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■ 21.金曜日の受難は乗り越えるD

 人間を本気で危険から守ろうとする場合、一体どれだけの人数が必要になるのだろうか。要人などを護送する場合、身辺警護の最小単位は二人一組だ。人の視野は最大でも二百度程度のものだけれど、二人になれば左右前後を分担して網羅することができ、単純に死角を減らすことができる。だが、警護の場合は戦うことが目的ではなく、いち早く危険を察知し回避することが目的だ。多少、毛色は異なるものの、より戦闘を意識したアメリカの特殊部隊などは、五人で一組が最小のユニットとしているところもある。

 それが今回、一家丸ごとの護衛で、期限や目的地などのゴールもないという無茶苦茶な任務なのだ。普通に考えればたった二人で守れるはずもない。日勤と夜勤で分けるとしたって、いくらなんでも雑すぎる。
 必然、当初は寄こされた護衛がたった二人なことに対してグリマルディも大変に難色を示した。

――これが<パッショーネ>の誠意なのかね。
――若造がたった二人で、一体何ができるというのだ。

 彼の場合、不安よりも軽んじられたことに対する怒りが大半である。けれども、そんなプライドの高い老人を一瞬で黙らせられるくらいの超常的な恐ろしさを見せつけるのは、ギアッチョとプロシュートにとって食事を摂るのと同じくらい簡単なことであった。

「う、うう……」

 ひんやりとした冷気が肌を撫で、倒れ伏した男が低いうめき声をあげる。プロシュートはほとんど無意識のうちに腕を組んだ。石造りの壁に囲まれたガレージは冷えるとはいえ、どうにもこれは普通の寒さではない。吸い寄せられるように入り口のほうへ視線を向ければ、ちょうどギアッチョが大きな氷の塊を引きずって、中に入ってくるところだった。

「大したチーズじゃあねェんじゃねーか? あの男」

 ごと、ごろん、と重そうな音を立てて転がされた氷の中には、人間の男が一人、標本みたいに閉じ込められていた。癪だから寒いとは口にしないものの、ザ・グレイトフル・デッドの能力も妨げられるため迷惑でしかない。現に、プロシュートの足元に転がっていた枯れ木のようなものは、徐々に人としての意識を取り戻し始めていた。

「う、うう、どう、どうなって……」
「なんだァ? そっちにも敵が来てたのかよ」
「まぁな。だが、普通の人間だ。スタンド使いじゃあねェ。そっちもか?」
「じわじわ凍らせても何も出さねぇってことは、出せねぇんだろうなァ〜〜」

 プロシュートはしゃがみ込むと、自分のほうの獲物の胸倉を掴み上げた。髪もほとんど抜け落ちて今では見る影もないが、元はまだ若い十代の男だった。ろくに焦点の定まらない瞳をあっちこっちさせて、口を馬鹿みたいに半開きにしている。
 プロシュートは無言のまま、空いているほうの手で男の腕に触れた。急速に乾き、老いさらばえていくそれは、やがて形を失って砂のような残骸のみになった。

「オイオイ、情報吐かさなくっていいのかァ?」
「一人いりゃあ十分だ。だいたい、ボケちまってろくな答えが期待できねェ」
「そいつはオメーのせいだろうが!」
「いいからさっさと解除しろよ」

 粉っぽくなった手を払い、プロシュートは不遜な態度で氷塊に向かって顎をしゃくる。盛大な舌打ちを返したギアッチョは、不承不承ながらもホワイト・アルバムを解除した。

「っ、かはっ」
「さて、気分はどうだ? 残念ながら、おめーが目覚めたここは何千年先の未来じゃあねェが、おかげで見知った顔に出会えて嬉しいだろう? ええ?」

 氷が溶けてびしょ濡れになった男は、浅い水たまりの中で手足をばたつかせる。こちらも先ほどの男と同じくまだ若い。ギアッチョの姿を見るなり情けない悲鳴を上げたが、立ち上がれないところを見るにどうやら腰が抜けてしまっているようだった。同業者にしては、いささか気合が足りなさすぎる。

「ひっ、なんなんだ、なにがッ」
「質問するのは俺だ。おめーは聞かれたことに正直に答えろ、いいな?」

 ギアッチョが黙って再び水たまりを凍らせてみせると、男はブンブンともげそうなほど首を振る。そのあまりの覚悟のなさには苛立ちを覚えるよりもむしろ、白けた思いがするほどであった。

「……おめー、<サルヴァトーレ>の奴か?」
「ち、違う! 俺はそんな、ギャングなんて!」
「だがよォ、こいつ、拳銃は持ってたぜ。ンなモン、このオレに効くがわけねーがよォ〜」

 ぽい、とぞんざいに投げられた銃は、さして珍しくもないベレッタ92。何のカスタムもされていないし、特に使い込まれた様子もない。持つものが持てばきちんとした武器ではあるが、この男では玩具を持つのとさして変わりがないだろうと思えた。

「つ、使えって渡されたんだ! 俺ァ、あんたたちが本職マジモンだなんてこれっぽっちも知らなかったんだよ! う、嘘じゃあねェッ!」
「頼まれた? 誰にだ」

 静かな口調だった。プロシュートは銃を拾い上げ、滑らかな動作で銃口を真っすぐ男に向ける。

「よ、よ、よくは知らねぇよッ! 俺とそう年の変わらないガキだったッ!」
「ほう? 今時のガキは銃くれぇ持ってて当たり前なのか」
「本当なんだって! 俺はそいつから金を貰って、し、信じてくれ――」
「わかったわかった、信じるぜ」

 パンッ――という短い破裂音のあと、カラン、カランと薬莢が転がる。
 のけぞって倒れた男の眉間には、黒々とした空洞がぽっかりと空いていた。

「だが、おめーは仕事を引き受けた。なら責任があるってモンだろ」

 言って、プロシュートは銃を投げ捨てる。死体も、見せしめ・・・・のためこのままにするつもりだ。

「……もしかしてよォ、あの生意気なガキの仕業じゃあねーだろうなァ?」

 珍しく、黙って事を見守っていたギアッチョが、ゆっくりと口を開いた。どうやら同じことを考えたらしい。

「確かエドモンドとか言ったかァ? あの、オレらに突っかかってきたガキだ」
「かもな」
「ハァ〜〜!? ざけんな、何考えてやがるッ! オレらは一応、あいつらを守るってことになってんだろーがッ!! なんでオレらの邪魔すんだよ、そんなに死にてェのか!」
「あの親にして、子供ありってとこだろ」

 エドモンドは護衛として紹介された男が二人で、しかも自分と歳のそう変わらなそうなギアッチョがいたことにより完全に舐めたのだろう。そして同時に、これだけの護衛しか寄こされなかったという事実に、一人前に腹を立てたに違いない。

「ふざけんな、クソッ! クソッ! こっちはただでさえ気ィ張ってなきゃなんねーってのに、余計な手間増やしやがってよォ〜〜!」

 怒りのままに、ギアッチョがガレージにあったセダンを蹴りつける。執拗な暴力を受けてフロントバンパーはボコボコに凹んだが、プロシュートは別に止めなかった。破壊音とは別の物音が、車の後部――ちょうどトランクのほうから聞こえてくるまでは。

「おい、ギアッチョ。ちょっと待て」
「あぁ? こいつん家の車だ、壊したって問題ねェだろうが!」
「そうじゃあねェ、静かにしろ! 何か聞こえた」
「……」

 そう言うと、蹴りを繰り出す姿勢のまま、ぜんまいが切れたみたいにギアッチョが止まる。静かになれば、今度こそはっきりと聞こえた。くぐもった、嗚咽のような声だ。ギアッチョが車を蹴り付けたことで車体が揺れ、パニックになっているのかもしれない。
 二人はすぐさま視線を合わせ、それからゆっくりとセダンの後方へ近づいた。おそらく、中に人間がいる。が、罠かもしれない。プロシュートが頷けば、ギアッチョはホワイト・アルバムの装甲をまとった。そして、鍵を物理的に破壊すると、一息にトランクを開けた。

「ん〜!!!」
「こいつは……」

 中には猿轡をかまされて、縛られたガキが一人。一応は護衛対象であるグリマルディの息子で、早朝に一人、呑気に磯釣りに興じていた奴だ。武器を持っている様子はない。拘束されているが、怪我をしている様子もない。ただ、そいつは目で必死に訴えていた。ガキのすぐ近くに転がる、携帯電話とガムテープでぐるぐる巻きにされた短い鉄パイプ。先端からは緑と赤のコードが伸びていた。

――爆弾だ。

「ホワイト・アルバム!」

 絶対零度の世界では、すべてのものが静止する。氷漬けにされたそれが、爆発することはもう無い。ただ、流石のプロシュートでさえ、この状況には少し困惑していた。なぜグリマルディの末っ子がこんなところで爆弾とともに閉じ込められているのか、すぐには意味がわからなかった。

「オイ! 大丈夫か!?」

 ギアッチョに助け起こされた末っ子は、猿轡を外してもらい咽こんでいる。表情には疲労が色濃く表れていた。それなりに長い間、ここに閉じ込められっぱなしだったようで、声もかすれている。

「……っ、あ、ありがとうございます」
「ったく、一体、いつの間に捕まってたんだァ?! おめーら狙われてんだから、ウロチョロすんなって言っただろうが! どいつもこいつも自覚ねぇのかよ、チクショ〜〜ッ!」
「いや、えっと、その……」
「兄貴だろ」

 再びヒートアップし始めたギアッチョに、すっかり委縮してしまったらしい。モゴモゴと口を閉じたり開いたりするガキの代わりに、プロシュートがずばり答えを言い当ててやった。
 瞬間、ものすごい勢いでギアッチョがこちらを振り返る。

「ハァ!?」
「おめーをここに閉じ込めたのは、おめーの兄貴だろ。違うか?」
「う、うん……」
「ハァ!?」

 今度はガキのほうに向き直る。ギアッチョは信じられないと言ったように、眉間に深い皺を寄せていた。

「悪戯っつうにはよォ〜〜、ちったあ度が過ぎるってモンじゃあねぇかァ?」

 氷漬けにされた爆弾は、アマチュアが作るような簡易の鉄パイプ爆弾だ。詰められる火薬の量こそ知れているが、それでもトランクという狭い空間で爆発すれば、死んだっておかしくない。

「名目上、一家の誰かが死ねば俺たちの任務は失敗だからな」
「オレらの面子を潰すためなら弟を生贄にするってかァ!? イカレてんな、オイ!」
「……」

 その点に関しては、プロシュートも同感だ。黙って、所在なさげにトランクに腰かけているガキを見つめる。自分の兄貴に殺されかけて、こいつが何を思っているのか。隣に怒り狂っているギアッチョがいるせいか、ガキは不思議なほど落ち着いて見えた。

「あの、助けてくれて……本当にありがとうございます」
「お、おう……って、そうじゃあねェよ! オメーの兄貴どうなってんだァ、一体! おかしいだろうが!」
「それは……えっと、その、へへ……」
「ヘラヘラしてんじゃあねェ!」

 今度車体を蹴ったのは、ギアッチョではなくプロシュートだった。十八番をとられて面食らっているギアッチョを押し退け、プロシュートはガキの胸倉を思い切り掴み上げる。

「わ、わわっ」
「俺は今朝、おめーにやり返せっつったよなぁ!? このままでいいだと? いいわけねェだろッ! 変われッ! 成長しろッ! このマンモーニがッ!」

 そして勢いのまま殴りつければ、ガキは吹っ飛んでガレージの床に尻餅をついた。逃げ癖がついているのかみっともなく後ずさろうとして何かにぶつかり、そしてその何かを視界にとらえた瞬間さっと青ざめる。

「ひ、ひいっ!」

 ただの死体だった。さっき、プロシュートが眉間を撃ち抜いて始末したばかりの男。どうやら死体を見るのは初めてだったらしく、頬を殴られた痛みは吹っ飛んでしまったらしい。

「こ、こ、こいつ、死んで……!」

 あわあわと死体を指差すガキに向かって、プロシュートは平然と答えた。

「ああそうだ。仕掛けてきたのはそいつのほうだ。だからきっちり返した。それがフツーだろうが。俺はおめーのやられっ放しでも構わねェ、どうせ勝てねーと決めつけてる、『心の弱さ』に腹が立ってしょうがねェ!」
「こ、心の弱さ……」
「ああ、そうだ、おめーは最初から諦めちまってるんだ」

 もちろん、元から温厚な人間というのは存在する。だが、怒るべきときに怒らず、悔しがるべきときに悔しがらず、憎むべきときに憎まないのは他人にも自分にも期待していないからだ。あるがままを受け入れて、現状を変えることを諦めているからヘラヘラと笑っていられるのだ。
 ここまで言われてもまだ軟弱な態度を変えないようなら、もう一発お見舞いしてやってもいい。プロシュートが値踏みするようにガキを見据えたとき、「……違う」腹の底から絞り出したような声が鼓膜を震わせた。

「ち、違うんだッ! 俺は、俺はエドモンドとおんなじになりたくないんだよォッ! 俺はもう既に、ただ見てるだけの自分から変わったんだよォッ!」

 向こうが言い終わるのとほぼ同時に、プロシュートは大股で一気に距離を詰めた。ガキはまた殴られるとでも思ったのか、反射的に手で頭を覆い、ぎゅっと目を瞑る。が、プロシュートは彼を殴らなかった。掴み上げて立たせて、ごつんと音がしそうなほど額を突き合わせただけだった。

「聞け! おめーがあの兄貴みてーになりたくないつう気持ちはよくわかる。オレだって弟を危険に晒すようなクズ野郎と同じところまで落ちろなんて言わねえ。だがな、一度変わっただけで満足してるんじゃあねェよ。人間ってのは成長し続けるんだ! 変わり続けるモンなんだ! 自分で十分だと思っちまったら、それ以上どこにも行けねェ。 勿体ねェって言ってんだよッ!」

 先ほどから俯いてばかりだったから、これでようやくきちんと目が合った。両のまなこを限界までかっぴらいたガキは、プロシュートが手を離すとがくりと膝から崩れ落ちる。

「オイ、プロシュート……」

 いつになく戸惑うギアッチョの声を聞いて、プロシュートは自分が思った以上に白熱してしまったことに今更気づいた。だが、どうしても黙ってはいられなかったのだ。自ら成長を止めようとしていたガキが、いつかの死を受け入れようとしていた自分と重なったのかもしれない。ビビりながらも一人前に言い返してきたことで、ほれみろやれるんじゃあねぇかと火がついたのだ。

「……チッ、いつまでもここにいたってしょうがねぇ。外に見回りに行くぞ」

 まだ残るムカムカと若干の決まり悪さを振り払うように、プロシュートは首のスカーフをぐいと引っ張って緩めた。足早にガレージの出口に向かう。最初の寒さはどこへやら、今は茹ったように熱かった。

「あ、あのっ!」
「んだよ!? まだやんのかよ!? 勘弁しろよなァ〜〜!」

 身体全体で向き直って頭を抱えたギアッチョとは対照的に、プロシュートは振り返らなかった。けれども足は止まっていたし、耳もしっかりとガキの言葉を拾っていた。

「俺なんかのために、怒ってくれてありがとう……」
「……」
「……兄貴だけじゃなくて、あいつも頭イカれてんじゃあねェのか?」
「かもな」

 プロシュートは素っ気なく同意した。一瞬、緩く弧を描いた口元をきりりと引き結び、ギアッチョにも届くかどうかわからないくらいの大きさで呟く。

「だがまあ、化けるぜ。ああいうヤローはよ……」


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