- ナノ -

■ とある遺跡02

 神が存在するから人間は祈るのか。人間が祈るから、神が存在するのか。
 
 生憎、クロロは明確な神を持たなかったが、その存在を否定できるほどの証拠も特に持ち合わせていなかった。神が存在すると信じる者は“平穏”を神の恵みと感謝する無欲な者か、不幸の渦中にあってとにかく何かに縋りたいという者が多い。一方、神が存在しないという者は先にどれだけ御託を並べようと、最終的には“神が存在するならば、自分がこんなにも不幸なはずがない”と言う。
 しかしそもそも神が人間に好意的なのかどうか、そこからしてクロロには疑問だった。

 どの神話を辿っても、彼らは人間の創造主だ。だが先ほどの“生命の間”の壁画のように、神は“失敗作”をあっさりと捨ててしまう。自らの創造物にさほど愛着がないのはそれでよくわかるだろう。
 また、とある宗教の中では、神は人間を罪人として楽園から追放したと記されている。つまり我々が生きるここは流刑地で、ならば罪人が救われないのは当然ではないか。不幸は神の存在を否定する材料にならないだろう。
 結局、“ないことの証明”はできない。それは相手が悪魔だろうが神だろうが同じこと。絶対に存在しないとは言い切れないから、一縷の望みを賭けて人間は神に祈るのかもしれない。

 辿り着いた“祈りの間”には身の丈を優に超えるいくつもの石柱と、古代の神々に祈りを捧げるための祭壇が鎮座していた。

「さっきの部屋よりは広いみたいだけど、石柱のせいでむしろ狭く感じるね」

 入ってすぐの右手の壁に平行して並ぶ、かすがいを立てたようなかたちの八本の石柱。それから部屋の中央部分に円を描くような形で、同じ六本の石柱と台形の形をした祭壇が並んでいる。祭壇の位置は壁際の石柱の方向を十二時としたとき、おおよそ五時の位置に当たる場所だった。
 近づいて調べてみると、前回と同じようにメイヤ文字で“進みたくば祭壇に祈りを捧げよ”と彫られている。“祈りの間”の扉は、今来た入口を除いても他に三か所の扉があった。

「なあなあクロロ、今回どの扉にも石板嵌めるようなとこは見当たんないぜ。石柱も特に窪みはない」
「ここに書かれている文字によると、祭壇に祈りを捧げると扉が開くそうだ」
「え? 祈るだけでいいの? なにそれ楽勝じゃん」

 そう言ったマオは早速祭壇の前にやってくると、おもむろにその場に跪いて何度も頭を打ち付けるようにしてお辞儀をする。ひとつ前の部屋のことを考えてもそう簡単なわけがないとは思っていたが、マオの祈り方が物珍しかったのでクロロもシャルも特に止めることなく黙ってそれを眺めていた。「……何も、起こらない?」そのためマオがそう言って不思議そうに顔をあげたのは、彼の前髪が砂か石の欠片かよくわからないものでじゃりじゃりになった後であった。

「ねぇ、団長。やっぱりこの遺跡は念能力と関係してるらしいね。こっちの石柱二本と、それから円の方にも二本」

 一人で馬鹿なことをやっているマオは放っておいて、クロロはシャルの手招きに従う。シャルが指し示したのは壁側にずらりと並ぶ石柱で、入口から見て一番奥と奥から五番目の物だ。「なになに? 何かわかったの?」慌てて駆け寄ってくるマオに向かって、クロロは短く凝をしてみろ、と言った。

「“凝”? あ、ええと、こうだな……お! 見えた! なんか糸みたいなものが張ってある!」
「念糸みたいなものだね。ご丁寧に一センチごとに目盛までついてて、一番奥の柱は最長の二百四十三センチ。五本目のは百六十二センチだった。柱の上端部分は可動式でこの位置を変えることで糸の長さを変えられるみたいだ」
「円状になってる石柱のほうも同じか?」
「あっちで念糸が張ってあるのは十二時と七時の位置のものだけで、それぞれ二百四十三センチと百六十二センチで一緒だった。だけどあの二本は糸の長さを変えられないみたい」
「ふむ……」

 百六十二といえば、ちょうど二百四十三の三分の二の値だ。数学に秀でていたとされるメイヤ人のことだから、また何か計算して仕掛けを解けということなのだろうが、いかんせんこれだけではまだ手がかりが少ない。糸の長さを変えられることも重要そうだが、念糸の無い石柱があるのも妙だった。
 さて、一体どこから手を付けようか。もう一度祭壇にヒントがないか調べるべきだろうか。クロロが考え込んだのと、ポン、と弦を弾くような音が響いたのはほぼ同時だった。

「わわっ、あぶねっ」
「マオ! 一体何やったの?」
「ちがっ、俺はちょっとこの糸に触ってみただけで……! そしたらなんか、念の光みたいなのが発射されて……!」

 しどろもどろのマオの答えは要領を得ない。が、特に念糸に触っても問題はないようだ。気になるのは聞こえてきた音と、糸を触ると出たという光。クロロは腕を組むと、今度こそ見逃さないつもりでマオと一番奥の石柱を見つめた。

「もう一度やってみせろ」
「わかった」

 頷いたマオはそうっと手を伸ばすと、念糸をぴん、と指で弾いた。すると再びポン、と軽やかな音がして、マオが言った通りに仄明るい念弾が糸から発射される。けれどもその動きは蛍の光のようにふよふよと空中を漂うもので、数秒も経たないうちに消えてしまった。先ほどまともに念弾を食らったマオによると全く痛くなかったらしい。シャルが真似をしてもう一本の石柱の念糸を弾くと、一本目より高い音がポンと鳴り、同じように念弾が出た。

「弾くと念弾の出る糸か……」
「ドとソだ」
「は?」
「こっちがドで、シャルのがソの音だ」

 ほら、ともう一度マオが糸を弾くと音が鳴ったが、正直言われてみればそうかもしれない程度の物だ。それはクロロが絶対音感を持たないからというよりは、メイヤ文明の音階が現代のものとは多少ずれていたからに違いない。

「……お前は音楽に明るいのか?」

 マオの意外な才能に驚いて目を見張れば、彼はちょっぴり得意そうに頬をかいた。

「別に俺は楽譜が読めるわけでも楽器が引けるわけでもないんだ。でも、音ってのは波だろ? 一音だけじゃピンとこなかったけど、二つの波の周期の差がドとソのそれによく似てたんだ」
「ドとソ……糸というよりこの場合、弦か……そして三分の二……なるほど、ナイスだ。マオ」
「だろぉ?」

 褒められてちょっとどころか完全に得意顔になったマオは口元がにんまりと緩むのを抑えきれないようだ。「で、何がわかったんだ?」音階というところまで辿り着いておきながらその先ちっともわかっていないのがなんとも残念だったが、幸いにしてクロロの脳内には与えられた情報がきちんとまとまっていた。





「弦の長さを変えられると言ったな。だったらその弦を半分の長さにしてみろ」
「えっと二百四十三の半分は……割り切れない」
「じゃあソの方でいい。半分にしたらその音が何か言ってくれ」
「オッケー」

 今度返事をしたのはシャルの方だ。ソの弦をさっと八十一センチの長さに変えると弦を指先で軽く弾く。奏でられた音を聞いたマオの瞳は、わかりやすいほど真ん丸になった。

「高いソに変わった! クロロすごいな!」
「なるほどね。つまり弦の長さを三分の二にすると五音階上がって、半分にすると一オクターブ上がる。そういう理解で良い?」
「その通りだ」

 もともと現在の音階というのは数学者によって考案されたらしい。そのためこの法則を利用すれば、ドとソの二音から他の音を出すに必要な弦の長さを求めることが可能だ。何かの本で手に入れたまま埃を被っていた知識だが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。そしてクロロの予想が正しければ、円形に並べられた石柱が楽譜の役割を果たすはずである。「マオ、よく見てろ」クロロは振り返って十二時の位置の石柱を鳴らす。こちらも音と同時にふよふよとした念弾が放たれたが、消えるまえに七時の位置の石柱にぶつかって連鎖的にソの音が鳴る。そしてソの石柱から出た念弾は、今度は一時の位置の石柱に当たってそこで消滅した。この石柱には念弦が存在しないので連鎖が起こらないのは当然の結果である。

「うわぁ! すっげぇ! こうやって念弾をパスして音を鳴らすんだな! そんで最後に祭壇まで届ければ扉が開くってことなのか?」
「おそらくな」

 クロロが頷くと、マオのテンションはいよいよ上がっていく。“生命の間”では頭を使いすぎたせいか死にそうな顔をしていたが、今度は興奮しすぎてぶっ倒れそうな勢いだ。落ち着きなよ、と手綱を取ろうとするシャルの奮闘はどうやら空しく終わりそうである。

「でもでも、ソの次の柱はどうしたらいいんだろ? 弦がなきゃどうしようもないじゃん」
「新たな音を作ることがきっかけになるんじゃないか?」
「えーとじゃあ、高いソは作ったしさらにもう半分……駄目だ、割れない」
「マオ、三分の二にするルールも忘れないで。五音階上げられるんだよ」
「そっか! じゃあ五つ上げるとソ、ラ、シ、ド、レ……高いレで……」

 つまり、ソの百六十二センチに三分の二を掛け算すればいい。「百八センチ!」喜び勇んでソの弦の長さを変えたマオは、早速音を鳴らして満足そうに笑う。

「壁際の石柱が八本並んでるのもヒントだよ。マオが出すべきは一オクターブ上のレじゃなくて、最初のドとソの柱の間のレ」
「ん、そしたら今度は一オクターブ下げるから、さっきの逆で二倍だな! シャル、」
「はいはい、目盛りが見えないんだね。よっと」

 マオの身長はクロロよりも少し低いくらいなので、答えの二百十六センチに一人で合わせるのは難しかったのだろう。もうちょい上、と横から確認するマオの指示に従い、背の高いシャルが手を伸ばして弦の長さを調節する。
 こうして完成したレの弦をかき鳴らすと、音に呼応したように一時の位置の石柱に同じ二百十六センチの長さの弦が出現した。

「うおお!! ほんとだ!」
「よし。その調子でレの弦から次に作れる音を考えてみろ」
「おう! 任せろ! シャル手伝って」
「はいはい」

 やる気があるのなら今回の謎解きはマオに任せてもいいだろう。監督としてシャルが憑いているなら間違いもきちんと正してくれるはずだ。

 暇になったクロロは祭壇や石柱に掘られた絵を一つ一つじっくりと眺めていく。どうやらこの“祈りの間”は祈りを捧げて何かを請うというよりは、神々に感謝し奉納する意図が強かったらしい。“生命の間”の見事な彩色壁画といい、メイヤ人の敬虔さはこうした芸術方面にも生かされていたようだ。そうなるといよいよ、彼らほどの高度な文明が滅びた理由が知りたくなった。神々の失敗作とは思えないし、これほど神を敬う罪人ならば少しは情状酌量の余地があってもいいだろう。今のところ最も有力な仮説は天災による滅亡だが、それではあまりに神というのは無慈悲すぎるのではないだろうか。

「クロロ、できた! 見て!」

 思考の海をたゆたっていたクロロは、元気いっぱいなマオの声によって現実世界へと引き戻される。数度瞬きを繰り返したあと、メモ帳片手に駆け寄ってくるマオを一瞥して見せてみろ、と短く言葉を発した。




「計算は間違っていないようだな」

 シャルの指導の甲斐あって、どうやらすべての音階が計算で求められたらしい。二人はクロロが考え事をしている間に、あとは最初のドを鳴らして始めるだけというところまでしっかり準備を済ませていた。

「ではやってみよう」

 クロロの許可を得たマオは飛び跳ねるような勢いでドの石柱に向かい、一方シャルとクロロはゆっくりと円の外側へと非難した。「ふう、行くぞ」ポン、と何度も聞いたドの音を起点に、ソ、レ、ラ、ミ、シ、と次々に念弾が音を奏でていく。そして最後に十時の位置のシの石柱から放たれた念弾は真っすぐに祭壇へと吸い込まれる。
 次の瞬間、祭壇はまばゆく発光し、虹色に輝く念弾を起点となったドの石柱へと放った。

「な、なんだこれ!?」

 マオが動揺した声を上げるのも無理はない。クロロもシャルも驚いて床を見つめた。念弾が最初の石柱に戻るや否や、これまでの念弾の経路を示す形で床に模様が描かれていく。



「七芒星だ……」

 円状に並んだ石柱を結ぶ形で星が浮かぶと、祈りの音楽がドソレラミシ、と何度も繰り返される。そしてその音楽に導かれるように、祭壇奥の扉がゆっくりと新たなる道を開いてみせた。

「この道が正解……なんだよな?」

 あまりに想像以上に大がかりな仕掛けで、興奮していたマオは逆に怖くなってしまったらしい。しかもこの部屋はダミーの扉が二つあり、間違えば死が待っているかもしれないとなると躊躇うのもよくわかる。
 誰も次の一歩を踏み出さない状況が数秒続いたあと、顎に手をやったシャルがねぇ、と声を上げた。

「団長、メイヤ文明と七っていう数字は何か関係あったりするの?」
「そうだな……俺もそこまで詳しいわけではないからこじつけにはなるが、天界の一から十三層のちょうど中間となる数字が七だ。それから、円の全周三百六十度を七で割ってみるといい」
「……えーと、だから割り切れないってば!」
「そうだ。五芒星や六芒星とは違って割り切れないために、真に正確な“正七芒星”というものは描くことはできない。それが転じて、七芒星は“不可能を可能にする”という意味合いで用いられるんだ。神に捧げる図形としては、俺はそう悪くない図形だとは思う」
「へぇ、そうなんだ。じゃあきっと正解の道だね。というわけでマオ、安心して進んでいいよ」
「そ、そう言うなら、わかった」

 完全に斥候として捨て駒扱いされているが、当の本人は気づいていない。「大丈夫そう!」扉の奥へ進んでも五体満足なマオを見て、ようやくクロロとシャルは“祈りの間”を後にすることに決めたのだった。


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