- ナノ -

■ とある浪漫

 アパートに戻る道すがら、アンタも苦労してんだなぁとわかったような口をきかれて、シャルの機嫌はますますもって急降下した。心なしか先ほどよりも大きな軋みを立てた階段は、容易に二人が帰宅したことをこの茶番の首謀者に知らせる。
 力いっぱい、当てつけのように鍵のかかっていないドアノブを捻れば、クロロは読んでいた本から視線を上げてどうだった? と悪びれもせず聞いてきた。

「どうもこうもないよ。最悪」
「マオのことはすぐ見つけられたか?」
「そりゃあね。あまりに自然すぎて、不自然だったから」

 シャルの言葉に、大荷物のせいで身を滑り込ませるように室内へ入ってきたマオが、うっとばつの悪そうな表情になる。ここに来るまでの間にだいたいの事情は聞いたけれども、マオはクロロから念能力者であることを隠すという課題を与えられていたらしい。
 シャルに比べればさほど大きくもないその体躯を申し訳なさそうに縮めているその姿は、どこか飼い主に叱られた犬を彷彿とさせた。

「それにしても意外だね。お宝を盗るだけじゃなくて、とうとう弟子まで取るようになったんだ?」

 普段のクロロに比べれば異様に整頓された部屋は、どうやらマオの努力の賜物らしかった。単純に彼が散らかった部屋に耐えかねたというのもあるかもしれないが、クロロは“師匠”の地位を存分に利用しているらしい。
 買った品物をせっせと冷蔵庫に詰めるマオを横目に、シャルは木製のスツールに腰を下ろす。正面のソファに座っていたクロロは、ようやくそこで少し身を乗り出した。

「別に弟子にした覚えはないな。単なる取引の結果だ。修行をつける代わりに、今度の仕事に役立ってもらうことになっている」
「役に立ってもらう? 修行が必要な段階で?」

 シャルだって、何もクロロが慈善活動ボランティアでマオに修行をつけてやっているとは思っていない。だが、非念能力者のふりすらろくにできない彼が、蜘蛛の仕事に役立つようにはとても思えなかった。警戒心も薄く、思ったことをすぐ口にするし、裏家業でやってきた人間でもないだろう。
 シャルが当然の疑問をぶつけると、クロロは面白がるようにニヤッと笑った。

「なんだ、あれの能力は結局探れなかったのか?」
「……クロロが全部仕組んだってわかって、やる気もやる意味も失っただけだよ」
「別に俺は意地悪がしたくて仕組んだわけじゃないぞ。自分の目であいつの有用性を確認してもらった方が、話が早いと思っただけだ」
「はぁ、その割にすっごく楽しそうな顔してるよね」

 ため息とほぼ同時に、シャルの目の前に濃い色合いのお茶と、なぜか小皿に乗った中華まんが置かれる。思わず驚いて顔をあげれば、マオはこれから仕事の話をするんだろ、と当たり前のように言った。
 なんだこいつ、秘書かよ、とはシャルの心の声である。

「あぁ。大事な話だ。お前は邪魔にならないようその辺で遊んでいろ」
「じゃあ早くアレ出せよ、クロロ」
「戸締りはちゃんと済ませたのか?」
「大丈夫」

 シャルが呆気に取られているうちに、クロロの右手には盗賊の極意スキルハンターが出現する。次に視界に現れたのは念で出来た骨の魚――密室遊魚インドアフィッシュだった。

「へへっ、元気してたかー? お前ら」

 相手は突き詰めるとただのオーラだ。しかも見かけは骨だし元気もくそもない。けれどもぱっと顔を輝かせるマオとそんな彼にすり寄るように群がっていく密室遊魚インドアフィッシュを見て、懐かれているのか、なんて一瞬くだらない考えが脳裏に過った。

「ははっ、お前ら相変わらず俺のこと大好きだなぁ。よしよしそうガッツくなって」
「……ねぇ、どう見てもあれ、襲われてるよね?」
「気にするな。あいつは見ての通りの馬鹿だ。それよりもお宝の話をしよう」

 見たところマオは密室遊魚インドアフィッシュの攻撃を全てギリギリでかわしているようだが、それにしても随分危なっかしい。同じ空間にいてもシャルが攻撃されないのはクロロのお陰なのか、はたまた本当にマオが気に入られているのかどうかは不明だが、こんな状況で宝の話をしようというクロロもクロロだ。
 しかし結局シャルの困惑はまるきり無視され、さっとローテーブルの上に地図が広げられる。既につけられていたバツ印が指し示しているのは、サヘルタ合衆国の西にある、カンタユ半島の付け根――。

「……ラケンペ遺跡? あのメイヤ文明の?」
「そうだ」

 シャルの確認に、クロロは満足そうに頷いた。
 
 ラケンペ遺跡は今から二百五十年ほど前に発見され、実際にその本格的な発掘調査が始まったのはここ五十年ほどという、比較的人の手が入ったのが遅い遺跡である。七世紀に在位したとされるパッケル王によって着工されたこの遺跡は、これまで発見された他のメイヤ文明の遺跡同様、神殿としての役割があると考えられていた。
 だが、遺跡調査の終盤になって新たな地下室の存在が発覚し、そこから続く鍾乳洞の小部屋が確認された。そこはこれまでのメイヤ文明遺跡の通説を覆す、地下墳墓だったそうだ。

「ラケンペの仮面の噂は?」
「多少はね。でも、本気でそれを狙うわけ? だって、あの仮面は……」

 地下墳墓の石棺に眠っていたのは、パッケル王だと言われている。つまりラケンペ遺跡は王墓であり、そこに眠る宝は資産的価値のみならず歴史的な価値も高い。それなのに未だ考古学者の手に渡らず洞窟の中に眠り続ける理由は、その宝が呪われているからに他ならなかった。

「なんだ、怖いのか?」
「冗談。生憎、オレはそういう迷信とか呪いとか信じてないんだよね。どうせ念絡みなんでしょ?」
「あぁ、十中八九そうだ」

 世の中には呪われた品として、持ち主に死を運ぶ宝がいくつか存在するが、その原因は結局のところ強い思念――すなわち念能力なのである。それが生者のものであるか死者の念かは様々だが、念能力者からすると呪いの品は、オカルト話としては随分お粗末なのである。
 シャルも昔ちらりと小耳に挟んだくらいだが、当時のラケンペ遺跡調査隊の中には何人も死者が出たらしく、それで直ちに調査は中止。今もなお、パッケル王の翡翠の仮面は、王の遺体と共に眠り続けているのだそうだ。

「そこであいつの能力が役に立つ」
「……てことは、マオって除念師なの?」
「正確には違うらしいが、似たような能力だ。実際にあいつはヨークシン中央図書館で本を除念している」
「へぇ……人は見かけによらないもんなんだね」

 その情報を聞いたあとで改めてマオを観察してみても、やっぱり全然しっくりこなかった。除念は非常にレアな能力で本人が狙われる可能性も高いし、そもそもの除念自体のリスクも高い。普通はもっと他人を警戒してこそこそと生きるものだろう。楽しそうに密室遊魚インドアフィッシュとじゃれているような男が、そんな素晴らしい能力者であるようにはどう頑張っても見えなかった。

「まぁマオのことはいいよ。クロロが言うならそれなりに役に立つんだろ。で、肝心のオレには何をしてほしいわけ?」

 普段の盗みならばセキュリティーの突破や操作能力を生かした情報収集など、シャルがやるべき仕事はもっぱら下調べなどの準備だ。しかし現在国に保護されている遺跡とはいえ、シャルが出張るほどの仕事があるだろうか。文明は文明でも、シャルが得意とするのは文明の利器を利用した分野なのである。

「メイヤ文明は、下手をすると今よりももっと高度に発達した文明だったのではないかと言われている。そんな時代の王の墓だ。当然、当時のやり方で盗掘対策もされているだろう」
「……オレ、そういうのは専門外なんだけどなぁ」
「何を言っている。仕掛け、謎解き、パズル。そういうのは参謀の仕事だろう?」
「残念ながら蜘蛛の“頭”はひとつしかない。オレはただ手足の一本ってだけだよ」
「つれないことを言うな。他の奴らは嫌がると思ったから、お前にだけ声をかけたのに」

 クロロはシャルが文句を言いつつも、引き受けることがわかっているみたいだった。だからこちらも悪あがきするのはやめて、小さく肩を竦める。「はいはい、それは光栄だね。仰せのままに、“団長”」ようやく口をつけたお茶はこの地方のものではなく、カキンの方の渋みのあるものだった。

「マオ。そういうわけだ。シャルも一緒に遺跡に行く」
「え? あ、あぁ、あんまり聞いてなかったけど好きにすればいいんじゃないか? アンタら元々仲間なんだろ?」
「じゃあ決まりだな」

 クロロがぱたん、と盗賊の極意スキルハンターを閉じると、同時に密室遊魚インドアフィッシュも消失する。やや不服そうな顔になったマオはそのままこちらへ来ると、クロロの隣にどっかりと腰を下ろした。

「で、行くのはいいけど、なんでそんなヤバそうなもの欲しいんだよ。本オタクだけじゃなくて、歴史マニアでもあるのか?」

 確かにマオの指摘はシャルも気になっていたところだ。クロロは確かに好奇心が強く、興味の幅も広いが、どうせなら呪いの仮面ではなく絵文書コデックスを狙うと言われたほうがまだ理解できる。
 しかしクロロはマオの疑問に合理的な説明をするわけでも、熱く反論するわけでもなく、ただ一言「お前は浪漫というものをわかってない」とぶすりと返した。

「浪漫? なんだよそれ、そんなもののために危険を冒すのか? 浪漫じゃお腹いっぱいにもならないのに?」
「うるさいな」
「ないわ〜。俺は断然、浪漫より肉まん派だわ」
「……前から思っていたがお前は食いすぎだ。朝昼晩、普通の人間の三倍は食べるくせに、そのうえ全部の食間に肉まんを挟むなんておかしいだろう」
「お、俺は育ち盛りなんだよ! 今に見てろよ、シャルくらいでかくなってクロロのこと見下ろしてやるからな」

 二人の下らないやり取りを見ていたら、呆れてなんだかお腹が空いてきた。シャルはすっかり冷めてしまった肉まんを掴むと、これは手作りなんだろうか? と思いながらかぶりつく。

「あ、意外とうまい」


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