- ナノ -

■ とある遺跡03

 暗く、どんどんと狭くなっていく階段をなぜか先頭に立って下ることになったマオだったが、その脳内を占めていたのは闇に対する恐れでも、未知の仕掛けに対する警戒心でもなかった。一応、探索用に懐中電灯は持ってきたものの、せいぜい足元を照らす程度で遠く先まで見渡せるわけでない。どこまで続くかわからない、おまけにどこに罠が仕掛けられていてもおかしくない道を歩くのは普通の人間ならば精神を大きくすり減らしただろうが、マオは幸いなことに普通の感性を持ち合わせてはいなかった。
 何を隠そう、いっそ常識はずれなほどに能天気な彼は、この暗闇で故郷の田舎を思い出して少しノスタルジックな感傷に浸っていたのだった。

(そういえば師匠、元気してるかなぁ……)

 故郷の村はネオン煌めく看板どころか街頭すらなく、夜になればひたすらただのっぺりとした闇が広がっているだけだった。一応名誉のために言っておくと村に電気は通っていたが、日の出とともに活動を始める村の生活では夜に外へ遊びに出かけるという発想がそもそもない。
 しかもマオの師匠は電気代が勿体ないからと言って、暗くなるとすぐにマオを布団へと追い立てた。起きているなら勉強しろと言われれば、寝たほうがマシだというマオの考え方はあの頃からいい意味でも悪い意味でも全く変わっていない。そして一応、師匠にも子供を寝かせるには読み聞かせが必要だという知識はあったらしく、自作の、おそらく即興で考えたおとぎ話を語ってくれた。とはいえいつも師匠の方が先に寝てしまうので結末まで聞いたことがなかったし、寝落ちした師匠が口から出るに任せた話をどこまで話したかなど覚えているはずもなく……。
 目を閉じても開けてもほぼ変わらぬ暗闇の中、毎日話の変わるでたらめな師匠の物語に、小さなマオは真剣に耳を傾けたものだった。

(お腹空いたなぁ)

 そしてマオにとって、暗闇と空腹はだいたいセットだった。ここでまた名誉のために断っておくと、なにも師匠が食費をケチってマオにひもじい思いをさせていたわけではない。むしろマオの馬鹿みたいな大食いのせいで、周りの家庭に比べて師匠の家は抜きんでて食費がかさんでいただろうと思う。けれども腹が減るのは本当だし、師匠も意味のない我慢はするなと言った。だから小さいマオは遠慮なく大人顔負けの食事を一日三食、多い時にはおやつも含めて四食平らげていたのだが……残念ながら小腹というのは八つ時だけではなく、深夜もお構いなしに空腹を訴えてくるものなのである。
 師匠の声が寝息に変わる頃、マオは翌日の朝ご飯を待ち遠しく思いながら、暗闇が眠気を運んできてくれるのをじっと待っていたものだった。ちょっとでも寝返りを打ったらまたその分だけ腹が減ると思ったので、本当にぴくりともせず、ただ天井を見上げて過ごすのだ。そのことを思い出すと不意にどうしようもない郷愁と空腹がこみあげてきて、マオは思わず狭い通路の低い天井を仰いだ。

「ちょっと、急に立ち止まってどうしたの?」
「……いや、お腹空いたなぁと思って」
「は!? 今それ大事なこと?」
「え、大事に決まってるだろ、いついかなる時も空腹は最大の敵だし」

 こちらは真剣に答えているというのに、話せば話すほどシャルは呆れたように上瞼を平らにした。おまけに本当に腹の虫がぐうぅと鳴いたので、緊張感がないと理不尽なお叱りまで受けてしまう。「マオ、」しかし話のわかる人間というのはどこにでも存在する。ましてやあれだけ浪漫だなんだのとうるさかったクロロなのだ。探険セットとして食料の一つや二つ持ち込んでいてもおかしくないだろう。
 期待を込めて振り返ると、何やらコートのポケットを漁るクロロの姿がシャルの向こうにちらりと見えた。

「カカオの木の栽培が紀元前からサヘルタで行われていたことは明らかになっている。だが、当時は豆としてそのまま食されていただけで、一番最初に飲み物状のチョコレートを作ったのはメイヤ人らしいんだ。“チョコルハ”と呼ばれたその飲み物の“チョコル”とはメイヤ語で“辛い”、“ハ”は“水”を表していて、」
「あーもう、そういうのいいから早くチョコくれよ。もちろん、現代風の甘いやつで!」
「……ここでチョコレートを食べる浪漫がわからない奴に与えるものはないな」
「いやぁメイヤ人天才だな! 浪漫最高! 浪漫ってすっげー美味いよな」
「マオ、後半本音が……」

 これでも精一杯話を合わせたつもりなのに、クロロは盛大なため息をつくと銀紙で包まれたチョコレートを投げて寄越した。それは距離を考えろと言いたくなるようなスピードと力強さだったけれど、ぱしっと音を立ててキャッチしたマオは大満足である。プレーンの板チョコの甘さは、疲れ切った脳みそに染み渡るようだった。

「ちょっとクロロの体温で溶けてるのが気持ち悪いな」
「文句があるなら返せ」
「やだね、これはもう俺のもの」

 取り上げられまいとやや小走りで残りの階段を駆け降り、マオはようやく開けた場所にたどり着く。しかしいくら能天気なマオでも、目の前に広がる“黄泉の扉”の光景には流石にうっ、と足を止めたのだった。

「なんだここ……」

 部屋の広さ自体は、先ほどの“祈りの間”と大差はない。部屋にある扉も今入ってきたところを除けば二つしかなく、“黄泉の扉”と名付けられるような、厳めしさも恐ろしさもない至って普通の石扉だ。しかしこの部屋の異様さは肝心の“扉”ではなく、部屋一面に所狭しと並べられた石棺が雄弁に物語っていた。

「まるで墓場……いや、死体安置所モルグだね」
「さ、さすがに中身は入ってないよな?」
「何をそんなに怖がってるんだ。カキンでは“死後伴侶”の風習があっただろう? ここは王墓なんだからそう驚くことはないと思うが」

 確かにクロロの言うように、大昔のカキンでは王家に関わる人間が死ぬとその霊を慰めるため、死後の伴侶として異性を共に墓へと埋葬する儀式があったと言われている。そしてこの儀式で生き埋めにされた人々は不可持民と呼ばれる被差別階級から選出されており、王族の伴侶という名誉とは裏腹にその扱いは完全に生贄だったそうだ。実情を知るマオとしてはカキンから差別がなくなったとまでは言わないが、流石にこうした過激な風習を外の人間に指摘されるのは決まりが悪かった。

「……一体いつの話してるんだよ。生贄の風習なんてとっくに廃れたって聞いたぜ」
「どうだろうな。こういうものは根深いんだ。お前が知らないだけで、きっと形を変えて残っているさ」

 マオの反論も、並ぶ石棺のおどろおどろしさも、クロロは少しも気にせずに足を進めていく。シャルも怖がるどころか興味深そうに棺の蓋を眺めていて、やっぱりこの二人は絶対に“まとも”じゃないと思った。死者の念でも除念しているくせに、と言われれば確かにそうなのだが、それとは別で死を想起させるものには忌避感がある。生贄なんて絶対楽な死に方ではないだろうし、大昔とはいえここで多くの人間が死んだのだと思うと気味が悪くて仕方がなかった。基本的に脳筋で戦闘中なら負傷もなんのその、といった感じのマオだったが、こういう感性においては案外ごくごく普通の人間なのである。
 扉を調べたクロロは相変わらずおっさんの横顔にしか見えないメイヤ語を解読したらしく、やはりな、と小さく呟いた。

「この先の地下界に行くために“通行料”が必要だそうだ。命を捧げれば扉が開く、と」
「じゃ、じゃあ今回の探険はここまでだな。いやぁ、楽しかったなぁほんと」
「棺の数は六十ほどか……マオ以外にもあと五十九人も見繕うのは骨が折れるな」
「おい、クロロ」
「冗談だ、お前にはまだ除念という大役がある。ここで犠牲にするわけにはいかないな」
「はぁー除念できてよかったー! って喜ぶとでも思ったか! あほ! ばか! この人でなし!」

 憤慨するマオに小さく笑ったクロロは、さてこの話は終わりだとでも言うように軽く手を振る。それから棺を調べていたシャルの方に視線を向けると、何か面白い発見はあったか? と真面目な顔になって聞いた。

「そうだね。この中のいくつかには犠牲者が入りっぱなしだったよ。もっとも、流石に乾いてからっからの木乃伊ミイラになってるけど」
「げぇ……」
「それから石棺の内側には中の人間をぐるりと取り囲むように穴が開いていて、仕掛けが発動すると全ての穴から杭が飛び出てぐっさり……鉄の処女アイアンメイデンを想像してもらうとわかりやすいかな」

 説明してくれるのは有難いが、こういうときこそ別にわかりやすくなくていい。思わず想像してしまい顔をしかめるマオに対して、クロロは興味を持ったらしく屈んで棺の中を覗き込む。

鉄の処女アイアンメイデンは公的資料がなく架空の拷問具だと言われていたが……案外メイヤ人の生贄の儀が原型になっているのかもしれないな」
「チョコだけ作ってればよかったのに……」
「で、木乃伊ミイラはどこに?」
「それはこっち」

 マオの切なるぼやきを無視して二人はお構いなしに死体を検分する。もちろん近づきたくも見たくもないのでマオは離れた場所からその様子を見守っているのだが、クロロの独り言はほとんど実況さながらの情景描写で否応なしに死体の様子が伝えられる。まさにありがた迷惑だ。
 クロロとシャルの調べによるとこの部屋自体も棺の底もやや傾斜がかかっており、底にある穴から棺の中で串刺しになった者の血液が排出される仕組みになっているらしい。そしてその血はそのまま棺と棺の間の床の溝を通って、扉の方へと“捧げられる”のだと言う。

「待て、この辺りの木乃伊ミイラはなんだか身に着けている衣服が違うな……とてもメイヤ文明の時代のものとは思えない」
「そうだね。服装から死亡時期を推測すると木乃伊ミイラになってること自体に違和感があるよ」
「“祈りの間”のことを考えると、どこかしらに念能力が関係していてもおかしくはないな」

 二人は懸命に考え込んでいるが、今回の部屋は別に頭で解いてどうこうなる仕掛けではないと思う。なぜなら既に扉を開ける方法ははっきりと示されているし、必要な生贄の数も変わらないからだ。野蛮な彼らのことだから自分たちの目的のために犠牲者を出すことに躊躇いはなさそうだけれど、それでも今すぐ次の部屋に進むのは無理だろう。クロロがいくつか隠し持っている念能力で、“俺が六十人分になろう”とでも言い出さない限りは……。

「なぁ、クロロって分身の念能力みたいなの遣えないのか? 遣えないならもう諦めて帰ろうぜ」
「生憎今の手持ちにはないな。コルトピを連れてくればよかったか……」
「オレも実はそれ考えたんだけど、念で作ったダミーで誤魔化せるのかな。この棺さ、串刺しが発動するスイッチみたいなものが見つからないんだよね。底板にかかる重さかと思って少し押してみたんだけど違うみたいだし」

 内心ハラハラするマオをよそに、シャルは躊躇いなく空の棺に手を突っ込んでぐいぐいと底を押す。彼の力ならば人間一人分の体重くらいの圧はかけられているだろうが、確かに横から串が飛び出してくるようなことはなかった。
 
「串が出る仕掛けも不明なら、引っ込む仕組みもよくわからないんだ。死体に刺さりっぱなしじゃないから、この棺は再利用可能ってことでしょ。しかもこの死体見て」
「う、うわ! ちょっといきなりグロやめろよ!」
「うるさいなぁ、嫌なら目でも瞑ってなよ。ほら、この死体は足だけ少しずれて二回刺された跡があるんだよ。棺に入った後、串の発動が一回だけならこうして近い位置に二度は刺さらないでしょ?」
「そうだな、この狭さでは一度串が引っ込まなければ自力で抜け出すのは無理そうだ」

 木乃伊ミイラの足を掴んで無造作に引きずり出したシャルは、完全に死体をモノとしてみなしているらしい。視界に入ったそれは乾燥しているせいか想像よりは惨たらしくなかったが、血を一滴残らず絞られたんだろうなぁと思わざるを得ないほど体のいたるところに大穴が開いていた。

「メイヤ人まじでなんなんだ……生き埋めでもハチの巣にされないだけカキンの“死後伴侶”がすっごくマシに思えてきた……」
「メイヤの重要な考えのひとつに、人間は個々に“生命エネルギー”を持っているというものがある。彼らは人間の生殖器や舌、耳たぶを切り刻んで大地にその血を吸わせることで神の栄養になると信じていたそうだ。実際、血液は栄養たっぷりだからな。その大地では食物がよく育っただろうし、生命と食物を結び付けるメイヤ人らしい儀式だと思うぞ」
「“生命エネルギー”なら血じゃなくてオーラでいいだろ」
「大地にオーラを流し込めるレベルの念能力者を用意するより、有象無象の人間の血を流したほうが手っ取り早い」
「はい出た野蛮!」

 一体どういう風な育ち方をしたらそんな恐ろしい発想が身につくんだろう。マオはドン引きしながらクロロとシャルを眺めたが、二人を育てた親の顔というものがちっとも想像できなかった。そういう自分自身も血の繋がった親とは縁の薄い人生だったが、少なくともマオには親代わりの師匠がいた。彼らにはそういう、倫理観を教えてくれるような誰かはいなかったのだろうか。いなかったから、盗賊なんて仕事を始めたのだろうか。

「なぁ、聞いてもいいか?」

 出身はどこなのか。どういう風に育ったのか。思えばここしばらく一緒に過ごしていたくせに、そういう個人的な話はしたことがなかった。マオが知っている彼らの情報は二人が“幻影旅団”という物騒な賞金首の盗賊グループで、優れた念能力者で、頭が良くって、お金だけじゃなくて浪漫も大事にしているということくらいだ。本当ならもっと早くに聞くべきだったのかもしれないけれど、そういえばクロロたちはマオのことをどう思っているのだろうか。こっちはなんだかんだと怖がりながらも気安さと親しみを持ち始めているが、彼らにとってのマオはやっぱり“有象無象”なのだろうか。

 もしもそうだったら――。
 今の今まで気にもしていなかったくせに、それは少しだけ寂しいと思う。クロロに捕まった時はとんでもない奴に目をつけられたものだと嘆いたけれど、今マオがここにいる理由が脅されたからかというとそれだけではない。故郷の村には歳の近い同性など数えるほどしかいなかったし、明らかな悪人相手にこんな感情を抱くのもどうかと思うが、ここしばらくの生活を通してちょっと友情めいたものをマオは抱き始めていたのだった。
 そしてマオの性格上、気になったことは正面切ってストレートに尋ねる。

「俺たちって友達だよな?」
「「は?」」

 しかし発せられたマオの確認に、それまで木乃伊ミイラに注がれていた四つの瞳が揃ってこちらに怪訝そうな色を向けた。クロロはただひたすらに意味がわからないとでもいうように。シャルは呆れを滲ませ、とんでもない馬鹿に直面したかのように。
 これにはいくら能天気なマオとはいえ、二人の表情が指すところの意味に気付かないわけがなかった。

「……友達かどうかが、この部屋の扉を開けるのに何か関係あるのか?」
「いきなり気持ち悪いこと言わないでよ」
「な、まじか、お前ら……うっわ、まじかよ」

 彼らの対応は基本的に冷たいので薄々そんな気がしなかったわけでもないけれど、都会の人間は冷たいと聞く。冷たいのがデフォルト。冷たいのが都会っ子だから、多少扱いが雑でもそういうものなのだとばかり思っていた。
 が、彼らの口ぶりから自分が勘違いしていたのだと知り、マオはいよいよこの遺跡からさっさと帰りたくなってきた。

「あいつは何にそんなショックを受けているんだ?」
「んー、そうだね。とりあえずオレが励ましておくからクロロは気にしなくていいよ。ほら、マオ。俺たちマオのことちゃんと友達だって思ってるって。改めて確認されたからちょっとキモッって思っただけで」
「うそつけ!」
「なんだよ。人がせっかく友達だって言ってやってるのに。そういうマオこそ、別に俺たちのことを友達だなんて思ってないじゃないの?」
「はぁー? 思ってたし! 思ってたのにお前らがそんなんだから俺は、」
「そう。友達だって、思っててくれたんだ?」

 そう言ってにこっと笑ったシャルの笑顔は限りなく爽やかだったけれど、野生の勘とでもいうのだろうか。「そっかぁ、友達だったら協力してくれるよね」背筋をぞくりと嫌なものが走り、マオは次のシャルの言葉を聞く前から自分の身に災難が降りかかるであろうことを予感した。

「ちょっとさ、この中に寝転んでみてくれない?」

 中で寝転ぶとなれば、他の場所はあり得ない。
 シャルがご丁寧に指さして見せた石棺を見て、マオはひくりと頬を引きつらせることしかできなかった。

「……えーっと、友達辞めてイイデスカ?」


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