- ナノ -

■ 09.降灰の水曜日B

 男は生まれながらの貴族であったが、生涯のうち約30年もの期間を刑務所と精神病院で過ごすことになった。それはひとえに男の悪徳のせいであったが、男が生を受けたその瞬間から貴族であったように、醜悪な嗜好もまた、生まれついての性質だったのだろう。
 男は獄中にて鬱屈した衝動を執筆活動にぶつけ、神をも恐れぬおぞましい思想を次々と形にした。たとえば倒錯的なエロティシズム、たとえば徹底的な無神論。根底には道徳観や権威を否定するリベラル思想があったのだろうが、当然その内容は教会から背徳の罪に問われ、時の為政者ナポレオンの逆鱗にさえ触れたという。


「……まったく、フランスにはサド野郎が多いのかしらね」
 
 忌々しそうに漏らされたペコリーノの呟きに、それは風評被害だ、とメローネは思った。フランス人は確かに“自由”を愛してはいるが、“平等”や“友愛”もそれに並ぶものとして掲げている。全員が全員、マルキ・ド・サドのような悪徳の栄えを望んでいるわけではない。
 しかしながら、かの有名なサド侯爵ほどでないにしても、ここにいる人間が悪徳を好んでいるのは間違いなかった。この会はいわゆる趣味人たちの親睦パーティで、その趣味の内容は人体のパーツを芸術品として収集すること。メローネ達の仕事は、この会の主催者である男を殺すことであり、また男の秘密のプレイルームを突き止めて、そこにいる<パッショーネ>の恥さらしを抹殺することであった。

「個人的には全員殺してもいいと思うの」
「お断りだな。金にもならないし、疲れるだけじゃあないか」

 ペコリーノの能力も、メローネの能力も大人数を葬るのには向かない。ちまちま一人ずつ殺ってもいいが、プロシュートのように被害者が全く気づかないうちに、というわけにもいかないので取りこぼしも出るだろう。
 それに、厳密に言うとサド野郎は主催だけだった。男は自分の趣味の過程で出た廃棄物を、芸術という響きに酔っている収集家コレクターに横流ししている。そしてその中に嗜虐趣味の気がある者がいれば勧誘して、自らの狂宴に招待するのだ。

「いいか? この会場で用があるのは放蕩息子のリュシアン=ペサールだけだ。しかもただ殺して終わりじゃあない。オレ達は奴に近づく必要がある」
「わかってるって。リゾットにも今回は殴って解決するの禁止って言われてるから。ほんと、修道女ソレッラに色を使わせるなんてバチ当たりよねぇ」
「え? 使えるのか? ペコリーノに?」

 確かに会場にはドレスコードがあって、彼女はいつもよりずっと露出の高い黒のマーメイドドレスを着ている。普段は私服も含めてゆったりとした服装ばかりだから分からなかったが、こうして見るとしっかり出るとこは出て、引っ込むところ引っ込んだ身体付きだ。ペコリーノはもともと目鼻立ちのはっきりした顔をしているし、化粧をすればより一層もっともらしく見える。今更ながら、艶々とした桃色の唇は目を引いた。

「そうか。あんた、顔面だけはまともだったな!」
「一番言われたくないやつに言われた〜ッ! あたしだって、やるときはやるんだからね!」
「ヤる? 処女だろ?」
「そっちじゃあないわよ、このセクハラ男」

 ペコリーノは周りに聞こえない程度の音量で舌打ちすると、人が多く集まっている会場の前方――つまりはターゲットのいる方向へ視線をやった。
 流石にこの会場で堂々と人体の取引は行っていないものの、みんなリュシアンと繋がりを持とうとアピールに忙しいのだ。政治家の息子であるリュシアンには、金も権力もある。中には自身にそっちの趣味が無くても、彼に気に入られるために話を合わせている奴も当然いるだろう。
 メローネは改めてペコリーノを上から下まで見下ろして、考えた。ハニートラップは黙ってそこに立っていればいい仕事ではない。口の上手い下手という次元を超えて、彼女の場合は口を開けば致命的だ。

「競争率は高そうだが……ペコリーノ程度で相手にされるか?」
「まぁ見てなさいって」

 そう言って彼女は両目をぎゅっと瞑り、それから例のあの、聖書の形をしたスタンドを発現させた。「おい、」ちょっと待て、殴って解決は禁止されているんじゃあなかったのか。続けようとした言葉は、そこからさらに彼女が聖書のページを一枚破りとったことで呑み込まれてしまう。

 他の誰かがやったら激怒しそうなその行為を、まさか彼女本人がやるとは!
 しかし、何のために――?

 思いがけないペコリーノの行動に戸惑っているうちに、彼女はさっさとターゲットの方へ歩き出していってしまう。後に残されたメローネは茫然としながらその姿を見送り、ややあって深いため息をついた。

「……ウインクの一つもできないとは絶望的だな」


 ▼△


 イタリア人というのは、地縁を殊更に重んじる性質を持っている。別々の小国の集まりが一つの国になったという成り立ちのせいか、イタリア人という一括りではなく、シチリア人、ヴェネチア人、サルデーニャ人、といった地元に強く結びついた意識が強いし、食だってジェノヴァ料理、トスカーナ料理と、地域ごとのものとして捉えている。地域愛で言えば、ギャングも地域の互助関係から生まれた、自衛組織が始まりだと言われているくらいだ。

 そして地縁を重んじるならば、当然それ以上に血縁をも重んじる。皆、地元の料理が一番美味いと思っているし、もっと言うならそれはママンの作る手料理だ。代々続く、自らの姓に誇りを持っているし、結婚しても親子の関係性はずっと密なまま。子供が成人しても、毎日電話をしたり、毎日夕食を共にしたりというのは特に珍しいことではない。
 イタリアは家族が大好きなお国柄なのだ。だから、不幸にもそういう関係に恵まれなかった者は、家族ファミーリアなんて呼称で結束するのかもしれない。


「嘘だろ……まさかな。ハハ……」

 メローネが<パッショーネ>の家族ファミーリアになって、まだ暗殺チームに転属する前のこと。
 当時のメローネはベイビィ・フェイスをものにするために、多くの男と女を必要としていた。その際、意外にも集めるのが難しいのは男の方で、こちらはまず殺さずに血液を頂く必要がある。その時はまだ、どういう遺伝子の組み合わせがいいのかもわからなかったから、街のチンピラから政治家まで――それこそ色狂いの母親がそうしていたように、できるだけ様々なサンプルを集めるようにしていた。
 そしてそのあちこちから集めたサンプルたちの中で、メローネはひとつ、自分のDNAと非常によく似た男を見つけてしまったのだ。

 運命のいたずらか。そう言ってしまうのは簡単だが、実際、メローネはこの結果を期待していた。その証拠にメローネはサンプルを選別する際、自分と親子ほど年の離れたフランス人の男ばかりを狙っていたのだ。しかしながら別に、父親が憎くて殺したかったわけではない。ただ、知りたかった。あの母親がいっちばん素敵・・・・・・・と認め、メローネが目指すべきであった男のことを知りたかった。
 
 自分の父親を知りたい、と思うのは、家族ファミーリアを愛するイタリア人でなくても普通の感覚だろう。特に、メローネは父親に虐待を受けたような悪い思い出があるわけでもない。母もいろんな男と付き合っていたし、正式に結婚していたわけではないのだから、自分は父親に捨てられたのだという劣等感も恨みもなかった。

「でも、これは一体どいつの血液なんだ……? バーで飲んだくれていた男か? それともホテルのロビーに座っていた裕福そうな男か?」

 メローネはベイビィ・フェイスからサンプルの入った小瓶を取り出すと、目の高さまで持ち上げてしげしげと眺めた。残念ながら、現状手元にあるのは血液だけで、この持ち主がどんな男かはわからない。メローネがベイビィ・フェイスを使用していた目的は能力を使いこなせるようになることで、父親捜しは運が良ければ、くらいのものだ。いちいち事細かに素性を確認して、採取をしていたわけではない。

 けれどもメローネはまだ、父親にたどり着く術を持っていた。簡単なことだ、ベイビィ・フェイスに追跡させればいい。未だ満足に教育できた試しはなかったが、もしかするといっちばん素敵・・・・・・・な男の子供なら、親を殺したりなんてしないかもしれない。
 メローネはそこまで考えて、今度は母親を誰にするべきか頭を悩ませた。ベイビィ・フェイスにおいて、真に重要なのは母親だ。いっちばん素敵・・・・・・・男の相手ならば、女も同様にいっちばん素敵・・・・・・・でなくてはいけない。
 では、イタリア人にとって、いっちばん素敵・・・・・・・な女性とは一体誰なのだろうか……。





 □“美味しそう”とは、一体なんですか?

 ピッ、という電子音と共に、画面上に表示された文字。覗き込んだペコリーノはそれを読んで、わけがわからないと言わんばかりにメローネの顔を見た。

「……いいだろう。今回の“息子”は随分とのんびり屋だったから心配したが……学習するかい?」

 煌びやかな会場とはうって変わって、照明の乏しいホステルの一室。安く済ませるために共用のドミトリーではなく、個室を選んで正解だった。ペコリーノもメローネも既に会場を辞していつもの格好に着替えており、あとは“息子”が追跡を開始してくれるのを待っている状態だ。
 メローネは数少ない荷物の中から一冊の絵本を取り出すと、ベイビィ・フェイスの親機に向かって広げて見せる。

「これがライオンさん……動物の王様だ。鼻の長いゾウさんに、首の長いキリンさん。草を食べているのがシマウマさん。シマウマさんは腹が減ると草を食べる。なぜならシマウマさんにとって草が “美味しそう”だからだ。ゾウさんもキリンさんも、草を食べる。じゃあライオンさんは何を“美味しそう”だと思うのかな?」

 ぺらり、と一枚ページをめくると、そこにはライオンが草食の動物を食い殺している絵が描かれていた。ゾウやキリンですらその大きな体を地に横たわらせ、喉笛を食い破られた無残な姿を晒している。シマウマの生首をくわえたライオンは、酷く満足そうに獲物を味わっていた。

「これが“美味しそう”ってことだ。わかったか? お前だって腹が減るだろう。そのとき何か見て沸いた感情が“美味しそう”で、皆、腹を満たすために他の生き物を“殺す”んだ。それは皆やってることで、ちっとも悪いことじゃあない」

 □はい、メローネ。
 ぼくもお腹が空きました……。お母さんも、空いてるみたい。

「……お前のお母さんは何を見て、“美味しそう”って言ったんだ?」

 □目の前にいる、生き物です。
  お母さんと同じかたち……同じかたちの生き物を食べるのも悪いことではないですか?

「もちろんだとも! ライオンさんがライオンさんを食べちゃあいけないってことはない!」

 メローネの返事に、後ろでペコリーノがうげっ、と声を漏らした。仕方がないだろう。あのパーティに来ているような女が、まともな女であるはずがない。サディストからいい人体パーツが流れてくるとなれば、人肉嗜食家カニバリストの一人や二人、いてもおかしくはなかった。

 □ぼくも、お母さんを食べてもいいですか?
 “美味しそう”……とても、“美味しそう”……

「うーむ、まだ少し早い気もするが、良いぞッ! 今回は追跡が目的だからなッ!」

 メローネが許可すると、そこで一旦通信は途切れた。“息子”はあっちでお楽しみの最中だろう。「どいつもこいつも、ちょっとやそっとじゃ救えない奴ばっかりね」言いながら、ペコリーノがぽん、と何かを投げてよこす。
 それは彼女がリュシアンから貰ってきた・・・・・被害者の指で、サンプル分の血液を採集してもなお、まだ生々しく血の通ったものだった。

「まだ捨ててなかったのか?」
「どうせこれからこの持ち主のとこに行くんだから、返却してやろうと思って」
「おそらく、ベイビィ・フェイスはこの男も殺すぞ。今まで、父親を殺さなかった試しがない」
「……あんたのスタンド、ほんとどうなってんのよ」
「教育については今見せた限りだ。今回も立派に育ったようだな」
「……」

 ペコリーノは呆れた顔をしたが、スタンドについて聞きたいことがあるのはこちらも同じだ。彼女はリュシアンに近づいて、まんまと彼のコレクションを頂いてきた。それも盗んだわけではなく、じきじきにプレゼントという形で。
 彼女のコミュニケーション能力と信条からして、まさかサディズムに共感してみせたわけではないだろうし、何かしらのスタンド能力を使ったのは間違いないのだ。聖書を大きくする、以外の使い方で。

「さぁ、オレも見せたんだから、ペコリーノの能力について教えてくれてもいいだろう? なんだったか、えっと――」
「バイブル・ベルト」
「それだ。リゾットは知っていたのか? 他に使い方があるって」
「チームに入ってすぐに教えたわけじゃないわ。能力は簡単に人に明かすもんじゃあない、そうでしょ?」
「じゃあ知ってるのはリゾットだけか?」
「と、ホルマジオとイルーゾォとプロシュートとペッシ」
「おいおい、オレとギアッチョ以外、みんな知ってるじゃあないか!」

 なんてことだ。
 メローネが大げさに驚いてみせると、ペコリーノは微妙に気まずそうな顔になる。

「別に、わざとハブったわけじゃない……飲みの席での話だったの。よくわからないけどギアッチョはあたしのこと嫌いみたいだし、あたしが飲みに参加してると外へ行くでしょ。メローネはそれに付き合って、一緒に出掛けてた」

 確かに言われてみれば、そういう機会は結構あった。ギアッチョは未だにペコリーノの存在を受け入れていない。逆に他の皆がペコリーノを受け入れることで、疎外感すら感じ始めている。メローネはペコリーノに対して好悪のどちらの感情も抱いていなかったが、付き合いの長いギアッチョのほうを優先しただけだ。面と向かって言えばまたキレられるだろうが、チームの仲間を――“家族”をひとりぼっちにするのは良くない、と思っただけだ。

「あたしのスタンド――バイブル・ベルトはその大きさを自由自在に変えられる。攻撃には殴るくらいしか使えないけど、強度は抜群だから防御にはうってつけ。……そしてもうひとつ、聖書にちなんだ能力がある」

 ペコリーノはスタンドを出すと、無造作に開いたページをまた、一枚びりっと破いた。そしてそれをメローネに渡す。紙にはこう書かれていた。


 求めよ、さらば与えられん
 尋ねよ、さらば見出さん
 門を叩け、さらば開かれん
 すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり――


「マタイによる福音書の7章よ、知ってるでしょ? それを相手の身体にペタッと貼る。すると、向こうはあたしが必要としているもの与えてくれる。具体的に何をくれるかは指定できないけれど、今回だったらメローネが男の秘密の部屋を特定できるように、被害者の指が渡された」
「……聖書にある文言の行為を強制させる能力なのか?」
「だいたいあってる。だけど、死人を復活させるようなことや、世界や生命を創造するようなことは無理。それは、それだけは神様の領分だから」

 なるほど、それはその通りだろう。「へぇ……面白いな」メローネは本心から呟いたが、ペコリーノは少しも得意そうではなく、むしろどこか沈んだ声を出した。

「そう? あたし、こっちの能力はあんまり好きじゃあないのよ」
「殴って解決する方が、性にあってるって?」
「違う! 信仰ってのは押し付けられるんじゃあなくて、内側から勝手に湧いてくるべきだからよ」
「ははぁ、理想主義者だな」
「お互いね」

 ピッ、という音がして、メローネはベイビィ・フェイスに視線を戻す。教育さえよければ立派に育つ、というのもまた、ただの理想でしかないのだろうか。自分がなれなかった親の期待に沿う“素晴らしい息子”を、ベイビィに押し付けているのだろうか。
 
 □お父さんのDNAは現在動いていない……。
  東の方向のある場所で、静止している。

 ベイビィからの連絡に、メローネは口角を上げた。いちいち指示をしなくても、もう父親のことを探しているなんて良い息子だ。それか、子供が親を探し求めるのは本能なのか。

「ディ・モールト良し! 追跡開始だ!」 

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