- ナノ -

■ 11.降灰の水曜日D

 フランス人のサッカー好きは、第一次世界大戦の頃から続いているらしい。発祥がイギリスであることから国技と言えるかまでは意見がわかれるが、国内リーグの充実ぶりを見ても、国民的スポーツであることは間違いないだろう。

「すいませーん!」

 芝生が美しい運動公園の、麗らかな休日の昼下がりのことだった。持ち主から逸れてころころと転がってきた白黒のボールを、メローネは片足で止める。 
 今日の格好はいたって普通のシャツにパンツだったので、少年は気軽に声をかけることができたのだろう。大きく手を振ってアピールした少年に向かって、メローネはボールを蹴り返す。強すぎず、弱すぎず、ちょうどいい加減でボールは少年のもとへ帰り、ありがとうございます! と気持ちのいいお礼が返ってきた。その奥で少年の親らしい男性が、ぺこりと頭を下げる。
 メローネはそれに片手をあげて応えると、近くのベンチに腰を下ろして親子が仲睦まじそうにサッカーの練習をするのを眺めていた。


「先ほどはありがとうございました」

 それからニ十分ほど経った頃だろうか。さすがに子供の体力に付き合うのはつらいと見えて、父親のほうが休憩がてらメローネの座るベンチにやってくる。ペットボトルに口をつけ、汗を拭った彼は、確かに小学生の子供を持つ父親にしては少し老けて見えた。

「可愛い息子さんだな」

 メローネは緊張を悟られないように、努めて明るくそう返した。平静を装った自分の声が、やけに高く耳に残る。それでも何食わぬ顔をして、男が腰を下ろせるようにベンチの端のほうへと身体をずらした。

「ありがとうございます。妻によく似た子でして」

 男の言う通り、少年は艶のあるきれいな黒髪をしていた。隣に並んでみると、男のブロンドとメローネのほうがよく似ている。

「男の子は母親に似ると言うからな。オレ自身も、ちょっと思い当たるところがあるし」
「そうなんですか」
「ああ、遺伝って不思議だよ」

 他にも似ているところがないか。
 確かめたいような、確かめたくないような、複雑な気持ちで結局どこでもない遠くを見つめるしかなかった。一人になった少年は、リフティングの練習に切り替えたらしい。ぽんぽん、と危なっかしく跳ねるボールを見ながら、メローネはまた世間話を装って口を開く。

「そういや、兄弟はいるのかい?」
「それが恵まれなくて。実は二度目の結婚なんです。相性ってあるんでしょうね。二度目でようやく授かった子なんです」
「……そうか。それじゃあ本当に可愛いだろうね」
「ええ、目に入れても痛くないとはこういうことを言うのかと」

 そう言って照れくさそうにはにかんだ男は、確かに素敵な男だった。調べた限りごく普通の会社員で、これといっていいところも悪いところもない平凡な男だ。メローネ自身、自分がいつこの男からサンプルを採取したのか、はっきりと思い出せないくらいどこにでもいそうな男。だが、”父親”の顔をした男の笑顔を見て、平凡さこそがいっちばん素敵・・・・・・・なのだと痛感した。むしろどうして母さんみたいな女と関係していたのかのほうが不思議なくらいだ。もしも母さんがあんな色狂いでなければ、ごく普通に妊娠のことを伝えて、二人はそのまま結婚して、穏やかな家庭を築けていたのかもしれない。メローネが彼の最初の息子で、いっちばん可愛い子供だったかもしれない。

「やっぱりオレは……アンタみたいな人になれそうにないよ」

 喘ぐように思わず漏れた呟きに、男は少し怪訝そうな表情になった。それもそうだろう。メローネは苦笑して首を振る。「えっと、彼女のおなかの中に子供がいるんだ。それでちょっと不安になってるんだ、オレが産むわけでもないんだけど」すらすらと口をついて出た嘘に、内心でますます気持ちが沈むのを感じた。目の前の善良そうな男は、きっとこんなにも嘘がうまくないだろうから。

「あぁ、なるほど。確かに親になるというのは、男にとっても大きな出来事ですからね」
「うん」
「でも、生まれてきた子供は可愛いものですよ」
「……親の言うことを聞かずに反抗ばかりして、どうしようもない悪ガキに育ったとしても?」
「ええ」

 男は迷いなく頷いた。その瞬間、とっくに終わったはずの“反抗期のメローネ”が心の中で“綺麗事だな! ”と冷ややかに笑った。じゃあ今ここで、自己紹介してみるかい? 信じるかどうかはわからないけれど、少なくともカリーヌという名の女を欠片も覚えていないなんてことはないだろう! ちょうど最近、その女は死んだぜ、アンタに三人目の可愛い子供を残してな。よかったじゃあないか! 
 まるで暴走したベィビィだ。メローネは一度口をぎゅっと引き結んで、癇癪の嵐の中から比較的マシそうな言葉を必死で探した。子供が癇癪を起こすのは、甘えがあるからだ。期待があるからだ。真に望んでいるのは、善良な父親をあざ笑うことではない。

「……へぇ、たとえば人殺しをするようなクズでもかい?」

 結局、選びに選んだくせに、そんないかにも子供じみた極端な問いしか出てこなかった。仮にそんな子はおぞましい、と言われれば、自分のやってきたことは棚に上げて一人前に傷つくのだろう。反対に、どんな子供でも愛するなんて言われれば、それはそれでやっぱり自分は父親似ではないのだ、と突き付けられる気がした。まったくもって不毛な質問だ。

「それは……それは流石に赦されることではないけれど、だからって嫌いになんかなれませんよ」

 メローネの言葉に、男は弱ったように眉尻を下げた。どうやらこんな馬鹿げた質問でも、真剣に答えてくれるようだった。

「たとえ子供が間違ってしまったとしても、それは子供のせいじゃあありません。教えてあげられなかった、親の責任です」
「それって、つまり……親の教育が大事ってこと?」
「はい。……ああっ、これじゃあ逆に責任重く感じてしまいますね、すみません!」
「……」

 慌てた声を出す男に、メローネは肩を震わせた。ぐにゃりと不自然に歪んだ口元は片手で覆って隠したとして、目元は隠せない。「……っ、くくっ、あはは、アンタ、マジに最高だな!」やっぱり、今日もマスクを持ってくればよかった。腹を抱えて笑いすぎたふりをして、目元をさっと指で拭う。

「……フフ、ありがとう。アンタのおかげで、ちょっと気が楽になったよ」
「そ、そうですか。それならいいんですが……」
「あぁ、アンタは今まで会ったなかで、いっちばん素敵な父親だと思うぜ」

 だから、もういい。もう十分だ。そうだろう? メローネは自分に問いかけた。何もかもぶちまける必要はない。もとより、オレは父さんを恨んじゃいない。あそこで何も知らずにサッカーをしている少年だって、なんにも悪くない。
 “反抗期のメローネ“は何も言わなかった。何も言わないことこそが答えだった。


「パパー、休憩長いよォ」

 そのとき、いつまでも休憩から帰ってこない父親に業を煮やしたらしく、少年が不満の声をあげる。「あぁ、ごめんごめん、今行くよ!」これっぽっちも羨ましいと思わないと言えば嘘になるが、少なくともメローネは満足していた。

「それではすみません、あなたもあまり思いつめないで。偉そうに語りましたが、なんだかんだ子供というのは勝手に育つものでもありますから」
「あぁ、うん。そうだな」

 親子が再び、サッカーに興じるのをメローネはしばらく見つめていた。そして、ややあって決心したようにスタンドを発現させた。PCの本体のほうだ。成長し、父親を見つけたベィビィはここには連れてきていない。正直なところ、今回はどこまで制御しきれるかわからなかった。

「……“兄弟”。聞いてるか」

 正真正銘、あの人の遺伝子と母さんの体から生まれたスタンド。こちらの“息子”も母親似なのか、気まぐれで掴みどころのないやつだった。

 □……父さんを殺す気になったんですか?

「まさか。あんないい父親を殺す理由がないだろ」

 □そう……

「だから、すまない」

 □……構いません。あんたも結局、母さんと同じことをする

 そのメッセージを最後に、ぶつん、と画面が暗くなった。メローネがベィビィを終わらせたのだ。

「そんなことは知ってるさ。でも、髪色以外に父さんに似ているところもあったんだぜ」




 こいつは面白いものがかかった、とE.ゲインは舌なめずりをした。フックに引っ掛かった生き物が人間でないのは一目ですぐわかる。しかし目の前のこいつは人の言葉を話すし、ちょっぴり削いでみた感じ、どうやら痛みも感じているようだ。皮膚らしい皮膚がなく、削ぐとぱらぱらと崩壊してしまうのが残念極まりないが、E.ゲインは興奮していた。 
 おそらく、こいつは自分の能力──スリフト・ショップと似たようなものだ。自分のがフックという無機物だったので想像もしていなかったが、こういう人型のものもいるらしい。

「さぁて、どっから紛れ込んだんだ、お前?」

 ここは屋敷から廃工場に至るまですべてリュシアンの持ち物で、当然、行われているイカレたお楽しみも、E.ゲインの崇高な作品の販売も極秘事項だ。獲物は屋敷のほうで見世物になって甚振られているか、隣の倉庫で逆さまのまま出番待ちをしているはずなので、招待客の中にネズミでも紛れ込んでいたのだろうか。

「なぁ、お前らみたいなのにも、怖いって感情はあるのか? 後ずさり・・・・したんだろ? それとも、お前の本体が逃げろって言ったのか?」

 吊られた生き物は何も言わないが、別に本体を庇っているわけではないだろう。スリフト・ショップに吊られたものは、一切何もできないのだ。瞬きも、呼吸も、排泄も、致命傷を負ってさえ、死ぬこともできない。苦痛は感じるだろうが、悲鳴をあげることもなく、顔を歪めることもないので、その点サディストのリュシアンとE.ゲインは協力関係にありながらも趣味は違っていた。E.ゲインはサディストではなくアーティストなのだ。血が固まって硬くなると皮が剥ぎにくい。だから、獲物は常に新鮮であればそれでよい。今だってこの謎の生き物に作業を中断された形だが、E.ゲインが剥いでいた男はまだ死んではいないのだ。少なくとも、スリフト・ショップに吊られているうちは。

「……まぁ安心しろよ、オレはリュシアンと違って、痛めつけるのは好きじゃあねェ。ただ、せっかくの工房が世の中にバレちまうのはまずいんだよなァ。そりゃあ、オレだってもっと、自分の作品を世に広めたいとは思っちゃあいるがよ……一見さんはお断りしてんだ。一流の職人とか芸術家ってモンは、客にもこだわるモンだからな」

 E.ゲインはそう言って、工房の看板を顎でしゃくって示した。リュシアンの知り合いは皆金持ちだ。金持ちは金が有り余っているから、珍しいものに目がない。オーダーメイドや、この世にひとつしかないという響きも、彼らにはよく刺さるのだろう。

「なぁ、お前の本体はどこなんだ? お前を殺せば、本体も死ぬのか?」

 とりあえず、とE.ゲインは人型の生き物の首筋を切ってみた。抉るようにナイフを動かして、その身の一部をスリフト・ショップから解放してやる。しかし、生身の肉片ではなく細かな立方体が欠片となって落ちるだけでどうにもこの生き物の扱い方がわからない。

「はぁ? なんだァこれ……。まぁどのみち、吊ったままじゃあお前は死なねぇのか。めんどくせぇな、どうしたもんか──ッ!」

 その時、突然何の前触れもなく、どすんと身体の真ん中に衝撃が走った。咄嗟のことに、理解が追い付かない。息が吸えない。血の気が引いていくのが自分でもわかる。反対に胃の中のものがせり上がってきた。とてもじゃないが立っていられない。
 腹を抱え込むようにして、E.ゲインはその場に膝をついた。口の中が酸っぱく、少し吐いたのかもしれない。何が起こったのか、わからなかった。もう胃の中のものは出したはずのなのに、ずっと吐き続けているかのように息ができない。吸えない。

「ベィビィ、無事? 首取れかけてるように見えるんだけど、もう死んでる?」

 横倒れになったまま視線だけ動かせば、いつの間にか知らない女がそこに存在していた。その姿が突然現れたことと、黒いローブのようなものを纏っていたせいで、E.ゲインは死神でもやってきたのかと錯覚する。どのみち、こんな状況だ。死神であってもなくてもそう大差はない。焦る内心とは裏腹に、身体は冷や汗を垂らすばかりで起き上がれなかった。プロのボクサーでもきれいに鳩尾に入れば動けなくなるという。戦闘に慣れていない人間が不意打ちでくらってしまったのなら尚更だ。

『助かりました。これくらいなら問題ないです』

 どうやら、スリフト・ショップは今のダメージで解除されてしまったらしい。ただ、自由になった人型の生き物は、十分致命傷に見えるのにまだ死んでいない。

『ペコリーノ、気を付けてください。後ろに下がってはいけません』
「え? どういうこと?」
『ぼくは、このガレージに入った後、メローネの指示に従って一旦引こうとしました。後ずさりした瞬間、突然足元からフックが飛び出てきた』

 なんだこいつ。頭いいじゃねぇか。生き物っつても、機械みたいだからそりゃそうか。
 ごくごく浅い呼吸を繰り返し、E.ゲインはそんなことを思った。呑気なわけでも、余裕なわけでもない。ただ、脳に酸素が行かないことには、危機的状況だろうが頭が働かない。人が地獄の苦しみにのたうち回っているすぐそばで、女と生き物は顔色ひとつ変えずに普通に会話をしている。

『どうしますか、ペコリーノ。あんたはぼくを助けてくれた。あんたには譲ってもいい』
「そうねぇ……あたしとベィビィのどっちがこいつの罪を被ろうか? ベィビィはどうやってこいつを殺す?」
『食べたいです』
「なるほど、それなら任せる。誰も罪を被らなくていいなら、それに越したことはないからね」

 わかりました、と生き物が答えた。動けないE.ゲインに向かって、近づいてくる。逃げ出したいのに起き上がれない。恐ろしくてたまらないのに悲鳴も出ない。スリフト・ショップに吊られた奴らも、こんな気分だったのだろうか。でも、奴らはちゃんと作品にはなれた。E.ゲインは消化される。何もなくなる。消える。この世から。いやだ。死にたくない! 
 もしも声が出ていたら、屠殺場の豚のようにみっともなく命乞いしていただろう。けれども叫んだところで誰も食料の嘆願になんか耳を傾けない。
 最後に聞こえたのは、悪魔のように憐憫の欠片もない女の声だった。

「悪食は確かにあるよ。自分が人を食えるかって言われると正直無理。でもね、それは好き嫌いの話で、食べるために殺すのは罪には数えないことにしてるの。だって、こればっかりはしょうがないし、そんなことを言い出したら誰も生きられないじゃない?」




 今回の任務の目的は、<パッショーネ>の体面を傷つけたサディストのリュシアンを殺すことだった。まだ<パッショーネ>の影響力が小さいフランスで、他の誰も二度と手出しをする気が起きなくなるように、徹底的にわからせることが目的だった。
 人質の奪還も、違法な趣味の奴らの摘発もメローネには関係ない。ボスに至っては任務さえ成功すれば、送り込んだ暗殺者の生死だってどうでもいいだろう。部下に対してすらそうなのだから、その部下の使うスタンドの生死なんかもっとどうでもいいに決まっている。どうせ任務が成功したって、最後にベィビィは消さなきゃならない。一度に作れるベィビィは一体限りだ。その一体をとことん教育して常用するという手もないわけではないが、それではDNAの追跡能力が生かされなくなる。

 ベィビィからの通信が途絶えたあと、メローネはすぐに新しい息子を作ろうとした。連絡がとれるなら、まだ情報収集したりこちらから助言もできたりするが、それが一切できないのなら貴重な一体を人質として無駄に置いておく道理はない。
 だから迷わず今のベィビィを削除しようとした。が、それは叶わなかった。再起動しようとしても、画面はちっとも進まない。ベィビィは確実に死んでいないが、こちらが統制できる状態になかった。これまでは自動操縦といっても最終的な“存在”の権限はメローネにあったのに、何をどうしたものか完全に切り離されている。

「おいおい、嘘だろ。ここにきて真の自立なんて、笑えない冗談にも程があるぞ」

 実際には敵の能力なのだろうが、困ったことには変わりない。ペコリーノが先に現場に向かっているとはいえ、任せきりにはできなかった。お前が前線に出るのはおかしい、とギアッチョに言われたことを思い出したが、この際それは捨て置く。メローネだって、全くの無力というわけではないのだ。スタンドを使わなくても、人を殺すための道具は一通り使える。わざわざスタンドを出さずに、人殺しをしたことも十分ある。

「……一人じゃ何もできないなんて、甘く見るなよ。オレは昔から自分のことは自分でやってたさ」

 借り物のバイクに跨って、目的地を目指す。その昔、初めて盗みを働いたときのような緊張感が身を包んだ。精神的な意味で、本当に一人になったのは随分と久しぶりなような気がする。あちこちチームを転々として、どんなに他人と分かり合えない時でもメローネにはベィビィがいた。ちっとも言うことを聞かず、反抗ばかりだったとしても、確かな繋がりのあるベィビィが。
 だから、もしもメローネがこの任務を一人でやり遂げたのなら、そいつはかなりすごいことだ。手放しで賞賛されるべきことだ。



「ペコリーノ、先に向かったアンタのほうが遅いなんて変じゃあないか」

 屋敷にたどり着いたメローネがリュシアンを首尾よく銃で撃ち殺したとき、メローネはベィビィがうまく仕事をやり遂げたときと同じくらい嬉しかった。ターゲットの退路を絞るため放った火が、めらめらと音を立てながら屋敷を呑み込んでいく。それが巨大な炎となって全てを燃やし尽くすのは時間の問題だった。建物から逃れても、既にその周囲にちらほらと火の粉と灰が舞い始めている。
 メローネは一応、ペコリーノが出てくるのを待っていたのだ。そして彼女が無事なのを確認して、声をかけた。

「リュシアンはオレが殺ったよ。だから仕事は終わりだ」
「……」
「どうしたんだ? アンタがいるのがわかってて、火をつけたから怒ってるのか?」

 来た方向からして、ペコリーノは屋敷本体ではなく、ベィビィのいたガレージのほうにいたはずだ。そちらはまだ火の手が及んでいないし、現にペコリーノが火傷を負っていたり、服や髪を焦がしている様子はない。
 それなのに、彼女は明らかに怒っている様子だった。炎が周囲の景色を揺らめかせるように、彼女の周囲も怒りによって揺らめいて見えた。一人でしっかり仕事を終えて清々しい気分だったメローネにしてみれば、彼女の反応はまるでわけがわからない。

「何が問題なんだ?」
「……ベィビィは死んだわ。突然ばらばらになって消えた」
「あぁ、ペコリーノが出たあと、敵に捕まった報告は届いてたよ。だから──」
「違う。あたし、助けたもの。敵に殺されたんじゃあない。敵を仕留めようとして、その最中に突然消えた」
「そうか……じゃあ、ペコリーノが助けた後、オレの削除命令が遅れて実行されたんだな」
「……」

 ペコリーノは黙りこんだ。ただ、それはショックを受けているというよりも、無言でこちらを責めているようだった。メローネは顎に手をやると、少し考えてから口を開く。

「そうだな、今後の為に言っておくが……ベィビィを助ける必要はないんだ。そういうスタンドなんだ。助けたって、任務に成功したって、どのみち最後は消す」
「どうしても?」
「あぁ、そういうものなんだ。“息子”の代わりはいくらでもいるから」
「そう……」吐き出された呟きとともに、ペコリーノを包んでいた怒りがだんだんと勢いを失っていく。代わりに、屋敷の周囲に降り注ぐ灰は勢いを増していた。

「悲しいスタンドなのね」

 そんなふうに言われたのは初めてだった。メローネのスタンドはいつだって気持ち悪いものだと見られてきた。
 メローネ自身、育てたベィビィに愛着はあっても、消すときには可哀想だとか、悲しいだなんて思ったことがなかった。

「かも……しれない」

 それでも、なぜかペコリーノの感想はすとんと胸に落ちた。これまで顧みられなかったベィビィを、彼女は任務を放ってまで助けようとしてくれたからかもしれない。メローネの行動を冷血だと罵るわけでもなく、それはそれとして受け入れて、純粋に悲しんでくれたからかもしれない。
 メローネは心がざわつくのを感じた。スタンドなしでリュシアンを殺ったのだという高揚感はすっかり消え、今までずっと見ないふりをしていた感情が胸の内に広がっていくのを味わっていた。

「……祈ってやってくれないか、ベィビィの為に」

 ペコリーノは静かに頷いた。
 そういえば昔、まだまともに小学校エコールに通っていたころ、神父がやってきて、皆で馬鹿正直に祈った記憶がある。復活祭から換算して、その四十六日前の水曜日に行われる塗布式。聖書において“死”と“悔い改め”を表す灰を用いて、額に十字架の模様を描くのだ。
 メローネは子供心にその儀式が、バツをつけられるみたいで嫌いだった。自分は唯一母さんに選ばれた子供なのに。それなのに、バツをつけるなんて。

「前に一人っ子だって言ったけどさ……オレにも兄弟がいたはずなんだ」

 メローネは確かに母親似かもしれない。けれど、父親に似ているところだってあるし、母親と違うことだってできる。
 はず、という部分で伝わったのか、ペコリーノは「そう」と小さく相槌を打った。

「じゃあ、その兄弟たちの分も」
「うん……助かる」

 実際、祈りの時間はそう長くはなかった。何しろ二人は人殺しで、いつまでも現場にだらだら居座るわけにもいかない。放火なんて目立つことをやっているのだから尚更だ。イタリアに戻っても、他の仲間にはこんな馬鹿なことをしていたなんて、到底話せやしないだろう。



「二人だけの秘密ができてしまったな、ペコリーノ!」

 帰りは二人乗りだった。バイクのエンジン音に負けないよういつもより声を張れば、ペコリーノも同様に大きな声で返す。

「はぁ? なに? 聞こえない! キモいんだけど!」
「聞こえてるじゃあないか!」
「え? マジで聞こえないって! ただなんか、笑ってるのがキモい!」

 そうか。聞こえないのか。確かに前にいるメローネに向かって話す声と、前を向いたまま後ろの彼女に話しかける声では届き方が違うのかもしれない。それならそれで、都合がいい。恥ずかしがらずに言うことができる。
 メローネはわざと普通の声の大きさで言った。

「ペコリーノ、アンタは今まで会ったなかで、いっちばん素敵な修道女ソレッラだぜ。たぶん」

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