- ナノ -

■ とある遺跡01

 メイヤ文明において、九という数字は死後の世界を示す数とされている。彼らは世界が天界、地上界、地下界の三つに分かれていると考えており、多くの神々が暮らす十三層の天界は、その中央にそびえたつ聖なる大樹セーバの木によって人間の暮らす地上界と結ばれているとされていた。そしてその一方、セーバの木の根は地下界の最下層、死の神が住まう第九層まで深く深く伸びているのだとも考えられていた。

 このような古代メイヤ人の宗教観や精神性は、使用された文字の複雑さや現存する遺物の少なさから、未だにそのすべてがつまびらかにされたわけではない。しかし当時の彼らが進んで何かに――おそらく神と崇める何かに――血を捧げていたのは、壁画に残された生贄たちの絵から容易に推測されるのであった。



「うわ、下半分はよくある感じだけど……なんかすごい歪な形をしてるなぁ」

 マオがそう言って顎を突き上げるようにしながら見あげたラケンペ遺跡は、九つの基壇からなる階段状のピラミッドだった。九段で作られるピラミッドは神殿から地下の死の世界に降りていくことを意味し、この文明の遺跡としては特に珍しい造りではない。しかしラケンペ遺跡には他の遺跡とは大きく異なる特徴があって、そのためにマオは“下半分”などという妙な表現をしたのだった。

「上半分も含めると砂時計みたいな形だけど、上の方が大きいって絶対設計ミスってるよな」
「なんでも、天界と地下界の交わりを表現しているらしいよ」
「ほえーわからん。そもそも一体どうやって作ったんだろ、これ」

 マオが言うように、ラケンペ遺跡の全貌は砂時計のような奇妙な形をしていた。九段からなるピラミッドのその上に、ちょうど上下をひっくり返したような形で別の十三段のピラミッドが乗っかっている構造なのである。実際の接地面積はそこそこ広いのだが上下どちらも巨大であるため、遠目からみれば四面体の積み木を二つ、寸分の狂いもなく積んだようにしか見えない。この通常では考えられない建築技術も、メイヤ文明が現在よりもはるかに高度な技術力を持っていたのではないかと想像される理由の一つになっていた。

「俺たちは観光に来たわけじゃない、行くぞ」
「あ、あぁ、でも、本当にこれ入っていいの?」
「何言ってんの、駄目に決まってるから行くんじゃん」
「そうだよな、駄目だから行くんだよな。ん……あれ?」

 なにやらぶつぶつ煩いマオは放っておいて、シャルはクロロの後に続き、外側の石段を登っていく。入口はちょうど砂時計のくびれ部分にあたるところで、調査の際に開けられたものではなく、元々このピラミッドに存在したものらしい。過去には外壁をダイナマイトやドリルで破壊し、新たな入口を作ろうとした不届きな学者もいたそうだが、どの方法でもラケンペ遺跡に損傷を与えるには至らなかったそうだ。呪いの仮面といい、絶対防御の外壁といい、ラケンペ遺跡は念能力とかなり密接に関係している。

「この遺跡自体の防御がお堅いお陰でさ、特に国側は盗掘対策を行っていないみたいだ。まぁ、地元の人間はまず恐れて近づかないらしいからね」

 密林の中に急に現れるこの遺跡は、観光名所としてもそれなりに人気がある。だが、噂のせいで眺めるのは外観だけで十分だと思うのか、立ち入り禁止の柵が張り巡らされている他はセキュリティらしいセキュリティもなかった。

木乃伊ミイラ盗りが木乃伊ミイラに、というやつだろう。お宝目当てに入った奴も実際にはかなりの数いるはずだ」
「……えっ、俺はミイラになるなんて嫌だぞ! やっぱり帰らないか?」
「帰りたければ帰れと言いたいところだが、お前の力が要る。木乃伊ミイラが嫌なら、ここで木偶デクになってもらうだけだ」
「……」

 それを聞いたシャルはにっこりと笑顔を向けてやったが、実際マオを操作をしても意味がないことくらいわかっている。それはマオの念を盗んだものの、“位相合わせ”による除念ができなかったクロロが一番よくわかっているだろう。最初に話を聞いたときは随分と驚いたものだが、ただ念を奪うだけではマオと同じことはできない。それはシャルのアンテナによる操作でも同じことで、シャル自身が“位相合わせ”の感覚を掴めない以上、マオを操っても仕方がなかった。

「まぁまぁ、そう怖がらなくても先の調査によると一本道だし、迷うような要素はないよ」

 死人が相次いだことで遺跡の調査は中断されたが、宝の眠る地下室に至るまでに発見された資料や調査記録は、サヘルタの文化資料館にて保存されている。もちろん遺跡の詳細な地図は一般向けに公開されてなどいなかったが、そこはシャルの出番だ。きちんと下調べは済ませてある。

 地図によると、入口から宝のある“翡翠の間”までは分岐がなかった。ただ、地下にむかうには一度上階へ上がり、砂時計の上半分に位置する“生命の間”と“祈りの間”の二つを攻略する必要があるらしい。不格好な上のピラミッドも、決してお飾りなどではないということだ。
 そしてその二つの部屋を攻略すると今度は下り道となり、十三層ある天界と九層ある地下界の境目――“黄泉の扉”と名付けられた部屋にたどり着く。ここを抜ければようやくお目当ての下層部分へ向かうことができ、生贄の慰霊のために作られたとされる“鎮魂の間”、地下の王墓“翡翠の間”へと繋がるらしかった。






「“生命の間”か。なるほど、神と主要な食物が世界の創造と密接にかかわっているのはどこも同じというわけだな」

 入り口から細長く続く階段を上り続け、ようやく視界が開けた先には見事としか言いようのない彩色壁画が広がっていた。部屋自体の広さはちょうどテニスコートの半面ほどだが、その四方の壁には創世神話と思われるような絵が、部屋の入口側の壁から東周りの時系列で描かれている。
 ここから先へ向かう石づくりの扉は神話の起承転結の“承”と“結”の位置に二つあり、現在はどちらも固く閉ざされているようだった。

「地図で言うなら、この一番最後の話のところにある扉だろ? なんで開いてないんだ?」
「普通なら調査隊が故意に閉じたと考えるが、おそらくこの遺跡独自の防犯システムだろう。仕掛けの謎を解かなければ先へは進めないに違いない」
「ええっ、謎って言われてもなぁ……」

 マオがぐるりと壁画を見回すのにつられて、シャルももう一度視界を巡らせる。最初の壁画で神は大地や山を生み出し、二枚目で泥から動物と、木から猿によく似た人型の生き物を作ったみたいだが、どうやらこれは失敗作だったらしい。続く三枚目であっさりと猿もどきたちは洪水によって押し流され、ここで急に水のはけた大地からトウモロコシと思われる植物が成長し始める。そしてシャルにはまったく理解できなかったが、なぜか神はこのトウモロコシを使って人型の生き物を作るのに再挑戦したらしい。その結果が四枚目、生まれたのが現在の我々“人間”であるというお話だ。

「マジ? 俺らの祖先って、トウモロコシだったの?」
「確かにマオはポップコーンって感じがする。中身スカスカだし」
「古代人は食と命を結び付けるからな。それよりお前ら、これを見てくれ」

 クロロが眺めていたのは色彩鮮やかな壁画ではなく、次の道へと繋がる扉に刻まれた絵だ。絵と言っても今度のものは一マス一マス区切ったように分かれているので、象形文字の類だろうと思われた。

「見てって言われても、俺にはおっさんの横顔が大量に並んでるようにしか見えない……」
「これはメイヤ文字だ。俺も全て読めるわけではないが、数字の表記と知っている単語からだいたいの内容は想像がつく」

【13の天界には十三人ずつ神々が住んでいる
 神々は13本ずつティシートを手に取り
 1本のティシートから13人の我々が作られた
 そして我々はそれぞれ13の神々へ祈りを捧げた
 ここに数え上げた、全ての数の合計を示せ】


「待て待て、メモ取るからもう一回言って!」

 流暢なクロロの読み上げにあわあわしているマオを放っておいて、シャルはさらに扉を調べる。流石にメイヤ文字の解読は不能だが、数字ならば現在とそう変わりないだろう。象形文字の下には丸と棒の並んだ小さな石板が20個並んでいて、どうやら答えの数字の石板を扉の窪みに嵌める仕組みらしい。ちなみに部屋にある扉の二つともが、全く同じ仕掛けになっていた。

「丸一つが数字の1を表し、横棒一本で5。ということは一番初めの“目”みたいなマークは0ってことかな? 答えとなる数字の石板を扉に嵌めようと思ったんだけど……一桁分窪みが足りないんだよね」

 シャルがうーん、と考え込んでいると、できた! と後ろから威勢のいい声がする。まさかと驚いて振り返れば、マオが持参したらしいメモ用紙を自慢げにこちらに見せてきた。



「なんだ、書いてあること写しただけじゃん。びっくりさせないでよ」
「バッカ! 皆が皆お前らみたいにすらすら読めるわけじゃないんだぞ! こうやって書いたほうがわかりやすいだろ! ところでティシートってなんだ?」
「おそらく壁画に描かれているトウモロコシみたいな植物のことだろう。神が人を作ったという部分でも一致している」
「じゃあ、まず神様の棲み処が13個あって……そこに13人の神様が住んでて……そいつら全員13本ずつトウモロコシ持って……うええ、気が狂いそう!」

 ただでさえ煩いのにこれ以上発狂されてはかなわない。そもそも最初に出てくる数字が13なのに、10しかない指で数えようとするのがどうかしている。足の指まで使ったって、最大20までしかないのに。
 しかし指折り数えて頭を抱えるマオを見ていたシャルは、ふと閃くものを感じた。

「ねぇ、団長、もしかしてメイヤ文明は20進法を使ってた?」
「そう言われている。だからそこの石板も20枚なんだろう」
「20進法って?」
「俺たちが普段使っている10進法では10で位が1つ上がるが、20進法は20で一区切り。それだけの話だ」
「あはは、なんだかんだ優しいね、団長は」

 道理で口では文句を言いながらも、マオが犬のように懐いているわけだ。たぶんクロロの方も親切というよりは、聞かれたから答えているだけに過ぎないのだろうが。
 とにかくペットの世話は飼い主に任せることにして、シャルはとっとと正解の石板に手を伸ばす。扉の窪みは5マス存在して、下から順に【13、11、5、10……】と嵌めていくのだ。そして最後に【2】の石板を取ろうとすると、それよりも早くクロロが手渡してきた。

「なんだ、やっぱり団長だけでよかったんじゃないの?」
「まだまだ最初の部屋だ。頼りにしてるぞ、シャル」

 苦笑しながら最後の石板を嵌めると、かちりと何かが起動する音が聞こえた。そして石のこすれる重低音を響かせながら、4枚目の壁画の扉がゆっくりと開く。

「これってもし間違ったら反対側の扉が開いて、侵入者は排除って感じなのかな」
「メイヤ人は残虐な一面もあるからな。本当の地下界へご案内ってことかもしれないぞ」
「おお、こわ」

 我ながらちっとも怖がっている風ではないな、と思いながらも、シャルは扉の先へ進もうとする。確かこの先は長い通路を直進して、突き当りに“祈りの間”が存在するはずだ。名前の通り、メイヤ文明の祭事が鍵となるならまたまたクロロの知識頼りになるが、はてさて次の謎解きは一体どんなものか。
 本音を言うと浪漫より現金派のシャルだったが、結局なんだかんだで楽しくなってきていたのだった。

「いやいやいや! 何勝手に終わりましたみたいな顔してるんだよ! こっちは全然わけわかってないんだぞ!」

 しかし、ここにまだ納得していない男が一人。通路に片足半分突っ込んでいたクロロとシャルは、子供のような喚き声にため息をついて振り返った。

「えー、開いたから次行こうよ」
「ずるい! 答えが分かったんなら俺にも教えてくれたっていいだろ。石板を見た感じ、上から【2、10、5、11、13】……ええと、どうなってんだ?」
「答えは402233。団長、」
「仕方ないな。お前のメモ帳を貸せ」

 貸せ、と言いつつほとんど奪うようにしてマオからメモをもぎ取ったクロロは、すらすらとそこに計算を書いていく。それを補助する形でシャルは携帯を取り出すと、マオにわかるように電卓機能に切り替えてやった。

「この文章は早い話が13の累乗だ。一度に考えようとせず、それぞれの項目ごとに13をかけてやればいい」

 そう言ってクロロは“天界、神、ティシート、人間、祈り”と五つの項目を縦に並べて書く。一番初めの天界の数は13、一層につき13人の神がいるらしいので神の数は13の2乗。残りのティシート、人間、祈りも順番に前の数字に13をかけてやれば、それぞれの数がわかる。



「後はこれらを全部足せば、402233。シャルの電卓でもそうなっているだろう?」
「う、ううっ……じゃあ、なんで嵌める石板は【2、10、5、11、13】なんだよ? これだと【4、0、2、2、3、3】じゃんか」
「うん、そこ。それで俺も初めは1桁窪みが足りないって思ったんだよね」

 20進法表記をするのだと閃いたのは、実はマオが指で数えていたからなのだが、シャルはそれを言ってやるほど優しくはない。絶対、絶対につけあがってうるさくなるのが目に見えているからだ。
 マオの疑問にこれまたペンを走らせたクロロは、出た答えを20で順にわり、その商と余りを書き連ねていく。

「さっき20進法の話はしただろう?20で位がひとつ変わるというあれだ。メイヤ文明の表記法に会わせるために、この402233を20で割ってやる」
「うん」
「答えは20111、余り13。20の塊からあぶれた余りの13は、一番下の窪みにはまる石板になる。さらに次は20111の中に20の塊がいくつあって、いくつ余るか?」
「えっと……塊は1005で、余りは……11! この11が下から2段目の窪みに嵌るんだな?」
「ああ、そうやってどんどんと20で割った余りを嵌めてやればいい。最後に20で割れなくなるほど数が小さくなれば、その商――塊の数を1番上の窪みに嵌める」
「わかった、任せろ!」

 任せろもなにももう解決しているのだが、マオは嬉々として計算を始める。それを横目にシャルは、改めてメイヤ文明の凄さに思いを馳せていた。古代において0の概念にたどり着いたこともそうだが、これだけ膨大な桁の数字を日常生活で使うことは現代ですらない。古代メイヤ人が実はここではないどこか――世界の外側から来た未知の生物なのかもしれないという、都市伝説めいた話が流れるのにも納得がいった気分だった。

「おお! ほんとだ! 俺も【2、10、5、11、13】になった!」
「ならなかったらマオの計算ミスだよ」
「でもなんで余りを書いただけで、402233って伝わるんだ? これって逆にメイヤ表記から俺たちの表記にするにはどう考えたらいいんだろ」
「もう、貸して。いいかい? マオは今、20の塊ずつに数字を分解したんだろ? 窪みの5つの段はそれぞれ下から“塊なし、20の塊、20で2回割った――つまり400の塊、8000の塊、160000の塊”を示してる」

 いい加減にしびれをきらしたシャルは、マオが写した石板の図の隣に補足を書き込んでいく。

「各計算の余りは――たとえば最後の160000の塊ずつわけたときは、塊が2つで余り10になってるけどさ、この10は1つ前の8000で分けたときには余ってなかっただろ? だからこの余りの10は、実は8000の塊が10個あるって意味なんだよ」
「ということは、次の余り5も400の塊が5個って意味?」
「そう。その調子で全部足してごらん」




「うわ……ほんとだ……石版の数字から402233に戻った」

 結局、がっつり電卓に頼りつつ全ての計算を終えたマオは、はぁ、とどこか虚ろな目で息を吐いた。完全に思考がオーバーヒートしているのだろう。ぐったりしていて、足取りもややふらついている。

「気はすんだか? だったら早く次へ行くぞ」
「うん、あのさ……クロロ、シャル……」

――俺、帰ってもいいかな?

 一体今度は何を言い出すかと思えば。
 マオの馬鹿げた発言をシャルは鼻で笑い、クロロは先ほどまでの優しさはどこへやら、躾に厳しい飼い主の表情できっぱりと言い放つ。

「却下だ」

 こんなところで弱音を吐かれては困る。マオが勝手に疲れているだけで、進捗としてはまだ一つ目の部屋を攻略したばかりなのだ。

「行くぞ」

 後は一切見向きもせずに、クロロはずんずんと通路を進んでいく。そんなクロロの背中を追いながら、シャルはもう一つの足音がいかにも渋々といった様子で後ろをついてくるのを聞いていた。

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