- ナノ -

■ 12.足を洗わぬ木曜日@

――仕事がねぇときにまで、ここに来る意味はねぇだろ。

 いつだったかもう忘れたが、以前にプロシュートに言われた言葉だ。だが、前と言っても遠い昔の――チーム結成当初の話ではなく、ここ一年以内のいつかの話。

 その時のホルマジオは、イルーゾォやギアッチョ、メローネと一緒になって、空の酒瓶と共にリビングで朝を迎えたばかりだった。まだアルコールの抜け切れていない身体を自覚しながら、一足先に顔でも洗おうと洗面所に向かったその途中。ホルマジオは本当に何の気なしに、久しぶりだな、と挨拶しただけだった。事実、プロシュートをアジトで見かけたのは、実に一ヵ月以上ぶりのことだったからだ。

「チッ、朝から酒くせェな……」

 早朝だと言うのに、プロシュートは洒落たスーツをきちんと着込んでいた。相変わらず胸元は大きくはだけられていたが、寝起きのホルマジオと比べると随分とまともな恰好をしている。頭の後ろで結わえられた髪も、少しもほつれることなく整えられていて、どうやら彼はたった今アジトにやってきたばかりのようだった。

「酒の匂いが嫌なら、リビングには近づかないほうがいいぜ。あっちはもっとすごい。ギアッチョのヤローが吐きやがってよォ〜、ありゃ目が覚めたら地獄に違いねぇ」
「どうせ、テメーらが煽ったんだろうが」

 図星なので、ホルマジオはにやりと笑っただけだった。男だったらこれくらい飲めて当たり前だよなァ〜〜? と焚きつければ、負けず嫌いなギアッチョはムキになってグラスを空ける。負けず嫌いで言えばプロシュートもそうなので、ホルマジオは同様の手口でプロシュートをよく煽ったものだった。もっとも、最近はどうもプロシュートの付き合いが悪いので、なかなかその機会には恵まれなかったのだが。

「で、今日はどうしたんだ? 久しぶりに会えたところで悪ィが、二日連続酒盛りはできそうにないぜ。そんなことすりゃ二日酔いが四日酔い・・・・になっちまう」

 ホルマジオがそんな軽口を叩けば、プロシュートはわかりやすく呆れた顔をする。けれども、ホルマジオ相手に説教するのも馬鹿らしいと思ったのか、質問にだけ答えた。

「リゾットに用だ。あいつはいるか?」
「部屋にいるはずだぜ。あいつ、昨日の飲みも中頃で抜けやがったからなァ」
「ハン、リーダーが賢明なのがせめてもの救いだな」
「そうだぜ、おかげでオレらは本当の馬鹿をやらずに・・・・・・・・・・いられるってワケだ。なァ、プロシュート」

 ぴたり。
 既にリゾットの部屋に向かいかけていたプロシュートは足を止め、こちらを振り向いた。呆れ顔から一転、眉間に険しい皺がよっていて、青い瞳には剣呑な色すら含まれている。それを見て、おいおい、とホルマジオは思った。ただ鎌をかけてみただけだったのだが、どうもドンピシャ当たりだったらしい。「……どういう意味だ、そいつは」一段と低い声で凄まれて、今度はホルマジオが呆れる番だった。

「どうもこうもねぇなァ〜〜。おめー、リゾットが何て言ったか忘れたのか? それとも、“忘れろ”って言葉自体を忘れちまったのか?」

わざと明るい調子で、何のことかははっきり言及しない。それでも十分通じる話だ。反対にプロシュートは一度唇を引き結ぶと、絞り出すように声を出した。

「……テメーはそれで、綺麗さっぱり水に流して忘れたって言うのかよ? ああ?」
「馬鹿言うな。忘れちゃいねぇよ、あっちで床に伏してるヤロー共の誰一人としてな」
「だったら――」
「逆だ。だからこそ、一人で暴走しちまう奴がいねぇよう、オレ達は見張ってなきゃあいけねェ。おめーは大丈夫だと思ってたんだが……ったく、しょうがぁねぇなぁぁ〜〜ここにも堪え性のねぇでかいガキがいるとはよォ〜〜」
「……」

 ソルベとジェラートの一件以来、プロシュートの足が遠のいたのとは逆に、ホルマジオはアジトによく顔を出すようになった。そしてホルマジオがいると、自然と他のメンバーも集まる。組織の暗部であり、なおかつ冷遇されている暗殺チームに他に行き場なんてなかったし、皮肉にも、あの一件は連帯感や結束感を強める結果になったのだ。そして、そうやってよく顔を合わせていれば、誰かが動く時は必ずホルマジオの耳に入る。先走ったソルベとジェラートのように、二人だけの世界では周りが見えなくなってダメなのだ。少なくともリゾットが何も言わない今は、雌伏の時と考えるしかない。

「ったく、おめー、自分の影響考えろよなぁ。おめーがやると言ったら、ふらふら熱に浮かされるアホ共がわくだろ」
「……ペッシには何も言ってねェ」
「ペッシだけの話じゃあねぇ」

 二人は一瞬、無言で睨み合った。が、今回先に目をそらしたのはプロシュートだった。それは非常に珍しいことではあるが、ホルマジオはからかったりしない。代わりにプロシュートの肩を叩いて、静かな声で言った。

「まあ、あいつのことだ。マジに何年かかっても、地獄の果てまで追うだろうぜ。オレたちはお声がかかるまで、バカやってるくれーでちょうどいいのさ。だから……おめーもたまには昔みたいに付き合えよ」

 な? と片目を瞑ってやれば、鬱陶しそうに手を振り払われる。しかし、それが心からの拒絶でないことは、プロシュートの目を見れば明らかだった。

「吐くまで飲むような馬鹿にゃ、付き合えねェな」
「おいおい、オレ一人にガキどもの面倒全部押し付ける気か?」
「……今回ガキどもを煽ったテメー自身を恨むんだな。オレは出直す」
「あ、おい!」

 そう言って、くるりと踵を返したプロシュートの背中に、ホルマジオはわざと聞こえるように舌打ちをした。ついでにリビングの片づけを手伝わせようと思ったのだが、こちらは上手くいかなかったらしい。
 ホルマジオがしょうがねぇなァ〜、といつも言葉を口にしたちょうどその時、リビングの方で「うっわ! 最悪!」と悲鳴まじりの非難が聞こえた。


△▼


「うっわ! 最悪! あんたたち、昨日何時まで飲んでたの!?」

 酒の残った頭には、女の高い声はキンキンとよく響く。ソファのひじ掛けにもたれかかるようにして撃沈していたホルマジオは、声から逃れるように手近にあったクッションを耳に押し当てた。

「飲むのは構わないけど、もっとまともに飲めないわけ? どうやったらこんなカーペットをぐっちゃぐちゃにできるのよ。ほら、邪魔、さっさと起きろ馬鹿ども!」
「け、蹴るのはよくないよ……!」
「大丈夫よ、ペッシ。蹴ったくらいじゃ死にはしないからこいつら」
「朝からうるせぇ……」
「ぐっ……」
「うぇ……」

 ほとんどまともな返事が聞こえないが、全員状況はホルマジオと似たり寄ったりだろう。明らかな二日酔い。頭が割れるように痛いし、全身泥水に浸かったみたいに身体が重い。

 ホルマジオは薄目を開けて、部屋の様子を確認した。L字のソファーを好き放題使ってるのはプロシュート。その足元で、死人みたいに顔を青くしてるのがイルーゾォ。メローネは目元のマスクが首元までずり落ちた状態で、ローテーブルの上に突っ伏していた。おかげで、つまみの残りや酒や灰皿が全部、カーペットの上に投げ出されている。流石に今回のギアッチョは吐いていないようだったが、床に転がったまま微動だにしないのでアレもたぶん駄目だろう。

 まさに、惨憺たる光景。その原因となった“悪魔の酒”は、他ならぬペコリーノとメローネがフランス土産として買ってきたものだった。「ペコリーノ、てめー、何か盛っただろ……」ベースに使用されているニガヨモギが幻覚作用を持つからと言って、百年近くも禁止されていた曰く付きの酒。今はとっくに合法だが、思わず疑いたくなる気持ちもわかる。

「はぁ?」
「おかしいだろうが……なんでそんな、元気なんだよ……」
「だって、あたしはそんなに飲んでないもの。昨日だって途中で切り上げたし。ねぇ、ペッシ」
「いや、飲んでたと思うけど……」

 確かに彼女は日付が変わった頃、思い出したかのように「晩課がある」と言って中座した。時間帯はめちゃくちゃだが、彼女が毎晩“例のクズのための祈り”をやっているのは、メンバーももう知っていることだ。まだその時は皆それほど酔ってもいなかったし、特に絡んで彼女を引き留めるようなこともなかった。ペッシも同じタイミングで抜けたので――そもそもペッシはほとんど酒を飲んでいなかったが――被害なし。
 が、抜け出す前の時点でペコリーノは一人で瓶をニ本は開けていたうえ、部屋へ戻るときにちゃっかりもう一本持って帰っていくのをホルマジオは目撃している。到底、「そんなに飲んでいない」と言い張れる量と度数ではなかった。どうやら彼女は対アルコールにおいて、規格外の能力持ちらしい。自分で“ザル”だと言っていただけのことはある。

「兄貴ィ、大丈夫ですかい?」
「あぁ、大丈夫だ……だがな、ペッシ。そこの女から貰ったものを口にするときは気をつけろ」
「人聞き悪いこと言わないでくれる? もう二度と土産なんて買ってやるもんか」

 ペコリーノは口調の上ではかっかしながらも、部屋全体を見渡して、胃の底から吐き出すように特大のため息をついた。受け答えができるプロシュートはまだ軽症として、他の奴らが怠惰のために転がっているわけではないとようやく理解したらしい。
 彼女は能力を使うと、扉ほどはある大きな聖書を出現させた。ペッシと協力しながら倒れている男たちを引きずって、その上に乗せて運ぶつもりらしい。

「ホルマジオも、いつまでも寝たふりしてないで手伝ってよ」
「ン〜? 任せた」

 バレたか、と心の中で舌を出しつつ、ホルマジオは唸った。まぁ、この中でぎりぎり動けるのはプロシュートとホルマジオくらいだろうが、もっと元気な若手がいるなら丸投げしたいところ。というか皆、丸投げできるのが分かっていて、ここまで好き放題に羽目を外している。以前はホルマジオの役目だった後片付け役が、ペコリーノになっただけだ。

「うぇ……押すな、吐きそうだ」
「イルーゾォは今すぐ鏡にぶち込むのが良さそうね」
「ペコリーノ、ギアッチョがちっとも動かないんだけど大丈夫かな……」
「大丈夫、そのほうが静かでいいわ」
 
 にべもないペコリーノの言葉に、プロシュートが寝転がったまま静かに肩を揺らしている。さんざん毛色の変わった猫扱いされているが、なんだかんだ皆ペコリーノに気を許しているのだろう。フランスの任務で何があったのかはわからないが、メローネもペコリーノに対する接し方が変わった。彼の場合、別に元々邪険にしていたわけではなかったが、なんとなく目に見えない壁が取り払われたような、そんな感じだ。

 後の問題はギアッチョだけだな、とホルマジオはぼんやり思う。お互い口は悪いし、顔を合わせればすぐに喧嘩になるが、今だってペコリーノは一応ギアッチョの面倒を見ようとしている。彼女の何がそんなに気に入らないのか、ギアッチョ本人に尋ねたことはなかったが、メローネの変化も相まって、いずれ時間が解決してくれるだろう。

「何回言わせるの、ホルマジオの能力なら運ぶのも簡単でしょ!」
「残念ながら、オレの能力は荷物持ちじゃあないんでね」
「あのさ、このあたしが担架扱いに甘んじてるの、わかる?」
「……はいはい、わかったわかった。ったく、しょうがねぇなァ」

 冷ややかな視線に押し負けて、よっこいせ、と身体を起こす。無理な姿勢で寝たせいか、身体を動かすたび、首から背中にかけてぎしぎしと軋んだ。運ぶのは完全にペコリーノ達に任せるとして、ホルマジオはリトル・フィートでちょいちょい、っと男たちを小突く。これでそのうち、運びやすいサイズになるだろう。彼女ご自慢の担架・・で何往復もしなくても、一度にまとめて乗せていってしまえるというわけだ。

「でもこれ、小さくなるのに時間がかかるのは難点ね……」
「おいおい、人の能力にケチつけんなよなァ」
「なんでそんな能力なの?」

 なんの躊躇いもなく、当たり前のように投げかけられた質問。
 ホルマジオは少し戸惑い、それを誤魔化すように笑みを浮かべた。

「……いやいや、自分で好きに決めるもんじゃあねェだろ、お前だってでっかい聖書が欲しいですって思ったのか?」

 言いながら、ペコリーノならそれもありそうだ、と思ってしまうが、そうだとしても思い通りにスタンド能力を作れるわけではないはずだ。
 ざわつくホルマジオの胸中も知らないで、ペコリーノは至って真面目な顔で続ける。

「いや、私だって授かった能力だよ。だけど、ちゃんと意味があるような気がしてる。何か意味があって私にはバイブル・ベルトで、ホルマジオにはリトル・フィートなんだよ」
「……神様の思し召しってわけか?」
「信じるならね」
「さぁてどうだろうな、これはオレの意思かもしれねェ……」

 だんだんと縮み始めたメンバーを見ながら、ホルマジオはほとんど無意識のうちに呟いていた。「へぇ?」途端、ペコリーノの面白がるような声が聞こえてきて、しまった、と思う。

「面白半分で詮索するなよ」
「残り半分は真面目ってことじゃない。ねぇ、ペッシも気になるよね」
「え、あ、うん……オレも皆の能力のこと、やっぱり気になるし……」
「そんなの、オレじゃなくてもいいだろうに。うちにはもっと訳のわからねェ能力のやつがいるだろ?」

 例えば、メローネ。どういう教育を受ければ、あんな倫理観に育つのか。例えば、プロシュート。何があって他人を老化させようという発想になるのか。イルーゾォだって、ちっとも似合わないメルヘンチックな能力だ。リゾットやギアッチョは強い力を望んだと言われれば、まだなんとなく理解はできるが……。
 わかりやすいのは、釣りが趣味だった、と言っていたペッシくらいのものだろう。

 好奇心の対象にするなら、自分よりももっといい相手がいるはずだ。ホルマジオがそう言って質問をかわそうとしたとき、ペコリーノは少しだけ寂しそうに笑った。

「ん、なんていうか、ホルマジオが一番、壁作ってるように見えたからさ」

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