- ナノ -

■ 13.足を洗わぬ木曜日A


 小さいほうが便利なときというのは、一体どんな場合だろうか。

 例えば先ほどのように、べろんべろんに酔っぱらったり、怪我をしたりして誰かに運んでもらうとき。
 イタリアの平均的な成人男性の体重はだいたい七十キロくらいだが、相手が脱力していると男同士でも運ぶのはかなり大変だ。依頼の中には死体の処理に指定があったりして、やむなく運ばなければならないときもあったりするのだが、そういう場合はだいたいホルマジオかペッシに白羽の矢が立つことになる。

 そのほか人間以外でも、移動手段としての車や大量の武器を運んだりする際に、ホルマジオのリトル・フィートは重宝された。日常生活の中では、過去に何度かメンバーの引っ越しを手伝わされたこともある。もちろん、タダ働きをする義理はないので酒や飯など頂くもんは頂いているが、小さくするなんてくだらない能力だと煽られるわりには、なんだかんだと頼まれることが多い。
 いや、よくよく考えれば、能力に関係のない頼まれごとも結構あるか。


「壁ねぇ……」

 縮めたメローネとギアッチョをひとまとめに掴みあげて、ホルマジオはそれぞれの部屋のベッドに順にぶち込んでいく。小さくされるのを拒否したプロシュートはペッシが肩を貸し、吐きそうだったイルーゾォはペコリーノがトイレに引っ張っていく形で手分けしたが、おかげでなんとか収拾がつきそうだ。

「どうだ、オレにそんなもん感じるか?」

 ホルマジオが能力を解除すると、ベッドの上のギアッチョはみるみるうちに元のサイズになった。眉間に深い皺を刻んだまま低い声で呻き、寝返りを打つ。リビングにいたときは微動だにしなかったが、流石に完全に気絶していたわけではないらしい。むしろ、動くのも後片付けも億劫で、わざとじっとしていた線まで疑いたくなるくらいだ。

「……あぁ? ンだよ、頭が痛ェ……」
「だから壁だ、壁。おめーはオレに感じるかって聞いてんだ」

 ペコリーノが、ギアッチョを指して言うならまだわかる。こいつはいつも不機嫌そうで、見た目通りに世界のあらゆる物に腹を立てているからだ。そしてこれはメンバーのほとんどに言えることだが、とりわけギアッチョには他人と仲良くしようって気がさらさらない。仲良くする気がないから関わらないというスタンスならまだしも、ギアッチョから絡んで勝手に爆発することもある。壁は壁でも敵意満々。タチの悪いトゲのつきの壁だ。

「……言ってる意味がわからねェ……感じるってなんだ、壁は蹴る・・殴る・・もんだろうが……」
「ハァ、だめだなこりゃ」

 アルコールで頭が回っていないのか、ギアッチョの認識がぶっ壊れているかはさておいて。
 ホルマジオはまともな回答を期待するのは諦めて、リビングを復旧するためにギアッチョの部屋を後にする。こいつの場合は放っておいても、勝手に頭を冷やしたり氷を舐めたりして二日酔いをうまくやり過ごすだろう。こいつもこいつで、酒の席では氷の補充要員になったり、スーツ型のスタンドで暖をとったり、だいぶくだらない能力の使い方をすることもある。
 結局、能力の“くだる”“くだらない”なんて、使い手と状況次第というわけだ。

 ホルマジオが階段を下りて一階に向かうと、ちょうど黒い背中がリビングへの入り口を塞いでいるところだった。

「あー、悪ィな、リゾット。今はまだ入らねー方がいいぜ」

 後ろから声をかければ、リゾットはゆっくりと振り返る。すると、彼の体で隠れて見えなかっただけで、すぐ目の前に丸めたカーペットを抱きかかえたペコリーノがいた。どうやらイルーゾォのことは一旦トイレに放置して、先にこちらを片付けることにしたらしい。

「随分と盛り上がったようだな」
「まぁな。あぁ、リゾットの分はちゃんと残しておいてあるぜ」

 リゾットは昨夜、何か用事があったらしく不参加だったが、準備されていた酒の量からして、どんなことになるかくらいは予想していただろう。仕事ととなると厳しいリーダーではあるが、基本的にリゾットは寛容な男だ。相変わらず表情をほとんど動かさないし、淡々と話すせいで一瞬問い詰められているような気分になるが、怒っていないのは雰囲気でわかった。

「そうか、そいつはありがたいな」
「ねぇ、立ち話は中でやってくれる? あたし、これ洗いに行きたいんだけど」
「すまない、今退ける」
「すまないついでに、あのバカどもが食べられそうなもの作っといてよ」

 一旦、廊下に下がって道を開けたリゾットに、ペコリーノは臆面もなくそんなことを言ってのけた。仮にも上司だ。しかも、昨日の騒ぎには参加すらしていない。言われた当人も全く予期していなかったようで、一拍の間を置いてぼそりと呟いた。

「オレか」
「ほら、リゾット・・・・だけに?」

 彼女的には上手いことを言ったつもりなのだろうか。突然、両目をぎゅっとつぶったので何事かと思いきや、どうやらウインクのできそこないらしい。下手くそにもほどがある。

「あとホルマジオは床のモップ掛けとゴミ出しとグラスの片づけよろしく!」
「オイオイオイ、分担がおかしくねェか? オレも頭痛くて寝てーんだが」
「無関係のあたしとリゾットが頑張ってんだから当然でしょ。サボったら今晩全裸で外に磔にするから」
「……ぐ、わかった、わかった。やりゃあいいんだろ」

 ペコリーノはやると言ったらやる女だ。こんな男所帯でも平気な顔して生活できるくらい恥じらいの欠片もない奴だし、つまらない脅し文句だと切り捨てるのはリスクが高い。
 しかし、それにしたって壁を感じてる相手に言う台詞かよ、とどうしても呆れてしまう。

「壁?」
「あ?」

 カーペットを抱えたペコリーノが洗面所へ去って行って、あとに取り残された男二人。明らかに疑問符をつけて発せられた言葉に、ホルマジオは思わず動きを止めた。「なんでそれを……」まさか心を読んだのか、なんて馬鹿げたことすら考えてしまう。実際、リゾットは並外れた洞察力を持っていて、他人の表情を読むことには長けているのだ。

「……? 今、お前が言ったんじゃあないか」
「……声に出てたか?」
「あぁ」
「そうか、そいつはスマン」
「別に謝ってもらうことじゃない。ただ、そうだな……オレは“ウソ”や“演技”に敏感なだけで、何を考えてるのかまで心を読めるわけじゃあないぞ」
「ハハ、今ので余計に心配になったぜ」

 ストックされているビニール袋を引っ張り出してきて、ホルマジオは床に転がった空き瓶を次々放り込んでいく。ついでに食いかけの生ごみも、何かの包みだったプラスチックも。この際だからと、キッチンに溜まっていたゴミまで全部まとめて入れる。一応、分別の制度はあるにはあるが、処理場では結局一緒くたに燃やされていると聞くし、そもそもゴミの回収車自体がまともに来ないやらで、この街で馬鹿正直にルールを守るやつなんてほとんどいない。

 ホルマジオが片付けを始めると、リゾットも自分の役割を遂行する気になったのか、冷蔵庫を開けて中を確認し始めた。
 お互い、無言で作業を始めたので、てっきりこの話は終わりだとばかり思っていたのだが――。


「何か隠していることがあるのか?」

 鼻腔をくすぐるコンソメのいい香り。その中にふわりと香る爽やかさはレモンか。どうやら昨日の飲み会で余ったレモンを、リゾットは有効活用したらしい。ペコリーノはくだらない洒落でリゾット・・・・を作れなんて抜かしたが、ちゃんと二日酔いでも食えるようさっぱりしたものを作るあたり、なかなかどうしてデキる男である。

「ン〜? そう見えるらしいぜ、ペコリーノから見たオレは」

 とはいえ、ついでに洗え、と横から足される調理器具はあまりうれしくない。山積みのグラスをスポンジで擦りながら、ホルマジオはいつものようにすっとぼけた。「壁を作ってるように見えるんだとさ」彼女がチームに入ってから、特に邪険にした記憶はない。ペッシに対するプロシュートのように一から十まで世話を焼くような過保護さはなかったが、飯に行くとなれば当たり前のように声をかけるし、くだらない雑談で盛り上がることもしばしば。
 完全に言いがかりだよなァ、と同意を求めて笑えば、リゾットはゆるく鍋をかき混ぜながら口を開いた。

「オレも始め、そう思ったな。お前が一番、何を考えているのかわかりにくい」
「……はぁ? おめーが言うか? それ」
「オレは生まれつき顔に出にくいんだ。だが、お前はわざとやっているんだろう」

 ザアザアとシンクに跳ね返る水音がうるさいのに、不思議とリゾットの声はよく耳に届いた。ホルマジオはとっくに泡のひとつもついていないグラスを、さっきから延々とすすぎ続けている。

「おめーまで変な言いがかりはよせよなァ」
「首輪を壊せそうな情報でも、掴んだか?」
「ハ、まさか」
「ウソだな」

 幸い、責めるような響きはなかったが、それにしてもあっさりと言い切られたものだ。ようやくグラスを水切りカゴに移したホルマジオは、ぱっぱっと手の水気を払う。

「だったら、力ずくで口を割らせてみるか?」
「いや、無理に聞き出すつもりはない。本当にお前に隠し事があったとしても、心配はしていない」
「心配ない、ねぇ……そいつはどうだか。下手すりゃ、おめーらのほうを裏切るかもしれないぜ?」

 わざとにやついた笑顔を浮かべて見せたが、実際のところ、ホルマジオにそんな予定は一ミリもない。ただ、信用されすぎるのも決まりが悪かったのと、リゾットがどんな反応をするか興味があったのだ。

 読めないのはお互い様。もしかすると、少しくらいは動揺するところが見られるかもしれないなんて、ちょっとした悪戯心が疼いただけだ。きっと、ホルマジオが本気で裏切ったとしたら、リゾットは怒りよりも先にショックを受けるだろう。その後、地の果てまで制裁に来るかどうかは置いといて、まずはリーダーとしての自分を責めるはずだ。
 ホルマジオは我らがリーダーの、そういう生真面目なところを好ましく思ってる。他にいくらでも適当に生きている人間を知っているだけに、損な性格だな、とも思うが。

「裏切る? お前がか?」

 料理の片手間にするには、決して穏やかじゃない話だった。それでもリゾットは横顔のまま、火を止めた鍋に削ったチーズを加え、塩コショウで味をつけていく。

「舐めないほうがいいぜ、リゾット。現にオレはおめーにまだ言ってないことがある」
「言われてないことのほうが多いと思っていたが。お前は隠し事が多いだろう」
 
 そんなことはない、はずだ。一応、チームの不利益になるようなことを隠していたことはないし、自分の話をしたがらないのは何もホルマジオに限ったことではない。ホルマジオはチームの古株に当たるけれど、まともに昔の話を聞いたことがあるのはリゾットと、ほとんどカタギと変わらない生活だったために話すことに躊躇のないペッシ。それから、最近チームに入って散々疑われていたペコリーノくらいのものだった。あとの奴らも同じく話していないはずなのに、“壁を感じる”だの“隠し事が多い”だの一人だけ随分な言われようだ。

 そりゃあ確かに、人より本心を隠すのは上手いほうだが、それで他人を出し抜いて得意な気分になるわけでもなかった。そんな性格だったら、寂しげなペコリーノの表情にいちいち引っかかったりしない。それなりに長い付き合いのリゾットからの評価に、もやもやすることもない。 
 隠し事が多い奴は、秘密を作るのが好きだとでも思っているのだろうか。後ろめたさを味わうことがないとでも思っているのだろうか。そもそも隠さなきゃならないような事なんて、無いほうが良いに決まっている。
 ホルマジオが珍しくむきになって反論しようとしたとき、それよりも早くリゾットは「ただ――」と言葉を続けた。

「お前が隠すということは、黙っていた方がオレたちのためになると判断したんだろう。お前はそういう隠し事の仕方をする奴だ。だから、特に心配していない」
「……」

――オイオイ、そいつはちっとばかし、高く買いすぎってモンじゃあねぇか……?

 ホルマジオはいつものように軽口を叩こうとしたが、なぜか何も言葉が出てこなかった。そうやってこちらが固まっている間にも、リゾットは戸棚の中をがちゃがちゃと漁ってふぞろいな皿を持ってくる。

「できたぞ」

 皿によそわれたリゾット・・・・は、店で出てくるような小洒落た雰囲気はなかった。もともと、飾りつけをしなければお世辞にも見た目のいい料理ではないが、それにしたって盛り付けのセンスがないと思う。せっかくレモンをすりおろして入れたのだから、輪切りにして上にでも乗っければいい感じになるだろうに。
 しかし、ホルマジオは思いついた助言をそのまま胸にしまっておくことにした。この飾らない感じがなんともリゾットらしい。

「……美味そうだな」
「なんだ、その間は」
「いや、なんでもねェよ」

 今のもウソだとバレただろうな、とは思ったが、ホルマジオは気にならなかった。余計な手を加えるよりも、きっとこのままのほうがニ階でへばっているあいつらも喜ぶはずだ。

「そうか、ならいい」

 隠さなきゃならないような事なんて、無いほうが良い。だが、隠し事を許されるっていうのも、決して悪い気分ではなかった。

[ prev / next ]