- ナノ -

■ 02.日曜夜は大暴れ

 暗殺という仕事にはキリがない。そもそも人間を殺したところで解決できることなど、たかが知れているのだと兄貴は言う。例えば政治家、例えば対抗組織のギャング、はたまた組織の裏切り者……。殺せばとりあえずそいつ・・・は消えるが、いつの間にかまた似たような存在が性懲りもなく後から後から湧いてくるのだ。だからって気に入らない奴を片っ端から殺してしまっては、結局のところ組織も社会も成り立たない。”雑草は枯れない”、なんて諺にあるように、人に憎まれている奴に限って権力を持っているからだ。

 ――だったらよォ、ペッシ、オレ達の仕事に求められていることは何かわかるか?

 ターゲットを素早く確実に殺す、なんて答えはきっと当たり前すぎて叱られる。じゃあ、証拠を残さない? いや、仕事の内容によっては、これが<パッショーネ>の仕業だとあえて知らしめることもあった。咄嗟には答えが思いつかず頭の中が真っ白になるが、黙ったままだと余計に叱られる。兄貴はそんなに気が長いほうではない。

 ――ええと、そのォ……な、舐められねェ、こととか……?
 ――ペッシ、ペッシ、ペッシ、ペッシよォ〜〜

 ぐい、と額を寄せられ、ペッシは反射的に視線を伏せる。これはまた説教のパターンだろうか。兄貴は叱るときも励ますときも基本的に目を覗き込むようにするので、いくら俯こうが結局のところ上を向かされてしまう。
 しかし、そうやって正面から向き合った兄貴の眉間には、珍しく皺が寄っていなかった。

 ――おめーにしちゃあいい答えじゃあねぇか。そうだ、ただ殺すだけなら誰だってできる。二度と舐めた真似をされねェよう、見せつけてやるんだよ。いいか? スタンドを使った不可解な死は、同じ死体でも与える衝撃が違ぇ。銃弾やナイフの怪我とは違って、仲間がありえない死に方をしたら誰だって怖気づいちまう。オレ達に求められてるのはそういうことだ。
 ――で、でも、オレのスタンドじゃあ……

 確かに兄貴の“ザ・グレイトフル・デッド”やギアッチョの“ホワイト・アルバム”は日常ではありえない死を演出するのには向いているだろう。他の皆だってそれぞれ、派手で印象的な死に方を用意しようと思えばいくらでもできる。死体そのものが派手でなくとも、イルーゾォのように精神的に追い詰めることも十分効果的な演出だからだ。
 だが、ペッシの“ビーチ・ボーイ”はせいぜい獲物を釣り上げて護衛から分断するくらいで、殺し方も心臓に針を食い込ませるとどうしても地味な絵面になる。自分はこの仕事に向いてないのでは、と不安にならざるを得なかった。

 ――オイオイ、オレはいつも“自信を持て”って言ってんじゃあねぇか。オメーの能力は確かに一見すると地味だがよォ、相手がスタンド使いなら話は別だ。遠近両方、刺す場所に依っちゃあ即効、遅効と応用が効くし、糸への攻撃が本人に返るならお前自身の殺し方が別に派手でなくとも問題ねェ。それに一人一人仲間がどっかへ引っ張られてくってのも、なかなか精神にクるもんだぜ? ええ?
 ――そ、そうかなぁ……
 ――そうさ。オメーはまず殺し云々の前に、オメーがオメー自身を舐めちまってる。それが一番よくねェってことだ

 ぱんっ、と気合を入れるように両肩を叩かれて、ペッシは数度まばたきをしてからようやく頷いた。暗殺チームに配属されてまだ日が浅い時分の話だ。まさかそれから数か月して、チームの先輩だったソルベとジェラートが“裏切り者”と見なされ、二度と“舐められないような殺し方”をされるとは思いもよらなかったのだけれど――。



「ねぇ兄貴、その……新入りってのは、一体どんな奴なんでしょうかねぇ……」

 最近は仕事の報告だけ済ませると、兄貴は結構さっさと自宅に帰るようになっていた。中には帰るのが面倒だからとほぼ住み着いているような連中もいるが、仕事の数がめっきり減った今ではアジトに常駐する意味もない。それなのに今日、こうして酒を飲むわけでもなくアジトに居座り続けているのは、これからリゾットが連れてくるという新人を出迎えるためだった。

「さぁな。送られてきた情報では女らしいが。スタンド使いだ、油断はするなよ。それからリゾットとも間違えるんじゃあねェ」
「へ、へい!」

 返事をしたペッシの手には既に“ビーチ・ボーイ”が構えられている。そしてその糸の先端はアジト玄関の壁に掲げられた鏡に仕掛けられていた。「イルーゾォもわかってんだろうな?」兄貴は首だけのけ反るようにしてソファーの後ろを振り返ると、鏡の中のソファーに腰かけたイルーゾォに向かってそう言った。

「いいけどよ……どうせやるなら、ペッシを鏡の中に入れて不意打ちで釣ったほうが確実なんじゃあないか?」
「あぁ? 何言ってやがる。ペッシの能力はおめーの力なしでも十分なんだ! おめーは大人しく偵察してりゃあいいンだよ」
「その割に人使いが荒いんだからよ……リゾットにキレられても、オレは知らねーからな」

 ため息をついたイルーゾォは立ち上がって鏡の奥へと消えてしまう。おそらく、そろそろリゾット達がアジトに到着する頃だから――それはリゾットが新人を殺していなければの話だが――玄関のほうを見に行ったのだろう。

 兄貴が考えた“洗礼”は単純で、アジトにのこのこやってきた新人をペッシの“ビーチ・ボーイ”で無様に引きずり倒してやるというものだった。その際、イルーゾォがわざと鏡の中から光を当てて女の気を引き、疑問に思った女が鏡に触れたところで仕掛け針が発動という仕組み。本職の暗殺家業にしては随分チャチなやり方だが、さすがに見極めもせずにいきなり新人を殺しにかかるわけにもいかなかった。あくまで、歓迎の際のちょっとした・・・・・・冗談という体だから、兄貴の直触りやギアッチョの凍結は相手が刺客でなかったときに言い訳が立たない。女を母胎にしてしまうメローネなんてもってのほかだ。比較的殺傷性の低い能力のホルマジオは今日に限って仕事でいないし、イルーゾォの能力では鏡の外から何が起こっているのかわかりにくい。

 そんな中、ペッシの“ビーチ・ボーイ”なら、殺傷の度合いも加減が効き、他人の前で地面に引きずられるという屈辱も与えられ、おまけに糸を切ろうとスタンドで反撃されても本人に返るため能力もすぐにわかる。
 ペッシとしてはもし新人が刺客ではなかった場合、初めての後輩になるのであまり悪い印象を与えたくないと思っていたのだが、とにかく兄貴は“どのみち最初が肝心だから”とこの“洗礼”をやめるつもりはないようだった。

「ッ! かかったッ、兄貴ッ!」

 やがてだらりと垂れていた吊り糸がピン、と張り詰めるのと同時に、ぐっと竿がしなる。

「いいぞ! よくやったペッシ! そのまま引けッ!」

 流石にあの体格のリゾットと間違えるわけが無いので、かかっているのは確実に新入りの女だ。玄関の方で激しく物が倒れる音がして、ついでにリゾットのおい! という声も響く。ああして止めようとするあたり、普通の新入りだったのだろうが、今更後には退けなかった。いつの間にか戻ってきていたイルーゾォが「なんか修道女ソレッラみたいな格好した女だったぞ。大丈夫か?」と肩を竦めていたけれど、案の定兄貴は「ハン、神が怖くてこんな仕事やってられっかよ」と鼻で笑っただけ。そうなるとペッシはただ、リールを巻いて哀れな新人をリビングまで引きずることしかできない。抵抗が尋常じゃなかったけれど。

「おい、ペッシ! うちの廊下はいつのまにそんな長くなったんだ?  早く引け! 」
「ひ、引いてはいるんだよ! 引いてはいるんだけどよォ!」

 "ビーチ・ボーイ"のパワーは本体であるペッシの腕力だ。相手が男でも一人くらいなら引っ張りあげるくらいの力はあるはずなのに、何かつっかえているのか竿がしなるばかりで全然手繰り寄せることができない。

「あぁ? どういうこったよ!?  イルーゾォ、おめー新入り見たんだろ? ゴリラかなんかだったのか?」
「だから修道女ソレッラだって。 体格ゴリラはどっちかっていうとリゾット!」
「ぐ、ぐぬぬぬう……ッ!」

 本当の魚釣りのときに、海底にある岩や障害物に釣り針が引っ掛かると"地球を釣った"なんて冗談を言うが、感覚的にはまさしくそんな感じだ。しかし、何事にも終わりはあるもので、突然メリメリメリィッ! と何かが避ける音がしたかと思うと、ものすごい勢いで“赤茶色の壁”がリビングの入口をバンッ! と塞いだ。

「ふあ! な、なんだこいつは!?」
「壁を作り出す能力……? これが引っかかってたっつうのか?」

 思わず三人揃ってまじまじと観察するが、ただの壁というには素材は革製であるようだし、ご丁寧に金糸で円環文様の中に聖母子像が刺繍されている。「あ、あれって、もしかして、」強烈な既視感が答えを喉元までせりあげた瞬間、“壁”の向こうから女の怒声が聞こえてきた。

「誰だか知らないけど、そこに人がいるのねッ!? このあたしを引っ張ってるヤローが、今そこにいるのねッ!?」

 思わずびくりと肩が跳ねた振動が、糸を通して伝わったのか。不意にあれほど激しかった抵抗が消え、力んでいたペッシは大きく仰け反る。「ペッシッ!!」大丈夫だよ、兄貴、ちょっとバランスを崩しただけ――そう言おうとした矢先、あの“赤茶色の壁”がすぐ目の前にまで迫っていた。

 ドゴォッ!

「ペェェェッシッッ!!」

 一瞬のことで、何が起こったのかわからなかった。全身を激しく強打し――背面は本当にアジトの壁だ――吹っ飛ばされたのだということはかろうじてわかるが、依然として“赤茶色の壁”に圧迫されていて状況が呑み込めない。「てめぇ、なんてことしやがるッ!」いきり立つ兄貴の声が聞こえたかと思うと、それに負けない勢いで「引っ張ったのはそっちでしょ!」と言い返すのが聞こえた。そこで揉めてないで、とりあえず早くこっちを何とかしてほしい。振り絞るようにして兄貴ィ……と呼びかければ、ようやく意識を向けてもらえたようだった。

「チッ、さっさと退けねーか!」
「そ、それが、重たくってビクともしやがらねぇんだ……」
「おめーに言ってんじゃあねぇ、ペッシ! オレはそこのゴリラに言ってんだ」
「俺か?」
「リゾット、おめーは黙ってろ!!」
「……うわ、オレが言ったこと聞いてたのかよ」

 そんな茶番があったあと、やっと圧迫感から解放される。開けた視界の先に立っていた女は、確かにイルーゾォの言う通り修道女ソレッラの格好をしていた。そんな彼女の右手には赤茶の革表紙の聖書が握られており、ぎろりと睨みつけられたペッシは自分が”ビーチ・ボーイ”を解除してしまっていることに気が付いた。

「チャオ。情けない釣り人さん、逃がした魚は大きかった?」
「ア、アンタのスタンドって、その聖書なのかい? それでサイズを変えて……」

 見たところリビングの入り口は壊れていないので、彼女は聖書のサイズを少し小さくし、引っ張られる勢いを利用してペッシを押しつぶしたのだろう。「ご名答!」それでも引っ張られていた間は糸の弾性で体力を消耗していただろうに、彼女は疲れを知らない足取りでつかつかと歩み寄ると、思い切りペッシの胸倉を掴んだ。

「で、よ。こんなふざけた歓迎をする野郎共でも、神は愛せと言うらしいの。参っちゃうよねぇ。あたしの名前はペコリーノ。いい? 覚えた? アンタの失礼で粗暴な行いも水に流してあげる、超絶寛大な女神の名前はペコリーノよ」
「あ……ううっ……」
「ちょっと、今がアンタの名乗るチャンスでしょ? わかってんのかこの野菜頭ッ!」
「ペッシ! ペッシだよッ!」

 想像していた後輩像とは、全然違う。
 もちろん先に仕掛けたこちらが悪いのだが、それにしてもペコリーノの態度、言動、威圧感はどれをとっても新入りの物とは思えなかった。「ペッシ、ペッシね……いいわ。アンタなかなか素直じゃあないの。あんなブランド固めの傲慢口だけ男はやめて、あたしの下につきなさい。それがいいわ、ね?」彼女の肩越しに物凄い顔をしている兄貴が見えるので、ペッシは必死で首を横に振った。

「おいおいおい、さっきから黙って聞いてりゃあよォ、随分と好き放題言ってくれんじゃあねぇか、修道女ソレッラ・ペコリーノ。誰が口だけだって?」
「……なにそれアンタのスタンド? 気色わるう」
「わわっ、プロシュートてめぇ! ここでスタンド使うのは許可しないィィィ!」

 見れば兄貴の足元で”グレイトフル・デッド”が微かな煙を立ち上らせている。イルーゾォはさっさと鏡の世界に逃げ込んだからいいとして、ペッシやリゾットもいるのにどういうつもりなのか。そもそも相手は女で”老化”が効きにくいし、直で触るにも修道服は極めて露出が少ない。あの聖書の耐久度とパワーからして近距離型の可能性が高いし、彼女の間合いに入るのはいくら兄貴でも危険だ。

「ペッシ、リゾット! おめーらは表に出てろ!」
「お前が出ろ、プロシュート。またアジトを壊す気か? お前とギアッチョはすぐに物を壊すから……」
「うるせーな! おめーの能力だって毎度迷惑してんだよ、すぐ機械がいかれちまう!」
「とにかく室内でスタンドを乱用するのは禁止だ。イルーゾォ、鏡の中を貸してやれ。それなら物は壊れない」
「い、いやそれより普通に止めたほうが……あーまぁ、これは止まりそうにねぇか。よし! おめーら気が済むまで殴り合え、そんで冷静になれ」

 ――マン・イン・ザ・ミラー!

 壁掛け鏡の中からぬぼっと現れたイルーゾォのスタンドが、プロシュートとペコリーノの腕を掴む。「な、なに!?」流石にこれにはペコリーノも度肝を抜かれたようだが、もう遅かった。

「バイブル・ベルト!」
「スタンドは許可しなァァいッ!」

 後に残されたのは”バイブル・ベルト”という名のペコリーノの聖書型スタンドと、兄貴の”グレイトフル・デッド”だけ。本体と分断されたスタンド自体は鏡の中からでも動かせるが、人型ではない彼女のものは精密な動きはできないし、あがいても無駄だとわかればすぐに諦めるだろう。それより今の彼女の目の前には同じくスタンドなしの兄貴がいるはずだから、そこでの戦闘だけで手いっぱいなはずだ。

「あ、兄貴……頑張れッ!」
「外から声かけたって聞こえねーって。ま、決着がついたら出してやるよ。それにしてもさぁ、なんでウチに来る奴ってああいう乱暴な奴ばっかりなんだよ?」
「それはオレが聞きたい」

 リビングはかろうじて無事だったが、確か玄関の方では大きな破壊音がしていたはずだ。ため息をつくリゾットにペッシは申し訳ない気持ちになるが、どうやらあの口ぶりではイルーゾォもペコリーノを刺客だとは思わなかったらしい。もちろん、人となりもよくわからないのでまだ完全に信用するわけにはいかないけれど、彼女はそういう小細工には向いていないように思えた。直情型で、気分屋で、自分のペースで行動して……。イルーゾォの言ったようにうちのチームによくいるタイプの人間だ。
 そう考えると、結構仲良くできるかもしれない。
 
 ただ一つの問題は、これ以上舐められないように気を付けないといけないということだ。


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