うまでもないことだった。


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