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■ 08.涙目のメモーリエ

 “涙目のルカ”――その男にマルチェロとアルゲーロが出会ったのは、彼がまだ“涙目の”という二つ名を持つ前の事であり、同様にマルチェロ達もまだスタンド能力を手にしてはいない、正真正銘ただのチンピラであった時分だった。
 というのも、今でこそ<パッショーネ>はネアポリスを始めとしたイタリア全土、それからヨーロッパやアジアの方にまで影響力をもっているが、その歴史はシチリアのマフィアのように古いわけでもなく、ほんの十数年前にできたばかりの新興組織だ。できた頃には当然、ネアポリスの街は他の勢力が仕切っていたし、縄張りをめぐっての抗争や小競り合いも絶えなかった。  

 そしてそうしたいわゆる本職・・の人間たちの争いは街のチンピラにも当然無関係というわけにいかず、さぁ古くから馴染みの深いギャングか、それとも新進気鋭の<パッショーネ>のどちらにつくか、となったとき、マルチェロは新しい方に賭けたというわけだ。彼はスタンド能力が発現するまえから、自分の“直観”や“運”については根拠のない絶対的な自信を持っていた。もし本当に“運”がいい人間なら、チンピラなんかにはならなかっただろうが、それはそれ。“運”と“悪運”というのは別物として、それなりに三下の人生を楽しく謳歌していた。できたばかりの<パッショーネ>にはポルポの入団試験は存在せず、比較的広い門戸が開かれていたのも幸いした。


「しっかしギャングっつってもよォ、仲良くチーム組んでってのは変わんないのなァ」

 <パッショーネ>に入って初めての仕事は、別段チンピラの時とそう大差がないように思われた。マルチェロの感覚的には、これまでやっていたカツアゲという行為に“ショバ代の徴収”と大層な名前がついたくらいの認識である。もちろん、これまでと違って得られた金が丸ごと自分の懐に入るわけではなかったが、個人にしか行えなかったその行為が立ち並ぶ店々を相手にするのだから金の規模が違う。
 ギャングになったマルチェロは同じようなチンピラ上がりの人間とチームを組まされ、ネアポリスの北、地元カゼルタで組織のために働くことになった。その時一緒だったのが、他でもないルカとアルゲーロだった。

「仲良く? だったらお前よォ、いい友情関係を築くためには欠かせないモンがあるだろうが」

 ルカは三人の中で、最も年長の男だった。だからというわけではないが、マルチェロは責任を負ったりするのを面倒だと考えるタチであるし、アルゲーロのほうはどうしてこいつがチンピラなんかやってんのかねぇと首を傾げたくなるほど小心な男であったから、必然ルカはチームのリーダーに収まった。
 サツに呼び止められてもギリギリ言い訳の効く凶器を常に手にしている彼は、威嚇でもするようにこんこんと石畳をシャベルの先で叩く。

「なんだよ、それ」
「“三つのU”だよ、三つの“U”。“嘘をつかない”、“恨まない”、相手を“敬う”……な? お前らの頭でも覚えやすいだろう?」
「ハッ、あんたジジイかよ、説教くせぇな、――ッ!?」

 マルチェロがぼやいた途端、ビュン、と風を切る音がして鼻先をシャベルが掠める。「ヒィィィッ」それに大きな悲鳴を上げて怯えたのは小心者のアルゲーロで、マルチェロとしてはなんだこいつ……と先が思いやられる気分であった。こういう好戦的な輩はチンピラに多いが、楽しいことだけをやっていられればそれいいマルチェロにとってかなり苦手で迷惑なタイプだった。

「口の利き方に気をつけろッ! テメェ、このオレを舐めてんのかァ? ああーーッ?」
「……あぁ、悪かったよッ。あんたがリーダだもんな、アルゲーロのやつがチビっちまうから勘弁してやってくれよ」
「フン、謝る脳みそはあるみたいだな……。いいだろう、これも“恨まない”だ。今の発言は水に流してやる」

 しかし短気そうに見えたルカはマルチェロが謝るとすんなり矛を収めた。それから不意に上着のポケットをごそごそやったかと思うと、綺麗に折り目のついたハンカチを取り出して泣きべそをかいているアルゲーロに向かって差し出す。

「ヒッ、ありがとう……ございます……」
「オレは男が泣くな、なんてしょうもねーことは言わねぇよ。馬鹿にもしねぇ。ただな、お前はもうちっとばかし、大事なときにとっといたほうがいいってモンだぜ」
「は、はいッ」
 
 マルチェロはもう一度、心の中で“なんだこいつ……”と思った。チンピラ、いやもうギャングか。ギャングのくせにあんなお綺麗なハンカチを持って、そりゃあ泣いている相手が可愛いお嬢さんならイタリアーノの血が騒ぐのもわかるが、情けない男相手にあれはない。
 ただ男ということを抜きにしても、こんなところまで落ちてしまったマルチェロやアルゲーロに対してハンカチを差し出してくれるような人間は、後にも先にもルカだけだった。

「相手を“敬う”、ねぇ……」

 ルカはとにかく自分ルールが多くて、適当な性格のマルチェロからすると面倒なリーダーだった。だがそれでも彼が“三つのU”として教えてくれたことは、一つ目の信条である“嘘をつかない”という言葉通り、二つ目も三つ目もきちんと守られていた。てっきり、“友情”なんて言葉は体のいい搾取かと思っていたものだが、ヘマをしたアルゲーロが対抗組織の奴らにとっ捕まったときも多勢に無勢だろうが率先してカチ込みに行ったのだ、ルカという男は。
 それで顔面に後遺症が残るような怪我を負っても“恨まない”って、原因となったアルゲーロへのお咎めはなしだし、そのくせ自分は無傷だと言い張ったアルゲーロに、てめぇはこのオレに嘘をつくのかーッ! 舐めてんじゃあねぇーーーッ!! と激昂して結局全治二か月の大怪我を負わせたりするのだから、ルカはとことんわけのわからない男だった。でも、マルチェロもアルゲーロもそのわけのわからなさが嫌いじゃなかった。

 だから二人はこの男の役に立ちたいと思って、当時、死人が相次ぐと噂の昇格試験を受けに行った。もちろん、そんな試験が誰でも自由に受けられるわけじゃあなくて、情報を掴むだけでもどれほど苦労したことか。だが、それでも“悪運”のお導きというわけか、マルチェロ達は試験を受ける機会を得た。ライターの火を一日守り通すというだけの、くだらない余興みたいな試験を。

 「なんだこのクソみてーな試験はよォ。ったく、上の考えることってのは悪趣味で嫌になるぜ」

 その時のポルポはまだ収監されていなかったので、ライターを持ち出す難しさもなかった。死人が出るという話だったから一体何をさせられるのかと身構えていたマルチェロは、実態を知って拍子抜けする。これは真に能力が認められて昇格するのではなく、お偉いさんのちょっとした暇つぶしなんだろうと思った。火を守り通せれば取り立ててもらえて、失敗すれば殺される。人を人とも思わぬ、実にギャングの幹部らしい遊びだ。反吐が出る。
 けれどもチャンスはチャンスに代わりないのだからと、マルチェロは彼にしては根気よく二十三時間まで炎を守り切った。最後の一時間、“悪運”強いはずのマルチェロの炎を消してしまったのは事もあろうか次に試験を受けるはずだったアルゲーロの盛大なくしゃみだったのだが、それもまたお導き。再点火を見た二人は、晴れてスタンド使いとなって生き残った。
 スタンド使いになっても、出た能力によっては組織にさほど重用されないとわかったのだけれども。



「とうとう犯人を見つけたぜッ、今どこだ。そっちはどーよ?」

 空港から走り去ったマルチェロは、息せき切って早速仲間へと連絡を入れた。まさか相手もスタンド使いだったとは。道理であの人が殺られるわけだとは思いつつ、自身も慣れない形での戦闘にどうしても浮ついてしまう。

 マルチェロの能力、ナイティナイン・プロブレムスは、彼の“悪運”をこれ以上ないほど確固たるものにしてくれる能力だった。彼自身は自分の能力を気に入ってはいるが、他者からの評価は正直なところ微妙である。確かに対象を“不運”にすることは限りなく相手を死に近づけられるが、暗殺チームに入れるほど攻撃的で確実性のある能力でもない。だからスタンド能力が発現したあとも、特に上に取り立てられるようなことはなかった。ルカの傍を離れたくなかったマルチェロとしては、それもまたある意味ラッキーな話である。

「オレはもうだめだぁ」
「アルゲーロよォ、どうしたんってんだよォ」

 そしてアルゲーロのほうはマルチェロに巻き込まれた形で能力が発現したため、組織にスタンド使いであることが知られていない。彼のペイント・イット・ブラックはスタンドで黒く印をつけた相手を操作する能力で、マルチェロなんかより余程使いでのある能力だったけれども、本人の気質がこうだから能力を使って上を目指そうなんて気はさらさらなかった。<パッショーネ>が拡大するに従って、三人はいつしかそれぞれ別の場所を治めるように決められてしまったけれど、陰ながらルカを支えていければそれでいいと思って、ルカに試験を受けるのも進めなかったくらいだ。その時は死ぬかもしれないから、と遠慮してしまったのだが、今になって受けさせておけばよかったと後悔している。
 そうすればあの、金髪のクソ生意気なスタンド使いのガキに殺されるようなこともなかっただろうに……。

「カジノに行ったんだろ? 失敗したのか?」

 マルチェロは苦い後悔を飲み下すと、頭を振って仲間との会話に集中することにした。
 もうあのひとはいねぇんだから、オレがしっかりしねぇと。
 責任を負うのが嫌でルカにリーダーを任せっきりにしていたマルチェロだが、さすがに泣き虫で根性なしのアルゲーロの面倒は自分がみてやらなくてはと思っている。

「カ、カジノには行ったんだよう! そこの経理係もうまく操って、外まで金も持ち出せたッ。で、でもその時ちょうどブチャラティんとこの奴がやってきてッ」 
「おおっ、そいつはラッキーじゃあねぇか」 
「なにがラッキーなもんか! ガンマンがいたんだけど、スタンド使いだったんだッ! スタンド使いってことは、オレにダメージを与えられるってことだろう? 怖えぇよう……」

 スタンド使いとの戦闘――。それはマルチェロにとっても経験がなく恐ろしいことだ。しかし生まれつき楽観的な男は、それでもなんとかなるだろう、とすぐに不安を打ち消した。なぜなら既にルカを殺った犯人は見つかっていて、ナイティナイン・プロブレムスは発動している。カジノの方の失敗は誤算だが、別に金はついで・・・ぐらいの気分だった。

「なぁにビビッてやがる、まぁいい。先に本命を殺っちまおうぜ。既にナイティナイン・プロブレムスは対象を絞った。これから奴はどん底で、反対に今のオレは超ツイてる。お前が怖いってんならオレ一人で殺っちまってもいいが、それじゃあお前もすっきりしないだろう?」 
「うん……嫌だ。そいつは今どこ?」

 電話の向こうのアルゲーロの声が、半泣きから次第にしっかりしたものに変わる。そうだ、もうハンカチを渡してもらえるのを待ってちゃあいけない。

「感覚的にまだ空港の近くだな……いや、墓地のあたりに向かってんのか? 一般人を巻き込まねぇようにしたのかも」
「なぁ、マルチェロ、オレがそっちに行くまで待っててくれよ? お願いだから先に始めちまわないでくれ」
「あぁあぁ、わかってる。わかってるとも。お前が来るまであのガキは殺さずに待っててやる、そうともオレたちの間に“嘘はなし”さ」

 言って、マルチェロは自身のスタンドの柔らかな背中を撫でた。正直、一度対象を絞ったこの能力をどうやって制御するのかよくわかっていないが、それでもまぁ、アルゲーロがこちらに来るまでの間くらいはあのガキももつだろう。
 なんてったって、マルチェロがそれを望んでいるのだから、神様が微笑まないということはあり得ないのだった。


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