- ナノ -

■ 03.歓迎はティータイムにて

 
 やけに遅いな、とジョルノは三杯目にもなるティーカップを傾けつつ、リストランテの窓から表通りの方を眺めていた。既にお決まりらしい、メンバーのテーブルから少し離れた位置に一人で腰掛ける彼の姿は"馴染めなさ"そのものであったが、当のジョルノ自身はまるでちっとも気にしていない。むしろあちらは騒がしすぎて、午後のひとときを過ごすには相応しくないとすら思っている。
 思い返せば一昨日、ジョルノがブチャラティに連れられて、初めてこの店にやってきた時も同様の有様だったように思う。
 ちらり、と窓から店内へと視線を移したジョルノはチームにおけるブチャラティの存在の偉大さを改めて思い知っていた。

「うーん、やっぱわかんねェーーーッ!」
「どこがわからないんですか?二桁の掛け算になったとしても、『九九』さえ覚えていりゃあ解けないってことはないでしょう」

 テーブルの上に小学生相当の問題集を広げたナランチャは、フーゴに勉強を教えて貰っているようなのだが、先程からああして大声を上げるだけでちっとも進んだ様子がない。集中力のない彼はおそらく目の前に座るアバッキオのヘッドホンから漏れてくるかすかな音楽に気を取られているし、フーゴの根気強さには一種の尊敬を覚える程である。
フーゴはテーブルを指でトントン叩き、ナランチャの注意を集めると「いいですか、」とノートの方へと身を乗り出した。

「先に一桁目同士を掛け合わせるんです。四の段はまだ言えますよね?」
「ああ!言えるぜッ!えーっとォ、しいちがし、しにんがし……」
「オイオイッ!!テメーら何度言やァわかるンだよッ!!オレの前で『四』にまつわる話をすんなって言ってんだろーがッ!!!」

 しかし、せっかくナランチャが『九九』を暗唱し始めたというのに、それを遮る勢いでフーゴの隣の男−−ミスタががたん、と椅子を鳴らして立ち上がる。その発言の内容は意味不明ながらも、表情だけは恐ろしく真剣であり、ミスタが本気で怒っているというのだけはかろうじて理解ができた。

「ただの『九九』じゃあないですか……あなた、そんな調子でどうやって生活してるんです?」
「うるせェ!順番に『四』ずつ増やしやがってよォーーッ!!縁起悪ィったらねーーぜッ!」
「もォ〜〜邪魔すんなよミスタァ!せっかく解けそうなのにさァ〜〜!」
「他の問題をやれよッ!四の出てこねーやつをよォッ!」
「はぁ、仕方ありませんね……ナランチャ、こっちの問題にしましょう」

 向こうのテーブルで静かなのは年長であるアバッキオくらいだが、彼こそが最もジョルノと馬の合わない――実際には、一方的に目の敵にされているだけなのだが――男なのだから、ジョルノが離れて座るのも無理もないだろう。そもそも今日だってブチャラティに呼び出されたりしなければ、放課後こうしてこのリストランテで時間を潰していたかどうかも怪しい。

 ジョルノは再び窓の外に顔を向けると、ブチャラティと"もう一人"の人物が現れるのを今か今かと待ちわびていた。他のメンバーはまだ詳細を知らされていないようなのだが、昨日の初顔合わせの後、簡単にギャングの仕事について教えてくれていたブチャラティのコンピューターに一通のメールが届いていたのをジョルノは知っている。

 その差出人は、こともあろうかポルポだった。


「早速仕事ですか?」

 その時何気ない風を装って尋ねてみたが、ジョルノがゴールド・エクスペリエンスを使って拳銃を仕込んできたのはまさに昨日のことである。あの大食らいの男ならば既に籠のフルーツくらい食べていると思うのだが、まさか発動しなかったのだろうか。最近身についたばかりのこの能力の持続時間を、ジョルノはまだ完璧に把握している訳では無い。それゆえ単純に能力の問題で上手くいかなかったのか、暗殺をかわされたのか、判断することが難しかった。

「あぁ、そのようだが……こいつはオレにとっても驚きだぜ」
「伺っても?」
「まあいいだろう、どうせ明日になれば紹介するんだからな」

 そう言ってブチャラティは、このネアポリスを仕切るもう一人の女の存在を告げた。ベルという名前の女は主にこの街の密輸事業に関わっているらしく、ポルポの命令で明日からこちらのチームと行動を共にするらしい。

「密輸、ですか……」
「そうだが、少なくとも彼女の取り扱い品の中には麻薬は入っていないらしい。それに噂によれば彼女も麻薬によって母親を亡くしていると聞く。だからって全く警戒しないわけじゃあないがな」
「ポルポからの命令ですからね、しかもこのタイミングで……」
「このタイミング?」

 ブチャラティは当然、ジョルノがポルポを殺そうとしたことを知らない。ジョルノは曖昧に笑うと

「入ってすぐいきなり大きい仕事になりそうなので、少し驚いただけですよ」

 と誤魔化した。そして内心で"こいつは本当に大仕事になるんじゃあないか。おそらくこの女もスタンド使いに違いない"と考えていた。ポルポ暗殺から日を置かずに差し向けられた女をただの偶然だと思えるほど、ジョルノは能天気な男ではなかったのだ。


▼△

 ほぼ三年振りにブチャラティに連れてこられたリストランテは、相変わらず客足がまばらだった。時間帯がちょうど昼食時を過ぎてしまっているせいもあるけれど、原因はやはり店を溜まり場のようにしている、このいかつい男達のせいではないだろうかと密かに思う。
 ブチャラティは奥の方の席に仲間の姿を見つけると、すたすたと長い足で歩み寄り声をかけた。

「遅くなってすまないッ!昨日話した"彼女"を連れてきた!これからしばらく一緒に仕事をすることになるから、おまえら愛想良くしろよッ!」
「ベルと呼んでください。初めましての人も、そうでない人もよろしくお願いします」

 ざっと見た感じ、やはりこの面子の中でベルと面識があるのは、いつの間にか穴あきスーツが特徴的になってしまっているフーゴくらいのものだ。彼はブチャラティが最初にチームに加えたメンバーであり、その時に引き合わされたことがある。三年前と言えばベルも前任者からようやっと仕事を引き継いだばかりであり、ネアポリスを先に仕切っていたブチャラティのところへ顔を出すことも多かった。

「ベル、久しぶりですね」
「ええ、本当に。同じ街にいるのに、不思議なくらい会わないものねぇ」
「あなたがいつも港の倉庫や事務所にこもっているからですよ。ひょっとしてぼく達を避けているんじゃあないかと、ブチャラティと噂していたこともあるくらいです」

 ねぇ、と同意を求められて、隣のブチャラティは苦笑していた。なるほど、そんな風に思われていたのか。しかしフーゴの予想はまさしく図星だったわけで、実際ベルは極力彼らにはあまり関わらないようにしていたのだった。いや、もっと言うと仕事以外では、組織の人間と親しくしようと思っていなかった。警官よりギャングの方がマシだという気持ちは確かにあれど、ベルはギャングも同じくらいに嫌いだったのである。善人と悪人なら悪人の方が強く、同じ悪人なら警察よりもギャングの方が強いから、という消去法で"パッショーネ"に入ったに過ぎない。強さというのはベルの手が届く範囲の、無けなしの平和を守るのにどうしても必要な代物だった。

「へぇ〜〜フーゴは知ってんだな。オレ知らなかったよォ、あのデッケェ港や空港はアンタが仕切ってたんだなァ」
「それはいいとしてもよォ〜〜、しばらく一緒に仕事するってのはどういうことだ、ブチャラティ」
「そうだぜ、ただでさえ生意気なガキが一人増えて迷惑してんのに、この上知らねー女まで増えちゃあな。いくらアンタが連れてきたと言っても、説明ぐらいしてもらわねーと納得いかねーぜ」

 まだどこかあどけなさの残る少年と、頭巾ですっぽりと頭髪を覆った男、それから一番人相の悪い長髪の男が口々に喋り、そのくせ誰一人として名前を名乗らない。こいつらには常識ってもんがないんじゃあないかと、ベルは早速ふつふつ湧き上がってくる苛立ちを抑え込まねばならなかった。

「ポルポからの命令だ。お前らも、最近特にこの辺りで麻薬中毒者が増えてるのは気づいているだろう。俺達はベルと協力してその麻薬の出処を突き止め、この街の薬の流通量を調節するッ」
「は、はぁ〜〜!?なに言ってンだよ、ブチャラティ〜〜ッ!そんな勝手なことして、ボ、ボスに怒られねーのッ!?」
「そもそもよォ、出処も何も、その女が港の担当なんだろォ?訳がわからねーぜッ」
「麻薬のルートは外からじゃない。うちでは扱ってないわ」

 信じてくれ、というのは確かに難しいだろうが、実際にそうなのだから仕方がない。ベルが答えると皆一斉にブチャラティの方を見たが、彼が頷くと一応は納得したようだった。

「しかしこの作戦が危ない橋だということには変わりありませんね」
「あなたは……」
「すみません、少し席を外していました。ジョルノ・ジョバァーナ、ぼくもチームのメンバーです」

 一人だけ少し離れた所に座っていたので気がつかなかったが、それではこの男がそうなのか。他の男たちと違い、きちんと名乗ってお辞儀をした彼はベルの予想よりもずっと若い。そのくせ妙に物腰が落ち着いているというか、ギャングのくせに"爽やかな"雰囲気さえある男だった。

「よろしく。ええと、あなたが噂の新入りさんね」
「噂?」

 ブチャラティからの紹介で、ベルがポルポのところから来たというのはこの男も理解しているだろう。後暗いことがあれば『噂』の一言に顔色を変えるかと思ったが、彼は眉一つ動かさず首を傾げてみせた。そうやって疑問を持った態度をとるなら、逆に少しは眉を動かした方が普通なんじゃあないかと思えるくらい、彼は感情を顔に出さなかった。

「ブチャラティが褒めていたのよ、面白い新人がいるって」
「あぁ、それは買い被りですよ」

 ジョルノの口ぶりはまるで謙遜しているようだが、その態度は他人からの評価を“どうでもいい”と思っているのが丸わかりだ。瞬間、剣呑な空気がテーブルを包み、この男が一人で離れて座っていた理由をベルは察する。

「どうぞおかけになって、シニョリータ。お客さんを立ちっぱなしにさせるのはいくらなんでも失礼ですから」
「グラッツェ。でもその呼び方は勘弁してほしいわ。それにお客さんではないつもりよ」
「そうでしたね」
「オイ、ジョルノ、何テメーごときが仕切ってやがるッ!」
「すみません、アバッキオ。では歓迎の“お茶”は先輩であるあなたに任せましょう」
「……は?」

 また空気が変わった。今度は一瞬にして、驚愕に――。
ベルは肌でそれを感じ取ったが、なにぶんここへ来たばかりだし、メンバー個人のこともチームの人間関係も詳しくない。なぜお茶を入れる役目をアバッキオ――強面で長髪の男の名はそうらしい――に指名しただけで皆が目を見開き、口をぽかんと開けたのかはわからなかった。手がかりを求めて隣に腰を下ろしたブチャラティの顔を仰ぐが、彼も同様にきょとんとしている。

「マ、マジで言ってんのかよォ〜〜ッ!」
「ちょっといくらなんでもッ! アンタ自分が何を言ってるのかわかってますかッ!?」
「おもしれーもん見れるならオレは大歓迎だぜ〜〜、別に無理に飲むこたァねェんだからよォ」

 ただ各々の反応から、アバッキオが入れるお茶というのがとんでもなくマズイらしいことはよくわかった。男のプラチナブロンドの髪からしてドイツか北欧の血が混ざっているのかもしれないが、もしかするとそちらに伝わる秘伝の健康茶とかだったりするのかもしれない。アジアの、タイワンの方には現地人すら苦くて吐きそうになるお茶があると聞くし、十中八九その手の地味な嫌がらせだろう。やはりいくらスカした態度をとっていても、ジョルノはまだこんな可愛い嫌がらせをするような子供なのだ。残念ながら”トウッティ・フルッティ”があれば、苦みなど敵ではないというのに。ベルは何もわかっていないふりをして「そんなにすごい反応されちゃ、興味が沸くわね」と先ほどからどんどんとしかめ面が酷くなっているアバッキオに向かって微笑んだ。

「淹れて頂ける?」
「……ッ、悪いことは言わねぇからよ、やめとけ」
「おや、てっきりあのお茶は新入りの歓迎用だと思っていたんですがね。どうもアバッキオは彼女をメンバーとして認めたくないらしい」
「そういうんじゃねェ、ジョルノ、いい加減にッ」
「彼女がどう乗り切るか、それで判断できることもあるじゃあないですか。ミスタの言うように飲まなくたっていいんだし、ひょっとすると面白いものが見れるかもしれない。それともなんです? あなたは男に飲ますのが趣味なんですか?」

 ダンッ、と大きな音を立ててテーブルを拳で叩いたアバッキオは、肩を怒らせてジョルノを睨みつけた。「オレはな、ジョルノ。ギャングと堅気の差は多少つけるが、ギャングの中でなら男だろうが女だろうが贔屓はしねェ」それからやにわに立ち上がると、テーブルの上にあったポットを引っ掴み、リストランテの奥の方へ向かう。
お茶を淹れるだけで大層な、とベルは思ったが、それよりもこれだけ仲間が大揉めしておいて周りが全然気にしてないというのが不思議だった。

「へへッ、アバッキオのやつ、のせられてやんの」
「はぁ、あの人ああ見えてかなり大人げないから……ベル、本当に無理に飲まなくていいですからね」
「ええ」
「お前たち、オレがいないといつもああして騒いでいるのか? 少しは迷惑ってモンを考えろ」
「わかったぜッ! ブチャラティが言うならオレ、気をつけるッ!」

 そしてそんなやり取りをしている間に戻ってきたアバッキオは、変わらず仏頂面のままどかりと椅子に腰をおろした。持ち返ってきたポットから新しいティーカップに中身を注いで、ほらよ、とベルの目の前に差し出す。

「ついでにオレにももらえるか?」

 アバッキオはまるでブチャラティがそう言うのをわかりきっていたみたいに、ポットの蓋を開けて中身が空なのを見せた。

「悪いな、ブチャラティ。あんたのは別に頼んである」

 言葉通りにすぐさまウェイターが、ブチャラティの分の紅茶を持ってきたのだった。

「ありがとう。頂くわ」

 ベルはあからさまだなと思いつつも、自分の分のティーカップに手を伸ばす。皆の視線が痛いくらいだったけれども、ベルに苦みのリアクションを期待するのは無駄だ。カップの中の液体は澄んだ黄色で、紅茶というよりカモミールなどのハーブティーのように見える。
しかし余裕ぶっていられたのはそこまでで、カップを持ち上げたベルはぴしりと固まった。

(こ、これは……冗談じゃあないッ……!!)

 中身が何かなど、飲まなくてもわかる。微かに鼻についたアンモニア臭に信じられないとばかりにアバッキオを見るが、彼は開き直っているのかふんと鼻を鳴らしただけだった。皆がお茶一つであれほど盛り上がった理由も今ならわかるし、先ほどの話から推察するにジョルノはこれをどうにかして乗り切ったのだ。ベルは顔が引きつりそうになるのを懸命に堪え、持ち上げていたティーカップを再びテーブルの上に戻した・・・

「なァんだ、つまんねェーの」
「まぁ、そりゃそうだわな」

 ベルのその行動に、場を包んでいた緊張感はふっと緩む。この液体の生産者ですらわかりやすくホッとした顔をしているのだから、なんともくだらない話だ。ベルはカップを覆うように身を乗り出すと、テーブルの端っこに追いやられていたシュガーポットを引き寄せた。

「ごめんなさい。せっかくだからストレートで頂こうと思ったけれど、私、紅茶には砂糖を入れるって決めているのよ」

 そう言って角砂糖をひとつぽちゃりとカップに落とし、スプーンを前後に動かして混ぜる。「溶けにくいわね、ヌルいのかしら?」茶化すように笑ってやれば怒りだすかと思ったけれど、それよりもアバッキオはベルの意図を測りかねて困惑しているようであった。もちろん、他の男たちもみな一様に、ベルが何をするつもりでいるのか固唾を呑んで見守っている。
 だが、もう細工は済んだ後なのだ。シュガーポットを取るふりをして、ベルはちゃっかり“トウッティ・フルッティ”を発動させている。人間の尿の成分は九十八パーセントが水であり、残りの二パーセントはタンパク質の代謝で生じた尿素だ。淹れたて・・・・なお陰で無菌であるし、もはやただの砂糖水と化したそれを飲めないことはない。思い切り、心理的な抵抗を無視すればだが。

ベルはほとんどプライドの為だけに、まだ少し底に角砂糖の溶け残るそれを無作法にもぐいっと煽った。


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