- ナノ -

■ 01.始まりはすべて日曜日

 かつて、リゾットは人殺しに対して復讐を誓った。
 
 まだ年若く未来に希望のあふれた彼の従兄弟の命を、突然、理不尽に、呆気なく奪い去った犯人が、たった数年でその罪を許されることなどあってはならないと思ったのだ。それも決して仕方がなかったと思えるような、不運な事故だったわけではない。従兄弟を轢き殺した男は、日曜なのをいいことに朝っぱらからしこたま酒を飲んでいた。男さえ酒を飲んでいなければ、そんな状態で車に乗っていなければ、リゾットの従兄弟は死なずに済んだのである。
 だが、イタリアで死刑が行われたのは一九四七年が最後であり、そもそも飲酒運転による死亡事故では最長でも懲役十数年。初犯ではなかったとはいえ被害者は一人、免許を携帯しており、警察に届け出た男が最長の刑に服すはずもなく、おまけにイタリアの司法制度は賄賂によって腐りきっていた。

 ――どうして、うちの子が死ななければならなかったの……
 ――たった四年だ。たった四年で、あの男の罪は許されてしまうのか……

 叔父と叔母は息子の死を嘆き悲しみ、犯人の男を憎んだ。どんなに慈愛に満ちた宗教を信仰していたって、それは当然の反応だろう。リゾット自身、従兄弟の死と甘すぎる判決を理不尽だと感じていた。もしかしたら最長の懲役刑が下されたとしても、納得がいかなかったかもしれない。死は死でもって償うべきじゃあないだろうか。
 だからリゾットは悲嘆にくれる叔父と叔母に向かって言ったのだ。
 オレが犯人を殺すよ、と。

 それを聞いた叔父と叔母は目を見開いて、そうだねぇ、そうできたら……と息も絶え絶えに呟いた。かと思うと不意にくしゃりと顔を歪めて、泣き笑いの表情でありがとう、と口にした。哀れな夫妻はリゾットの言葉を不器用な慰めだと思ったのだ。同じ痛みや憤りを共有していることを、十四の少年なりの短絡さで表してくれたのだと思った。

 しかし当のリゾットはどこまでも本気だった。その場しのぎの慰めや、やけっぱちでもなく、ただ犯人を許せないと思ったから殺そうと思った。従兄弟のためや叔父叔母のためというのもあったが、大部分は自分の為だ。男を殺したところで従兄弟は生き返らないけれど、自分が許せないと思った人間をこのままのさばらせておくのは我慢ならない。
 常日頃、無口で温和な少年だと思われていたリゾットは、その静かな表情の裏側にシチリア人らしい情の厚さと強情さを秘めていたのだった。彼の決意は四年後、男が出所を迎えても風化することはなく、十八になった彼は叔父叔母に向かって発した言葉を何の迷いもなく実行した。
 奇しくもそれは、日曜日の事だった。


 国民の九十九パーセントがカトリックを信仰するイタリアでは、日曜は誰しもがゆっくりと休息をとる。昼間はミサ帰りの客を当て込んで花屋やケーキ屋、飲食店が営業しているものの、夜は家族で過ごすことが一般的なため、平日に比べてどこも店じまいが早い。
 仇の男はどこかの組織に属するほどではないものの、やはりろくでもない人間のようだった。閉店ギリギリまで似たような仲間とバールでつるんだあと、一人暮らしのアパルトメントに帰宅するのだ。先週も、先々週もさらにその前の週も、判で押したように男が同じ週末を過ごしていたことをリゾットは知っている。だから酔っ払いの隙をついて、無理やり家に押し入ることなど造作もなかった。

 ――ひっ、なんだッ!?

 リゾットの体格は堅気のころから十二分に恵まれていたので、暴れる男の抵抗は虚しいものだった。何か一言、例えばこれが復讐であるとか、お前が殺した少年を覚えているかとか、お定まりの口上を述べたほうがよかったのかもしれないが、リゾットは相手を押さえつけるなり、どこにでもあるナイフで男の胸を一突き。背後の扉が閉まったばかりの、玄関口でのことだった。
 その時、彼の頭の中に“時間をかければかけるほど成功率が低くなる”という殺しの常識があったかどうかは定かではない。ただ、リゾットは初めから男を殺すつもりだったので、甚振ったりしてのんびりする理由がなかった。男が従兄弟の死を覚えていようが、それを罪と認めて懺悔しようが関係ない。復讐と言っても従兄弟のためではなく、これはリゾットが許さないと決めただけのことだからだ。

 ――オイオイ、仇討ちっつうからよォ〜よくある・・・・流れかと思ったが、実際マジにヤバイのはおめーみてぇな野郎だぜ、リゾット

 ずっと昔、それこそ暗殺チームがまだチームというには心もとない規模だった頃、酒の席でこぼした話を聞いたホルマジオにそんなふうに言われたことがある。
 こんなところに行き着くくらいだ。各々探られて楽しい過去などあるはずもなかったし、普段は誰も好き好んで身の上話などしない。けれどもリゾットは別にありふれた話だと思っていたので、聞かれたのなら隠すほどでもないと話した。お涙ちょうだいの復讐劇というにはあまりに無味乾燥だったし、所詮は終わったことである。それよりも今は上からチームのリーダーに選ばれて、突然引き合わされたホルマジオとプロシュートという一癖も二癖もある男達をどうまとめ上げるかのほうが問題だった。リゾットがリーダーになったのは単に成功率や場数だけの話で、この二人だって元々個々で殺しをやっていたそうだし、初めて見た時から他人の下に大人しくつくような人間には見えなかった。割り振った仕事もちゃんとこなすし、こうした飲みの席にも顔を出しはするが、当時の彼らが本当にリゾットを認めていたかというと答えはNoだっただろう。

 だから自分が社交的な性質でないことを知っていたリゾットは、少しでも仲間に対する誠実さを示せたらいいと昔の話をしてみただけなのだ。別に尊敬されたいわけでも偉ぶりたいわけでもなかったけれど、リーダーを任された以上は彼らの命に対して責任があるし、危険な仕事だからこそ互いの信用というものが大事になってくる。
 リゾットという男は情の厚さと強情さ以外にも、特筆すべき生真面目さを持っていたのだった。

 ――そうなんだろうか。別に仇だからと言って、酷く嬲ったり惨殺したりしたわけではないのだが……
 ――それが逆に怖ぇんだよ。おめーの中で一旦決まっちまったら、何があっても覆らない。絶対敵にゃあ回したくねーな
 ――ハン、裏切ったら地獄の果てまで追ってくるってか? 

 皮肉気に片頬をあげたプロシュートは、グラスの酒を煽ってからん、と小気味よい氷の音を響かせた。どうもリゾットの思惑から外れて、今の話は悪い印象を与えてしまったらしい。だが、真面目なリゾットはそういう“もしもの場合”についても真剣に答えを返さざるを得なかった。

 ――無いことを願いたいが、チームとして裏切り者を見過ごすわけにはいかない。追うだろうな。
 ――ほら見ろ、オレは男に一生追われ続けるなんてごめんだぜ
 ――だったら裏切らなければいい
 ――ま、そいつはアンタ次第だな

 プロシュートの挑戦的な言葉に、ホルマジオは肩を竦めた。しかし特に仲裁もせずにアンチョビの乗ったブルスケッタにかぶりつくあたり、彼もまた同様に思っているということだろう。ホルマジオは気さくで口数の多い男だったが、その飄々とした態度がかえって他人に深入りさせない壁の役割を果たしている、そういう男だった。

 ――あぁ、努力はする……

 リゾットは本心から頷いて見せたが、二人は黙ったままである。プロシュートは明らかに剣呑な視線をこちらに向けているし、ここまで物事が裏目に出てしまうとは予想外だ。この殺伐とした空気を取りなすにも、上手い言葉が見つからない。相変わらず不愛想に思ったことをそのまま口にする以外のことが、リゾットにはできなかった。

 ――リーダーとして何が求められているのかはまだ掴めないが……仲間は大事にすると誓おう。もしお前らが殺られた時は、オレは殺った奴を決して許さない。腕や足の一、二本失っても、何年かかっても、それこそ地獄の果てまで追おう。いや……これだと味方でもマジにヤバイ・・・・・・奴だろうか……

 自分で言ってからそういう執念深いところがヤバイ・・・と言われたことを思い出し、あぁまた間違ったなと反省する。現にホルマジオもプロシュートも目を見開いて、まるで奇妙なものにでも出くわしたかのようにまじまじとこちらを見つめていた。

 ――いやぁ、ヤバイって言うかよォ……オレらって上の命令でたまたま組まされることになっただけで……なぁ?

 呆れたように眉を下げたホルマジオは同意を求めるように、プロシュートのほうへ顔を向ける。一方、プロシュートはというと思い出したかのように眉間に皺を寄せ、チッと大きな音を立てて舌打ちした。

 ――勝手にオレがアンタより先に死ぬみたいに言ってんじゃあねェ。こっちこそ仇は討ってやるから安心して死んどけ
 ――わかった、もしもの時は託そう
 ――はぁ〜〜おめーら二人ともしょうがねーなあ〜〜

 乾杯しなおそうぜ。
 そんな風に言われて、まだ中身の入ったグラスに全然違う種類の酒を継ぎ足されて。あの時言った言葉は、その後メンバーが増えても違えるつもりはなかった。一年前のソルベとジェラートの屈辱を、そのままにしておくつもりはなかった。けれどもチームを抱える身となった今では、短絡的な行動で身を亡ぼすのは自分一人の話で済まされない。義理堅く、仲間意識の強いリゾットに付けられた首輪は、そのまま今いる仲間の命だったのだ。
 それでも、メンバーにこれ以上ボスのことを探るのは禁止だと告げても、リゾットの心はいつか必ずボスの正体にたどり着き、屈辱を晴らすのだと決めていた・・・・・。何年掛かろうが、どんな扱いを受けようが、来たるべき時が来れば必ず動く。他の仲間が勝手な行動を慎んだのも、単にボスの仕打ちを恐れただけでなく、そういうリゾットの性格を知っていたからだろう。ソルベとジェラートの死から一年経つが、所詮まだ・・一年なのだ。従兄弟の時は四年も待ったことに比べると、どうということでもない。

 そしてその一年経った今になって、冷遇されていた暗殺チームに急な人員補充が行われた。一度は裏切りの手前までいったチームに、パッショーネが安定し始めて暗殺の仕事も少なくなってきた頃に、新しい戦力を追加するなんて普通考えられない話だ。
 だが、組織から直々にもたらされた通達が冗談であるはずもなく、リゾットは今日初めてその新入りに顔を合わせることになっていた。念のため、アジトから離れた場所で落ち合うことにして、もしも何かあれば始末する気でさえいる。彼女が――送られてきた僅かばかりの情報では新入りは女性ということだった――ボスからの刺客でないとは限らない。
 しかし、指定された待ち合わせ場所についたリゾットはそこに立っていた女を見て、困惑せずにはいられなかった。

修道女ソレッラ……?」

 ゆったりした袖のついたくるぶし丈のローブは、清貧さを表すように紐によって腰のあたりで結ばれている。頭には白地のウィンプルと、ローブと同じ黒地のベールが重ねられており、胸元に輝くロザリオも含めてどこからどうみても女の格好は修道女ソレッラのそれだ。
 一瞬、たまたま待ち合わせ場所に無関係の人間が立っていただけかと考えるが、生憎この近くに教会はないし、日曜のこの時間、正規の修道女ソレッラならば晩課もとうに終えて眠りについている頃だろう。
 十メートルほど開けた状態でリゾットが迷彩を解除すると、女はわかりやすく目を丸くした。

「ボナセーラ。驚いた、あんたがチームリーダー?」
「……あぁ。ではお前がペコリーノか?」
「ええ」

 ペコリーノは頷くと、こちらに一歩踏み出そうとした。それを片手をあげることで制止したリゾットは改めて彼女を観察する。といっても、彼女の格好はチームのメンバーに比べると露出が少なく、ベールの隙間から覗く髪がブロンドであるとか、瞳の色が澄んだセレストブルーであるとか、それくらいの視覚的情報しかない。あのゆったりとした服ではどこにでも武器を仕込めるだろうし、この距離で獲物が推察できるほど手指に特徴的な厚みやタコがあるかどうかは判別がつかなかった。
 今現在こちらが握っているのは名前と、二十という年齢と、これまで組織管轄内の地区を短い期間に点々としていること。最終的に暗殺チームにやってくるくらいなのだからスタンド能力者であることは間違いないが、その能力についてまでは記載がなかった。迂闊に近づかせるわけにはいかない。

「チームに迎え入れるにあたって、お前の能力を見せてもらいたいのだが構わないな?」
「その前に、あんたの名前が聞きたいんだけど」
「……それは能力に関係があることか?」
「いいや、全然! ただ、死神みたいな人だなって思って気になっただけ」
「……」

 それは彼女と似たり寄ったりの黒づくめの格好を指してか、はたまた登場の仕方のせいなのか。とにかくいきなり不躾な感想を告げられて、リゾットは反応に困る。仕事の内容的にも、あながち間違いではないから特に。

「……リゾットだ。リゾット・ネエロ」
「ベネ。よろしく、リーダー。で、あたしの能力はこれよ」

 名前を聞いておきながらあっさりと肩書で呼んだ彼女は、どこからともなく分厚い本を出現させた。赤茶色をした皮装丁のそれは、彼女の格好からして聖書なのだろう。スタンドを見ただけでは能力がわからず、リゾットは視線で説明を促す。

「あのね、キリスト教において重要な出来事、“イエス・キリストの復活”、“復活したキリストが弟子たちに現れた日”、“聖霊降臨ペンテコステが起こった日”ってのはね、すべて週の初めの日――つまりは日曜日に起こったんだって」

 そう言いながらペコリーノが聖書を前に突き出すようにすると、それはみるみるうちに巨大化し、大きな壁となって二人の間に立ちはだかる。

「だからあたしたちはキリストの復活を記念して、復活の日である日曜日を“主日”や“聖日”と呼び、礼拝を行うようになったの。大事な日だから、神に祈りを捧げて休息をとるのが普通なのよ。……ところで、アンタは教会に行く?」

 聖書の後ろからひょっこり顔を出した彼女は、なんてことのない世間話のように聞いてくる。これがもしギアッチョだったなら、何ごちゃごちゃワケのわかんねーこと言ってんだッ! いいから早く能力について話しやがれッ!とキレていたことだろう。
 リゾットは静かに首を横に振った。

「昔はこれでも真面目に礼拝に行ったほうだったが……この仕事に就いてからはさっぱり縁がないな」
「でしょうねぇ。でも、あたしはギャングだろうが人殺しだろうが、神さまを信じる権利くらいあると思うわけ。そりゃあ、救ってくれるかどうかはアッチ次第だけれど、信じる分にはあたしの自由じゃない?」
「そうだな」
「わかってくれるの!? 嬉しいッ!」

 彼女が歓声を上げたかと思うと、今度は巨大だった聖書がみるみる元の大きさに縮んでいく。そして見た目にはもう普通にしか見えないそれは、彼女が拾わずとも持ち主の手の中に飛んで戻った。今のところ分かったのはあの聖書が自由に大きさを変えられるということくらいだろうか。ホルマジオの能力では大きくすることはできない代わりに対象に制限がないが、彼女の能力は……とリゾットが考えを巡らした時、

「なのにッ! なのによッ!」

 笑顔から一転。
 突然、大声をあげた彼女は、掴んだ聖書で激しく地面を殴り始めた。「どうしてギャングには日曜がないのッ!? 今日だって初出勤が日曜日ッ! 別に明日でもいいじゃあないッ!」打たれた石畳はヒビどころか砕け散り、えぐれ、大きな亀裂が四方八方へと伸びる。それだけではない。彼女が地面を穿つたびに、地震のように付近の建物が揺れるのだ。

「お金はそんなに要らないし仕事も選ばないから、あたしは閑職希望だって言ったのにッ! 人事権を持ってんのが幹部かボスかは知らねーが、ぶん殴ってやるッ!」
「おい、やめろ。落ち着け」

 内心、キレやすい部下に耐性があってよかった、と思う一方、どうしてうちに来るのはこの手の人間ばかりなのかとリゾットは真剣に頭を抱えたくなってくる。確かにあの聖書の破壊力は異常だが、特に捻りのある能力でもなさそうだし、臆面もなくボスへの暴言を口にするあたり刺客の類ではなさそうだ。が、それとこれとは別にして、ひとまず暴れるのをやめさせないとこの近辺が大惨事になってしまう。説得で駄目なら、メタリカもやむなしだ。

「たまたま顔合わせが日曜になったのは悪かったが、別にすぐに仕事をしろというつもりはない。そもそも特殊な仕事だから、すぐにはお前一人に仕事を回すこともない」
「……それ、本当?」
「あぁ。お前がよければ、このあとアジトで何人か仲間に会ってもらうつもりではあったが……」
「……」

 それを聞いたペコリーノはぴたりと動きを止め、聖書を掴んだまま何かを考えているようだった。「歓迎会……悪くないわ。日曜日は“始まりの日”だもの……仕事を始めるのはお断りだけれど、新しい職場の人たちとホームパーティーをするにはうってつけ……」それから彼女は何事もなかったように居住まいを正すと、スタンド能力を消した。

「ええと、それじゃあ早速そのアジトへ向かいましょ、リーダー」
「……ひとつ先に言っておくが、アジトの破壊は禁止だ」
「え? なに、そんなボロいとこなの? ベネベネ! そいつはマジに期待できる閑職じゃない!」
「……」

 すっかり機嫌を直して一人で嬉しそうにするペコリーノはリゾットの能力も尋ねないまま、無防備に射程内に入ってくる。自分の配属先が暗殺チームということは理解しているようだが、どうも彼女はチームとボスとの間にあったいざこざや待遇までは全く理解していないようだ。
 何の疑いもなく、新しい職場の上司だからと後をついてくる姿を見て、おそらく敵ではないのだろうが……とリゾットは小さくため息をつく。

 なんにせよ、厄介そうな人間がまた一人増えたことには変わりがない。

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